第260話
驚いたことに……オレが寝ていた時間は、丸一日以上だったらしい。
目を覚ましたのはジズと戦った翌々日の昼過ぎのことで、今日も兄達は仙台駅周辺に『慣らし』に出掛けていて、オレが目覚めるのを待っていてくれたのは妻だけだった。
黙っていると美人で、喋ると可愛い……オレが常々思っている妻の印象だが、その恵まれた容貌も今日は少しばかり陰って見える。
その原因は寝不足からきているらしい目の下のクマだ。
一睡もしていないわけではないだろうが、少なからず心労をかけたことは間違いなかった。
それでも絶えず優しく笑い掛けてくれながら、食事から何から嫌な顔ひとつせず用意してくれた妻には、しばらく頭が上がりそうにない。
「そう言えばさ、ヒデちゃんがやっつけたイレギュラーなんだけど、どんなんだったの?」
「あぁ、そうだな……デカいグリフォン。ドラゴンの百倍強い感じ。魔法が全然効かなくてさ」
世の中がこうなる前は、妻はダンジョンにあまり興味が無かった。
ゴブリンやスライムぐらいは知っていたが、オークやワイバーンとなると、恐らく知らなかっただろうレベル。
ベヒモス、リヴァイアサンと同格……などと言ったら、まずベヒモスとは何かから詳しく説明することになるのは間違いない。
妻にモンスターの説明をするのは、けっこう難しいのだ。
「グリフォンってワシとライオンの合体したようなのだよね? ドラゴンの百倍の強さって……ヒデちゃん、よく勝てたね~」
「な。もう二度と戦いたくないけど、今度は普通に勝てちゃうんだろうから、なんか複雑な気分だよ」
「そっか、そうだよね。でもさ、二度と同じ相手に苦戦しないって、ぜいたくな話だと思うよ?」
「うーん、それはまぁ……ね。ご馳走さま。食器は洗っとくから、亜衣も少し仮眠でもしたら?」
「うん、そだね。久しぶりに壮ちゃんと一緒にお昼寝しちゃおっかな。ヒデちゃんも一緒に寝ちゃう?」
「いや、さっきまで散々寝てたから……」
「うん、知ってる。無事に帰って来てくれてありがと」
そう言って妻は照れくさそうに笑いながら行ってしまった。
甥っ子たちと遊んでいた息子が妻の姿を見つけたせいか、嬉しそうに何やらシャウトしているのが聞こえる。
◆
翌日、オレは管理者としてのオレの本拠地である最寄りのダンジョンの守護者の間で、各種の調整を行っていた。
主に調整したのは新しく影響下に置いたダンジョンで、各ダンジョンごとにコンセプトを決めたり、難易度を変更したりする作業を先ほどようやく終えたところだ。
他には、前に調整した近隣のダンジョンの設定の手直しも実行した。
こちらは主に難易度の見直しがメインだ。
いまだに領域として割り振られたエリアの『掌握率』が低いため、直接オレ達が攻略したダンジョン以外には遠隔での干渉は出来ないようだが、それでもオレ自身の『保有魔力量』と、管理者としての『魔素収入量』は以前とは比較にもならないほどのレベルに達している。
その甲斐あって『献納魔素量』という項目が、ようやく見返りを求められる水準にまで達しているため、今は推定亜神の少女から贈られた(押し付けられた?)管理者用のマニュアルとにらめっこしながら、何を求めるべきか頭を悩ませていたところだった。
ミスリルの鉱脈……オリハルコンのインゴット。それからアダマンタイトの釣り針。
ワイバーンやサイクロプスなどのモンスターの配置権限。
守護者として召喚可能な存在のワンランクアップ。
無限の水差し、豊穣の苗床、例の製パン機の巨大化した物。
スキルブックのラインナップは【鍛冶】や【鑑定】などの他に【木工職人】や【細工師】のような非戦闘系のレアスキルの名前が並んでいる一方で、戦闘に役立ちそうなスキルは【縮地】や【堅固】のような持ち主の少ないことで知られるスキルの名前が並んでいた。
各種耐性系のアクセサリーの上位版や、聞いたことも無いような身体能力向上系の防具も豊富に取り揃えられていて、非常に悩ましいところだ。
だが……先ほどからオレは何故か、ある効果不明のアイテムが気になって仕方なかった。
その名も『神意の匣』。
これは謎だらけだ。
カテゴリーは製パン機などと同様にマジックアイテムらしいが、マニュアルから浮かび上がる映像を見る限り、見た目は単に真っ白な箱に過ぎない。
サイズ感もよく分からないし、説明文も短く一文……『神意を問う匣』とあるのみ。
普通ならスルーするべき。
なのに何故かは分からないが、どうしようもないほど気になってしまう。
あるいはこれも【直感】の為せる業なのだろうか?
だとしたら…………選ぶ、べきか。
肚を決めたオレは、決心が鈍らないうちにと、マニュアルを操作して『神意の匣』を選択した。
──ポンと何も無かった筈の目の前の空間に現れた小さな箱。
手にとってみたが恐ろしく軽い。
見た目は先ほどマニュアルの映像で見たものと寸分違わないが、そのサイズは事前に想定していたものより遥かに小さかった。
オレの手のひらの上に載ってしまうほどの大きさしかない。
……さすがに少しばかり不安になってしまう。
何か分かればと、念のため【鑑定】もしてみたが、やはり『神意を問う匣』ということしか分からない。
もうこれは開けてみる以外に、真価を判明させる方法が無いということになるだろう。
改めて意を決し、箱に手を掛けると……オレが開けるまでもなく勝手に蓋がスライドして中から銀色の光が漏れ始めた。
中から現れたモノは、オレが予想だにしなかったモノ。
思わず呆然としてしまう。
さすがにコレは予想外だ。




