囮の舞と狩の歩み
烏丸は“綴る者”と思われる女性を視界に収めたまま、しばし動きを止めた。
白と薄紅の衣。落ち着いた立ち姿。広場の空気がその周囲だけ静かに整っているような、不思議な存在感。
(……綴る者。あれが華灯の要だな)
その一歩を踏み出しながらも、烏丸はすぐに足を止める。
護衛が2人と少ないので、殺れるチャンスではあるものの、言霊庫の場所が分からない今、不用意に接近するのは得策ではない。
(まずは、里の構造だ)
綴る者が広場に姿を見せている。
彼らが守りたい場所は、いつだって「言葉」を納める倉庫。
詞鏡を奪いに来る敵がいるなら、そちらを固めるのが普通だ。
ならば広場に綴る者がいるのは、言霊庫が近いのか、あるいは観光客の避難誘導のためか。
どちらにせよ、烏丸が最初にするべきは、正面から挑むことではなかった。
(位置を知らなきゃ、奪いようもないからな。)
烏丸は杖をついた旅人のふりをし、広場を素通りする形で脇の路地に入った。
周囲からは「観光客が道を間違えた」程度にしか見えない。
だが烏丸の視線は、流れるように周囲の建物と人々の動線を読み取っていく。
・観光客が入れない区域
・巡回している兵士の数
・屋根の高さ
・一瞬だけ見える建物の影の形
・通行人が“無意識に避けている”区画
(……おそらく、北東側だな)
大通りと屋台の密集地帯を抜け、烏丸は自然と目的地へ向かえるよう動線を組み立てた。
途中、華灯の里特有の大きな門構えの建屋が見える。
周囲に飾りは多いが、一般人は近寄らない。
兵士が表向きは穏やかに、しかし鋭い目で通行人を眺めている。
(雰囲気が違う……。あれが中心区域か)
だが、そこで引き返した。
まだ近づきすぎる段階ではない。
烏丸は手首の角度ひとつ変えず、流れるように方向転換し、さらに外周を探るように歩いた。
途中、兵士の動きを何度か観察する。
見回りの歩幅、視線、通る時刻の周期。
すべてが、烏丸にとっては“看板”のように分かりやすい。
(この里は“観光の顔”と“守りの顔”を両立している。つまり、守りたい場所は客の動線とは完全に別だ。)
そして、確信が生まれた。
(……あるな。あの奥に。あれが言霊庫だ。)
烏丸は顔を上げた。
目の前には、何でもない通りがある。
屋台の音が響き、旅人の足が行き交う、ごく普通の路地。
だが、そのさらに向こう、観光客が絶対に足を踏み入れない“静かな区画”がある。
烏丸はそこへ向けて歩き出した。
(綴る者は広場で張っている。ここなら駆けつけられる。あとは言霊庫の手薄な時間帯を狙う。)
そう考えた彼の足取りは、ゆっくり、だが迷いがない。
静かな路地裏へ。
本当の狩り場へ。
烏丸は淡々と歩を進めた。
広場に立つ“燈子”は、本物ではない。
その女性——紗月は、燈子の姉であり、従者の一人。もちろん芸事の道も通じている。
綴る者ではないが、舞台で見せるべき所作や客に見せる顔には誰よりも長けている。
姉妹ゆえ、容姿もよく似ている。
衣を整え、髪を同じように結い上げれば、遠目には見分けがつかない。
それどころか——
“あえて少し目立つ立ち方”をすることで、観光客だけでなく敵の目をも引き寄せていた。
(出来れば、ここで見つけたい。)
紗月は内心でつぶやきながら、周囲に視線を巡らせる。
華灯の兵士たちが各所で警備のふりをしつつ、わずかに鋭い目をしている。
幽淵の国でお尋ね者とされた者。その特徴はまだ掴みきれていない。
紗月は芸を身につける時の経験から、人の歩き方や視線の動きを敏感に察知できた。
祭りの中に紛れた、わずかな“異物”を探し続ける。
(観光客は、灯籠や芸人を見て歩く。
兵士たちは里の外側から中央へと視線を向ける。
でも、狙っている者だけは逆……“真ん中を避けるようにして、周囲を観察する”)
紗月はほんの一瞬だけ、広場の外側で動きの違う影を見た気がした。
だが、その人物はすぐに人混みに消える。
(見つけたかもしれない。でも——確証がない。)
紗月は焦らず、ゆっくりと手を広げて舞の形をつくった。
「綴る者が姿を見せている」という印象を強くするためだ。
紗月の役目は、敵の目を引きつけること。
それによって、真の綴る者・燈子のもとへ行く時間を稼ぐのも目的だった。
一方で里の中心、氏神灯籠。
その裏手にある石段を降りた先に、“華灯の詞鏡”を収めた言霊庫がある。
橙子は、そこで静かに武具を整えていた。
十文字の槍であり、儀式にも用いるものだ。
(やはりこれが一番しっくりくる)
橙子は外の風の動きに耳を澄ませる。
宵隠れからの伝達により、敵が来ることは分かっていた。
紗月が影武者として広場に立ってくれていることもありがたい。
(……姉さまには本当に、負担をかけてばかりね。)
橙子は灯籠の明かりを見つめ、深く息を吸った。
「……ここで止める。詞鏡を壊されるわけにはいかない..」
ここで侵入を防ぎ、華灯の詞鏡を守るのが橙子の役目だ。
言霊庫までの道はひとつ。
そこを押さえれば、敵は奥に進めない。
橙子は槍を握り直し、気配を殺して待ち構えた。
静寂が満ちる。
どこかで祭囃子が響き、笑い声が遠くで混ざるが、
この地下だけは別世界のように冷え切っている。
橙子はただ、敵の足音を待った。




