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和風異世界物語~綴り歌~  作者: ここば


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瑞穂の里②

 翌朝、陽路に導かれて、遥花は瑞穂の「祈詞殿」へ向かった。長い回廊の先、棚のように並ぶ詞鏡ことかがみが淡く光り、その前に座した祈る者たちが静かに息を合わせている。鈴の音が一定のを刻み、囁くような唱和が波のように広がった。


陽路が言う。

「ここでは、言霊ごとに定められた“祈念の巡り”を途切れさせぬよう、日々声を届けております。瑞穂では水と豊穣に結びつく詞が多く、巡りも長いのです」


ひとりの年配の祈る者が、詞鏡の前で掌を重ね、はっきりと言葉を紡ぐ。


「――『早苗祝さなえいわい』、本日三巡目。声、澄み。記録、続行」


すかさず別の者が帳面に朱で印を入れる。祈りは単調ではなく、節回しがわずかに変わる。遠くの田の畦道で交わされた祝い言、川上で受け継がれた呼び名――その些細な差異まで、祈りに織り込むのだという。


「祈る者は“忘れさせない”ために、土地で使われてきた言葉の呼び方や節も、できるだけ残します。祈りは数ではなく“繋がり”の確認です。忘れられた言葉は、やがて荒れてしまいますから。」


遥花は頷く。詞鏡の奥、封じられた言葉がこちらを見返している――そんな錯覚に、胸の奥がざわりと揺れた。


祈詞殿の隣には、瑞穂の言霊庫がある。湿り気を嫌う詞鏡は乾いた棚に、逆に潤いを好むものは水盤の近くに置かれている。札には名が記され、さらに小さく里のどこで息づいてきた言葉か、由来の記録がある。

祀る者が帳面から目を上げ、柔らかく告げた。


「本日、『水分みくまり』の詞が、やや荒れ気味です。天響へ送るほどではないですが……少し揺らいでおります。」


陽路は静かに頷き、隣に立つ遥花へと視線を向ける。


「……であれば、遥花様にお願いできればと思います。危うさはありません。“撫で封じ”の型を、ほんの少し。言霊へのご挨拶のようなものです。」


遥花の胸の奥が、不意にざわめいた。見知らぬはずの詞の気配が、懐かしい声のように耳に響く。

逡巡しながらも、彼女は小さく頷いた。


遥花が意を決したように言う。

「……試してみます。ただのご挨拶、ですね。」

「はい。もし乱れが広がれば、すぐにこの者が鎮めます。ご安心ください。」


祀る者が白布を広げ、詞鏡をそっと置く。淡い光が空気に滲み、瑞々しい響きが一行を包んだ。


遥花は深く息を吸い込み、両の手を詞鏡に添える。手の中に、波のような脈動がじんわりと伝わってくる――。


――押し返すのではない。撫でるように、寄り添うように。

そう意識しながら詞脈を手のひらに集めすべらせると、詞は一瞬やわらいだ。だが次の瞬間、言葉の奔流が逆に彼女の心を震わせ、焦りが広がる。


「……っ、どうすれば……」


その小さな呟きを、陽路が聞き取った。


「力で抑え込む必要はございません。水面をなぞるように――ただ静けさを映すだけで良いのです」


その声に導かれるように、遥花は呼吸を深めた。掌を広げ、そっと撫でる。荒れ狂う波紋が次第に落ち着き、詞鏡の光が穏やかに澄んでいく。

祀る者が静かに頷いた。

「はい。見事に封じられました。」


遥花は肩の力を抜き、安堵の息をついた。けれど同時に、自分の中にある“言葉の力”が思った以上に繊細で、扱うのが難しいことを痛感する。


「……本当に、これで合っていたのでしょうか。」

「ええ。すばらしい封じでした。」

陽路の言葉は決して甘やかしではなく、確かな安心を与えてくれる響きを持っていた。


遥花は小さく微笑み、詞鏡に深く一礼した。


そのとき、奥の棚で小さな鈴が一つだけ鳴った。祈る者の若手が走り寄る。


「『早苗祝』、外れの集落での使用が減少――祈念記録、弱まりの兆し!」

「語る者に伝令を。祝言をもう一度、子どもたちへ。祈りは巡らせ、声を増やせ。」


祈りのが、また一段深く回り始める。

“綴る者が言霊を見出し、詞鏡に“封じ”留め、祀る者が揺らぎや荒れを“鎮め”、保たせる。祈る者がその詞に日々“祈りを繋ぎ”、言葉の命脈を絶やさせず、語る者が物語として“広げ”、人々に伝え、根付かせる”――その連携が、遥花の中にすとんと落ちた。


(わたしは、その最初の場所に立つのだ)


日が傾くころ、ふたりは水路沿いの土手に腰を下ろした。風が稲の海を撫でていく。

「祈りって、思ってたより“生活”なんだね。」

「そうだよ。毎日の食事みたいなものだ。豪華さは要らない。欠かさないことが力になる。」

「……わたしも、欠かさないでいよう。少しずつでいいから、触れて、覚えていく。」

「うん。――遥花の歩幅で。」

沈む光が、詞鏡の銀を一瞬だけ遠くで反射させた。

やさしい一日が終わる。けれど、里は静かに、確かに“言葉”を生かし続けている。

そしてその輪の中に、遥花が戻るべき場所があるのだと、彼女はようやく実感し始めていた。


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