第209話
ヤツが悪魔に捧げているのは、自分以外の者の魂ということに他ならない。
……オレは、これを赦せるのか?
ヤツが生け贄として悪魔に献じた人々は、オレ達家族と何ら変わりない普通の暮らしを営んでいた筈だ。
モンスターの攻撃対象は、当たり前かもしれないが老若男女を問わない。
ダンジョンに挑んだ探索者達ならば、命を落としたとしても仕方ない部分は有るだろう。
じゃあ、スタンピードに巻き込まれて死んだ老人達は?
住民達は?
幼い子供達は?
それも仕方ないのか?
……仕方ないで済ませてたまるか。
以前のオレは、霊魂の存在というものが有ってもおかしくはないと思いながらも、目に見えるわけでも無し、どこか信じきれずにいた。
しかし世の中がこんな風になってしまってからは違う。
実際にゴーストとして浮遊する多くの人々を見てきたのだ。
信じる、信じない以前の問題だろう。
このダンジョン周辺のモンスター掃討を始めた時から、何かおかしいとは思っていたのだ。
ゾンビ系やスケルトン系のアンデッドモンスターは普段通りか、むしろ多いぐらいだったのに、ゴースト系のアンデッドを全く見ていない。
その理由とは……つまりはそういうことなのだろう。
捧げられたのだ。
先ほどからオレが幾ら屠っても、次々と新手の悪魔を喚び出す悪魔使いの老人によって。
捧げられているのだ、今も。
悪魔が喚び出される度に、少しずつその輝きを失っていくペンダントの宝玉が、恐らくは魂の貯蔵庫なのだろう。
この付近に暮らしていた人々が正確に何人ぐらい居たのかは分からないが、仮に全ての魂があの宝玉の中に閉じ込められているとするなら、まだまだ新手の悪魔が出て来てもおかしくはない。
そして……全ての魂を捧げさせるのを待っていられるほど、オレも鈍感では無かった。
エネアも時を同じくして、そうした可能性に気付いたのだろう。
みるみるうちにエネアの容姿が成長していって、悪魔達に向かって放つ魔法も苛烈なものが増えてきている。
その瞳は冷たい光を宿し、悪魔に守られている醜悪な老害を、視線で射殺さんばかりだ。
「エネア、一気に決めよう! この外道は一刻も早く地獄に送る必要が有る」
無言で頷いたエネアは、精霊魔法を放つサイクルを速くしていくと同時に、さらに強力な魔法を選ぶようになっていた。
それでいて、勝負を急ぐべく前に出て槍を振るうオレにも、エネアからの支援魔法が次々と飛んでくる。
そしてついに、召喚される悪魔の数と、オレ達が葬る悪魔の数が完全に逆転した。
時を追うごとに老魔術師を守る悪魔の数は減っていき、オレやエネアの魔法が届く隙も生まれていく。
事ここに至って、悪魔使いの老人は新手の召喚を諦め、ようやく自分自身の魔力と魔法とで戦う肚を決めたようだったが、その判断は少しばかり遅かった。
エネアの精霊魔法が老魔術師の胴体を上下両断したのとほぼ同時、オレの【投擲】したスローイングナイフの数々が、ありとあらゆる急所に突き刺さったのだ。
結局、ヤツの出来たことは大量の悪魔を呼び出したことだけで、他の魔法の腕前を見せる機会は永遠に失われたことになる。
エネアは優しい。
こんな外道が相手であろうと、オレに人殺しをさせないため、明らかにトドメを狙っていた。
オレはそれを分かりながらも、敢えてそれに気付かないフリをしながら、何ら躊躇することなく殺人を犯した……その筈だった。
しかし、両断され穴だらけになった老人の遺体は、あろうことか他のモンスター達と全く同じように、白い光に包まれて消えていったのだ。
ダンジョン内で死んだ人の遺体が、そのように消え失せたという話は、今まで聞いたことが無い。
ダンジョン内での遺体の問題は以前から取り沙汰されていて、モンスターに食い荒らされた遺体が他の探索者によって発見されたり、死亡した仲間を背負って脱出に成功した探索者の体験記が世界中で出版されたりと、普通に暮らしていても、それなりに耳目に触れる機会が多かったのだから、覚え違いが有る筈も無かった。
……ということは、人間のようでいて人間では無かった?
「どうやらあの男、ホムンクルスだったみたいね。本人はとっくに死んでいるのに、造物主の盲執に囚われて行動していたホムンクルスが、いつしか自分を当人と誤認するようになった……真相は、そんなところなんじゃない?」
……そんなことが、有り得るのか?
いや、考えるだけ無駄だ。
オレが決意の下、老人に手を下したのは事実だったし、今となってはそれを知る由も無いのだから。
ん、待てよ?
あることに気付いたオレはドロップアイテムの数々はそのままに、老人が消えた跡に出現した扉を開けて中に踏み入った。
そしてダンジョンの設定を調整するのを後回しにして、このダンジョンで使用可能なモンスターのリストを開く。
そして発見した。
最終階層のボスとして、サモナー・ホムンクルスをリポップさせることが可能なようだ。
「エネアのさっきの推測、大当たりだったよ。多分……」
「あら、良かったじゃない? あんなのでも同種族を殺したことにならなくて済んだのだし」
「そうかもな。でも仮にホムンクルスじゃなくて同じ人間だったとしても、オレは止まれなかったと思う。実際、あの時もやめるつもりは無かった」
「つくづく不器用よね、あなた。せっかく私が気を使ってあげたのに、無視してさっさとナイフ投げちゃうし……でも、あれで良かったと思うわよ? ほら、こっちに来て。あれ、見て」
エネアに手招きされるまま、狭い守護者の部屋を出たオレが眼にしたものは……ナイフが突き立ち、それによって真っ二つに割れた宝玉から立ち昇る、揺らめく光の束だった。
束は次第に分かたれて無数の光となり、それぞれが揺らめきながら上へ上へと昇っていく。
ダンジョンの天井に当たることさえなく、そのまま空へ……天へと……。
それが本当は何だったのかまでは、オレには分からない。
分からないが、それで別に良かったと思う。
老魔術師を殺害したかもしれないと、複雑な想いを抱えていた筈のオレの胸は、立ち昇る光の数々を見送るうちに、いつの間にかすっかりと晴れていた。




