パンドラと壺 (オリジナルとはいろいろ違います)
「パンドラの箱」の箱はもともと壺あるいは甕だったそうです。
神話の時代、人々は苦しみを知らなかった。より正確に言えば感じることができなかったのだ。
飢えを感じないために食事を取らず、結果餓死することもあった。
病気になってもそれに気付かず、さらに悪化させることもあった。
疲れを感じず、過労死することもあった。
彼等はまた、恐怖を知らなかった。不用意に危険に近付き、命を落とすこともあった。
誰かが死んでも何かを感じることもなく、ただ淡々と日々を過ごしていた。
彼等の思考には靄がかかっているような状態だった。
ただの動く人形、というのが的を射た表現かもしれない。
「なぜ人間はすぐに死ぬのだ?なぜ誰かが死んでも何も思わない?危険なことや、生きていくために必要なことは思いつく限り教えたはずだ。にもかかわらず……なぜだ?」
1人の巨人が思い悩んでいた。
彼の名はプロメテウス。かつて巨人族と神々が戦っていたころ、最高神ゼウスの味方となって勝利に貢献した智者。そして水と泥から人間を作り出した存在でもある。
神々の代わりに地上を統治させるべく生み出した人間に彼は幾度となく知恵を授けてはいたのだが……。
食事が必要だと教えてもその必要性を理解できないがために疎かにする。
働きすぎずに適度に休むように言っても、どこまでが働きすぎなのか分からず、ろくに休息を取らない。
猛獣に遭遇しても危険だと思わず、―そもそも「危険」を知らないがために―逃げも戦いもしない。
このようにして数が減っていく一方だった。
「私が作ったものは完璧ではなかった。だからこんなことになってしまった。…ではどこが問題だ?それはもちろん心だ。人間の心にはなにかが足りない。だがそれはなんだ?」
プロメテウスは生まれながらにして優秀であった。
しかし彼が得意としていたのは戦術や道具の作り方、使い方といった技術的なこと。
心という内面的なことに関してはそれほどでもなかった。
「もっと道具や技術、知恵を与えよう。そうすれば問題はないはずだ。」
知識が心の成長を促す。間違いではないだろう。
しかし、根本的な解決方法とはならなかった。
道具は間違った使い方をすれば危険。技術もまた同じ。
それを理解することはまだこのときの人類にはできなかった。
そして誤った使い方で命を落とす者もいた。
悩みに悩んだ末、ある日プロメテウスは思い立った。
「今度は火を与えよう。」
当時、地上に火は存在していなかった。
木々をこすり合わせても火をおこすことはできなかった。
そのため、人々の食事は常に生の野菜、果物、肉ばかりであり、もちろん焼いた器なども存在しなかった。
火を生み出すためには一度神界から火を持ち出し、地上に「火」という概念を記憶させる必要があった。
本来なら、神々に相談し、許可を得るのが適切な流れであった。
しかし、プロメテウスは自らの計画が順調に進まないことに焦りを感じていたこともあり、勝手に火を持ち出してしまった。つまり盗んだのである。
ゼウス達神々は以前からプロメテウスを快く思っていなかった。
もちろん、当初はかつての巨人族との戦いで勝利に貢献し、その後も知恵を貸していた彼には友好的な態度でいた。
しかし、生き残りの巨人族である彼が裏切るのではないかという考えを完全に捨て去ることができなかった。
そのため、次第に人間ばかりに力を貸すようになったプロメテウスを見て、彼が人間を率いて戦争を起こすのではないかと警戒していた矢先に、天上の炎が盗まれたことが発覚した。
神々は大いに激怒した。
無論勝手に持ち出されたこともそうだが、いくらプロメテウスが優秀な頭脳の持ち主だとはいえ、こちらがあっさりと手玉に取られたという事実は許せるものではなかった。
ついにゼウス達はプロメテウスと人間に苦痛を与えることにした。
プロメテウスは捕らえられたのち岩山に鎖でつながれ、毎日大鷲に肝臓を食われた。
体が傷つくたびに癒されるため、死ぬことは許されなかった。
そして、人間はそもそも苦痛を感じることができないことに気づいた神々は一つの蓋つきの壺と一人の女性を作り出した。
彼女の名はパンドラ。あらゆる魅力を与えられた女だった。
プロメテウスが捕まる少し前、彼女は壺とともに、彼の弟エピメテウスのもとへと送られた。
「エピメテウスよ。おまえの兄は我々のためにとてもよく働いてくれておる。その感謝のしるしに褒美を送ろうとしたのだが、本人はいらぬといった。かといって何もしないわけにもいかぬ。そこで兄の代わりに弟であるお前が受け取ってはくれぬか。」
エピメテウスは兄と違い、利口ではなかった。さらにパンドラのこの世のものとは思えないあまりの美しさに心を奪われ、何も考えることができなかった。
そのため、神の言葉を決して疑おうとはしなかった。
神が神界へと戻ったのち、二人は早速壺の中身を確かめることにした。
神に尋ねても「開ければわかる。」としか言わなかった。
好奇心に駆られた二人は蓋を開けた。
その瞬間、毒々しい紫色の煙が壺からもうもうと勢いよく立ち込めた。
煙は瞬く間に地上を覆いつくし、やがて消得ていった。
煙を吸い込んだ人間はとたんに震えだした。今まで感じたことのない得体のしれない感情に支配された。
その感情の名は「恐怖」。
煙の正体は、吸い込んだ人間があらゆる苦痛を感じるよう、心を作り変えるものだった。
かくして人間は苦しみを覚えた。
しかし、結果としてこれが人間の成長を促すこととなる。
飢えを避けるために、腹を満たす。
病気になれば治そうとする。
疲れたならば休みを取る。
死を恐れ、生き延びる術を探す。
道具も間違った使い方をしてはいけないと学習し、正しく使うようになる。
危険が迫れば逃れようとする。あるいは立ち向かっていくようになる。
苦しみなどなければよい、感じないほうがよい。
そう思う人は多いだろう。
しかし、苦しみなくして人類はここまで発展してきただろうか。
苦しみを感じることができなければ、それから逃れ、立ち向かっていく努力をすることはない。
苦しみが存在していたからこそ、今があるのではないだろうか。