9.帰ってきてくれてありがとう(ルシア視点)
「とにかく、腹減った」
カイオは何故か私の祝福は最高だと言い張り、彼の武器を雑に祝福してしまったことを謝ろうとした私と言い争いになっていたけれど、私を言い負かすことを諦めたのか、彼はぼろぼろの上着を脱いで疲れたように椅子に座り込んでそう言った。
カイオは今までこんなにぼろぼろになるほど魔物と激しく戦っていて、やっと帰ってきたのだった。私がするべきことは祝福のことを謝るより、まずは食事の用意だ。
「えっと、ゆで卵ぐらいなら作れると思うの。焜炉に火をつけてほしい。水もいるわ」
作ったことはないけれど、食べたことはある。お鍋に水と卵を入れて火にかければいいはず。
立ち上がったカイオがランプを持って台所へ向う。私も後に続いた。
台所の壁に固定されている二つのランプにカイオが火をつけると、辺りは昼のように明るくなった。
「焜炉に火をつけるのは魔法だが、水はレバーを何回か押していると水が出てくる方式で、魔力がなくても使えるようになっている。ほら」
カイオが水道のレバーを五回ぐらい押し下げると水が出てきた。しばらくすると止まる。
「凄い! 私もやってみる」
神殿の水道は栓を回すと水が出る方式だけど、この家の水道は違ったので魔力がなければ水が出せないと思っていた。
私はキコキコとレバーを押す。
「見て、見て! 水が出たわ」
「水が出るようになっているのだから当然だろう。鍋はあれを使え」
カイオが小さめの鍋を指差した。私はその鍋に二個の卵と水を入れて焜炉の上に置いた。するとカイオが焜炉に火をつけてくれる。
「これでゆで卵ができるはず」
わくわくしながら眺めていると、卵の殻にひびが入った。そして、中身が漏れ出てきている。これは止めなきゃ。
「熱!」
「馬鹿! 湯に指を突っ込んでどうする!」
カイオが慌てて私の手を掴んで鍋から出した。
「全く、何でそんなことをするんだよ。俺は癒し系の魔法は苦手なのに。とにかく先に魔法で冷やしてから、回復魔法をかけるからな」
カイオが私の人差し指を睨んでいる。ずきずきと熱くなっていた指先がすっと冷たくなった。そして、痛みが一瞬で消える。
「もう痛くないか?」
「うん、大丈夫」
カイオは苦手だと言ったけれど、指は全く痛くない。やはりカイオは凄い人だった。
「あんたは座っていろ。邪魔されるといつまでも食えなさそうだ」
カイオは私を横抱きにして食事室につれていき、強制的に椅子に座らせる。
そして、パンを盛ったかごをテーブルに置いて、陶器のコップに牛乳を入れた。私の分もちゃんとある。
「おとなしく待ってろな」
台所に消えたカイオは二個のゆで卵とちぎった野菜を持ってきた。
「卵、割れちゃったわね。不格好なゆで玉子になっちゃった」
「食ったら一緒だ。気にするな。ほれ、食うだけのパンを皿に取れ。魔法で温めてやるから」
カイオが牛乳の入ったコップを二つ並べて手をかざすと、コップから湯気が上がってくる。一つのコップを私の前に置いた。
私は小さめのパンをひとつだけ皿に取ると、それもカイオが温めてくれた。
塩味の柔らかいパンはとても美味しかった。牛乳は温かくて幸せな気分になる。
殻が割れて少し不格好になった卵だって、素朴で美味しい。
カイオはかなりの量のパンを取って魔法で温めていた。そして、豪快に食べ始める。
こんな遅い時間になったけれど、カイオの帰りを待っていて本当に良かったと思った。
「明日からは家政婦を雇う。一人で火は使うな」
凄い勢いで食べていたカイオが一息ついたのか、突然そんなことを言い出した。
「駄目よ。私は居候させてもらう代わりに、貴方の食事を作ることに決めたから」
だって、役立たずのままじゃ嫌だもの。
「はぁ? ゆで卵もろくに作れないのにか? 無謀にも程があるだろう」
「見てなさいよ。そのうち、私の作った食事が美味しすぎて、『ずっとこのまま食事を作ってください』と貴方は泣いて頼むようになるのよ」
「それは百年後か? 俺はそんなに生きられないぞ」
「そんなにかからないわよ。すぐにそうなるから。楽しみにしてなさい」
私だって百年も生きられないからね。
「まぁ、その挑戦受けてやってもいいけど、とりあえず家政婦には来てもらって料理を教えてもらえ。でないと、俺たちは飢え死しそうだ」
「わかったわ。私が家政婦さんから料理の技を盗み終わるまでお願いする」
やはり一人で料理の腕を磨くのは無理があるような気がしてきたので、不本意だけど家事の師匠として家政婦さんに来てもらうことにする。
「これで、明日からはまともな物を食えるな」
カイオは安心したように笑うと、殻をむいたゆで卵を二口で食べてしまった。そして、温めた牛乳を飲み終わると、疲れが一気に出たのか、眠そうにまぶたを閉じる。
カイオは自分の前にある皿とコップを脇にどけて、テーブルの上に頭を置いた。
しばらくすると小さな寝息が聞こえてくる。
「ちょっと、カイオ? こんなところで寝てしまっても、私には運べないから。ちゃんとベッドで寝て」
少し揺すってみたけれど、カイオは全く反応しない。カイオはとっても疲れて帰ってきたうえに、私が火傷をして苦手な魔法まで使わせてしまったから、彼の体力や魔力が底をついてしまったのだろう。
本当は部屋まで運べるといいのだろうけれど、大柄なカイオを持ち上げるなんてとても無理だった。
魔力のない私は本当に役立たずだ。でも落ち込んでいる訳にはいかない。
私は二階の自室から二枚の毛布を持ち出した。そして一枚の毛布をカイオにかける。もうひとつの毛布は私が座っていた椅子の背にかけておく。
パンのかごにふきんをかけて、使った食器を台所に運んだ。
神殿でも使った食器は自分たちで洗っていたので、食器洗いぐらいは私にもできる。
コップと皿がそれぞれ二つだけなので、洗い物はすぐに済んだ。ゆで卵に使った鍋はカイオが洗ってくれたらしい。
食事室に戻っても、カイオはぐっすりと寝ていた。
「帰ってきてくれて本当にありがとう。それに、火傷を治してくれて嬉しかった」
私はカイオの手を握りながら心を込めて礼を言う。もちろん返事はない。
私は椅子に座って毛布をかぶった。そして、カイオのようにテーブルの上に置いた腕を枕にして眠ることにした。
明日からも頑張ろうと誓いながら、私は眠りに落ちていく。