出立①
翌朝に発つことが決まり、遥花の部屋に結芽が名残惜しそうにやってきた。
「さ、これをどうぞ」
結芽が差し出したのは、瑞穂の里で採れる香り高い穀酒をほんの少し。祝いと旅立ちの縁起を担ぐものだった。
遥花は盃を受け取りながら、柔らかく微笑んだ。
「ありがとう、結芽。あなたには、本当にお世話になったわ。」
「礼なんていらないわ。綴る者同士でしょう? ……でも、正直なところ、少し寂しいの。」
結芽は蝋燭の揺らぎに照らされ、頬を赤く染めながら本音を漏らした。
遥花は少し驚き、それからくすりと笑う。
「私もよ。もう少し、一緒に言霊を探していたかった。」
――しばし沈黙が流れ、結芽がふと思い出したように遥花を見た。
「ねえ、遥花。陽路のこと、知ってる?」
「……それが、あんまり……。」
遥花は視線を伏せた。
結芽はそっと微笑み、篝火を見つめながら語り出した。
「陽路はね、幼いころから綴る者の従者として修業していたの。……陽路のお母様が天響に戻られるたびに、遥花と旅をした話をしてくれたんですって。それを聞くたびに、『自分も遥花にふさわしい従者になるんだ』って、ずっと心に決めてきたの。」
遥花の目が、驚きと温もりに揺れる。
「……そうだったんだ。」
「ええ。そして、あなたがいなくなってしまった後も、陽路は『必ず戻ってくる』と信じ続けていたわ。だから、従者としてだけじゃなく、語る者の務めも自ら志願してこなした。あなたが帰ってきた時、少しでも役に立てるようにって。」
遥花は息をのむ。胸の奥に何かがじんと広がっていくのを感じた。
――陽路が、そんな思いを抱いて……。
結芽は軽く肩をすくめて笑う。
「だからね、遥花。安心していいのよ。彼はずっとあなたの味方。……たとえあなたが記憶を失っていても。」
遥花はゆっくりと盃を置き、真剣な眼差しで結芽に頭を下げた。
「教えてくれてありがとう。結芽……。あなたにも陽路にも、私は守られているのね。」
結芽は照れ隠しのように笑い、蝋燭の火に目を向けた。
「……もう、そんなに改まらなくてもいいのに。」
二人はしばし言葉を交わしながら、夜を共に過ごした。
やがて遠くで鳥の声が一声鳴く。夜明けが近い。
翌朝――
瑞穂の里の人々が集まり、旅立つ遥花と陽路を見送った。
「遥花、また会いましょう。次はきっと、もっと強い言霊を一緒に封じましょうね。」
結芽の声に、遥花は力強く頷いた。
「ええ、必ず。」
陽路と共に歩み出すその背に、結芽は静かに祈りを送った。
――どうか、この旅が実りあるものになりますように。




