第184話
今までも巨体を誇るモンスターは数多く目撃してきたし、実際に戦闘するたびに撃破してきたつもりでは有った。
しかし、今オレの目指すダンジョンの前を占拠している巨大なモンスターは、それらと比較しても段違いに大きい。
禿頭単眼の大巨人だ。
サイクロプス、あるいはキュクロプスと呼ばれるこの巨人は、特徴としてはファハンに通じるモノが有るのだが、何と言ってもサイズが違いすぎる。
今は元々ダン協の支部が有った場所で、その瓦礫の山の上に腰掛けている状態だが、それでも嫌になるぐらいに大きい。
具体的には5メートル近い身長の有っただろうファハンでさえ、サイクロプスと比較すれば赤子に見えるほどの巨体だ。
立ち上がれば優に10メートルは超えているのでは無いだろうか。
サイクロプスは、腰掛けたまま呑気に鼻歌を歌いながら鼻毛をむしっている。
明らかにオレ達に気付いているにも関わらず……だ。
どうせ向かっては来るまい。
来たら来たで簡単に捻り潰してやる。
勇気が有るなら、オレ様の退屈を紛らわせて見せろ。
……そんな態度に見える。
実際、こうしてサイクロプスの様子を観察しているにも関わらず、どうにも攻め掛かる踏ん切りがつかないでいた。
自分より遥かに大きい相手に立ち向かうのは、正直かなりの勇気が必要だ。
どうしても根源的な恐怖心を掻き立てられてしまうのは避けられない。
本能が叫ぶ。
退け、逃げろ、遠ざかれ。
理性がそれを後押しする。
勝てない、無理だ、逃げるべきだ。
【危機察知】が脳内に鳴らす警報は、ひたすらにうるさく危険を知らせ続けている。
しかしオレの中で何かが吠えるのだ。
往け、闘え、喰らわせろ……と。
そして……これまで幾多の強敵に打ち克って来た経験がその声を助長するのだ。
向かえ、逃げるな、戦うべきだ……と。
今は逃げることも出来る。
相手は半神とも伝わる存在だ。
逃げたところで誰にも責められないだろう。
では、いつまで逃げる?
この先、逃げられない状況でサイクロプスに出くわしたら?
……また逃げるのか?
その時が来たら立ち向かう?
一度、折られた心で?
それは可能か?
……いや、断じてそれは不可能だ。
ならば今。
逃げるしか無くなったなら撤退が可能な状況である今こそ、サイクロプスに立ち向かうしかない。
どうにか覚悟を決めたオレは、先ほどからずっと笑い続けている膝を、恐怖心でかすかに震えている手で強く叩いた。
それから、オレの内心の葛藤をどうやら黙って見守ることにしていたらしいエネアの方を向いて、無言で頷いてみせる。
すると……
『スキル【勇敢なる心】のレベルが上がりました』
……【解析者】の声が、まるでオレのその決断を待っていたかのように厳かに響く。
すると先ほどまでの状態が嘘のように、手や膝の震えがピタリと止まっていた。
……さぁ、待たせたなサイクロプス。
お前の望み通りかどうかまでは知らないが、オレが相手をしてやろう。
いわゆるバフ……数々の身体強化魔法を行使し自らの身体を無理やりに強化する。
エネアからも精霊魔法が飛んで来て、ただでさえ高まっている身体能力が更に上昇していく。
これだけで身体のサイズの差、根本的な肉体強度の差が埋まるとまでは思えないが、それでもかなりマシにはなっただろう。
開戦の合図は、ファハンの時と同じくアレでいく。
【転移魔法】だ。
いったん、サイクロプスの腰掛けている瓦礫の山が何とか見えるぐらいの位置まで下がる。
それを見たサイクロプスは、オレ達が怖じ気づいたと思ったのだろう。
鼻に入れていた指先を自らの目の前に持って来て何をするのかと思えば、どうやらソレに息を吹き掛けて飛ばしていた。
……完全に舐められている。
オレ達は、それを見て作戦の成功を確信し、満を持して【転移魔法】で一気にサイクロプスの顔面の前まで飛んだ。
完全に虚を衝いた!
……にも関わらず、サイクロプスは嘘の様な超反応を見せて、先ほどまで鼻先に有った右手を自らの単眼を庇うかのように翳し、オレの至近距離からの槍の【投擲】を防いで見せたでは無いか。
サイクロプスの手は、その巨体に相応しく非常に分厚く、そして硬かった。
結果的に骨に阻まれ、その手を貫き通すことすらかなわず、先に落下したオレの手元に槍が期せずして戻って来たのは良いのだが……オリハルコン製の槍でもサイクロプスの骨を突き通すことが出来ないとなると、せっかく勇気を奮い立たせたというのに早速イヤになってしまいそうだ。
しかし、いったん開かれた戦端はオレが落ち込む暇さえ与えてくれなかった。
手傷を負わせられた経験が無いのか、それとも久しぶりの痛みに驚いたのか、激しく咆哮したサイクロプス。
さすがにここまでデカいと声も大きい。
今までに経験したことの無い鈍痛が不意に頭の奥で発生し、耳鳴りの様な雑音まで鳴り始めた。
……どうやら鼓膜が破れてしまったようだ。
慌てて魔法で鼓膜の傷を治そうとするも、怒りに燃えるサイクロプスが振り回す棍棒は、尋常では無い速度で何度もオレに迫って来る。
それを躱しながら、そして経験したことの無い痛みに混乱しながら魔法を使うことは不可能に近く、結局オレの異変に気付いたエネアが癒してくれるまで、痛みも耳鳴りも収まらなかった。
幸先は非常に悪かったが、それでももうやるしかない。
冷や汗がベットリと背中を濡らす感触も久しぶりだ。
ここでようやく立ち上がったサイクロプスは、オレが事前に想像していたよりも更に大きく雄大だったが、ここで逃げ出してしまったらオレはきっと後悔するだろう。
まだ、やれる。
まるで天を衝くようなサイクロプスの偉容に気圧されながらも、オレの膝も手ももう震えてはいないのだから……。




