Step05.胃袋をつかむ
──キーンコーンカーンコーン、と授業の終わりを知らせる鐘が鳴り響く。それを聞いた教師が、「はい、じゃあ今日はここまでー」と手に持っている教科書を閉じた。
「板書を写し終えた人から各自終わって下さい」
教師はそう言うと、教卓の上に散乱していた自分の資料やプリントをかき集め、教室を立ち去る。
板書を写し終えた人たちが、「お昼だー!」だの「お腹空いたー」だのと言いながら各々好きに動き始めた。遥もガリガリと板書をノートに写し終えると、弁当が二つと水筒の入ったバックを持って立ち上がる。
チラリと北村を見ると、彼は既に教室を出ていく所だった。それを追いかける訳ではなく、遥はいつも一緒に昼食を摂っている友達グループの所へ行く。
「ね、私、今日は他の場所で食べるから。ゴメン!」
両手を合わせて謝ると、グループの内の一人がケラケラと笑った。
「あー、いいよー、行ってこい!」
「何々、彼氏?」
もう一人が、いかにも興味津々と言った様子で身を乗り出してくる。
それに対して、遥は「フッ」と笑って見せた。
「そうだったら、どんなに良いか……」
「違うのかよ!」
二人は何の遠慮もなく、ゲラゲラと大笑いする。
まぁこの遠慮の無さが好きで一緒にいるのだが、今回ばかりはムッとする。遥はぷく、と頬を膨らませた。
「二人だって彼氏いないくせにさー!」
「ギャー!痛い所を突いて来やがるコイツ!」
「お前なんぞ、さっさと行ってしまえ!」
シッシッ、と獣でも追い払うかの様に手を振られ、遥はべー、と舌を出す。やがて誰からともなく笑いだし、遥も笑いながらその場を後にした。
こんな、気のおけないやり取りが、北村とも出来る様になれば良いと思う。まぁ、彼の性格的に、それは難しそうだが。
約束した場所へと、競歩並の速さで歩いて行く。歩いているのだから、先生たちに咎められる事もないはずだ。
階段を二段飛ばしで上がって行くと、屋上への入り口前に、水筒を持った北村が立っていた。
「北村君!お待たせ!」
「……あぁ、来たか」
「ヤバい何このやり取り恋人っぽい」
遥のテンションがうなぎ登りに上がる。北村の横に並ぶと、頬の筋肉は緩む一方だった。
デレデレしている遥に、北村は困った様に眉を寄せる。
「……恋人、ではないだろう」
「じゃあ、恋人 (予定)と言う事で」
遥は笑顔を全開にしたまま、階段の一番上の段に座った。
ここ座れと促す様に隣の床をポンポンと叩けば、北村は素直にそこに座る。
屋上に出ないのは、この学校は屋上が開放されておらず、立ち入り禁止になっているからだ。扉には鍵が掛かっており、ドアノブには「立入厳禁」と書かれた札がぶら下がっている。そのため、この階段には滅多に人が来なかった。一応、それが理由で遥はこの場所を選んでいたりする。
「では、これが本日の北村君のお弁当となります」
ははぁー、とまるで殿様に献上でもするかの様に、大袈裟にお辞儀しながらバックから取り出した弁当を北村に差し出した。
「あ、あぁ。ありがとう」
北村は若干戸惑った様な声を出しながら、差し出されたそれを受け取る。
しゅる、と弁当箱に巻かれたバンダナをほどく音に、遥はガバッと顔を上げた。北村が弁当箱の蓋を開けるのを、ドキドキしながら見守る。思わず、ゴクリと唾を飲み込んだ。
弁当箱を開けた北村が、無言で目を見開く。いや、どういう反応だ、それ。
「ど、どうですか…?」
緊張に喉を震わせながら、遥は恐る恐る尋ねた。
北村は弁当を食い入る様に見つめながら口を開く。
「……お前、ちゃんと料理が出来たんだな」
「おぉぉいちょっと待て開口一番に失礼だなコノヤロー!!」
緊張が何処かへ吹き飛んだ。全くもって嬉しくない。
「褒めてんだか貶してんだか微妙なんですけどソレ!?」
「安心しろ、貶してはいない。褒めてもいないが」
「どゆこと!?」
安心出来る要素はどこにも無い気がするのだが。
平然とした顔をしている北村に、遥はムッとしかめっ面をした。
「敢えて言うなら、感心している」
「それは喜んでいいのか……」
ひたすら弁当を眺めている北村に、何とも言えない思いをしながら割り箸を手渡す。北村は受け取った割り箸を見つめ、苦い顔をした。
「しまった、箸は持って来るべきだったな……」
「資源がもったいない、って?」
「あぁ」
「エコだねぇ……」
染々と呟きながら、遥は感慨深げにうんうんと頷く。
その資源に対する優しさを、もう少しこちらに向けてはくれないものかと少し思った。いや、完全に資源として接してもらっても困るのだが。
「食べていいのか?」
「うん。遠慮なくどうぞ」
若干ウズウズしている様に見える北村に、遥は笑顔で答える。自分の作った弁当を、北村が楽しみにしてくれていたのかと思うと、嬉しくて堪らなかった。
北村はパキン、と割り箸を割ると、行儀良く両手を合わせる。
「では、頂きます」
「はい、どうぞ」
頭まで下げている北村に、遥は思わず「ふふ」と小さく笑みを溢した。
さて自分も食べようと、バックの中から北村に渡した物より一回り小さい弁当を取り出す。
巻かれているバンダナをほどきながらチラリと横を見ると、北村が何かを咀嚼している姿が目に入った。
思わず手を止め、その姿をじっと見つめる。北村が何を食べているのか気になった。ついでに、美味しいか、彼の好みに合っているかどうかも。
遥が見ている事に気付いた北村の手が止まる。
彼はムッとした顔で、若干顔を赤くさせながら遥を睨んだ。
「……何だ」
「え?あ、いや、えーっと、その……お、美味しい……?」
恐る恐る聞きながら、遥の中に再び緊張が走る。それだけを聞く事に、かなりの勇気を要した。
ドクンドクンと、大きく脈打つ心臓のあたりを手で押さえ、ゴクリと唾を飲み込み返事を待つ。
北村は視線を弁当に戻すと、玉子焼きを箸で掴んだ。
「コレは、美味かった」
「ッしゃあぁぁぁ!!やった!!鶏さん、やったよぉぉぉ!!」
反射的に叫び、遥は勢い良く両手を振り上げる。人気のない階段に、実にうるさい遥の雄叫びが響いた。
北村の眉間に皺が寄る。
「落ち着け」
「落ち着きなんてものとはとうの昔にサヨナラしました!北村君も玉子焼きはしょっぱい派ですか!?」
鼻息も荒く、遥は北村に詰め寄った。玉子焼きを持ち上げたまま、北村は逃げる様に身を引く。
「まぁ、そうだな。甘いのは、おかずじゃない気がする」
「ああーっ!私も同意見でございマスー!!」
遥は奇声を発しながら、握った拳をブンブン振った。味付けにめんつゆを使った今朝の自分を、全力で褒めてやりたい。しょっぱい玉子焼きを好む、己の味覚中枢に本気で感謝した。
「だから、落ち着け」
呆れた様な顔をしながら、北村は持ち上げていた玉子焼きを口に含む。
遥は頬の筋肉をふにゃふにゃと緩ませたまま、北村に向かって敬礼した。
「オス!あと五分喜んだら落ち着きます!」
「…………、長い」
口の中の玉子焼きを、しっかり噛んで飲み込んでから北村は突っ込みを入れる。何とお行儀の良い、と遥は感心した。そこも素敵だ。
自分の父親なんかがよくやるのだが、食べながら喋ると、口の中の噛んでいる途中の食べ物が見えて、何とも気持ち悪い。
「お前も、早く食べろ」
「はーい!」
北村の言葉に上機嫌で返事を返し、遥はほどきかけだったバンダナを開いた。弁当箱の蓋を開ければ、北村に渡したものと同じ中身が詰まっている。まぁ、二つとも自分が作ったのだから、当然と言えば当然なのだが。
バックの中からマイ箸を取り出し、北村に倣って手を合わせ「頂きます」と頭を下げた。
白米を口にして、北村に視線を向ける。彼はもぐもぐと何かを咀嚼していた。
「今日のお弁当は、割とポピュラーなラインナップにしてみました。何か嫌いな物入ってた?」
「……、いや、ない」
口の中の物を飲み下すと、北村はふるふると首を横に振る。会話のテンポが微妙に悪いが、食事中なので仕方ない。
取り敢えず、北村の嫌いな物は入っていなかった様なので、遥はホッと胸を撫で下ろす。
「て言うか、北村君の嫌いな食べ物って何?」
聞いてから、唐揚げを口の中に放り込んだ。
北村は箸を止めると、顎に手を当てて考え込み始める。
「嫌いな、食べ物……?」
むぐもぐと、唐揚げを咀嚼しながら北村の答えを待つ。
北村は、何かに思いを巡らせる様に目を閉じた。その姿に、遥は思わず唐揚げを吹き出しかける。ヤバい、何それ超イケメン。慌てて唐揚げを飲み込んだ。
「そうだな……落雁は、苦手だ」
「らくがん?」
あまり聞き覚えの無い名称に、遥は首を傾げる。北村は「あぁ」と頷き、白米に箸を伸ばした。
「花の形を模したりした、砂糖菓子だ。お盆なんかに、よく家にある」
「あぁ、アレか。食べた事あるな」
遥の頭の中に、菊の花を模した落雁のイメージが浮かぶ。
「あの、甘くてパサパサしたヤツでしょ?」
既に口の中に何か──おそらく白米──を含んでいた北村は、口をモゴモゴと動かしながら頷いた。
「……、アレは、口の中の水分が奪われていく感じが好きになれん」
口の中の物を飲み下し、北村は眉を寄せながら文句を言う。
次のおかずを口に運びながら、遥は分かる分かると頷いた。口の中を空にしてから、ビシッと箸で北村を指す。
「しかも、飲み物と一緒に食べると不味い!」
「あぁ、それもあるな」
北村は同意を示す様に頷くと、再び白米を食べた。
遥も白米を食べ、ゴクリと飲み込むと再度口を開く。
「ヤバい喉渇いた!と思ってお茶を飲んだ時の、あの口の中にまとわりつく感じが……」
「やめろ、想像したら気持ち悪くなってきた」
う、と呻き声をあげながら、北村は口元を押さえた。
「……うん、ごめん、私もちょっと気持ち悪くなってきた」
嫌な感じに水分と混ざり合った落雁の味を思い出し、それを洗い流すようにバックから水筒を取り出しお茶を飲む。
ぷは、と息を吐き、気分を変えるために話題を変える事にした。
「よし、じゃあ、北村君の好きな食べ物は?」
今思えば、最初からこの質問をすれば良かった。是非とも今後の参考にしたいものだ。
しかし、いきなり好きな食べ物を聞かれても、咄嗟には答えられないような気もする。
人は、プラスな点よりマイナスな点の方が見つけやすいのが大多数だ。「好きな物」のイメージが曖昧でも、「嫌いな物」のイメージはハッキリしている場合が多い。なのでまぁ、妥当な質問順序だと思っておく事にした。
北村が答えた食べ物は、次に弁当を作る機会があったら入れようと密かに企む。
「そうだな……俺は、うどんが好きだ」
「ハイ無理ッ!!」
遥の脳内計画が、ガラガラと音を点てて崩れ落ちた。うどんを弁当で作るだなんて、そんな高スキルを遥は持っていない。
まさか主食がくるとは思っていなかった。ハハハハ、とやけくそ気味に笑いながら、遥はドスッとおかずに箸を突き刺す。
遥の目論見など知る由もない北村は、そんな遥にただ不思議そうに首を傾げた。
「無理?何がだ?」
「私の北村君への愛を持ってしても!!それはちょっと!!ハードルが高い!!潜れるくらいには高い!!」
「噛み合っているのか、この会話は」
「うん、うどんなんてコンチクショウ!」
「最早噛み合わせる気がないなお前?」
眉間に皺を寄せたしかめっ面で遥を見ながら、北村はまた次のおかずを食べる。よく見ると、彼の持っている弁当箱の中身は、ほとんど残っていなかった。
対して、遥の持っている弁当箱の中身は、まだ半分ほど残っている。
遥が話している最中も、彼は割ともくもくと箸を進めていたので、そのせいかも知れない。
「え、速いね。もうそんな食べたの?」
「ん?……あぁ、まあな」
彼はそう言うと、最後の唐揚げを口に入れた。最早、彼の弁当箱の中に残っているのは、白米が一口分と、彩りで入れたミニトマトだけだ。
置いていかれる、と何故か反射的に思った。謎の危機感を覚えた遥は、慌てて食べるスピードを上げる。
「美味いから、自然と箸が進んだ」
「!」
不意討ちで来た嬉しい言葉に、遥は危うく噎せそうになった。無理矢理堪えたせいで苦しくなり、ドンドンと胸を叩く。
口の中の物を全て飲み込み、苦しさが消えた所でホッと息を吐いた。
「おい、どうした?大丈夫か?」
「大丈夫だ、問題ない」
心配そうに顔を覗き込んできた北村に、ビッと親指を立てる。
心配してくれた事が嬉しいとか思ってしまうのは、少し不謹慎だろうか。
「そうか」
北村が、安心した様にホッと息を吐く。
それが可愛いやら嬉しいやらで、遥の口から「ぼふぇあ」と意味不明な声が出た。
北村が不思議そうに眉を寄せる。
「……お前、また何か妙な声を出さなかったか?」
「うん、私の鳴き声だから気にしないで!」
遥は笑顔で誤魔化した。気にしないでいられるのは、スルースキルの高い猛者達だけだと思われる。
北村は相変わらず不思議そうにしながらも、やはりそれ以上は突っ込んで来なかった。いつも通り、変な所で素直だ。そこがまた好きな訳だが。
最後の白米を食べる北村を眺めながら、遥はキュンキュンと胸を高鳴らせつつおかずを食べた。
「……一つ、聞きたい事があるのだが」
「ん?」
ミニトマトに箸を伸ばしながら、何故か遠慮がちに口を開いた北村に、遥は口をモゴモゴさせながら首を傾げる。
ミニトマト、食べたくないのだろうか。しかし、彼は最初に、嫌いな物は入っていないと言っていた様な。実は、苦手とかではなく、アレルギーだったりするのだろうか。トマトアレルギーとは、珍しい。
遥がそんな想像をしていると、北村は普通にミニトマトを食べた。どうやら、予想は外れたらしい。
ミニトマトを食べ終わると、北村は箸を横に持ち両手を合わせた。
「御馳走様でした」
「あ、はい、御粗末様でした」
頭を下げられ、遥は反射的に頭を下げ返す。
なかなか聞きたい事を言わない北村に、遥は再度首を傾げた。