第89話
ろくに装備も身に付けず慌てて駆け出そうとする父を制止し、手持ちの武器だけを社務所の玄関に置いておいた鎗に持ち換え、1人で走り出す。
二階堂さん宅と上田さん宅の間に位置する空き家の玄関あたりに、銀ピカの人影が街頭に照らされ佇んでいた。
リビングアーマーだ。
……と、更に黒い光の渦が発生する。
そこから現れたのは、半人半獣……ネズミの顔に毛むくじゃらの人間の身体を併せ持つモンスター。
ワーラットだった。
まずはワーラットに、風の光輪。
臆病なコイツが逃げ出す前に、さっさと首を刎ねることにしたのだ。
リビングアーマーが強いからというのも、もちろんあるのだが、ワーラットは見敵必殺が妥当だと思っている。
さほど強くもないモンスターだが、せっかく何とかギリギリのところで平穏無事に過ごせているこの地域の人々を、無為に病毒蔓延の危険性に晒すつもりは毛頭無い。
リビングアーマーは、オレに気付いても特には過剰な反応は見せず、ワーラットがやられても尚ゆったりとこちらに向けて進んでくるだけだった。
いや……騎士剣を構え油断なく近寄ってきていると表現するのが、正確なところだろうか。
オレは、それを良いことに意識して気分を落ち着かせてから、自らに風の魔法を掛ける。
続けて短鎗にも風魔法。
自らに掛けたフィジカルエンチャント(風)は、主な効果は敏捷性の向上だが、魔法抵抗力や腕力などにも恩恵が受けられる、使い勝手の良い魔法だ。
同様に鎗に掛けたエンチャントウェポン(風)は、風属性の魔法の力場を武器に付与する魔法で、これも今後の戦闘で多く用いることになるだろう。
留守番中の戦闘において最も苦労するのが主要装備を欠いたことによる能力の低下で、これらの魔法がそのギャップを補うために、どこまで有用かをどこかで試しておきたかった。
こんなに早く機会が訪れるとまでは、さすがに想定していなかったのだが……。
リビングアーマーは数日前にフル装備で戦っても、少しばかり苦戦させられた相手だ。
オーガほどでは無いがオークよりはよほど強いモンスターでもあるし、長らく愛用していた愛鎗の仇でもある。
……まぁ、アレとは違う個体なのは分かっているのだが、魔法の効果を確認するのにちょうど良い強さのモンスターだろう。
実際、魔法で上昇した能力をもってしても、リビングアーマーが振るう騎士剣の一撃は非常に重く、受け止めるのに苦労させられた。
前蹴りを放って距離を取り、今度はこちらから突き掛かっていく。
リビングアーマーはまだバランスを崩したまま、無為にたたらを踏んでいる。
そこに駆け寄り無防備な胴体を滅多刺し……反撃の騎士剣は【パリィ】で受け流して、さらに攻撃を加え続ける。
リビングアーマーのような硬いモンスターに刺突が有効なのは想定通り……斬撃は比較的相性に劣るが、緑色の魔法光を灯した鎗……その側面に取り付けられた月牙は充分に効果を発揮していた。
反対側面の槌頭についても、こうしてベコベコと鎧を凹ませることが出来ているからには、かなり効いているのだろう。
そして……前回の戦闘の際はリビングアーマーの身体に空いた穴を、すぐに真っ黒な煙が代わりに塞いでいたのに、今日はそれが目に見えて少なくなっている。
この漆黒の煙はリビングアーマーなど魔法生物系モンスターの、いわゆる本体とも言うべきモノで、風の魔法力を宿した武器はこの本体に極めて有効であるらしかった。
結果として前回のリビングアーマー戦とは段違いの短時間で戦闘を終えたオレは、悠々とドロップアイテムを拾い上げ、来た道を引き返していく。
すると玄関から、それなりにしっかりと装備を整えた父が出てきたのだが、これは残念ながら徒労に終わる。
しかしオレが苦戦する可能性ももちろん有ったわけなので、父の気遣いは素直に有り難かった。
その後は、さすがに稽古を続ける気にもならず、父に礼を述べてウチに引き上げる。
先ほどの戦闘の際に使った魔法について自分なりに考察をしておく必要もあることだし、既に思っていたより時間が経っていた。
それだけ稽古に集中出来ていたということでもあり、それはリビングアーマーとの戦闘でも発揮されていたように思える。
今日オレが妻と父から教わった内容は、今後の戦闘の中に活かされ、そして磨かれていくことになるだろう。
そう考えると今日はあまりダンジョン内で戦闘していないことを、補って余りある成果にも思えてきた。
さて……先ほど使った魔法についてだが、まずワーラットに向けて放った風の光輪の魔法。
これはウインドライトエッジというのが正式名称らしい。
……らしいというのは、これが【風魔法】をスキルとして正式に取得した際、いつの間にか知っていた知識から来ているからだ。
そして翠玉の短杖を所持せずに……つまり風魔法の威力増幅効果を得ずに撃ったハズなのに、ワーラットの首を跳ねた緑色の光輪は、今までのものと遜色の無い威力が有ったように見えた。
恐らくは【風魔法】をスキルとして得る前後で、同じ魔法でも威力が変わったと考えるべきなのだろう。
これは明日、ダンジョン探索の際に翠玉の短杖を使って同じ魔法を使うことで、きちんと確認するべき内容だ。
忘れないようにしないとなぁ。
風属性のフィジカルエンチャントについては、非常に良かったと思う。
同じく翠玉の短杖のブースト無しで、充分な効力があることが確認できた。
圧巻なのは敏捷性の向上が思っていた以上だったことで、僅かな差ではあるのだが、蒼空のレガース装備時以上の素早さを実現出来ていたということだ。
腕力については、それなりという印象。
魔法抵抗力については、全く分からない。
何しろ、リビングアーマーに魔法攻撃する能力が、どうやら無いらしかったからだ。
エンチャントウェポンで風属性を付与された鎗の有用性は、はっきりと確認できた。
リビングアーマーが魔法生物系モンスターだったことが、この場合はとても都合が良かったとも言えるだろう。
以前の戦闘の時と比べた場合、目に見えて弱体化していくのが早かった。
まぁ、風属性に強いモンスターが現れた場合には使えない魔法だろうけれど……。
このあたりの属性相性というのは、今まで魔法自体オレに限らず誰も使えなかったのだから、今後いちいち調べるしかない。
鎗で難なく倒せるモンスターにも、一応は魔法を当ててみるべきだろうか?
それで傾向のようなものが分かるなら、全くの無駄ということにはならないだろう。
ウインドライトエッジだと雑魚モンスターには攻撃力過剰だろうし、マジックポイントに相当するモノの消耗も激しい。
この確認には、今日の探索でゼラチナス・キューブに向けて放った、旋風の魔法の方が良いかもしれない。
ワールウィンドという魔法らしいが、威力も消耗するマジックポイントも、ウインドライトエッジの半分にも満たないぐらいに思えた。
うん、ちょうど良いところかな。
ジャイアントシカーダ(セミ)や、フライングジェリーフィッシュ(クラゲ)など、既にウインドライトエッジで撃破実績のあるモンスターにも、一応は試すべきだろう。
もし、下位のワールウィンドでも倒せるようなら、今後の探索で効率的に魔法を使用していくことが可能になる。
そう考えると、段々と明日の探索が楽しみになってくるなぁ。
兄が帰宅したのは、こうした魔法の考察に区切りがついて歯磨きなど寝る準備も一通り終わり、いよいよ睡魔が攻勢を強め始めた頃のことだった。
もう深夜と言って差し支えない時間だ。
しかし今夜は、不思議と苛立たしい気持ちにはならなかった。
普段、兄がどれだけ我慢しているのか、知ってしまったからだと思う。




