第108話
──時刻は遡りスタンピード当日……まだ早朝と言える時間帯の宗像家──
昨夜、寝る前に友人にリークしたスタンピードの可能性……学生時代を共に過ごした連中のうち多くはオレの言うことを素直に信じて避難を開始してくれたりしているのだが、1人だけどうしても気掛かりなヤツも居た。
交番勤務を経て、機動隊に配属された友人だ。
一握りのエリートが選ばれるダンジョン探索チームに選出され、水道橋ダンジョンに潜っていたのだが、異変発生の当日はノロウィルスに掛かった娘のために欠勤したことが幸いし、今日まで生き延びている。
オレが柏木さんを通じて、ダン協にもスタンピードの可能性を教えたことがきっかけになったのかは、正直なところ分からない。
分からないのだが……もしかしたら同様の情報を何らかのルートで得ていた可能性も有る。
どうやら自衛隊や、警察が主要拠点の防備に出動することになっているらしいのだ。
これはその友人からの情報。
機動隊は自衛隊が突破された際の最終防衛ラインを担当するという。
最前線でこそ無いようだが、危険なことに変わりはない。
どうか生き抜いてくれ……。
ネットにも情報は流した。
あれ以来、出回るのはデマばかりが多く、アテに出来ない気持ちだったのは事実だ。
盛大に草(w)を生やされたし、勇者降臨……などと囃されて終わったが、一部の真摯に生き抜こうとしている人々には響いたようだった。
……それで善しとするべきことなのかもしれない。
自称亜神の少年も、具体的に何時何分とまでは教えてくれなかったし、スタンピードである可能性が高いと言っても、もちろんそれが確定しているワケでは無いのだから、どう動くべきかは悩ましい問題だった。
結局のところ、人命を重視してダンジョン前に待ち構えるか、自宅に籠城するかの二通りしか思い付かなかったのだが、どちらがより現実的な意見と言えるだろうか?
少なくとも……自宅を放棄するのは無しだ。
何のために危険を冒してまでダンジョンにギリギリの挑戦を続けてきたのか、いよいよ分からなくなってしまう。
ではダンジョン前での防衛を選択するべきだろうか……?
最寄りのダンジョンの間引きは、これまでにも頑張って来たが、それでスタンピードを免れるかどうかは分からない。
もしくはスタンピードが起きた場合、防衛戦を戦い抜ける戦力は有るだろうか?
……いや、さすがにそれは厳しいなぁ。
自宅を放棄出来ない時点で、兄かオレのどちらかしか防衛戦に参加出来ないのだ。
しかも兄や父を通じて連絡した近隣の人々も半信半疑と言ったところで、防衛戦の具体的な準備などは未だに始まっていない。
どっち付かずになる恐れがある防衛戦に賭けるのは、かなり分が悪いと言えよう。
「ヒデ……どうするのか決めたか?」
不意に兄から声が掛かる。
両親も妻も兄夫婦も、最終的な判断はオレに委ねると言ってくれていた。
昨夜、亜神に逢ったのはオレなのだから……ということらしかった。
「……うん。まずはオレだけダンジョン前に行くよ。これはダンジョン前での防衛のためと言うより偵察に……ってところだね。あとは皆、ここに待機しといて。いざとなったらスマホで助けを呼ぶか、オレの方からここに逃げてくる。その時に備えて戦いに使えそうなものとか、装備とかはキッチリとよろしく。……もちろん、ここから逃げなきゃいけないっていうことも有るかもしれないから、ミドルインベントリーはこっちに置いていくよ。避難する時に必要になりそうなものは手当たり次第に入れといて」
「分かった。後は何か有るか?」
「そうだなぁ……腹が減ってはっていうヤツじゃない? 朝飯にしよう」
「……おう」
何とも締まらない話なのだが、これは重要だ。
いくら強化された肉体を持った探索者も、空腹と寝不足には勝てないのだから……。
◆
7時30分……1人、自宅を出発する。
家族は全員が見送りに出て来てくれた。
息子や甥っ子達の笑顔に癒される……こいつらを必ず守る……改めてそう、強く思う。
ダンジョン前に到達すると、既に警察や地元の消防団員がバリケード設営の作業をしていた。
しかしながら、やはりどこか億劫そうな空気が漂っている。
見ていても仕方がないのでオレも設営を手伝う。
ひとまずバリケードらしきものの設営が終わると、消防団員の中からも帰宅してしまう人々が出た。
一方で、既にダンジョンを経験している上田さんを始め、意外なほどダンジョン前に集まってくる人達は多かった。
中には久しぶりに顔を見た同級生もいる。
右京君まで来ていたのは意外だった。
柏木さんから持たされたであろうライトインベントリーに満杯の武器や防具が提供され、農具や木刀など、効力が疑わしい武器は、予備に回されることになる。
……防具にしても、鍋の蓋とかはさすがに、ね。
そうこうしているうちに時刻は9時を回る。
今は皆、ダン協の倉木さん、森脇さんが用意してくれたパイプ椅子に腰掛けて、無駄な体力の消耗を抑えている。
雑談すらもまばらで、目の前に腰掛ける右京君さえ、いつになく無口だ。
肩透かしだったのなら、それはそれで良い。
むしろその方が…………。
そうした期待感みたいなモノは、武装した警察官にしろ、集まった一般市民にしろ、皆が持っていたと思う。
この辺りは禁煙なのだが、無意識なのか煙草に火を付ける人が居ても、それを咎める者も居なかった。
痛いほど分かるのだ……落ち着かない気持ちは。
10時になったら警戒レベルを下げよう……誰からともなく発せられたそんな言葉が、その場の雰囲気を支配し始めた。
ふと時計を見る……9時24分。
……もうそろそろ2時間か。
オレも10時になったら、いったん戻ろうかな?
そう考えると何だか、そわそわしてしまうから不思議だ。
見張りを担当してくれている人達がちゃんと居るのに、バリケードの向こうを幾度となく見やる
……。
……。
…………。
…………来たか。
そこから初めに出てきたのは1匹のワーラットだった。




