報告
瑞穂の里の水車小屋近く。濡れた袖を絞りながら遥花に向き直った。
「……さすがは遥花。記憶をなくしている中よくやったよ。」
「い、いや……全然うまく扱えなくて……結芽がいたから、なんとか収まったんだよ。」
遥花が気まずそうに言うと、結芽は小さく笑った。
「謙遜しなくていい。綴る者同士、互いの力は分かる。あんたにはちゃんと“詞脈”がある――それだけは、間違いない。」
その言葉に、遥花は目を伏せた。胸の奥で何かがわずかに温かく揺れた。
隣で陽路が深く頭を下げる。
「結芽様、先ほどはありがとうございました。遥花様にとっても、よい経験になったかと存じます。」
「うん、陽路。あんたも大変だったね。見守るのも気が気じゃなかったろう?」
「とんでもございません。お二人の御力を拝見できたこと、光栄にございます。」
陽路は姿勢を崩さず、言葉を尽くす。その様子に、結芽はやや呆れたように肩を竦めた。
「ほんと、あんたも相変わらず堅苦しいね。遥花、こんなのと旅して疲れない?」
「えっ……あ、いや……」遥花は慌てて首を振る。「そんなことないよ。むしろ助けられてばかりで。」
ふっと結芽が笑みを深める。
「そうかい。なら、いいけど。――まあ、従者というのは、生真面目な者ばかりだからね。たまには冗談の一つでも言ってみてほしいよ。」
「結芽様、そのような言動は‥‥」颯真は言い淀むが、結芽に軽く流される。
そんなやり取りを眺めながら、遥花はほんの少し気が楽になった。自分はまだ綴る者として完全には力を取り戻していない。それでも、仲間として受け止められている――そんな実感が、ほんのり心を支えてくれるのだった。
封じを終えた翌日。瑞穂の里の中心にある「清泉殿」へ、結芽と颯真は遥花と陽路を伴って向かった。
水を湛えた池のほとりに建つその屋敷は、瑞穂の長老が務めを司る場所であり、言霊庫とも近い。
畳の間に迎え入れられると、長老は静かに結芽へと視線を注いだ。
「結芽、昨日の様子はどうだった?」
結芽は膝を正し、端的に語った。
「“水分”の詞に揺らぎがありましたが、遥花と共に封じました。……記憶を失っていると聞きましたが、詞脈そのものは確かに息づいています。扱いは荒削りですが、力は間違いなく本物です。」
遥花ははっと顔を上げる。手こずってしまっていたからこそ、その言葉は意外だった。
長老は深く頷き、次に遥花を見つめた。
「そうか。……遥花、思い出せぬことが多いだろうが、詞脈が眠っているわけではない。昨日の鎮めでも、それは証明された。」
「……はい。」遥花は小さく答える。その声にはまだ迷いがあった。
そこで陽路が一歩進み出て、深々と頭を下げる。
「長老様。遥花様は力をお持ちでありながら、扱いに戸惑っておられます。どうか、その道を開けるよう……」
長老はしばし沈黙したのち、結芽に向き直った。
「結芽、お前はどう見る。」
「はい。……このまま実践を重ねれば、力の流れを体に刻み込めるはずです。他の地域でも実践を重ねれば、きっと詞脈の流れを体に馴染ませられるでしょう。」
長老はその提案にしばし目を細め、そして遥花を見つめた。
「――ならば、巡るべきだな。瑞穂を発ち、他の里を訪れよ。言霊に触れることが、お前の記憶と力を呼び覚ます道となろう。」
遥花は思わず膝の上で拳を握りしめる。胸の奥がざわついた。
記憶を失ってなお、綴る者としての務めを求められている――その責任の重さと、どこか懐かしい響きが胸に入り混じる。
長老が陽路へと視線を移す。
「陽路、お前はこのまま従者として同行せよ。」
「はっ。命に代えても、遥花様をお守りいたします。」
そう答えた陽路の横顔に、遥花は安堵と心細さを同時に覚えた。




