第109話
ダンジョンから最初に出てきたワーラット(人鼠)は、待ち構えるオレ達を発見した事で目に見えて怯んだ……が、次の瞬間には猛然と走り出し、最も近くに居た警官に向かって噛み付こうとした。
落ち着いて……と、オレが声を掛ける間もなくダンジョン未経験か初心者らしい、その若手の警察官は手にしていた拳銃を発砲。
銃弾が右の太股付近に当たったワーラットは転倒するも、それは誰が見ても致命傷では無かった。
右脚を撃ち抜かれながらも未だに健在な左脚と両腕を活用して、四つん這いの状態で迫り続けるワーラットに恐慌をきたしたのか、若い警官は発砲を続ける。
二発目……三発目……四発目で頭部に命中した鉛弾がワーラットを遂に仕留める。
しかし、それでも警察官は弾倉が空になるまで発砲を続けてしまう。
途中、先輩の警察官が制止の声を上げたが、自らの発砲音で聞こえなかったのか、単にパニックに陥っていたのか、はたまた両方が原因か……結果として彼は貴重な弾薬を浪費したのだった。
ワーラットが残したのは黒く小さな魔石と体内に残存していたであろう鉛弾……とても見合う物では無いが、彼を責めるのは酷と言うものだろう。
ダンジョンからモンスターが出てきた……これは過去に全く無かったことだ。
さらにワーラットの不可解な動き……明らかに普段とは違う。
普段ならこれだけの人数に囲まれていると悟った瞬間、まっしぐらに逃走を開始するのがワーラットというモンスターの筈だった。
やはり暴走……そんな不安は的中する。
ワーラットに続いてダンジョンから這い出て来た虫型モンスターはともかく、ゴブリンやコボルトさえも普段とは違って果敢に攻め掛かって来た。
そして、その数が……おかしい。
オレもバリケード越しに鉄球を投擲したり短鎗を突き出したりしながら、モンスターを次々と倒しているし、警官隊や有志の市民も何だかんだで奮闘しているというのに、モンスターの群れは減るどころか増える一方なのだ。
やたら長い槍とボウガンとを持って来て、積極的に戦闘に参加する構えを見せている森脇さんはともかくとして、非戦闘員である倉木さんは後方に逃がしておきたい。
一計を案じたオレは、まだ何とか余裕を持って戦線が維持されている今のうちにと、バリケード前を離れて倉木さんが居るところまで下がってきた。
そして……兄や柏木さんへの伝言を頼むことにした。
護衛として右京君に付いていって貰おう。
バリケード前まで一度戻り、倉木さんの護衛を頼む。
不承不承といったところだが、素直に頷いて貰えたのは良かった。
ダンジョン未経験な人達と比べると安定した戦いぶりを見せていた右京君を、一時的とは言え離脱させるのは惜しいが、道中の危険を考えると倉木さんを1人で送り出すわけにもいかなかったのも事実だ。
とりあえずの後顧の憂いを断ったオレは、バリケード前に戻り激しさを増す防衛戦に再び身を投じる。
これがいつまで続く戦いなのか分からないため、ライトインベントリーにはスタミナポーションを多めに持ってきているのだが、このままではオレより早く有志の一般市民の人達が力尽きるだろう。
折よく隣で戦っていた同級生に何本かのスタミナポーションを渡し、いったん後方に下がって貰う。
明らかに体力不足な人に配布して貰うのだ。
オレはオレで、どんどんと鉄球や鎗でモンスターを減らしていたが、鉄球については使い方を変えることにした。
オレの方に迫るモンスターは、引き寄せれば問題なく鎗で倒せる。
問題なのはむしろ、初心者には荷が重いジャイアントセンチピード(ムカデ)や、ジャイアントビートル(カブトムシ)等だった。
これらが警察官や上田さん達、いくらか戦えている人達の前に行く分にはまだ良い。
明らかに腰が引けている森脇さんや、それなりの高齢にも関わらず参戦している有志の人達の前に行きそうな場合のみ、鉄球を投擲して事前に排除するようにしている。
モンスターの数については、度重なる間引きの効果が有ったためか、まだ今のところは戦線の崩壊を招くほどの大群では無いのだが、徐々に倒すのに時間が掛かるようになってきていた。
これはジャイアントビートルが出始めてからは特に顕著で、急拵らえのバリケードがジャイアントビートルの体当たりを受け、グラグラ揺れる場面も増えて来ている。
重ねて言うようだが、いつまで続く戦いなのか分からないのがキツい。
今のところは魔法を温存しているが、戦線が崩壊しそうになったら迷うつもりも無かった。
いまだにモンスターの顔ぶれは、ジャイアントセンチピード、ジャイアントビートル、ジャイアントリーチ(ヒル)、ジャイアントピルバグ(ダンゴムシ)などの虫型モンスターと、ゴブリンやコボルト、スライムぐらいで、強さという面以外で厄介なのはジャイアントフライ(ハエ)だ。
何しろ空を飛ぶのだから。
今のところは逃がしていないが、バリケードが全く通用しない相手というのは、実際かなり面倒ではある。
しかし第1層のモンスターだけで、これほどの数が押し寄せて来るとは……。
あの時は単なる推論でしか無かったが、これらのモンスターが全てダンジョン内でリポップしたモノだとしたら、恐ろしいほどのスピードでモンスターが生まれ続けていることになる。
明らかに異常だ。
これほどの数は第1層を隈無く探索したところで、普段のこのダンジョン内には居ない筈だった。
やはり再出現までの時間の短縮、出現数自体の増加、さらに凶暴化までしているのは明らかだろう。
……まさにスタンピードといったところか。
先ほどから【危機察知】は常に軽い警報を鳴らし続けていたが、にわかにその反応が一際強くなった。
ダンジョンから出てきたその巨体は、他の巨大化した虫型のモンスターと比べても、明らかに大きなものだった。
ギガントビートル……しかも3体だと?
……階層ボスまでもダンジョン外に出てくる。
さらには普段なら有り得ない複数出現だ。
……この戦いが時間の経過とともに困難の度合いを増していくことになるのは、その場に居た誰の目にも明らかだった。




