Step04.問いかける
「どう、と来たか……」
北村の疑問に、遥は首を捻らせる。
なかなか、難しい事を言ってくれるではないか。
何と説明したら良いのか判らず、頭をフル回転させながらひたすら無言で歩いていると、いつの間にかいつも使っている電車の駅に着いていた。
考え込み唸り声を上げながら定期を使って改札口を抜けると、駅員が不審そうな目を向けてくる。
不気味なモノでも見るような視線を向けてきた駅員に、遥は取り敢えず愛想笑いを返しておいた。あんまり気にしないで下さい的な意味を込めて。
北村も、確か遥と同じ方向の電車で通学している筈だ。朝、何回か電車の中で彼の姿を見掛けた事がある。さすがに利用している駅は違い、遥の方が早く降りる訳だが。
ホームに二人で並んで、電車を待つ。自分たち以外にも、同じ制服を来た姿がちらほら見えた。
一言も言葉を発する事なく熟考している遥に、北村は特に何も話し掛けては来ない。おそらく、沈黙を苦に感じないタイプの人なのだろう。
話し掛けては来なかったが、代わりに彼は遥を凝視してきた。その事に気付いた遥の頬が、少し熱を帯びる。
「……北村君よ。そんなに熱い視線を送られると、さすがに照れるんですが」
鞄を盾の様に持ち上げ、北村の視線から隠れてみた。あんまり見られていると、髪は乱れてないかだとか、顔に変なモノは付いてないかだとか、色々な事が急に気になり出す。鞄の影で、遥は乱れてもいない髪を整えた。
「……先程思ったんだが」
「ん?」
鞄を下げて顔を出すと、北村が顎に手を当て、不思議そうに首を傾げている姿が目に映る。
可愛くて吹き出しそうになるのを、なんとか堪えた。
「お前は、変な所で照れるな。好意は臆面もなく平気で口にするくせに」
「あぁー……」
遥はまた鞄を背負い直すと、線路に視線を落とす。
何も考えていなさそうな鳩が、レールの上でクルッポー、と暢気に鳴いていた。
「何て言うか……自分から何かする分には、平気なんだけどね。他人に不意打ちされると弱い、みたいな?」
言っている途中、鳩が飛び立ち電車が到着する。
北村は「疑問系か」と突っ込みを入れながら下車する人を待ち、電車に乗り込んだ。遥も、北村の後ろにくっついて乗車する。
生憎と席は空いていなかったので、扉の近くに並んで立った。遥は扉の横に備え付けられた手摺を掴み、北村は吊革を掴む。
「北村君は、割とよく照れるよね。告白には、信じてくれなかったから照れてないけど」
発射時特有の揺れに耐えながら、北村を見上げた。台詞の後半には、微妙に力を込めてみる。
「いや、俺は普通だと思うが」
皮肉はあまり伝わらなかったらしく、普通に応答されてしまった。
「普通かな……結構、初心じゃない?」
「うるさい。否定はしないが
「しないんだ」
電車の中なので、あまり大きな声を出さない様に気を付け、忍び笑いを漏らす。北村は、無言で軽く遥を睨み付けてきた。
「私的に、北村君は初恋もまだなイメージがあるんだけど、どう?」
「……どんなイメージだ。失礼な奴だな」
北村の表情が、むっとしたものになる。それとは対照的に、遥は笑顔を浮かべた。
「だって初心だし」
「それは、もういい」
はぁ、と疲れた様にため息を吐いて、北村は遥から顔を反らす。
「北村君、ため息ばっかり吐いてたら、幸せが人生から逃亡しますよ」
「誰のせいだ」
視線だけで睨まれ、遥は芝居がかった様子で口に手を当てた。
「イヤンそんな、私がため息の原因だなんて…!」
「何故、微妙に嬉しそうなんだ」
僅かに身体をくねらせる遥を、北村は奇怪な物体を見るかの様な目で見た。
若干身を引いている様に見えるのは、電車の揺れのせいだと勝手に解釈しておく。
「私のせいでため息吐いちゃうって、言葉だけ聞くと恋患いみたいでテンション上がるね!」
「現実を見ろ」
ウキウキした声で言ったら、すっぱりと綺麗に言い切られた。いっそ清々しい。
しかし、この程度で遥がへこたれる筈もなく、余裕の笑みを浮かべた。
「フッ……私は現実なんて見ないぜぃうおぁッ」
格好つけて格好悪い台詞を言っていたら、電車がカーブで大きく揺れ、思わずフラついてしまったおかげで最後が決まらず終わる。
それを見た北村が、顔を反らし、口元を手で押さえながら「ふっ」と吹き出した。
「おっと?今、君、笑ったね?笑ってしまったね?」
「今のお前は、『ダサい』と言う言葉が良く似合うぞ」
「お褒めに預かり光栄だこんちくしょー!」
声量を抑えながら叫ぶと言う器用な事をしてのける遥に、北村は笑いを堪える様にふるふると震えている。
いっそのこと笑ってくれた方が、気分は良い様な気がした。
いや、ぶっちゃけ、正直言えば、北村の笑顔、超切望。
「て言うか、まだ初恋についてのアンサーを聞いてないんだけど?」
「……忘れていれば良いものを」
話題を戻した遥に、北村が嫌そうに顔をしかめた。
遥は得意気な顔でふんぞり返る。
「ハハハ、私が北村君関連の事を忘れる訳がないじゃないか!」
「……どう反応したら良いんだ、俺は」
困惑した顔になる北村に、「ふむ」と顎に手を当てた。
「照れてくれると私が喜びます」
「断る」
「相変わらずハッキリ言い切るね君は!」
拒絶の言葉が、グサッと遥の心に突き刺さる。
蓄積されたダメージが、膨大な量になってきた。気がする。多分。実を言うと、あまり傷付いていなかったり。
「で、どう?初恋は既に体験済?」
ワクワクと弾む声音で尋ねながら、北村の顔を下から覗き込む。仏頂面の北村は、遥の視線から逃げる様に顔を反らした。
「………だ」
僅かに口を開いた北村は、ぽそりと、本当に小さな声で答える。小さすぎて、その声は電車の「ガタンゴトン」と言う音に掻き消されてしまった。
「ごめん、私の北村君への愛をもってしても、今のは聞き取れなかった。もう一回言って!」
遥は耳の後ろに手を当て、身を乗り出す。一応、聞こえる様にするための、最大限の努力のつもりだった。
「だから、まだだと言ったんだ!」
仏頂面をしかめっ面にしながら、北村は最早やけくそな様子で言い放つ。
遥と同じように、声は抑えながら叫ぶと言う芸当をやってのけていた。
多少恥じているのか、彼の頬が僅かに赤い。
「あ、やっぱり?」
大体予想通りの返答に、遥は笑いながら体勢を戻した。
その反応が気に食わなかったのか、北村の口がへの字に曲がる。
「何だ、やっぱりとは」
「だって、学校で『好きな相手には触りたくなる』って気持ちが解らないって言ってたし。初心だし」
彼の諸々の発言から、初恋はまだだろうと、ぼんやりと思ってはいたのだ。なので、これは質問と言うより、どちらかと言えば確認的な意味合いが強い。
「あと、私が好きって言ってる事、どう信じて良いのか判らないとか言ってるし?」
微妙に根に持っている事を、然り気無く強調する。
北村のしかめっ面が、気まずそうな表情へと変わった。
「……一応、悪いとは思っているんだ」
いくらか、シュンとして見える北村に、遥は「ぉぶふぁ」と奇声を発する。何それ可愛い。
口元を押さえてブルブル震える遥を見て、北村は不思議そうに首を傾げた。
「……今の声は何だ」
「うん、気にしないでいただけると幸いです」
さすがに「ヘコンでる北村が可愛い過ぎて」とは言えない。
遥は手を振って誤魔化し、話題を変える事にした。
「それでね、その事なんだけど」
「どの事だ」
「だから、どう信じて良いのか判らないって事」
ぴっ、と人差し指を立てる。
北村が微妙に嫌そうな顔をした。悪いとは思っていると言っていたので、もう、あまりこの事には触れて欲しくないのかも知れない。
しかし、何とかして北村への恋心を信じて欲しい遥にとって、これは避けては通れない事なのだ。
「『どう』って事は、信じる方法を求めてるの?」
「……そうなのかも知れない」
北村は、難しい顔で考え込む様に顎に手を当てる。
自分でも、自身の発言の意味が良く解らないようだった。
「だよね。まぁ、方法とか考えてる時点で駄目だと思うよ」
遥は思わず苦笑いを漏らし、やれやれと息を吐く。
その様子に、北村の表情がむっとして、眉間に皺が寄せられた。
「どう言う意味だ」
「うーんとね、何て言えば良いのかな……」
顎に手を当て、考えるポーズをとると、頭の中でどういった言葉で表すのがしっくりくるのか思案する。
遥が考えている間、北村は無言で遥を見つめて待っていた。
北村の視線が気にならなくなる程度には考え込み、唸りながら口を開く。
「んー……方法って、手段を求めてるって事でしょ?」
「まぁ、そうだな」
「それって、考えて行動してるって事だよね」
「?」
「それの何が悪い」とでも言いたげな表情で首を傾げる北村に、遥は再度苦笑いした。
どうやら、彼は根本的に堅物であるらしい。まぁ、そんな所も好きな訳だが。
「いや、別にそれは悪い事じゃないんだけどね?ただ、何て言うか、恋愛って考えてする事じゃないし」
「何だ、違うのか?」
「え、そこ!?」
まるで初めて聞いたとでも言わんばかりの様子な北村に、遥は思わずギョッと目を見開く。そんな、基本的な事から解っていないとは思わなかった。予想外だ。
いや、初恋未経験な時点で、恋愛についてほとんど理解していないとは思っていたのだが。まさか、ここまでとは。
「いやまぁ、確かに恋した後の行動は、割と考えてする事もあるんだけど」
「どっちなんだ」
北村は訳が解らない、とでも言うように顔をしかめる。
深く考え過ぎても、頭の中がぐちゃぐちゃになるだけなのだが。
「取り敢えず、考えたからって始まる事じゃないよ」
遥は人差し指を立てると、それを左右に振って見せた。
何だか、北村に向けて恋愛講座でも開いている気分だ。やっている内容は基礎中の基礎だが。
「ほら、恋は落ちるもの、ってよく言うでしょ?」
「何だ、引力や重力に関係のあるものなのか?」
至極真面目な顔でそう尋ねて来た北村に、遥は思わず「ぶっ」と吹き出す。何故そうなった。
「違うから!何故に物理とつなげちゃった!?」
「『落ちるもの』と言っただろう」
「そのまま捉えないで!比喩!比喩だから!」
何だか、だんだん北村はアホなんじゃないかと思えてくる。学校の勉強は出来るのに、何故その理解力がここで発揮されないのかが分からない。
「何て言えば解りやすいかな……」
遥は思わず頭を抱えてしまいながら考え込んだ。
ここでまた変に例え話でもしたら、再び妙な誤解を招きかねない。
なるべく直接的で、なおかつ解りやすい説明をする必要がある。何と面倒な。
「んーと……そう、恋愛はね、理性じゃなくて本能でするものだと思うの」
言いながら、遥はそうだそうだと自分でも納得した。
本能でするもの。何ともしっくりくる説明ではないか。
「……本能か」
ボソッと呟いた北村は、何かを考え込む様に顎に手を当て、あさっての方向を向いた。
本当に理解しているのかどうかは、少し怪しい所だが、まぁ良しとしよう。
本来言いたかった事を言うことにする。
「でね、その本能で起きた感情を北村君は信じたい訳でしょ?」
「……まぁ、そう言う事に、なるのだろう」
難しい顔で首を傾げる北村に、解っているのか不安になった。
彼の台詞の語尾に、「多分」と言う言葉がくっついている様な気がする。
先程、良しとしたのは失敗だったかもしれない。
が、今更話題を戻しても、どうせより良い説明など思い付かない。
取り敢えず、遥は話を進める事にする。
「えーっと、それで。本能でする様な行動を、理性で信じようとするのは、無理な話だと私は思うのです」
「……じゃあ、どうすればいいんだ」
むっ、とした顔になり、北村は責める様な目で遥を見た。
遥は「ふふん」と得意気に笑う。
「考えるな、感じろ!って事ですよ!」
「………………」
「何その不満そうな顔は」
しかめっ面で何か言いたげにしている北村に、遥は思わず頬を膨らませた。
今の説明に何の不満があるのかと、逆にこっちが不満である。
「……そんな抽象的なものなのか」
「うん」
北村の言葉に、遥は力強く頷いた。
これ以上あれこれ言っても、胡散臭くなるだけの様な気がする。
もはや説明するのが面倒臭くなったとか、そんな事はない。断じて。
肯定されても、北村は相変わらず不満そうなしかめっ面だった。
「北村君は、深く考えすぎなんだって」
「……そんな事は、ないと思うのだが」
「いやいや、絶対あるから」
まぁ、何事にも真剣に取り組もうとする、北村の性格ゆえなのだろうが。
仏頂面で、また何か考え込み始める北村に、遥は苦笑いを溢す。
ちょうどその時、次に止まるのは遥の利用している駅だと言うアナウンスが流れた。
「あ、次で私降りなきゃ」
「そうか」
特に何の動揺もなく、アッサリとした返事を返され、遥は物足りない気分になる。
まぁ、別にまだ付き合っている訳でも何でもないし、仕方ないと言えば仕方ないのだが。
「解ってますよ、どうせ寂しいのは私だけですよ」
「いや、別に寂しくないとは言っていないだろう」
「……………………………えっ」
北村の口から発せられた予想外な言葉に、遥は目を円くした。
今、何か鼻血が出るほど嬉しい事を言わなかっただろうか、彼は。
いや、まて、落ち着け自分、と遥は深呼吸を繰り返す。もしかしたら、幻聴か、夢か、聞き間違いに脳内補正が掛かって都合の良いように聞こえただけかも知れない。
かくなる上はと、遥は掴んでいる手摺に思い切り頭突きした。ゴンッ、と言う鈍い音が、電車内に響き渡る。
北村がギョッと目を剥き、何だ何だと乗客の好奇の視線が遥に集まった。
「おい、突然どうした。ついに頭がイカれたのか」
「うん、超痛い!二重の意味で!」
「そうだな、俺も周りの視線がとても痛い」
噛み合わない返事を返した遥に、北村は疲れた様な顔で頭を抱える。
じんじんと痛む額を擦りながら、遥はこれが夢ではない事を確信した。
「ね、寂しいと思ってくれてるの?本当に?」
「は?あぁ、まぁ、お前との会話は、それなりに楽しかったからな」
「………~ッ!!」
思わぬ嬉しい言葉に、声にならない雄叫びを上げ、力強いガッツポーズをとる。
本当は叫び出したい気持ちだったが、電車内だからと何とか堪えた自分を褒めて欲しい。
「その台詞だけで、私は明日からまた頑張れる……!」
「……そうか」
不思議そうに、「理解不能」と言う言葉を体現した様な表情で北村は首を傾げた。あまり突っ込んで来ないのは、遥がそろそろ下車してしまうからであろう。
やがて電車が止まり、駅に着いたと言うアナウンスが車内に流れた。北村は遥より後の駅で下車する様なので、当然ここでお別れだ。
遥は手摺を放すと、名残惜しい思いで北村を見上げる。
「じゃあ、北村君。明日、お弁当楽しみにしててね」
「ああ。また明日な」
手を上げた北村に、手を振り返しつつ、遥はプシュー、と音を点てて開いた扉を抜けた。プシュー、と開いた時と同じ音を点てながら閉まる扉を振り返り、その向こう側にいる北村に手を振る。
小さくだが、しっかりと振り返してくれた北村に嬉しくなり、電車が発車して見えなくなるまで大きく手を振り続けた。
そのままルンルン気分で再びパスを使い改札口を抜けると、遥はスカートのポケットから携帯を取り出す。
電話帳を開き、母親に電話を掛けると、母は四回ほどのコールで電話に出た。
『もしもしー、どうしたの?』
「あ、お母さん?今からスーパー寄ってくけど、何か欲しい物ある?」
電話しながら、遥は足取り軽くスーパーへと向かう。どうせ買い物するのだから、母親の欲しい物もついでに買ってしまおうと電話したのだ。
『んー、そうねぇー……』
電話の向こうで、ガサゴソと何かを何かを探る音がする。大方、冷蔵庫の中でも探って、足りなくなった物はないか確認しているのだろう。
そのガサゴソ音を聞きながら、遥は横断歩道のボタンを押す。
『んー……あ、ワサビがない。ワサビ買ってきて~』
「はいはーい。後は?」
歩行者用の信号が青に変わったので、一応左右をチラリと見て車が止まっているのを確認してから横断歩道を渡った。
電話の向こうで、再びガサゴソ音が始まる。
『他、他……あ、何でも良いからチョコ買ってきてくれなーい?私が食べたい』
「しょうがないな、良いでしょう」
完全に個人的なお願いだが、上機嫌な遥はそれを断らなかった。
電話の向こうの、ガサゴソ音が止む。
『後は特にないわねぇ~。じゃあ、ワサビとチョコだけよろしくぅ~』
「はいはーい、じゃあねー」
軽快に返事をすると、遥は通話終了ボタンを押した。
スーパーは、横断歩道を渡り終えて割とすぐの所にある。
逸る気持ちを抑えきれず、知らず知らずの内に速足になっていた遥は、最終的にはそのスーパーに向かって、半ば全力で駆け出した。