二人の母親
1
深夜。
チクタク、と時計の針が音を刻む。
私と母はリビングのテーブルに向かい合わせに座っていた。ほかの家族はもう寝静まっているが、話の内容が内容だけに、自然と声は小さくなる。
「春樹、お兄ちゃんが言ってたんだけど、一緒に住むつもり……なの?」
この呼び方はむず痒いが、母の前だけではお兄ちゃんをつけることにしていた。
あまり詳しくは聞かなかったけれど、春樹先輩の話では、母から一緒に住まないか、という提案があったそうだ。春樹先輩は私の実の兄なのだから、昔のように一緒に住むことができるのなら、それは喜ぶべきことである。
それに今現在、本当のお父さんが行方知れずということは、春樹先輩は血の繋がらない赤の他人と二人暮らしをしているということになる。それよりも、実の母親と一緒に生活をしたいのではないだろうか。
「そのことも聞いてたのね……」
母は少し落ち着きなさげに目を移ろわせる。
「あー、もちろん、お父さんとか、遊起たちに聞いてからだけど」
「お父さんはいいって言ってくれてるわ。ただ……」
「ただ?」
「春樹はあんまり乗り気じゃないみたい……」
「そうなの?」
「夏休みの前に、一度会う機会があって、話をしてみたのよ。せっかくこっちに引っ越してきたんだから、一緒にこの家で住もうって。うちで暮らした方が経済的にも豊かだし、雪美さんと二人で暮らすより――あっ、雪美さんっていうのが、今春樹の世話をしてくれてる人ね」
「うん、知ってる」
「春樹から聞いたの?」
「そういうわけじゃないけど」
雪美という名前はゆとりからのリークで知った。
春樹先輩は私たちと一緒に暮らしたくないのかな。
たしかに、私とお母さん以外は赤の他人だし――凛と遊起は半分血の繋がりがある異父兄弟だけど――、いきなりそういうことを言われても困るのかもしれない。
ただ、結局その雪美という人も、春樹先輩からしたら血の繋がらない他人なわけだ。
どっちが春樹先輩にとっていい環境なのだろうか。
「いずれ、この話がまとまってから小春には本当のことを伝えようと思ってたんだけど、まさかこんな形で知られることになるとはね」
母はテーブルの上の写真に目を落とす。私が真実に到達するきっかけとなった、例の写真だ。
「遊起の自由研究を手伝うついでに見つけたんだ」
「そう……」
会話が途切れたので、私は気になっていたことを聞いてみた。
「ねぇ、どうしてもっと早く春樹お兄ちゃんを引き取ってあげなかったの?」
「それは――」
問われて、母は顔を強張らせた。
本当の父が失踪した段階で、春樹先輩を引き取るという選択肢もあったのではなかろうか。無論、養う子供が増える――それも父にとっては血の繋がりのない子――ことは家計的にも負担が増えるし、口で言うほど簡単なことではないはずだ。
だが、母にとって春樹先輩はお腹を痛めて産んだ我が子なのだから、困難を受け入れる覚悟を決めて、引き取ってあげることだってできたはずだ。
「そうね。あの時、無理にでもそうしてあげるのが、あの子にとって一番だったのよね」
母は遠い昔を思い返すように目を細めた。
「……これは言い訳になっちゃうかもしれないんだけど」
2
「ふあぁ」
目が覚めると、味噌汁のいい匂いが漂っていた。
僕はのそのそと布団から出る。
瞼が重い。
昨日はあまり眠れなかった。
冷たい水で顔を洗い、眠気を洗い流す。
「おはよう、春樹」
「おはよう、お母さん」
母と一緒に朝食を摂り、身支度を済ませる。今日も夏期補講があるのでしっかり勉強を頑張らなくては。
「それじゃ、いってきます」
「いってらっしゃい」
学校に向かう道中、僕の思考は小春に注がれていた。
昨晩、ついに小春に本当のことを知られてしまった。僕たちが血を分けた兄妹であることを。
ずっと、それこそ一生隠し通すつもりだったのだが、真実を話すことができてどこかほっとしている僕もいた。ずっしりと心に巻き付いていた鎖が解け落ちたように、すっきりとした気分だった。
妹を騙し続けていた罪悪感が抜け落ちたからだろうか。
これで小春とは普通の兄妹として接することができる。
けれど、真実を話すことは小春に余計な重荷を背負わせてしまうことでもある。華山家が本当の家族でないという事実を、小春は受け止めきれているだろうか。
そこだけが、兄として心配だ。




