夕露の神隠し②
ふと、視界の端に人影が揺れた。
夕暮れの薄明かりの中、霧に溶けるように立っていたのは――自分と同じ年頃の少女。
制服ではなく、どこか古めかしい白衣に赤い袴のような装い。顔立ちは……もやのせいか、よく見えない。
「待って。」
思わず声をかける。だが、返事はない。
その少女は振り返ることもなく、霧の奥へと歩き出した。歩幅はゆっくりなのに、どこか抗えない吸引力がある。
「ねえ、待って、あなた……誰?ここは、どこ?」
問いかけは霧に飲み込まれ、返事はやはり返ってこない。
少女は迷いなく鳥居の方へ進んでいく。その横顔が一瞬だけ見えた。
――どこか既視感があり、胸がざわつく。足が勝手に動いていた。
鳥居の前にたどり着いたとき、少女は一歩先にくぐり抜け、すっと消えるように見えなくなる。
「お願い、待って!」
駆け込むように鳥居をくぐった瞬間、再び世界が裏返った。
キーンと響く耳鳴りと共に、景色が音を立てて崩れ落ちる。夕暮れの校舎も、舗道も、見慣れた町並みも――すべて霧に溶けていく。
気がつけば、そこは見知らぬ世界。
霞む光に包まれ、鳥居の先には無限に広がるような庭園があった。
――空気が違う。
肺の奥にまで沁み込んでくるような、湿り気を帯びた清らかな匂いに気づいた。
夕暮れだったはずの世界は、そこでは昼でも夜でもない。淡い光が空一面に漂い、時間の感覚さえ奪われていく。
遥花は立ち止まり、思わず息を呑む。
石畳の道はどこまでも続き、両脇には古木が並ぶ。その枝には白い花が無数に咲き、風もないのに、はらはらと花びらが舞い落ちていた。
足元に落ちた花びらは、地に触れると淡い光を放ち、やがて溶けるように消える。
「……夢、なの?」
声に出しても、返事はない。
ただ、遠くから水のせせらぎのような音がかすかに響く。耳を澄ますと、どこかで鈴の音にも似た涼やかな響きが混じっていた。
人の気配はない。だが、不思議と不安ではなかった。
足を一歩踏み出す。石畳が、まるで彼女を導くように、ゆるやかに苑の奥へと続いていた。
久遠――彼女の物語が始まる場所だった。