19.王都へ(ルシア視点)
カイオは無事に帰ってきてくれるかな。
魔物が出てこなければいいけど。
カイオは無茶をするから、怪我をしているかもしれない。
長時間空を飛んでいてお腹が空いているに違いない。
夜の空は寒くてカイオは震えていないだろうか。
そんなことばかり考えていて、ベッドに入っても中々眠ることができなかった。今度は倒れたりしないようにしっかり寝ておかなければ、またカイオに心配をかけてしまうと思うけれど、夜の哨戒飛行をしているカイオのことばかりが気にかかる。
『絶対に無事に帰ってきて』そう祈りながら、寝返りを繰り返していた。
結局、眠りについたのは朝方近くだった。
目が覚めると既に日は高くなっていた。慌ててベッドから起き上がり、カイオが買ってくれた若草色のワンピースに着替える。そして、食事室でパンと牛乳の朝食を取った。一人で食べる食事は本当に味気ない。パンも牛乳も冷たいままだ。焜炉が使えるので温めることは出来るが、そんな気力も湧いてこない。
今日の昼食は昨夜のうちに家政婦のテレーザさんと一緒に作っておいたので、カイオが帰ってきたら魔法で温めてもらってすぐに食べられるようになっている。
あとはカイオを待つだけ。
お昼まであと二時間ほど。部屋にいても落ち着かないので、私は玄関でカイオを待つことにした。
昨夜遅くまで勤務してくれたテレーザさんは、今日は夕方に来て夕飯だけを作ってくれることになっているので、今はこの広い家には私だけしかいない。
一人でカイオを待っていると悪い想像ばかりしてしまう。
魔物が出たのではないだろうか。
カイオが怪我をしているのではないだろうか。
そんなことを考えてしまい、時間が殆ど進まない。
「そうだ。まだ四人の竜騎士の認識票を祝福していない。本部棟に行って、認識票の祝福に来たと言えば入れてもらえるかも」
カイオが帰ってくるのを何もしないで待っているのは辛すぎるので、私は本部棟へ行くことにした。一刻も早くカイオの無事を確認したい。
本部棟の受付に左手首に巻いた金の認識票を見せて、祝福に来たと伝えた。
しばらく待たされた後、カイオが走ってきた。少し離れて竜騎士団の団長が歩いてくる。
「ルシア、どうした!」
「カイオ! 服がぼろぼろになっているわ。また無茶をしたの?」
カイオが着ている上着が所々燃えて破れている。本当に酷い状態になっていた。
「子どもを助けるためだったから、仕方なかったんだよ」
私はカイオの左手に巻かれている認識票を手に持った。聖なる力がすんなりと入っていく。聖なる力を使ったということは、やはり魔物が現れたようだ。
「お願い。あまり無茶をしないで」
私は背の高いカイオを見上げて、真っ直ぐに彼の目を見つめた。カイオは少したじろいたようにのけ反る。
「わ、わかったよ。できるだけ無茶をしないように努力はする。それより、あんたは大丈夫なのか? 今、俺の認識票を祝福しただろう?」
「これぐらい平気よ。今日はね、昨日祝福できなかった四人の方の認識票を祝福をしようと思ってここに来たの」
「そんなことは駄目に決まっているだろう。昨日倒れたのを覚えていないのか!」
倒れたのは覚えているけれど、あれは寝不足のせいだから。
「でも、団長さんが祝福を頼むぐらいだから、私の祝福は有用なのでしょう? 貴方だって最高だって言ってくれたじゃない。少しでも魔物と戦う時の役に立つのならば、私は祝福したいの」
魔法も使えず何もできない私だけれど、この聖なる力が役立つならば惜しまず使いたい。それに、聖なる力を空にできればとても嬉しい。
「ルシア様が祝福してくださった認識票は、聖なる力で我々を守ってくれる本当に素晴らしい装備品だ。できるのならば、全竜騎士に装備させてやりたいと思っています。貴女に祝福をお願いできるのなら、本当にありがたい」
団長さんが私に頭を下げた。すると、カイオは苦虫を噛み潰してしまったような顔をする。
「しかし、ルシアに辛い思いをさせるのは、俺には納得できません」
「もちろん、神官に立ち会いしてもらって、ルシア様の体に負担をかけない範囲で、ゆっくりと祝福を行っていただくから」
私はちゃっちゃと祝福を終わらせて、カイオと早く家に帰りたいのですが、言い出せる雰囲気ではなかった。
私とカイオは会議室に案内される。
しばらく待っていると、昨日いなかった竜騎士の四人と神官がやってきた。
「ルシア、辛くなったらはっきり言わないと駄目だぞ。ちょっとでも辛そうだったら、俺が強制的に止めるからな」
私の真横に立っているカイオがはとても心配性になっていた。そう言えば昨夜のカイオもお母さんみたいに心配していたっけ。
「大丈夫よ。これぐらい簡単だから」
私は四人の竜騎士の認識票を次々に祝福していく。
「ルシア様、無理しすぎです!」
神官が悲鳴を上げているけれど、そんなのは無視する。私は早く帰って、お腹が空いているだろうカイオにお昼を食べてもらいたいのだから。
「本当に大丈夫なのか?」
カイオが心配そうに私の顔を見てきた。
「平気よ。それより、昼食ができているのよ。早く帰りましょう」
「そう言えばもう昼だな。俺たちの勤務は終了だ。明日は完全休養日だから、カイオもゆっくり休め」
団長さんがそう言ってくれた。本当に良い上司らしい。
「それではお先に失礼します」
カイオは団長にそう挨拶をしてから、私を連れて家に帰ることになった。
「体は辛くないか? 目まいや頭痛はしないか?」
帰り道でカイオはそんなことを聞いてくる。私は元気であることを誇示するために、くるっと一回転してみせた。
「ほら、体は何ともないわ」
もう一回転しようと思ったが、石に躓いてしまった。転んでしまうと目をつぶっても地面にぶつかる衝撃がこない。そろっと目を開けると、私は腰をカイオに抱えられていた。そのまま荷物のようにカイオの小脇に抱えられて運ばれる。
「ちょっと、こんな格好は恥ずかしいわ」
「あんたが気づいていないだけで、祝福は体に負担をかけるのに違いない。ちょっと回転しただけで倒れてしまいそうになるじゃないか。とにかくこのまま俺が運ぶ」
私は荷物ではないと主張したい。
「だから、ただ躓いただけよ。ところで、今日のお昼は、お肉がいっぱい入ったクリームシチューなの。でも、降ろしてくれないのなら、お肉は全部私の皿に入れてしまうから」
あれだけの肉を私一人で食べるのは絶対に無理だけどね。
でも、カイオは本気にしたのか立ち止まった。そして、渋々私を降ろす。カイオは肉の魅力に負けてしまったらしい。
「ところで、明日は王都へ連れて行ってくれるという約束は覚えている?」
覚えていないと言われたらどうしよう。
「当然だ。完全休養日に竜を飛ばせる時間は決まっているから、王都に滞在できる時間は四時間ほどしかないが」
「十分です」
本当に楽しみ過ぎて、今夜も眠ることができなかったらどうしよう。
そんな心配をしたけれど、カイオが一階にいると思うだけで安心できて、その夜はぐっすりと眠ることができた。
翌日はとても良い天気に恵まれた。私の日頃の行いが良いお陰だと思う。
「本当に花時計が見えるわ。きれい」
ライムンドの背中につけた鞍に座りながら地上を見れば、確かに十二色に塗り分けられた時計が確認できた。太い針なので時間もわかる。
ライムンドが基地の公園の上をゆっくりと旋回すると、噴水の周りを人が散歩しているのが見えた。
「見て、人があんなに小さいの。あっちには白い鳥が飛んでいるわ。ライムンドの方が高いところを飛んでいるのね。鳥を見下ろすなんてとても気持ちいいわ」
「あまりはしゃぐと、落っこちるぞ」
立って乗っているカイオの方が危ないと思うけれど、身体強化ができるから落ちても平気なんだろうな。
「大丈夫よ。だって、カイオは絶対に私を助けてくれるもの。それに、ライムンドだって私を拾ってくれるでしょう?」
ライムンドの黒光りする首筋に触れると、ライムンドは嬉しそうに頷いた。
「ライムンド、いつの間にルシアに懐柔されたんだ?」
ライムンドは首をすくめて、小さく鳴いた。
「人がいっぱいいるわ。馬車もたくさん動いている。見たこともない賑やかさだわ」
たった三百人ほどしかいない小さな村から、やはり三百人ほどが住まう神殿に入った私は、こんなに多くの人を見たことはなかった。
「王都は初めてか?」
「馬車で通り過ぎたことはあったけれど、こんなに大きいとは思わなかったの」
「王都には十万人ぐらい住んでいるらしいぞ」
想像もつかない数字だ。想像以上に大きい王都の中央に森のようなところがあった。
「あれが中央公園で、あの中心にある広場が竜の発着場だ」
「中央公園も思った以上に大きいのね。森かと思ったわ」
基地の公園だって、ずいぶん広いと思っていたけれど規模が桁違いだ。
ライムンドは舞うように旋回しながらゆっくりと公園の中心地へ向かう。そして、見事に着地した。
「ねえ、あれは何?」
広い公園を抜けると、人の多い大通りに出た。向こうに小さな神殿のような建物が見える。
「劇場だな。今日は買い物をしなければならないので、今度の休養日にでも観に来るか?」
「えっ、次も連れてきてくれるの? 本当にいいの? 信じられない」
劇場なんて、何をするところかすらわからない。でも、行ってみたい。
「王都郊外の湖や山にだって連れて行ってやれるぞ。昼を持って行けばゆっくりできるしな」
「生まれ故郷の村の近くにも綺麗な湖があったのよ。王都の湖も見てみたいわ」
「湖には連れて行ってやるけど、そんなに期待するなよ。それほど綺麗でもないから」
カイオはそう言うけれど、もちろん全力で期待します。
カイオは私の服や食器を買ってくれた。髪飾りとストールも選んでくれる。
私は本屋で三冊の本を買った。
王都は本当に素敵で楽しいところだ。でも、時折聞こえてくる。
『あれは竜騎士のカイオ様よ。とても素敵よね』
『私も憧れているの。彼の姿絵を買ったわ』
『彼の竜も格好いいわよね。私は竜に乗っている絵を買ったのよ』
『あの女は誰かしら?』
『お姉様ではないの? かなり年上みたいよ』
若い女性たちのそんな声が。
カイオにも聞こえているはずだけど、慣れているのか完全に無視して買い物をしている。