Step08.決意する
あの何気無いその場のノリで言った告白の後、北村は微妙に挙動不審だった。
じっと遥を見つめていたくせに、目が合うと勢い良く顔を反らす。反らすのだが、気が付くと再び遥を見つめていたりした。
北村が何をしたいのか、遥には正直サッパリ解らない。
何だか妙にソワソワしていると言うか、落ち着きない北村の様子は、弁当を食べ終えて教室に戻るまでもずっと続いた。
彼は教室に戻ると、遥に「また後でな」と言ってさっさと自分の席に座り何かを考え込み始める。
また後で、って事は今日も一緒に帰れるんだろうか、と期待しながら遥も自分の席に座った。
五限目の授業は確か、英語だった様な気がする。鞄の中をガサガサと漁って、教科書を探す。
と、皆川が凝視している事に気付いた。
「何、怖い!」
「怖いって事はねぇだろ!」
いや、実際、少し怖かった。
刺す様な視線も怖かったが、皆川がひたすら無表情なのも怖い。
遥は取り出した教科書で、皆川の視線をガードする。
「あっ!ちょっ、おまっ、何で隠れんだよ!」
「うん、YOUがガン見してくるからかな!」
「はぁ!?良いだろ、別に見るくらい!」
そう言うと、皆川はガードしている教科書を掴み、下ろしにかかってきた。
別に見られるだけなら害はないのだが、あそこまでじっと見つめられると、皆川相手でもさすがに照れる。
ついでに言えば、ああ言う風に食って掛かった様に言われると、妙に反抗したくなる。と言う訳で、遥は教科書を下ろされない様、力の限り抵抗した。
「嫌ぁ!お止めになってぇ!」
「なっ!?ちょっとエロい声出してんじゃねぇよ!」
「えっ、マジ!?エロい!?」
「喜んでんじゃねぇー!!」
グググ、と教科書が徐々に下がってくる。
上げるより下げる方が力を入れやすい上に、特に鍛えている訳でもない女である遥が、男の皆川に力で勝てる訳がない。
仕方ないので、言葉で反抗する事にする。
「皆川に視線で犯されるー!」
「黙れ!声がデカいんだよアホ!」
「あだっ!?」
教科書を放した皆川が、代わりにと言わんばかりにチョップをかましてきた。本気ではないのだろうが、地味に痛い。
遥は手に持ったままの教科書で頭を押さえた。
「皆川がいじめるー!」
「はっ!?別にいじめてねぇだろうが!」
冗談で言っただけなのだが、皆川は割と本気で慌てている。どちらかと言えば、皆川が言葉でいじめられている、と言うかいじられている様な気がしなくもない。
冗談を真に受けている皆川に、遥は思わずブハッと吹き出した。
「え、何慌ててんの?冗談だっつーの」
「は?バッ、ビビっただろうが!」
遥の言葉に、皆川の頬がカッ、と赤くなる。一応、真に受けてしまった自分を恥じている様だ。
遥はプルプルと笑いを堪えつつ口を開く。
「いや、普通冗談だって分かるでしょ」
「うっせ!俺はピュアなんだよ!」
皆川の言い訳に、遥は一瞬フリーズした。我に返った瞬間、再びブハッと盛大に吹き出す。
「皆川がピュア!?ひゃはははは!ないわ!」
「お前マジ失礼だな!」
ゲラゲラと大笑いする遥を、皆川は苛立たしげに睨み付けた。
自分で言って恥ずかしかったのか、それとも怒りからか、皆川の頬は未だに赤い。
「そうかそうか、ピュアですかアハハハハハ!!」
「くっそ、コイツ殴りてぇ…!」
遥は笑い過ぎて、微妙にお腹が痛くなってきた。
皆川はそんな遥をひたすら睨み、机の上で拳を握ってぷるぷると震えている。
笑い過ぎて出てきた涙を拭いながら、遥は希美と香織の言っていた「皆川は不憫」と言う話を思い出した。
物凄く、本人に直接、どうして不憫なのか聞きたくなる。しかし、それは希美に絶対聞くなと止められている。
おそらく、希美は意地悪するためにそう言った訳ではないだろう。……多分。
何か、理由がある筈だ。皆川本人に、直接聞く事が駄目な理由。それが何なのかは知らないし、判りもしないが、希美の言う事には従っておくのが吉だ。
大体、希美の言い付けは、守らないと後が怖い。と言うか、恐ろしい。
「……くそっ、隠されると気になる!聞きたいんだよー!!」
「は?いきなり何だよ」
突然笑うのをやめ、頭を抱えて叫び出した遥を、皆川は不思議そうな顔で見てきた。
遥は恨みがましい思いで皆川を軽く睨み付ける。別に皆川は何も悪くない訳だが。
「皆川なんてコノヤロー!」
「はぁ!?意味解んねぇよ!」
突然の罵倒に、皆川は困惑顔だ。
知りたいけれど聞けないと言う状況に、遥は教科書に顔を伏せてもだもだする。
「うーあー…これが欲求不満と言うヤツですね…!」
「……何かもう、聞き流して俺の聞きたい事聞いていいか?……て言うか、いい加減、聞く」
対処に困った皆川は、流す事にした様だ。
ため息を吐くと、皆川は何故か微妙に姿勢を正した。いきなり妙にかしこまった雰囲気になる皆川に、遥は眉を寄せる。
「良いけど、何、急に」
「いや、その、さ……」
聞きたい事があるとキッパリ言った割には、ハッキリしない態度だ。皆川の視線が、遥とどこかの間をさ迷っている。
何を聞きたいのかは判らないが、聞く勇気がなかなか出ないのかも知れない。
「早くしないと、五限目始まるよ」
発破をかけるために、教室に備え付けてある時計を指差してみる。
皆川はバッ、と勢い良く時計の方を向き、若干焦った様な顔をした。効果はあった様だ。
皆川は遥の方に向き直ると、深呼吸してから意を決した様に口を開いた。
「……お前、北村と付き合ってんの?」
「それか!」
一体何を聞かれるのだろうと、内心身構えつつ微妙にドキドキしていた遥は一気に脱力する。
何だか躊躇っていたから、もっと凄い事を聞かれるのかと思っていたのだが。
皆川は何故かガッチガチに固まって、遥の応答を待っている。
フッ、と遥は遠い目をしながら笑った。
「付き合ってたら、どんなに楽園気分か……」
「付き合ってねぇの!?」
遥の言葉に、皆川のテンションが跳ね上がる。顔がパァッと輝き、あからさまに喜んでいた。
遥は若干イラッとする。
「嬉しそうだなコノヤロウ」
「いや、んな事ねぇよ!?」
嘘だ。声が明るい。絶対に、喜んでいる。微妙に、舌打ちしたい気分になった。
「言っとくけど、フラれてはないから!」
見栄を張って、そんな事を言ってみる。
フラれてはない、筈だ。信じてもらえなかっただけで。いや、信じてもらえなかったら、フラれた事になるのだろうか。
意地になって言ったは良いが、自分で不安になってきた。
チラリと皆川を見ると、奴は何故か目を見開いて固まっていた。失礼な。フラれていない事が、そんなに意外なのだろうか。
遥が頬を膨らませると、ちょうど同じ位のタイミングで本鈴が鳴り響いた。そして、教師が「じゃあ、授業始めまーす」と言いながら教室に入ってくる。
ちなみに予鈴がない訳ではなく、遥が教室に戻る前に既に鳴っていた。予鈴は、授業開始の五分前に鳴る。
学級委員が、「起立」と号令をかけた。クラスメイトたちが、ガタガタと音を立てながら立ち上がる。
遥も立ち上がり、隣を見ると皆川は未だに目を見開いてボーッとしていた。どんだけ驚いてんだ、失礼過ぎるだろコイツと心の中で突っ込む。
「皆川!」
小さな声で呼び掛けると、皆川はハッと我に返り慌てて立ち上がった。
ガタガタッ、と大きく音が立ち、遅れて鳴った椅子の音に、クラス中の視線が皆川に集まる。
「あ、えー…と、すいません」
皆川は恥ずかしそうに小さく頭を下げた。クスクスと、教室内に僅かな笑いが起こる。
先生すらもが微妙に笑いながら、「はい、じゃあ始めます」と言った。
生徒たちは「お願いします」と挨拶をし、礼をしてから学級委員の「着席」と言う号令で席に座る。
座ってすぐに、恥じる様に頭を抱えた皆川に遥は「ざまぁ」と小声で言って笑ってやった。
皆川は羞恥に頬を染めながら、無言で遥を睨んでくる。クスクスと忍び笑いをしながら前を向くと、何故か眉間に皺を寄せた北村と目が合った。
珍しい。これはつまり、北村が授業中なのに後ろを向いていると言う事だ。いつも、真面目に授業を聞いているのに。
不思議に思いつつも、物凄く嬉しかった。まぁ、北村は何故か仏頂面だが、嬉しいものは嬉しい。
調子に乗って、小さく手なんて振ってみる。北村は仏頂面のままだったが、それでも小さく手を振り返してくれた。
思わず、机の影でガッツポーズをする。歓喜の雄叫びは、何とか飲み込んだ。
北村は、その後何秒か遥を見て、何故かチラリと皆川に視線を向けてから前を向く。どうして今、北村は皆川を見たのだろう。皆川が何かしていたのだろうか。
首を傾げて、確認するように皆川に視線を向けると、今度は皆川と目が合う。こちらも何故か、眉間に皺を寄せて遥を見つめていた。
何なんだ。何故二人とも仏頂面でこちらを見るんだ。遥には訳が分からない。
皆川の視線は最早気にしない事にして、遥は前に向き直った。
北村と皆川の扱いに差があるのは、北村に対しては愛情があり目がなく、皆川に対しては友愛があり気遣いや遠慮がないからだ。
遥にしてみれば、皆川は良い男友達なのである。親しげに接してくれるので、あまり気遣う事もなく、軽口を言う事も出来た。皆川がどう思っているかは知らないが、少なくとも遥はそう思っている。
しかし、思えば最近、皆川の遥に対する態度がおかしい気がした。友達やクラスメイトなんかと話している時は普通なのだが、遥と話している時は、何と言うか、すぐに言葉を詰まらせる。言いかけて止めたりする事が多かった。
何か聞きたい事があるのだろうが、遥に話しかけた後、視線を下にさ迷わせて、結局、「やっぱ、いい」とか何とか。
聞きたい事があるならハッキリ聞けよと若干イラつくと同時に、微妙に距離を取られている様で少し寂しかった。
その代わりなのか何なのか、皆川に見つめられている事が多くなった様な気もする。ふとした瞬間に皆川の方へ視線を向けると、絶対に、目が合うのだ。
しかも、目が合った後、数秒こちらをそのまま見つめてきたかと思ったら、いきなり勢い良く目を反らされる。本当に、訳が分からない。
こんな事になったのは、一体いつからだっただろうか。
遥はノートをとるために取り出したシャーペンを、指でクルクルと回す。
おそらく、そんなに前ではない。割と最近の筈だ。そう、多分、あの日からだ。
──遥が、北村に告白した日。
あの日の放課後には、既に様子がおかしかった。
昼休みあたりに、何かあったとかだろうか。正直、心当たりがない。
遥はシャーペン回すのを一旦止めると、板書をノートに写した。
再び皆川の態度について考えようとしたが、これ以上考えても仕方ないと思い直す。皆川の事は、取り敢えず今は思考の隅に追いやっておく事にした。
そして、いつも通り北村の背中へと視線をロック・オンする。本日も、北村は姿勢が良かった。彼の背筋は、いつでもピンと伸びている。
ノートをとろうと、下を向いた時にチラリと見えるうなじが最高だ。たまらん。しかし、北村がノートをとっていると言う事は、板書が増えたと言う事だ。
黒板に視線を向けると、案の定、板書が増えていた。
遥はチィッ、と舌打ちをしたい気分になる。「くそっ、もう少し北村君のうなじを眺めていたかったのに!」と言った気分だ。
ガリガリガリ、と猛スピードで板書をノートに写す。
全力で写し終えた後北村に視線を向けると、彼は既に顔を上げていた。ノートはとり終わっていたのだ。
「くそぉぉぉ!!」と遥は心の中で叫ぶ。尋常ではない程に悔しい。
別に、北村のうなじは授業中ならば割と頻繁に見る事が出来るのだが、頑張って速くノートをとったのに見られなかった、と言う事が悔しかった。仕方ないから背中で妥協してやるよ、と遥はため息を吐く。誰に対して妥協しているのかは、不明だ。
背中を見つめつつ、そう言えば今日は北村も何か変だったなぁ、と思う。結局、妬いてくれているのかどうかも、良く分からなかった。
遥はクルリとシャーペンを回す。
妬いてくれていたら良いのにと、本気で思った。
告白に照れてくれるだけじゃ、物足りない。自分を、好きになって欲しい。まぁ、まずは告白を完全に信じてもらう事が先な訳だが。
今更だが、最初の自分の告白の仕方も悪かった様な気がする。気がすると言うか、あれは完全に駄目だ。さすがに軽すぎた。
しかし、真面目に言っても信じてもらえなかったんじゃないかと思う自分もいる。
何せ、北村は遥の「好き」と言う感情を、どう信じていいのか判らないと言っていた。それはつまり、遥の言い方の問題ではなく、北村の問題と言う事だ。いや、別に、信じてもらえない原因を、全て北村に押し付ける訳ではないのだが。遥の伝え方が悪かった事も、変え様のない事実なのだ。
もう一度、真剣に、告白してみようか。
既に昼休みに一回「好き」と言ったが、アレは何気無しにポロッと言っただけだ。告白するつもりがあった訳ではない。
そうだ。そうしよう。
遥はもう一度、北村に告白をし直す決心をした。
休み時間など、短い時間に急いで言うのではなく、放課後にたっぷり時間をとって伝えるのだ。
これは、自己満足に過ぎないかもしれない。しかし、今一度、真剣に彼へと気持ちを伝えたいと思った。
遥は自分に気合いを入れる様に、シャーペンを握る手に力を入れる。
さすがに、一度真面目に告白し直した位で、北村が自分の気持ちを信じてくれる様になるとは思わない。
ただ、どれだけ真剣なのかが、少しでも伝われば良い、と思った。