雪と春 その2
1
「春樹くん、いってらっしゃい」
「……いってきます」
相変わらずの無表情のまま送迎バスに乗る春樹。それを見送り、私は家に帰る。
「ふぅ」
春樹が幼稚園に行くと、ようやく私はほっと息をつくことができる。
人形のように感情を表に出さないあの少年と一緒にいると、こっちまで体から生気がなくなり、息がつまってしまいそうだ。
最初は前の家族が恋しいのだろうと思っていたが、ある時を境に実母や実妹との面会も拒否するようになった。
なにを考えているのか、まるで読めない子……
だけどまあ、大好きな彼の血が半分入っているのだから、我慢しよう。
さて、私も行こう。
今年の春から小さな病院で看護師として働くことになった。大変だけれど、やりがいのある仕事だ。
身支度を済ませ、家を出るところで思いがけない人物と会った。
「あれ、仕事は?」
旦那の大樹が帰って来たのだ。
どうしたのだろう。
気分でも悪くなって早退してきたのだろうか。その割には元気そうだけれど。
「どうしたの?」
私がそう聞くと、彼は一言。
「辞めた」
「え?」
「ふう、ただいま。ビール、ビール」
「ちょ、ちょっと、辞めたってなにを?」
大樹はちょっと困ったように小首を傾げ、
「だからさ、仕事だよ」
「はぁ!?」
「なんかつまんなくなったからさ、辞めちゃった」
「辞めちゃったって、これからどうするの?」
「別の仕事を探すよ。それに雪美も働くようになったし、たぶん大丈夫だって」
のんきな顔をして、彼は冷蔵庫からビールを取り出した。
「……」
ぷしゅっと炭酸の抜ける音が、狭い部屋に響いた。
2
それから大樹は仕事を見つけてまた辞めて、仕事を探してまた辞めて、と定職につかずにぷらぷらとしていた。
当然、収入は不安定で、生活費は私の給料だけが生命線だった。しかし、奨学金の返済もあるので、生活は困窮というほどではないが、貧しくなっていった。
ここへきて、私はようやく理解した。
彼は――大樹は継続が苦手な人間だ。なにかを維持し続けることができないのだ。話を聞いてみると、仕事が嫌になったわけでも、職場の人間関係が悪くなったわけでも、会社に不満があったわけでもない。
彼が言った「飽きた」という言葉に全てが集約されていたのだ。
同じところに定まっていることができない人間だ。彼が働いていた会社は給料もよく、休みも多かった。一時の気分の変化で辞めるなんてもったいなさすぎる。
これは想像だが、おそらく、前の家庭も飽きたから離婚したのだろう。
そのことに気づいた時、私は恐ろしい不安を覚えた。
もし、彼が飽きてしまえば……
そしてその不安は、彼の失踪によって的中する。
「いい儲け話があるんだ」という書き置きと、まだ六歳の息子を残して、彼はいずこかへ行ってしまった。
二十一世紀を目前にした、二〇〇〇年の終わり頃だった。




