第91話
……!?
唐突に脇腹に走る強烈な痛み。
ようやく【危機察知】が猛烈な勢いで警鐘を鳴らし始めた時には、既に傷を負っていたような状況だ。
それでも、かろうじて避けようという意識が働いたのは、単なる幸運なのか、それとも盛運の腕輪の効力か……不意に脇腹の肉を抉られながらも、どうにか内臓などの急所は外れてくれたらしい。
強烈な痛みに何とか耐えながらポーションを飲み、それでも油断無く眼を凝らして攻撃された方を見ると、小川の中に子供の様な小さな人影が見えた。
ようやくにして、暗闇に眼が慣れて来たということも有るのだろう。
この小川の水深は、さほど無い。
オレなら腰まで水が来るか、来ないかというところだろうか。
しかし、この狡猾な襲撃者はその小さな背丈をも利用して、水の中に潜んでいたのだ。
パッと見だと、年の頃6歳かそこらの男の子に見えるが、それでいて姿を現した今となっては、ハッキリとオーガ並みの圧力を感じる。
頭部は昔の時代劇で、乳母車に乗せられて凄腕の浪人と旅をしていた、有名な子供のような髪型なのだが、筆か何かのように残された僅かな前髪を除けば、あとはツルっと剃り上げられているのが違いだろうか。
じっと見つめ合うような時間……僅かな膠着。
モンスターなのは間違いない。
ただの子供が、こんなに恐ろしい気配を放つわけがないのだ。
それでいて、僅かにでも眼を離そうものなら、また見失ってしまいそうなほど、存在感が希薄に感じられる瞬間がある。
サイレントローパー(イソギンチャク)のような、気配を隠す特殊な能力を持っていると見た方が良いだろう。
膠着を打破するため、こちらが魔法を放とうとすると、ヤツは明らかにそれを察知して、眼にも止まらぬ高速で、左腕を振り抜いて何かを投擲してくる。
先ほどオレの脇腹を抉ったのは、コレだろう。
万が一にも当たらないよう、大袈裟なほど大きく動いて避ける。
そして、回避動作に絡めるような形で、僅かに後退。
当然ながら、こうした大きな動きをしてしまうと、集中が途切れて魔法は放てない。
眼は常にヤツから離さずにいないと見失ってしまう恐れがある。
たとえ動きながらでも、モンスターの姿は視界の内に収めていなければならないため、どうしても行動が制限されてしまうのが、酷くもどかしかった。
無理な独力での討伐は控えるべきか……。
オレは発想を切り換えて、じわじわと後退することを選ぶ。
すると、ヤツは途端に嘲笑うかのような表情を浮かべ、自ら川原へと上がって来た。
背丈や仕草は幼子のようでいながら、その顔からは何とも言えない、大人びた醜悪さを感じる。
そして足は1本……まるでツルの様な足だ。
時代劇に出て来そうな前時代的な、つぎはぎだらけの着物を着ているが、背中に不自然な膨らみがある。
恐らく背負っているのは、海亀の様な甲羅だろう。
これらの特徴から導き出される正体……それは、カシャンボとか、カシャボと呼ばれている妖怪だ。
カッパに特徴が似ているが、その小さな体長に反して、カッパよりも上位のモンスターだという。
元々が伝承の中でも、カッパが進化したとされているのが、このカシャンボなので、それも当然かもしれない。
日本最大級の規模を誇る、水道橋ダンジョンで、初見殺しな階層ボスとして、一躍有名になったモンスターだ。
迂闊なことに、その特徴的なツルの様な足を見るまで、頭の中で結び付かなかった。
まさか、こんなところで遭遇すると思っていなかったというのもあるが、闇夜に奇襲されたことで冷静さを欠いていたのかもしれない。
これが、あのカシャンボだとすれば、先ほどオレを傷つけたモノの正体は、単なる石コロ。
カシャンボが投げれば、何の変哲も無い石コロが銃弾にも勝る凶器に化けるという噂は、決して大袈裟な話ではなかったことを、身をもって思い知ってしまったことになる。
カシャンボの攻撃手段は、投石以外にも、接近戦では猛毒の唾液を飛ばしてくるというものが有るらしい。
今は初動の迅速さを重視したため、簡易の装備でインベントリーや、上位の状態異常を癒すポーションは持ってきていないのもマズい状況だ。
投石や、猛毒を含む唾液を食らいたくなければ、ヤツが好む相撲(現代的なスポーツ化された相撲では無く、殴打や蹴りもアリの古式なもの)勝負に持ち込むため、こちらから四股を踏んで挑発する(アホみたいに見えるかもしれないが、過去の実績上は極めて効果的……)という手もあるのだが、カシャンボに勝利を収めるのは相当に難しいらしい。
ダンジョン発生の初期……今から20年前に、レスリングのオリンピック選手だった経歴を持つ自衛官が、酷くアッサリと負けた上に、右腕を引きちぎられ、命をも奪われたというのは、当時ダンジョンに興味を持っていた連中の間では有名な話だ。
高位探索者の中には、それでも相撲勝負でカシャンボを圧倒していた猛者も居たという話だが、さすがにオレがその水準まで達しているなどと自惚れてはいない。
度重なるダンジョン探索やドーピングに加え、大力のブレストプレートの腕力補正を受けているオレだが、だからと言って必ず勝てるという保証はないのだ。
魔法対投石の遠距離戦では分が悪く、接近戦で猛毒の唾液を喰らうのも命取りになりかねず、かと言って相撲勝負を挑む気にもなれない。
そうなると打つ手が無いように思えるかもしれないが、実はオレがジワジワと後退しながら、既に稼ぐのに成功している、ヤツとの距離……これが勝算を生む結果に繋がるハズだった。
カシャンボが魔法に反応していたのは、飽くまで自分に対しての攻撃の意思……オレの殺気のようなものに対してだったのだろう。
それが証拠に、オレが先ほどから行使している、フィジカルエンチャント(風)にも、エンチャントウェポン(風)にも、何らリアクションを起こさないで、ニヤニヤしている。
奇襲とカウンターこそが、本来カシャンボの真骨頂。
いわば後の先とでもいうべき高度な離れ業を可能にしているのは、カシャンボの並外れた反応速度とそれを支えている特殊な能力なのだが、もはやそのアドバンテージは通用しないものだとヤツに教えてやらなければならない。
そして、ここまで時間を掛けてオレが後退してくれば…………
「ヒデ! 大丈夫か!?」
……あの兄が、それに気付かないハズは無いのだ。
カシャンボは、兄の鬼気迫る恐ろしい形相(本人は単にオレを心配しているだけ……)と声とに驚き、兄に向けて石を持った左腕を振り抜く……が、そんな行き当たりばったりの攻撃が、兄に当たるハズも無い。
兄の回避と移動を兼ねた【短転移】も距離が足らず、オレの側に文字通り飛んで来ただけだったが、それだけでもオレへの援護としては充分過ぎる。
この機を逃さず、一気にカシャンボに駆け寄らんとするオレに気付いたヤツは、どうやら利き腕では無いらしい右腕を振り抜き、それでも恐ろしい速さの石礫を放って来たが、今のオレには当たらない。
ここしばらくダンジョンで鍛えて上げて来た能力の上昇に加え、敏捷向上剤でのドーピング、そして【敏捷強化】……更には蒼空のレガース、極め付きにフィジカルエンチャント(風)まで使っているのだ。
ともすれば、つんのめって転びそうな程の加速に振り回された感こそあるが、投石は難なく避けたし唾液も見当外れな方向に飛んでいく。
あっという間にカシャンボの側面にまで迫ったオレは、緑色の魔法光を灯した鎗を全力で振るい、ヤツの細首を月牙で叩き落とした。
しばらく痙攣した後、白い光が離ればなれになったカシャンボの首と胴体とを包み込み、ドロップアイテムに変えていく。
筆のように残された前髪が乱れたカシャンボの頭には、そのおかしな前髪以外にも、特徴が有った。
後頭部に乳白色の小さな皿……オレはそれを眺めながら、薄氷の勝利を噛み締めていた。
 




