兎を追うな
不思議の国のアリスをテーマにした短編
ああ。うるさい。
「輝夜ちゃん、大きくなったなあ。えらいべっぴんさんなってぇ。今小学五年生か?」
「…六年生」
わたしは、目の前のコップに入った麦茶を見つめながら、親戚のオバサンの質問に答えた。とにかく名前で呼ばれるのが嫌だった。輝夜でルナって読むなんて全然ごーりてきじゃない。馬鹿みたいだ。
クーラーもない、畳の部屋に並べられた机。窓は開けっ放しで扇風機が、がなりながら首を振る。真夏の昼の熱気には勝てず、ただ熱風とタバコの煙を運ぶだけだった。仏壇から微かに香る線香の匂い。母は、お婆ちゃんと一緒にキッチンでスイカを切りにいった。親戚のおじさんやおばさん、そしてわたしの父は楽しそうにビールを飲みながら談笑していた。
「いやあ最近の子はみんな大きぃなあ。ワシの頃はみんなちんちくりんで」
「時代が違いますよ、哲郎さん」
「彼氏おるんかぁ?」
「叔父さん、それセクハラって言うんですよ」
「最近は厳しいなあ! はっはっは」
夏休み。お盆だからと毎年父の実家の田舎に行くのが苦痛だった。お婆ちゃんの家はまさにザ・田舎って感じの場所で、周りには数軒の家と、田んぼ、川、そして小さな山だけ。
コンビニもない。ショッピングだって出来ないし、ゲームもない。スマホはかろうじて電波が届くものの、インターネットは繋がりにくい。ここはどこだ、日本なのか?
わたしは聞こえるように大きくため息をついた。昔、まだ幼い頃は楽しかった。川で魚取ったり、虫を捕まえたりしていた。父も母も優しかった。でも、わたしはもう子供じゃない。こんなところで、うるさい大人達といるぐらいなら一人でお留守番する方がよっぽどマシだ。
「そうか、ルナちゃん来年中学校か。受験するんか?」
「いやあ、それも考えたんだけどねえ」
ちらりと父がわたしに視線を向けた。こっち見るな。わたしは無視するように目の前のコップを睨みつけた。中学受験なんて絶対イヤだった。ちーちゃん達と、それにたっくんと、離れるし……。いや、たっくんは別に関係ない。全然関係ない。
「輝夜が友達と一緒の地元の公立が良いって聞かなくてね」
父が言い訳がましく、そう答えていた。その父の言い方にいちいちイライラする。いつからだろうか、父を疎ましく感じるようになったのは。一緒にお風呂に入ってただなんてゾッとする。
「反抗期か?うちも真由美が中学ぐらいからワシに反抗しだして大変だったぞ」
「そういえば真由美ちゃん、結婚したんですって?」
「それが……」
もう、耐えられない。こんな酒とタバコと臭いおじさん達がいる空間にいたくない。わたしは、意を決して、ダンと立ち上がった。
「ん? どうした輝夜」
「……外行ってくる」
「は? こんな暑い日に炎天下に行くのは辞めとけ。熱中症なるぞ」
「散歩するだけ!じゃ!」
「こら、輝夜!」
わたしは父の言葉を無視して、立ち上がった。畳の部屋から広い玄関へと抜ける。玄関には大きな姿見があった。そこには、ひょろりと背の伸びた細い少女が映っていた。肩まで伸びた黒髪に不機嫌そうな表情。青と白のストライプ柄のオフショルダーのトップスに、白のキュロットパンツ。
ふん、不細工な顔。わたしは姿見に向かってあっかんべーをして、お気に入りの黄色いスニーカーを履いた。
玄関からキッチンは繋がっており、そこから母とお婆ちゃんがひょいと顔を出した。
「輝夜? どこいくの? スイカ切れたよ」
「ちょっと散歩! いってきます!」
「暑いから、お父さんの帽子被っていきなさい!」
「絶対イヤ」
「もう、あんたは」
「兎を追うたらあかんで」
ん? うさぎ? お婆ちゃんが突然よく分からない事を言い始めた。まだ、ボケてはいないはずだけど……
「え、何お婆ちゃん」
「兎を追うたらあかん。兎はな、神の遣いや。付いて行ったら神の国に行ってしもて、帰れんくなるで」
「この辺うさぎいるの?」
「もうおらん。だからや。追ったらあかん」
「じゃあいってきます!」
わたしは玄関を飛び出した。なんだか、お婆ちゃんの物言いに静かな迫力があって、その場にいるのが怖かった。
外に出た途端、わたしは太陽と、セミの合唱のシャワーを浴びた。
「暑っ」
特に、目的地はない。お婆ちゃん家の前には舗装されていない道路があり、その向こうは田んぼ。その更に奥には小さな山があり、その山に沿って小さな川とあぜ道があった。そこは山の影になっており、いくぶんか涼しそうだった。
「しまった。日焼け止め忘れた」
ジリジリと肌を焼く日光で気付く。そういえば今日、日焼け止め塗っていなかった。しかし、今お婆ちゃん家に戻ったら、もう出られないような気がした。仕方ない、なるべく、日陰へ行こう。
わたしは、田んぼと田んぼの間の細い道を通り、まっすぐ山の方へと向かった。山のふもとは影になっているおかげか、それとも小川のおかげか、涼しい風が吹いていた。
「あー涼し」
わたしは、山に沿ってゆっくり歩き始めた。左側の山の方を覗くと、昼でも木が多いためか薄暗く、目を凝らしても動物一匹見当たらなかった。
「うさぎ、いないかなあ」
うさぎを探しながら歩くわたしだったが、あぜ道と平行していた川が田んぼの方へと右にカーブしており、そこを渡すように小さな橋がかかっていた。橋はとても古そうで、木で出来ていた。
「これ、大丈夫かな」
わたしは、恐る恐る、足を載せた。ギシリと音がしたが、とりあえず、橋が落ちる事はなさそうだった。わたしは、ゆっくりと慎重に橋を渡った。
橋を渡り合えると、なぜか急に、風が強くなった。後ろ髪が煽られ、なびく。耳をくすぐる髪の音と、風。
なぜか、その風に、クスクスと何が笑っている声が聞こえたような気がした。わたしは思わず後ろを振り向く。
「だれ?」
後ろには誰もおらず、ただ、橋が存在するだけ。
少しだけ、怖くなった。戻ろうかな?と少し思う気持があった。
でも、なぜだか、わたしの足は前へと勝手に進んだ。
道を進む。山沿いのあぜ道は徐々に獣道のようになり、雑草が生えていた。距離的に、そろそろ、山の裏側に来てもおかしくない。そして、わたしは足元に何かが落ちているのに気付いた。
「ひっ」
思わず声を上げてしまった。それは、大きな、芋虫だった。わたしの手のひらほどの大きさの緑色の芋虫。それにアリが群がろうとしていた。芋虫は逃げようとしている。
わたしは、昔と違ってもう虫は嫌いだ。だけど、目の前でアリに食べられる様子を見るのはもっと嫌だった。
丁度、小さな木の棒が落ちていた。わたしはそれを拾うと、芋虫を引っ掛けるように棒ですくった。芋虫が足でもぞもぞと棒を登ってくる。これ、手に乗ってくるんじゃ……。
わたしは後ずさると、周囲を見渡した。山の方に小さな木があったのでその枝へと持っていた棒を引っ掛けた。芋虫はわたしの方から、木の方へと移った。木には小さな実がなっており、独特の香りがした。なんだろう、うなぎを食べるときに香る匂い。
そしてその時初めてわたしは、山側に大きく真っ赤な鳥居と石段があることに気付いた。芋虫を移した木の横に、それは確かに存在していた。さっき通った時はなかった。
耳をすますと、鳥居の奥から微かに笛や太鼓の音が聞こえてくる。たしか、お祭りの日とかに良く聞くやつで、確か、祭囃子と言ったっけ。
祭囃子の聞こえるその先。奥へと続く石段には一匹のうさぎがいた。
「まずいまずいまずい、主様に怒られる」
うさぎは、後ろ足で立っており、なぜか浴衣のような物を着ていた。いや、何より、喋った。今、なんか喋った。
「ハレの日に、間に合わない!」
うさぎはそう言うと、ぴょんぴょんと石段を駆け上がっていった。
「待って!」
わたしは無意識でそう叫び、真っ赤な鳥居の真ん中をくぐった。
その瞬間、立ちくらみを感じた。視界が一瞬、暗くなる。
●●●
わたしは意識が落ちかけ倒れそうになるも、右足でダンっと踏ん張り、倒れる一歩前で意識を取り戻した。頭の中で何かの言葉が繰り返し、再生される。
「兎を追うな……兎を追う……兎?」
そうだったうさぎだ。わたしは石段を見上げた。もうあのうさぎはいない。わたしは急いで石段を駆け上った。
そして、わたしは、石段を登り続けた。息が切れない。足も疲れない。確かに運動は得意だった。大体なんでも器用にこなせるといつも褒められた。でも、これはおかしい。
石段を登って登っても景色は変わらず、そしてなぜかわたしは疲れない。リズム良くタンタンと石段を登るも、石段の両側は代わり映えしない山の景色。なぜか、後ろを振り向こうという気にはならなかった。ここまで来た距離と高さで考えればもうとっくにあの小さな山の頂上に着いてるはずなのに。
石段の上を睨みつける。すると、上の方にあのうさぎが見えた。
「いた!」
わたしは、石段を一つ飛ばしで駆け上がる。うさぎはそれ以上のスピードで先に進んでいた。石段が緩やかに左方向へとカーブしていく。わたしはうさぎを見失わないように必死に石段を登る。そして、右側からオレンジ色の明かりに照らされていることに気付いた。
「すごい……」
わたしのその景色に思わず立ち止まってしまっていた。右側はいつの間にか崖になっており、その向こうは、夕陽で山々が真っ赤に染まっていた。一体どれほど登ってきたのだろうか、上から見下ろす山脈は綺麗で、こんな綺麗な景色を見たのは初めてだった。
背後から、またあの祭囃子が聞こえた。
わたしは振り返ると、石段はその先に続いており、少し上に、広場があった。
ゆっくりと石段を登る。徐々に見えてくる広場は広く、開けていた。中央に、櫓が立っておりその櫓の上に太鼓や笛があった。それはなぜかひとりでに鳴っており、祭囃子はそこから聞こえていた。
わたしは広場へと踏み込む。そこには、浴衣姿の人もいれば、見たこともないような古い服を着た人もいた。皆、楽しそうだけど、なぜか、その顔は見えない。
広場はがやがやとしており、人々が会話をしているのが分かる。なのに、耳をそばだてると、何を言っているか聞こえない。まるで、影か何かような虚ろな存在。
「おや、君は……」
そんな中、ただ、ひとり、確かな存在感を放っていた少年がいた。その少年がわたしを見つけて、驚いたような表情するとこちらへと歩いてきた。
「なぜ、君はこんなところに?」
「あなたはだれ?」
誰か分からずわたしはそう少年に聞いた。見たことがあるような気がするし、初めて会ったような気がする。なんだか頭がぼーっとする。
「僕は、****だよ」
「そうなの。はじめまして、わたしは……」
わたしは、誰? なんでこんなとこにいるのかしら。
「きみは、迷子だね」
「まいご?」
「そう。ここは、人が来ちゃあいけない場所さ」
「なぜ?」
「ここはね、もう夢の成れ果てだから。人は夢を見ない」
「わたしはひとなの?」
「そうだね。でも半分、失いかけてる」
そう、わたしはひとだ。でもはんぶんないのはどうして?
「君は、帰った方が良い。これを」
少年は、わたしの手を取ると、手のひらに石のような何か置いた。それは、まるで蝶の蛹のような形をした石だった。
「もう、僕だけの力では帰れないから。もし帰れるようになったら、使って」
「つかう」
「そう、兎は追っちゃだめだよ」
「わかった。ありがとう」
「これは、お礼だよ」
「おれい」
「そう。それじゃあ、バイバイ」
少年はそう言うと、フッとわたしの目の前から消えた。その瞬間、霞がかっていた意識がクリアになる。
「え、待って、何、誰今の」
混乱がわたしを襲う。そもそもなぜわたしはこんなところにいるのだろうか?早く帰らないと。でも何処へ?
広場の奥には更に石段が続いていた。そこをうさぎがぴょんぴょんと進んでいく。
わたしは、広場を突っ切っていく。石段を数段登ると、そこはまた平坦な場所になっており、奥に、立派な神社が見えた。石段の1番上の段の両側にはうさぎの彫像のような物があり、さっきのうさぎはきっとこの神社の中に入っていったに違いない。
私は神社に入る前に振り返った。気付けば、辺りは薄暗くなっており、あのお祭りをやっている広場が遥か下に見えた。ただ、数段石段を登っただけなのに、その場所はやけに遠く感じた。提灯の薄ぼんやりとした明かりに照らされた広場。なんだかあそこにはもう二度と行けない気がする。
そして、私の隣。石段に一人の男性が座っていた。その男性はぼーっと下の広場を見つめていた。わたしがその男性に気付いた瞬間、また頭に霞がかかる。わたしは何の迷いもなくその男性に声をかけた。
「こんにちは。いえ、こんばんは?」
「ん? 君は?」
「わたしは、ええと迷子です」
「迷子か。珍しいね」
「あの広場、行かないの?お祭りやってましたよ」
「ああ、あそこには僕は行けない」
「なぜ?」
「あそこは、ハレだから」
「ハレ?」
「そう。ハレというのは、ケがあるからこそ成り立つんだよ。毎日がハレじゃあ、それはもうケなんだ」
「だから行けない?」
「そう。僕は、ハレを終わらせなきゃいけない。なのに、何をしているのだろうか」
「わたしは、うさぎを探しているの」
「兎? ああ素兎ことかい? そうか、君は確かに迷子だ。驚いた。まだ我らを夢見る人がいたとは」
「夢?」
「そう、ここは、あの永遠の祭は、残滓なんだ。僕と、彼女の」
「彼女?」
「女王だよ。ここの神社は元々僕の神社だったんだけどね、取られた。僕は確かに負けたんだ。なのに戦いは終わらない。祭が終わらない」
「終わらせたいの?」
「ああ。もう僕らはとっくに消えているんだ。残滓だけがいつまでも残っているなんて滑稽だろ」
「どうすれば終わるの?」
「僕には、もう力はない。出来るとすれば、彼女」
男性が立ち上がった。男性は神社の方へと指を差した。
「あの神社の本殿に彼女がいる。彼女なら終わらせられる。君も帰れるはずだ」
「じゃあわたし、その女王様にお願いしてくる。もう終わらせましょうって」
「そうだね。ん? おや、良いものを持っているね」
男性は私の右手を覗いた。その中には蛹の形をした石があった。それがわたしの体温か、はたまた石自身なのかほのかに熱を帯びていた。
「それは、常世神の蛹だね。どこで見付けたんだい?それがあれば、代わり映えしないこの泡沫を、終わらせてくれるはずだ」
「くれたの。誰だか忘れてしまったけど」
「縁が結ばれたんだろうね。いいかい、素兎は、僕の遣いだ。追ってもまたここにたどり着くだけだ」
「ええ、分かったわ」
「さあいっておいで、人の子よ。そして願わくば、僕の事を、彼女の事を、忘れないでおくれ」
「あなたの名前は?」
「*国*命」
「そう。さよなら」
「ああさよなら」
男性はそういうと、そっとわたしの背中を押した。わたしは、ゆっくりと神社へと進む。
大きなしめ縄をくぐり、木製の階段を登る。奥には大きな建物があり、その奥に女王様がいるはずだ。
本殿の扉は開かれていた。わたしは恐る恐る、その扉をくぐる。その奥にすだれのようなカーテンのような物がかかっていた。その奥に、人影が見えた。
「我を呼ぶは誰ぞ」
「あなたが、女王様?」
声が聞こえ、わたしはカーテンを抜けた。
カーテンの奥。そこは、何かを祀るような祭壇になっており、そこに一人の女性があぐらで座っていた。男性のように凛々しい顔に、ナマズの柄が書かれた着物を着ており、右手に剣のような物を、左手に真紅の大きな盃を持っていた。
「ほお。人とはね。あいつの使者か? それともあたしを殺しに来たか?」
「ハレを終わらしましょう」
「ハレ? ああこの戦争のことか」
そういうと女性はくつくつと笑い、盃を傾けた。わたしが見る限り、中に何も入っていないように見えた。彼女はきっと気付いていない。
「全く、なにがどうなっているのやら。あいつとはずっと戦争していてね。この神社も勝ち取った。領土も奪った。なのに、戦争が終わらない、戦いが終わらない。ハレがケになり、そしてハレが永遠に来ない」
「これは、夢だから。ただの夢」
わたしは、その女性のすぐ前に立った。
「夢? 何を馬鹿な。このあたしが夢を見ているだなんて」
「残滓だって。これはただの泡沫だってあの人が」
わたしは、右手の石を差し出した。
「それは……なるほど、人の子に、常世神か」
女性は、なんだか寂しそうに笑った。
「そうか、とっくに、人の世は変わっていたんだな。常世神ってのは、変化を象徴する神だ。それは永遠であり、また刹那なんだよ。幼虫から蛹になり蝶となる。そして卵になり、繰り返す」
「変化、刹那」
「あたしもあいつも、もうとっくにいなくなっているのか。通りで終わらない訳だ。もうとっくに終わっているんだあたし達は。ただあたしとあいつが人の夢に追いすがっただけだ」
「もう、終わらせましょう、女王様」
「ああ。そうだ、君、名前は」
わたしの名前。わたしの右手に女性が手を重ねた。もう、わたしは忘れない。
「わたしは、輝夜」
「輝夜……良い名だ」
女性の手が熱くなる。
「ありがとう、輝夜、さよなら」
手の中が熱で溢れる。あまりの熱さに手を離すと、手から無数のアゲハ蝶が現れ、わたしの周りをぐるぐると回り始めた。
ふわりと、身体が浮く感覚。浮いたわたしを見つめている女性は泣いていた。わたしが手を伸ばすと、彼女は、わたしを抱き寄せた。彼女の身体はやわらかく、お母さんみたいで、そして少し冷たかった。
わたしの意識が蝶と一緒にぐるぐる周り、そして暗転した。
XXX
「…夜!……輝夜!」
懐かしい声が聞こえる。
「輝夜!」
父の声だ。わたしはゆっくりと目を開けた。眩しい光と、セミの声が飛び込んでくる。
「お父さん?」
父はわたしの顔を覗き込むように見つめていた。
「大丈夫か!? 痛いところはないか!?」
「ん、大丈夫、あれ、わたし、なんでこんなところに」
わたしはお父さんに支えられ起き上がった。どうやらわたしは、あの山沿いのあぜ道に倒れていたようだ。
「全く、帽子も被らずに飛び出るからだ。輝夜が外出たあとすぐにお父さんが追いかけたんだ、帽子と水筒を持って。そしたら、道で倒れててびっくりしたぞ。ほら、水飲め」
父はそういって水筒を手渡してくれた。冷えた水が美味しい。その後、父はわたしをおぶってくれた。背中に揺られ、ぼんやりと父の話を聞いていた。
そうだ、わたしは、お婆ちゃんの家を飛び出して、その後山沿いを歩いて……
「あのね、神社があったの」
「神社? この辺りに神社なんてないぞ」
「あったよ! あっち行けばある!」
そう、確かにあった。うさぎ、そこで会った少年、男性、そして女王様。ああ! なんて大事な事忘れていたんだろうか!
「あ、こら!」
わたしは父の背中から飛び降りると、神社のあった方へと駆けた。
「輝夜! 待て!」
父の言葉を背中に受け、わたしは走った。川が右にカーブし、橋があった。でもそれは、なぜか鉄製の橋だった。わたしは違和感を感じながらその橋を過ぎた。そう、この先にあの鳥居が!
「おい、そっちは!」
父がわたしに追い付く、父の手がわたしの肩を掴む。
「うそ、なんで」
わたしは、思わず立ち止まった。嘘だ、そんなことあるわけない。
「輝夜。この山の裏に神社なんてない。ここは……」
わたしの目の前。確かにさっき来た時、そこには山があって、鳥居があった。なのに。
そこは、山が削られ、土が剥き出しになった、広い工事現場があるだけだった。雑草がそこかしこから生えており、放置されたショベルカーやダンプカーは朽ちており、草で覆われていた。
「ここは、父さんが幼い頃にゴルフ場にするって開発されたが、途中で計画が頓挫してずっとこの状態だ」
「うそ」
確かに、このあぜ道は獣道になり、そしてその先の左側に、鳥居があったはずだ。
しかし、そこにはもう何もなかった。
「多分、暑さで幻覚か、夢を見ていたんだろう。家で休んだ方が良い」
わたしは、気付けば泣いていた。両目からポロポロと溢れる涙を止められなかった。涙で滲む景色に、ふと極彩色の何かが通った気がした。それは蝶の形をしていて、わたしの前をすーっと通っていった。わたしは涙を拭った。
ふと、祭囃子が聞こえた気がした。
涙を拭き、再びわたしは目を開けた。しかし、そこはさきほどの光景と変わらず、蝶もいなかった。
「さあ帰ろう」
父の声が響く。
祭囃子は、もう聞こえない。
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