瑞穂の里①
長い山道を越え、穏やかな陽光が差し込む丘を抜けたとき、遥花の目に広がったのは黄金色に実る田畑だった。水路が整然と走り、そよ風に揺れる稲穂が一面に広がっている。
「……きれい。まるで絵巻物の中みたい。」
「ここが瑞穂の里。久遠の国の穀倉とも呼ばれている。」
言葉を交わすうちに、里の入り口で待っていた人々の姿が見えてきた。白衣をまとった者、稲を背負う者、幼子を連れた母。いずれも朗らかに笑みを浮かべ、旅人を迎える雰囲気に満ちていた。
その中心に立つ、背筋の伸びた老人が一歩前へ出る。
「遠路はるばるようこそ。天響の綴る者・遥花様。そして従者の陽路殿。我ら瑞穂の里一同、心よりお迎えいたします。」
人々が一斉に頭を垂れる。
遥花は思わず足を止め、胸の奥がざわついた。
「……様」と呼ばれる響きが、まだ馴染まない。だが視線の先に陽路がいる。彼はいつものように深く一礼し――そして、そっと遥花のほうを見やった。その目が、「大丈夫」と言っているようで、遥花は息を整え、ぎこちなくも頭を下げ返した。
「えっと……こちらこそ、温かく迎えてくださってありがとうございます。」
里人たちの表情が和らぐ。老人は満足げに頷き、里の奥へと案内した。
瑞穂の里は豊穣の象徴のような場所だった。
水を引く仕組み、収穫を祝う祭壇、そして穀霊へ祈りを捧げる場――。遥花は一つひとつを目にするたびに、胸の奥に懐かしい感覚がかすかに揺れる。
けれども、それは記憶の輪郭には届かない。
遥花(……わたしはここに来たことがあるのかなあ。)
ふと立ち止まった遥花に気づき、陽路が声をかけた。
今は二人きり。
「……疲れてないか?」
「うん、平気。ただ……不思議なの。初めて来たはずなのに、懐かしい気がする。」
「それで十分だ。無理に思い出す必要はないさ。遥花は遥花のままでいい。」
その言葉に、思わず笑みをこぼした。
やがて一行は、瑞穂の里の会館へと通された。
木の香りが満ちる広間で、長老が席に着く。左右には瑞穂を支える祀る者や語る者たちが並び、静かに遥花を見つめている。
長老「さて……遥花殿には、明日我らの務めを見ていただきたい。そして可能であれば――あなた自身の“詞脈”を、少しずつ確かめていただければと思う。」
陽路が一歩前に進み、恭しく頭を下げた。
陽路「承知いたしました。必ずや遥花様の助けとなりましょう。」
――二人きりではないから、陽路はきちんと敬語に戻っている。
遥花はその切り替えに内心ふっと笑いそうになったが、同時に背筋を伸ばし、真剣な顔でうなずいた。




