Step03.答える
「……お前は、」
何かを言いかけた北村が、躊躇うかの様に開けた口を閉じる。
遥は「ん?」と先を促すように首を傾げた。少し迷った様子を見せていたが、決心したのか彼は再び口を開く。
「……お前は、俺のどこが好きなんだ?」
「んんーー良い質問だ!」
即座に大声を上げながら親指を立てた遥に、北村の肩が驚いた様に小さく跳ねた。遥はそんな事は気にもせず、「ふっふっふっ」と笑いながら腕を組む。
「まぁ、一言では語り尽くせない訳ですが。幾つ聞きたい?」
笑顔で尋ねると、北村の眉が更に寄せられた。
「幾つ?」
「そう。幾つ聞きたい?」
「……幾つあるんだ」
「え、数えた事ないな。幾つだ?」
遥は腕組みをやめると、手のひらを広げる。
そして、北村の好きな所を、声に出しながら指折り数え始めた。
「えーと、まず、真面目な所でしょ?ちょっと堅い所も堪らないし、吊り目も好きです私のハートにストライクです」
「…………」
北村はそれを、ひたすら無言で聞いている。
「あと、自分に厳しい所が最高でしょ、でも優しい所にキュンキュンするし、」
「…………、」
北村が口を開きかけたが、遥はそれに気付かず言葉を続けた。
「あ!手!手も好き!ゴツゴツしてるのヤバい。握りたくなる。いやむしろ私をその手で触って下さアアーーごめん今のは気にしない方向で、次に──」
「待て。もういい」
更に言葉を続けようとした遥を、北村が遮る。
「え、もういいの?」
遥は微妙に不満げな顔で北村を見上げた。しかし、何故か、ふいっ、と顔を反らされる。
「北村君?」
「……十分だ。頼むから、もうやめてくれないか」
「えー、でも……」
口を尖らせ、身を屈めて反らされた顔を覗き込んだ。すると、北村は細い目を更に細めて、遥を睨み付けてくる。
だが、その顔が赤く、若干焦っている様にも見えるせいで、全く怖くない。照れ隠しで睨み付けているだけな事が、丸判りだ。
「え、ちょっ、そんな顔で睨まれても悶えるだけなんですけど」
「うるさい。黙れ」
「ひぇぇぇ照れ隠し最高かーーーー!!可愛いわチクチョー!!」
顔を両手で覆いながら、遥は身を捩らせる。
反論に困ったのか、北村は顔を赤く染めたまま、無言でさらに遥を睨み付けた。もちろん怖くない。むしろ、遥には可愛く思える程だ。
「もう本当、北村君は私のツボを突きすぎてるよ!ああーー大好きーー!!」
堪らなくなった遥は、腕をブンブン振って暴れ出した。発狂していると言っても過言ではない。
興奮している遥から目を反らし、北村はわざとらしくため息を吐いた。
「……解らないな」
「あれ、今説明してあげたと言うのに!?まだ解らないとか抜かすかコロヤロウ!」
北村の台詞に、遥はブーブーとブーイングを送る。
自分が北村のどこを好きなのかは、今言って聞かせたばかりだ。しかも、北村はそれを自分で遮っている。
それなのに理解を示してくれない事に、遥は少なからず不満を抱いた。
「……吊り目が好き、と言ったな」
「うん?言ったね」
北村はチラリと遥に視線を向けて、またすぐに前へと向き直る。遥も同じように前を向くと、空の西側が赤く染まっていた。
明日も晴れだな、と頭の隅で思いながら、北村の次の言葉を待つ。
「こんなもの、目付きが悪いだけだろう。どこが良いんだ」
「どこ、ねぇ……」
遥は顎に手を当て、考え込む様なポーズをとった。
今の言い方的に、恐らく北村本人は自分の目が気にいらないのだろう。だから納得いかないのだ。
さて、どう説明したものだろう。
「うーんと……例えば、色んな人が夕日が綺麗だと感じるのは、何でだと思う?」
「……?何故、その質問に繋がる?」
「まぁまぁ、いいからいいから。ね、何でだと思う?」
北村は不思議そうにしながらも、空を見上げながら腕を組んだ。割と、真剣に考え込んでいる。
遥はその横顔を眺めながら、真面目に悩んでいる顔もナイス!と心の中で親指を立てた。
「……空が、短い時間だけ、色を変えるから、か?……いや、やはり人によって理由は違うのではないか」
北村は、首を捻りながらそう答える。
ふふ、と小さく笑みを溢して、遥は再び北村の顔を覗き込んだ。
「じゃあ、明日晴れると嬉しいのは?」
「……まだあるのか」
不満そうに、北村の眉間に皺が寄る。
「まぁまぁ。これで最後だから」
笑いながら、遥は北村を適当に宥めて、答えを促した。
はぁ、とため息を吐いて、彼は何かを探す様に視線をさ迷わせる。
北村の考え込む姿がクセになりそうで、遥はさりげなく彼から視線を反らした。
北村を困らせて楽しむ様な習慣が出来たら、流石に嫌われかねない気がする。
と言うか、今さらだが、好きな相手を困らせて喜ぶなど、どこの小学生だ。
「……そもそも、明日の天気が晴れだからと言って、皆が皆喜ぶ訳じゃないだろう。明日は雨になって欲しい者だっているのではないか」
北村は首を捻らせながら、遥に視線を寄越した。
彼の視線を感じながらも、遥はあえて、あさっての方向を向いたまま口を開く。
「まぁ、つまりはそう言う事です」
「は?どう言う事だ」
チラリと北村を見れば、案の定彼は眉間に皺を寄せていた。
今日は、北村のこんな顔ばかり見ている。思わず苦笑いが漏れた。
「人が皆、同じ価値観を持ってるとは限らないって事だよ」
少し歩みを速めて、北村の前に周り込む。
後ろ歩きをしながら、遥は眉間に皺を寄せたままの北村に向かって、ピンと立てた人差し指を振って見せた。
「人の好みは千差万別、蓼食う虫も好き好き、ってね!」
「…………」
北村は、納得した様なしてない様な、微妙な顔をしている。
無言な彼に向かって、遥はトドメとばかりに口を開いた。
「北村くんは何か嫌そうだけどさ、私はその目、好きだよ。真っ直ぐで、澄んでる」
「!」
拍子抜けしたのか、呆れたのか、驚いたのか。どれかは判らないが、北村の目が少し見開かれ、彼は歩みを止めた。
急に止まった北村に、遥も慌てて足を止める。
「えっ、北村くーん?どうかしたー?」
「……本当、か?」
「はい?」
北村の呟きが上手く聞き取れなくて、遥は思わず首を傾げた。
もう少し近付けば聞こえるだろうかと、半歩だけ北村に歩み寄る。
途端に、北村に手首を掴まれた。
「え、」
何事かと驚くと同時に、頬が若干熱くなるのを感じた。好きな人に触られたのだから、当然だ。……多分。
「それは、本当なのか?」
遥の手首を少し引っ張りながら、ズイッ、と北村が身を乗り出して来た。近い。
真正面から、近い距離で真っ直ぐ目を見据えられ、遥の頬の温度は更に上昇する。
「あっ、えっ、な、何が?」
北村の妙な迫力に、思わずどもってしまった。
目を反らす事は、何となく、許されない様な気がして、出来ない。
しかし、何故、北村が急にこんなに積極的になってきたのかが分からなかった。
「俺の目が、好きだと。真っ直ぐで、澄んでいると。それは、本当に、本当なのか?」
「あの、一応言っとくけど、今日の私、北村君に嘘、一つも言ってないよ!」
遥が今日、北村に対して言った事と言えば、大まかには告白と、明日の弁当の事と、皆川に対する事と、北村のどこが好きかくらいな気がする。この中に、嘘は含まれていない筈だ。
……皆川に対する事は、適当な事を言った様な気がしないでもないが。しかし、嘘は言っていない、と思う。
遥は声を上擦らせながらも、力強く主張した。
「……そうか」
遥の言葉を聞いた北村が、ふにゃり、と、本当に、心の底から嬉しそうに、顔を緩ませて笑う。
「──!」
遥の心臓が、大きく跳ねた。と言うより寧ろ、激しく踊り出した。
瞬きする事も忘れ、食い入る様にその笑顔を見つめる。
北村が異様に輝いて見え、周りの景色は霞んで見えた。周りの景色と言っても、北村が視界の大半を占めているせいで、そんなに無いのだが。
ゴグリと、唾を飲み込む──までは、まだ、良かった。
雰囲気ぶち壊しな事に、遥は動悸が激し過ぎて、息切れしそうになってきた。
もっと俗っぽい言い方をすれば、ハァハァしそうと言う事である。
流石に、この近さでハァハァするのはマズい。恥ずかしい上に、北村にドン引きされる事間違いなしだ。そう考えた遥は、瞬時に息を止める。
息を止めたまま、更に北村の笑顔に見入った。
──果たして、何秒間見つめ合っていたのだろうか。
どう考えても長くはない時間だった筈だが、遥には色んな意味で永い時間に思えた。
と言うか、息が限界だ。
しかし、ここで余計な事をしでかして、北村から離れてしまうのも惜しい。結果、遥は二重の意味で顔を真っ赤にしながら、プルプルと震えた。
それを見た北村の顔から笑顔が消え、ハッとした様に遥の手首を放し離れる。
「……!あ、す、すまん……!」
顔を瞬時に赤くしながら慌てる北村に、遥は心の中で咆哮を上げた。可愛いが過ぎる。
だが、直ぐに余裕がなくなり、素早く二、三歩後退りして「ぶはぁ!」と思い切り息を吐く。
「いや、その、これは、だな……」
ゼハー、ゼハーと息を整える遥に向かって、北村は必死に弁明しようとあたふたしていた。視線が辺りをさ迷い、彼はキョロキョロと落ち着かない。
遥は呼吸と頬の熱が元に戻っていくのを感じながら、それを横目に眺める。どうやら先程の行動は、意識して行ったものではないらしい。
「何と言うべきか……」
「無意識だった、と」
「ああ、そうだ」
遥の言葉に、北村は力強く頷く。やっぱりか。
しかし、無意識であの行動をするとなると、北村は意外にタラシなのだろうか。いや、この取り乱し様を見ると、それは違うような気がする。
と言うか、そんな事より、遥には気になる事があった。
「あのさ、北村君、目の事に異様に食い付くね。何で?」
「!」
ピクリと、北村の肩が跳ねる。安定しなかった彼の視線が、下に落ちた。頬の赤みが消え、表情が若干暗いものになる。
しまった、失敗した。突っ込んではいけない事だったのかもしれない。
「いや、あの、ごめん!言いたくないなら、別に言わなくても……!」
「いや、いい。大した理由じゃない」
焦る遥を、北村はうつ向きながら手で制す。
気持ちを落ち着ける様に大きく息を吐いてから、彼は顔を上げて真っ直ぐに遥を見据えた。
反射的に、遥は背筋を伸ばす。
「昔、同級生に目が怖いと言われ、敬遠された事があるんだ」
「よーし、今からソイツぶっ飛ばしに行くから名前言ってみて!」
遥は肩に手を置き、グルグルと腕を回した。今なら五メートル以上は殴り飛ばせる気がする。
殺る気満々な遥を見て、北村は呆れた様にため息を吐いた。
「アホか、お前は。そもそも、俺はそれを言った相手の名前など覚えていない」
「わぁ!元同級生の名前覚えてないとか、北村君割とヒドい!」
全く悪びれる様子のない北村に、遥は微妙に乾いた笑いを顔に浮かべる。しかし、そんな余計なことを言って敬遠してくるような輩は忘れても良い気もした。
腕を下ろし、それと同時に少しずり落ちてきた鞄を背負い直す。
「まぁ、名前は覚えていない代わりに、『目が怖い』と言う台詞がどうしても忘れられなくてな」
どこか遠い目をしながら、北村は再び足を動かした。その隣に並んで歩き出しながら、遥は彼の顔を見上げる。
「小さなトラウマってやつだね」
「そうだな」
ふっ、と北村が苦笑いを溢す。少し自嘲的にも見えるそれは、あまり見たくない類のものだった。
「だから、お前が冗談でも好きだと言ってくれた事が、どうしようもなく嬉しくてな」
「うおぉぉいだから冗談じゃねぇぇぇ!!」
何と言ってフォローしようかと考えていた矢先の言葉に、遥は思わず絶叫する。
北村が驚いた様に目を見開いて遥を見るが、驚いたのは正直こっちだ。
「私は、本当に、北村君が好きなの!」
「何だ、突然」
「全っ然突然じゃない!午前中から言ってたわ!!」
いぶかしげな顔の北村に、遥はギャアギャアと喚く。
ここまで北村の頭が固いとは、予想外だ。
「何で信じてくれないかな!?」
「人に好かれた事がないからじゃないか」
「サラッと悲しい事を言うんじゃない!」
遥は思わず頭を抱える。
何処かから聞こえるカラスの鳴き声が、自分を馬鹿にしている様な気がしてならない。これは完全に被害妄想だが。
「いや、今信じてもらおうと頑張ってる真っ最中だから、別に構わないんだけどさ……」
フッ、と息を吐いて、空を見上げた。真っ赤な夕日が目に沁みる。
「……信じたいとは、思っているんだ」
ポソリと呟かれた言葉に、遥は北村を見る。
北村は真っ直ぐに前を見ながら、難しそうな顔をしていた。
「だが、どう信じて良いのか、分からない」