第148話
ようやくにしてモーザ・ドゥーの分体を全て倒しきった時、既にオレは肩で息をしていた。
呼吸をするたびに金気臭い匂いを感じる。
肺胞がオーバーワークにでも陥っているのだろうか?
たまらずスタミナポーションを『空間庫』から取り出し呷ろうとしたが、そのほんの一瞬の隙すらも与えず、雷撃が次々にオレを襲う。
襲い掛かって来たのは雷撃ばかりでは無い。
雷撃を放つと同時にモーザ・ドゥー自体も、冗談みたいな速さで駆け寄ってくる。
次々に更新されていく最速。
兄の【短転移】を除けば、今までオレが目にした中で最も速く彼我の距離を詰めてきたのは、既に目の前まで接近しているモーザ・ドゥーだろう。
雷撃を躱すうちに殆ど中身が零れてしまったスタミナポーションの残りをどうにか飲み干し、それと並行して鎗を突き出す。
【無拍子】により完全なノーモーションで繰り出されたその刺突は、完全なタイミングでモーザ・ドゥーの眉間を貫く筈だった。
だが、紙一重のところで首を捻ってみせた黒妖犬によって、致命の一撃は呆気なく凡百の一撃に堕されてしまう。
ヤツの首筋を浅く切り裂くだけだったのだ。
さすがに【無拍子】が見切られたわけでは無い。
完全に見てから躱された。
幸い、空中で無理な回避を行ったモーザ・ドゥーの牙や爪も、オレに当たることは無かったので、全く無駄だったわけでは無いのが救いか。
ほんの僅かな量だが中位のスタミナポーションを飲めたことで、オレの呼吸も少しはマシになった。
相変わらず腕も足も重たくて堪らないように感じるほどだが、少なくとも先ほどまでよりは遥かに良い状態だ。
しかし先ほどの攻撃で決められなかったのは非常に痛い。
ボス犬との長期戦を避けるべく、一撃必殺を狙って温存していた【無拍子】が、モーザ・ドゥーの驚異的な反射神経の前に不発に終わってしまった。
しかも対峙する黒妖犬の首筋に、先ほどの傷は既に見えない。
幾ら実体を持たないモンスターだからといって、それは反則に過ぎるだろう。
叶うことなら、このまま睨み合いを続けて少しでも体力を回復したかったが、それはさすがにムシが良すぎたらしい。
すぐさま再開される戦闘……動き出しの速度も、最高到達速度も、どうやらオレが僅かに上回っているようだ。
……にも関わらず、勝負はなかなか均衡の域を出ない。
モーザ・ドゥーの勘は極めて鋭く、絶対に当たる筈のタイミングで攻撃を仕掛けても、良くて浅傷……悪い時には回避と同時に危険な攻撃を繰り出して来ることもあった。
ヤツのカウンターで危うくオレの首が飛びかけた場面は一度や二度では無い。
時おり放たれる雷撃は回避するのも一苦労なうえ、モーザ・ドゥー自身は雷で全くダメージを受ける様子さえ無かった。
接近戦の最中でも構わず雷撃を放って来る。
負けじとオレも魔法を放つが、これも決定打にはならない。
風の光輪は真っ正面から顔面に当たっても全く無傷だった。
最大威力を誇る風魔法が通用しないことに思わず戦慄するも、それで諦めるわけにもいかない。
闇魔法も同様に全く効果が無いようだったのには閉口するも、風魔法が無効だったことに比べればショックは小さかった。
火魔法は効果がイマイチだが、一応は効く模様……続いて試した水魔法が思いの外、モーザ・ドゥーに有効だったので、今は鎗にも水属性を上掛けしている。
これが実は効果覿面だった。
エンチャントウェポン(水)を上掛けして戦うことで、モーザ・ドゥーに与える傷口が明らかに大きくなり、ほんの僅かな違いではあるがヤツの動きもダメージで鈍り始めたのだ。
こうなってくると、今まで当たらなかったようなタイミングの攻撃が当たる回数も劇的に増し
ていく。
そして攻撃が当たれば当たるほど、モーザ・ドゥーの動きも比例して鈍くなっていった。
問題はいよいよ尽き始めたオレの体力……先ほどスタミナポーションを飲む前よりも更に疲労を明確に感じる。
ちょっとでも緊張の糸が切れたなら、今すぐにでも地面に倒れ込んでしまうことだろう。
勝負の行く末は未だに流動的だった。
ちょっとでも気を抜けば、それまでどれほど優位に戦っていても、一気に引っくり返すほどの力を互いに有している。
……もう、お互いにフラフラだ。
最初のキレは既に無い。
力強さも無い。
もちろん、とっくに余裕など無い。
オレもモーザ・ドゥーも必死の形相だ。
業の深いことに、その必死の戦いを両者ともに楽しんでしまっている。
……その勝敗を分けたのは、ほんの僅かな運の差だった。
先ほどは妖犬に華麗に回避されてしまったとある魔法が……動きの鈍ったモーザ・ドゥーの右前足を運良く捉えたのだ。
その魔法は【空間魔法】の初級攻撃魔法だった。
次元を穿つ刺突……ディメンションピアース。
右足の甲に突き立った魔法は、そのままモーザ・ドゥーの足を貫き、バランスを崩した黒妖犬は無様に倒れる。
その瞬間……オレの身体は自分が考えるよりも早く動き、そのまま鎗側面の月牙でモーザ・ドゥーの野太い首を刎ね飛ばしていた。
……唐突に訪れた勝利。
思わず呆気に取られて立ち尽くしてしまう。
まさか、あんな魔法が契機になるとは……。
完全に無意識だったのだが、効果的だった水魔法より発動までに掛かる時間と、消費魔力の少ないソレを、時おりオレは放っていたらしい。
目の前で泣き別れになったモーザ・ドゥーの首と胴体が、同時に白い光に包まれて消えていく。
大きく息を付いたオレは、傷の手当ても体力の回復も忘れて、未だに立ち尽くしていた。
今までに感じた事の無い程の力が、一気に奔流のように流れ込んで来たからでもあるが……。
我に返ったのは、どんどんとこちらに接近する不吉な羽音を聞いてからだ。
未だ『犬』の金属板を回収しても居ないというのに『環』の金属板を持つだろう敵が、わざわざ向こうから迫って来るのが……見える。




