殴らせ屋
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
うあ~、今日も仕事終わった~。お疲れ~。
世間はお盆だ、終戦記念日だといわれて、お休みムードな人がいるけれど仕事がある人はあるのよね。
こうね、みんながのんべんだらりとアホ顔さらして大笑いしている影で、あくせく汗水垂らして働いている自分の身の上を考えるとね、あの間抜け面を張っ倒したくもなるのさ。
でも、考えてみ? 俺たち、みんながそう「当たり前」に楽しめるっちゅう、その「当たり前」を支えている守護者なんだぜ? 絶賛、世界のガーディアンな~う、よ?
今日この時ばかりは、もうどんなフィクションの英雄や勇者にだって劣らねえ。世界だ未来だといっても、結局作り、守るべきはそこに広がる日常風景。
この日常守るために働いている俺たち、この地球で最も偉い存在だと思っとるわよ。まあ、それもこれでお役御免だがな。どうするつぶらや、時間あるなら飲みにでも行かないか?
――なにか面白い話でもつけてくれたら、いい?
ふ、お前らしいな。
そうだな……この過酷な仕事をやり終えたところだし、ひとつお仕事系の話をしようか。
殴られ屋、と聞いたら想像する人は結構多いんじゃないか。
30秒間、決められたルール内で相手に殴られる仕事っちゅうことで、一部じゃ知られる存在だ。俺はまだ未経験だがな。
殴る側からすると、やはり発散というのがでかいのかもな。ストレスの頂点にせよ、魔がさすにせよ、出し抜けに誰彼かまわずやったら犯罪だ。けれども仕事としての契約と大義名分のもと、それを発散する機会を得られる……というのは、たぶん脳内ホルモンがドバドバ出ると思うぜ。
普段は良しとされない、よろしくない行い。それをおおっぴらに行える場は、古今東西見渡しても種類があるもんだ。民間でひっそりやることもあれば、為政者側が公に用意することもある。
やっぱ昔から、人間は自身の本能を分かっていたし、どうにかしたいと考えているんだな。
で、だ。
俺が友達から聞いた話だと、あいつの地元には「殴らせ屋」なるものがあったらしい。
殴られ屋は働く者へ焦点を当てた名前だ。が、殴らせ屋は相手をその気にさせるブツに対して注目している気になる名前じゃないか?
その実態はこうだ。
殴らせ屋は焼き芋やチャルメラのごとく、屋台を引いてやって来る。
「なぐらせや~なぐらせや~、オレにオマエをなぐらせや~、どうかするまえなぐらせや~、ひゃくえん、いっぱつ~ひゃくえん~……」
みたいな、カセットテープに録音した声が流れてくるらしい。
年代ものの屋台には、カウンターとなるべき場所へでかでかと白い壁。そしてその大半を「真実の口」かと思う、顔面がこしらえてある。この顔をぶん殴らせるのが、殴らせ屋の仕事というわけだ。
あまり整っていると気が引けるし、ブサイクすぎても目の毒だ。真実の口をモチーフにしながらも、そこにはつけひげ、つけまつげ。しまいにゃ、口にフキ出しまでくっついて、「ぶってくれ(はあと)」みたいなアホっぽいせりふが壁に書かれる始末。
ほうほう、そう望まれちゃ仕方ねえ。ぶってやるかと、足も気分も軽くなり、老若男女を問わずにお客がちらほら来るのだそうな。
――なに? 「ふんでくれ(はあと)」の間違いじゃないか?
ふむふむ、踏むねえ……なんて言い出してもな。
ストンプというのは、重力がかかって威力が出るし、なにより上下関係が物理的にも刻まれる。自分を下に置いてくださるというのは、つまりは無関心よりずっと良い立ち位置でいられるというわけだ。
仮に靴越しだとしても、いわばスキンシップの一種。罵倒されても、それはコミュニケーションの端っこ。げしげし踏まれる痛み以上に、つながりを得られる充足感、評価してもらえる充実感、それがえも言われぬ心地良さに絡んでくるのやも……。
と、なにを言わせるんだボケ。そんなことはどうでもいい。殴らせ屋の話だ。
ぶっちゃけ、一度持ち上げれば、最悪重力に従うだけでいいストンプに対し、パンチはその重力もろもろの抵抗をくぐり抜けた、鋭い一撃だ。仮に力を入れたつもりのないへなちょこパンチだろうが、様々な物理法則を突き抜けて狙った場所に当てるのは、大仕事だぞ。
そうして、実際に「ぶって」みての殴らせ屋なのだが、こいつが殴り心地にある程度差があるらしい。手が痛むような硬質なものはさすがにないのだがな。
多くは羽毛布団かサンドバックを殴りつけている手ごたえなのだが、ときどきベニヤなり発泡スチロールなりを殴ったような、突き抜ける感触があるとか。
「おお、当たりだねえ」と屋台のおじさんはにやつくも、企業秘密だかで詳しいことは教えてくれない。追加でお金を払って殴っても、以降は真実の口の顔面向こうは、まるで厚手のカーテンのごとき手触り。先の感覚にはほど遠い。
やむなく、殴らせ屋を見送ることになるのだけど、友達はただ一度だけ。大当たりか大外れを引いたことがあるという。
当時は学生。クラスのみんなに貧乏くじを押し付けられて、帰りは下校時間ギリギリのタイミング。もとより、面白くない仕事だったのもあって、校門を出るころにはもう手をごきごき鳴らしていた。
なんでもいいからぶちのめしてえ……と思っていた矢先に、あの「なぐらせや~」だ。
これ幸いと、殴らせ屋の屋台のところへ。「三発お願い」と、おじさんへ300円を握らせると、「ぶってくれ(はあと)」の前に立つ。
ワン、ツーと軽く左右でなぶったあと、三発目に渾身のストレートを放った。全体重、全感情を乗せた拳は、真実の顔の鼻先へひじから先まで一気に突っ込んだ。
会心の一撃かと思うも、この感触は今までと違う。
明らかに、皮膚と筋肉の弾力。それは人を殴りつけたときとよく似ていたが、なによりそこから先に「びきり」と骨の悲鳴が伴ったんだ。
「Fou!」としか形容できない、おじさんの素っ頓狂な声。
見るとおじさんはこちらへ背を向けながら、顔を両手で思い切りはさんでいた。あたかも、いま顔面に刺激をもらったといわんばかりに。
――いやいや、なんでこの真実の口とリンクしているようなタイミングで……。
と友達が思いかけたところで、「済んだ? 済んだよね? じゃあこれで」と、普段のゆとりある態度はどこへやら。ガラガラと屋台を引いていくおじさん。
その足は非常に速く、友達がすぐ追いかけたとしても追いつけるか分からないほどだったとか。
しかし見間違いでなければ、遠ざかるおじさんの顔。それを為す肉が、いっぺんにどろりと落ちた気がした。道路にまでは垂れなかったから、実際はどうか分からない。
もし肉だったなら、そこからのぞくはずの骨の姿はなく、代わりに銀色をしていて、かなりに離れているにもかかわらず、かすかに金物独特の香りを漂わせる輪郭が見えていたのだとか。
それ以降、殴らせ屋は少なくとも友達のいる地域には現れなくなったらしい。