第281話
「おかしいわね。何で正体を現さないのかしら?」
『……遊んでるんじゃないの?』
『もしや、我輩達……ナメられてますかニャー?』
「このままじゃ、打つ手が無いのも事実だけどな」
そう……打つ手無しだ。
攻撃が当たらないのがそもそもの問題点だった筈が、いつの間にか攻撃を当てたところで……といった状況に変わってしまっている。
こうしている間にも、各地で激しい戦闘が行われているのを【遠隔視】で知り得ることが、却ってオレの視野を狭めてしまっているのは間違いない。
しかし、仮に平常心を保てていたとしても、あまり状況は変化しないようにも思える。
あまりにもアジ・ダハーカの化身の特性が厄介なのだ。
『迎撃の魔法は、手数を増やせば突破出来るのは間違いないけど……問題はどうやって倒したら良いのか分かんないことだよね』
「手数を増やせば魔法は当たる。でも、そうした魔法は当たっても効かない。もし効いたとしても敵を増やすだけ……なんて嫌な相手なの」
『傷口から出てくる魔物も厄介ですニャ。見るからに毒持ちニャうえ、瘴気を長く吸うのも危険ですからニャー』
「ヤツを足止め出来ているだけでも、味方の援護になっていると思うしかないか……いや、待てよ?」
コイツの目的は何だ?
スタンピードの狂奔に駆られているようには、とても見えない。
こう言ってはなんだが、日に2人の贄にえで満足するらしいから、殺戮および補食が主目的とも思えない。
コイツが積極的に攻めて来たくなるような何かが、この先に有る……のか?
だとしたら何だ?
考えろ。
思考を止めるな。
周囲の狂騒に毒されていない、圧倒的な強者が求める何か。
それは何だ?
「ヒデ! 立ち止まっちゃダメ!」
気づけば眼前に蛇の顔。
傷口から這い出て来た漆黒のモンスターでは無い。
見た目こそ似通っていたが、その蛇は無表情な男の肩から生えている。
ボクシングのダッキング(前に屈むような回避動作)の要領で躱し、発動を待機させたままにしていた【転移魔法】でその場から離れることで、どうにか難を逃れた。
……危ない、危ない。
さすがに思考に没頭し過ぎるのは良くないな。
『もっと集中して? 脳ミソ食べられちゃうよ』
美しい毛並みの銀狼と化したままのマチルダは、そう言うなりオレに背を向けアジ・ダハーカの眷族をマチェットの刃に掛けていく。
でも、そうか……脳ミソだ。
どうしても頭の中で結び付かなかった部分が、今のマチルダの言葉で唐突に結び付いた。
小国の賢君。義憤に駆られて軍を起こす。
つまり、蛇王は最初から邪悪な蛇王だったわけではない。
賢君として周囲の国々にまで知られるほどには内政に精を出していたようだし、小国の軍隊が大国の暴君を戦争で破ったということは、軍備や兵の調練にもかなりの労力を割いていた筈だ。
しかも、綺羅星のごとく配下の人材が揃っていたということでも無いらしい。
小国なら、ワンマンでもかなりの水準まで掌握出来そうな気がしないでもないが、それでも並大抵の苦労では無かっただろう。
少なくとも、魔法の研鑽に長く時間を割くことなど出来なかった筈。
カタリナが、文字通り一生を捧げてまで得た魔法知識をもってしても、恐らく使える魔法は百種に満たない。
それなのに、蛇王は千もの魔法を自由自在に使いこなすという。
蛇王と化した男の生涯。
一体どこにそんな時間が有った?
前半生は賢君として国を富ませつつ精強な軍を養い、後半生は大国を恐怖で支配しながら美食と悪食に溺れ、最後は勇者(?)に地の底に封印される。
無い。
有る筈が……無い。
つまりは自分で覚えたわけでは無いのだ。
だとしたら……奪ったのだろう。
脳を喰らい他者の生命を奪うだけに留まらず、蛇王は生け贄になった者達から脳の中身までも奪っていた。
そう考えると辻褄が合う。
「トム! 初代トムの恩人の友達……蛇王に喰われたっていう若者は、どんな人だったか伝わっていないのか?」
『ウニャ? えーと……ドルイドって分かりますかニャ? ヒトの身で有りながら、優れた精霊魔法の使い手だったようですニャー』
ドルイド?
たしか……自然信仰の賢者もしくは僧侶だったかな?
神様代わりに自然を信仰することで、精霊魔法が使えるようになったということか?
「ドルイドが存在した時代。トムの冒険って、実はかなり昔の話だったのね。懐かしい……」
その時代を知っているトリアが何歳なのかが非常に気になるところだが、まだ何も言っていないのに何故か睨まれてしまったため、今はおいておく。
しかし……やっぱりか。
蛇王の目的は恐らく未知の魔法だ。
だとしたら、狙われているのは恐らくカタリナかクリストフォルスあたりだろう。
あるいはオレや亜衣の【神語魔法】か?
トリアやエネアの精霊魔法も卓越している。
色々な可能性が有りそうだが、少なくともこの中の誰かは狙われていそうだ。
お目当ての存在が居なかったなら、さっさと邪龍の姿になって決着をつけようとしていても、何らおかしくは無い。
それをしないのは……魔法を奪うのに、肩の蛇に対象の脳を喰わせる必要が有る、のか?
ここまで思い至ったオレが蛇王を見やると、それまで一向に能面のような無表情を崩さなかった男が…………嗤った。
────ニタリ。
そんな擬音が聞こえて来そうな、酷く邪悪な笑顔だった。




