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一度くらいはわがままを……

 1



『……くしゅん』


『寒いの? 春樹』


『うん』


『じゃあ、お母さんの布団に入りなさい』


『うん』


 私は小さな春樹の体を抱きしめる。


『あったかい?』


『うん、あったかい』



 2



 二人だけで生きてきた思い出の数々が、走馬灯のように私の頭の中を駆け巡る。楽しい時も苦しい時も、私たちはずっと二人きりで生きてきた。


「春樹」


 私は玄関に急ぐ。


 大丈夫、あの子は私の下へ帰ってくる。


 そしてそこには春樹がいた。


 が、しかし――


「……え?」


 全身に不快な感覚が走る。私の目に映ったのは、春樹だけではなかった。


 華山初子とその娘、小春が一緒だった。


 心臓にナイフを突き立てられたような心地だった。ショックと悲しみが同時に沸き上がり、私の胸の内で不愉快に混ざり合う。


 春樹は、私を選んでくれるものだと思っていた。


 信じていた。


 血の繋がりよりも、二人きりで過ごした時間を大事にしてくれると思い込んでいた。


「お母さん、大事な話があるんだ」


 春樹は私を見つめながら、言いにくそうに口を開いた。その言葉を聞いて、私は全てを悟った。


「そう」


「お母さん、僕は――」


「それがあなたの答えなのね」


「え?」


 今日、春樹は華山小春との縁を切り、あの援助のお金を返すはずだった。それなのに初子と小春を伴って私の前に戻ってくるということは、この子は、華山家を選んだということではないか。


 からん、と乾いた音が足元から鳴り、三人はぎょっとした反応を見せる。


「きゃっ」


 小春が春樹の背後にくっつくようにして体を隠した。


「お母さん、それ」


 どうやら、全身の力が抜け、後ろ手に隠し持っていた包丁が落ちてしまったようだ。ただまあ、今から使うのだから、どうでもいいか。


 私は左手で包丁を拾い上げ、逆手に持つ。そして自分の喉元に切っ先を向ける。


「お、お母さん、なにやってるんだよ!」


 本当はもっと前に死ぬはずだった。


 両親の葬儀が終わってから、生家の焼け跡で、思い出に包まれながら死ぬつもりだった。


 私の命を拾ってくれて、ありがとう。


 あなたの母親でいられて、私は幸せだったわ。


「さよなら、春樹」


 私は左手に力を込めた。

















































 3



 飛び散る血しぶき。


 鮮烈な痛みが走る。


「ぐっ……」


 血で濡れた包丁を取り上げると、僕はそれを部屋の奥に投げ捨てた。


「は、春樹?」


 間一髪間に合った。


 母の懐に飛び込み、その左腕を引き戻すように掴んで引っ張った。同時にもう片方の手で包丁を叩き落としたが、しかしその反動で包丁は僕の右腹部を切り裂いた。


「うぐ……」


 ワイシャツが血で滲む。


「きゃあああああああ」


 小春の悲鳴が背後から聞こえる。


「春樹、大丈夫?」


 初子が駆け寄る。


「ああ、ああああ」


 母はその場に崩れ落ち、声にもならない声を漏らしながら涙を流し始めた。


「小春。き、救急車呼んで。119番」


「う、うん」


「大丈夫だよ、かすめただけだから。それより、いきなり、なにをしてるのさ、お母さん」


 母は涙で濡れた瞳で僕を見つめる。


「あ、あなたが私の下から去ったら、私は生きていけないから……」


「僕がお母さんを選ばないわけがないでしょ。ああ、そうか、この二人と一緒に来たから、華山家に行くって話をしに来たと思ったんだ……馬鹿だなぁ。僕はそんな話をしに来たんじゃないよ」


「春樹、これを」


 初子がどこから調達したのか、タオルを持ってきた。傷を抑えつけるようにしてタオルを体に当てる。


「け、警察も呼んだ方がいいかな」


 小春がそう呟くのを聞いて、


「だめっ!」


 と僕は叫んだ。


「痛っ」


 声を張ったら、傷が痛む。


「はぁ、はぁ、お母さん、こっちに来て」


 僕が優しくそう言うと、母はよろよろとこちらに歩み寄る。


「お母さんに、聞いてほしいことがあるんだ」






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― 新着の感想 ―
[良い点] 普段優柔不断の春樹なのにいざというときは判断が速いな。 血の惨劇は半分回避できたがこれで冷静になってくれるといいんだが。 [一言] 雪美さん、あなた看護師でしたよね?春樹の止血と処置くらい…
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