第84話
ポーションの出番こそ無かったが、思いの外やる気になった妻に、途中から必死の思いで稽古して貰うことになってしまい、終わる頃には肩で息をする破目に陥る有り様だったのだが、その分だけ身になる充実した時間を過ごした。
普段とは逆に、近くにモンスターの気配を感じた時だけが休憩の時間といった感じだったのだから、相当にキツい稽古だったのは間違いない。
当初の勢いを失っても降り続けていた雪の冷たさが、すっかり熱くなった体温を優しく冷ましてくれていたぐらいだ。
兄は、昼前には何事も無かったような涼しい顔で戻って来た。
昼食を摂りながら上田さん達の探索の様子やダンジョン内部の様子などを聞いていたのだが、そこで意外なことが分かった。
彼らは近隣に住まう独り暮らしの老人だとか、独りでこそないが老夫婦だけで住まう家庭への、買い物代行などをボランティアで行う予定なのだという。
そのための原資はダンジョン探索で稼ぎ、徐々に通うべき職場を無くした青年(中年、壮年の方が多いが……)会メンバーを集めて、自警団のようなものを結成するつもりでもあるらしい。
兄が上田さんの言うことをすんなり了承した背景には、どうやらその考えを事前にある程度は知っていた部分も有ったようだ。
兄が上田さん達と一緒に行った、いわゆるド田舎ダンジョンだが、ここから車で5分ちょっと行ったところにある地域の廃校になった小学校が元になっていて、かなりの僻地にあることから仙台市内でもだいぶ不人気な方のダンジョンだった。
出現モンスターは動物系と植物系がメインらしい。
今は恐らくゾンビなどアンデッドモンスターも出るようになっているだろうから油断ならないが、それでもダンジョン探索難易度自体そもそも低めだと聞いている。
周囲には、田んぼや畑の他にはコンビニぐらいしか無く居住人口も極めて少ないので、ダンジョン外に強いモンスターが非常に出にくいだろうことも、今の状況下では上田さん達のようなダンジョン探索初心者が訪れるには適しているのだ。
何ならこれ以上は望むべくも無いほど条件が揃っているダンジョンだとすら言えるだろう。
階層ごとの広さは近隣のダンジョンでは最も広いが、反対に階層数は全部で10層と少ない部類に入る。
内部は全階層が草原や森のような造りになっていて、中に入ると極めてダンジョンらしくないダンジョン……といった印象を受けるという。
オレも機会が有ったら行ってみたいなぁ。
まずは最寄りのダンジョンを踏破して、踏破報酬とやらを得たいところだが……今のペースだと、まだ暫くは掛かりそうだ。
閑話休題……
兄は引き続き午後から妻と父と共に最寄りのダンジョンに行っても良いと言ってくれたが、オレもこのまま留守番続行ではさすがに暇を持て余し気味になるだろうし、今の妻や父がどれだけダンジョンで戦えるかをそろそろ自分の目で見たい気持ちもある。
やんわりと兄の提案を断って、妻達と共に出発の準備を整え始めた。
これはダンジョンに着いてすぐのことなのだが、暫く見ないうちに恐ろしく腕を上げた妻の技の冴えに驚かされることになる。
元々の薙刀の経験もさることながら、そもそもの素養が優れているらしい妻。
初めてのダンジョン探索でも妻の戦闘センスに舌を巻いたものだが、それは飽くまでも対人を想定した技であったのは否めなかった。
午前中の稽古においてもオレは終始圧倒され続けていたのだが、それはオレが慣れない薙刀を使っていたのと、大力のブレストプレートや蒼空のレガースなどの主要なマジックアイテムの装備を外していたから……ということも無関係では無かったとは思う。
そしてオレ相手の稽古も、それはそれで対人戦であることには変わりない。
本当の意味で対モンスター戦闘における妻の技の上達を見たのは、つまりこれが初めてということになるのだ。
ゴブリンや戻りらしきワーラットあたりは曲がりなりにも人型モンスターなので除外するにしても、ジャイアントリーチ(ヒル)だとか、ジャイアントピルバグ(ダンゴムシ)などの虫系モンスターも、まさに鎧袖一触……第1層のモンスターの中では強敵の部類の、ジャイアントセンチピード(ムカデ)や、ジャイアントビートルすら一刀両断に斬って捨てる姿は、既にいっぱしのダンジョン探索者の風格すら漂い始めているように見えた。
オレと父は有用な索敵手段を持たない妻のために、物陰からの奇襲や不意のバックアタックを警戒するぐらいしか仕事が無い状態のまま、第1層の探索は完全に終わることになってしまいそうなほどの勢いだ。
さすがに第1層の探索に慣れているだけのことは有って、効率的な道順を選び隅々まで手早く見て周り、小部屋の確認をも極めて短時間で終える。
階層ボスのギガントビートルさえも、今の妻には手頃な肩慣らしの相手といったところか。
遊んでいるわけでは無いのだろうが、どこか余裕すら感じさせる立ち振舞いは、今日の自分の調子を確かめているようにも見えた。
ここまでの過程で援護の必要性は、微塵も感じていない。
第2層では父がメインになって探索するようだ。
妻は翠玉の短杖を持って薙刀をライトインベントリーに収納し、完全に後衛に回る。
オレは背撃に備え最後尾に続く。
ここからはゾンビも登場し始める。
父が傷を負うようなことがあっては一大事だ。
背後のみならず、モンスターとの戦闘を行う父の様子にも充分に気を配らなくてはならない。
もし少しでも危ない場面が有ったら、遠慮なく割って入る覚悟だ。
……結果的には、完全に取り越し苦労といったところだったのだが。
妻以上に全く危なげの無い探索者ぶりを見せる父に、オレは思わず苦笑してしまう。
コボルトやゴブリン、ゾンビなどは言うに及ばず、オークやジャイアントスコーピオンと言った第2層では強い部類のモンスターが多く現れても、全く問題にしていない。
杖は使い方次第で、剣にも、槍にも、棒にも成る……そういった心得を、まざまざと見せつけられているような気さえしてしまう。
厄介なハズのクリーピング・クラッド(動くヘドロ)や、ポイズンモールド(毒持ちのコケの群体)の対処にも慣れたもので、全く慌てずに懐からポケットティッシュを取り出しながらライターで火を着け手際良く燃やしていく様子は、父の冷静さが特に際立つ場面だった。
階層ボスのヘルスコーピオン戦すら、全くオレ達の手助けを必要とせず、まさに圧勝。
妻を一言で表現するならセンスの塊。
父は練達の武芸者といった印象だろう。
オレは……つくづく凡人だよなぁ。
無性にモンスターと戦いたくなるが、今日はあくまで引率と護衛……いつもこんな気持ちになることを繰り返していただろう兄には、本当に頭が下がる思いだった。
続く第3層では、一体どんな連携を妻達が見せてくれるのか楽しみだ。
主人の居なくなった階層ボスの部屋で短時間の休憩を挟み、第3層へと足を伸ばす。




