Step02.一緒に帰る
「はい、では皆さんさようなら~」
担任の帰りの挨拶と共に、遥は鞄を掴む。
鞄の中に教科書を仕舞っている北村の元に駆け寄り、その顔を覗き込んだ。
「北村君!」
「近い」
北村は無表情で身を引き、手に持っていた教科書で遥の顔を押し返す。遥の口から、「ふごっ」と変な声が出た。
「今度は何の用だ」
「何も、教科書で押し退けなくても……」
顔の前から教科書を退けて、仕方なく一歩だけ後ろに下がる。北村はそれを確認してから、手に持っていた教科書を鞄の中に仕舞った。
「とりあえず、明日楽しみにしててね!と、さよならの挨拶を言いに来ました!」
ニカッ、と笑い北村に向かって敬礼して見せる。
北村は「そうか」と応えると、鞄のチャックを閉めた。
「一緒に帰る訳じゃないんだな」
「え」
北村の言葉に、遥の動きが一瞬止まる。それを不審に思ったのか、北村は怪訝そうな顔で遥に視線を向けてきた。
遥の顔が、徐々にキラキラと輝き始めて、北村の肩がビクリと跳ねる。
「き、ききき北村君…!?そそそそれはつまり、い、一緒に帰ってもオゥケィ!無問題だぜ!って事ですか…!?」
「鼻息が荒い。落ち着け」
「これが落ち着いていられようか!」
遥は今にも踊り出したいような気持ちを堪え、力強くガッツポーズをとった。歓喜の雄叫びを心の中でだけ上げる。
「一緒に帰る!帰りたい!」
欲しい物をねだる子供のように、遥は北村の腕を掴んでブンブンと揺さぶった。
北村は微妙に困った顔をしながら、器用に眉間に皺を寄せる。
「分かったから、放せ」
「うん!ィヤッホォォォイ!!」
素直に北村から手を放すと、遥はそのまま両手を振り上げて万歳をし始めた。心の内に留めておく予定だった叫びが口をついて出る。
全身全霊で喜んでいる遥を、北村は奇怪な生き物でも見るかの様な目で見つめてきた。
「……そんなに嬉しいのか」
「嬉しいよ!生きてて良かったレベルだよ!そしてお母さん産んでくれてありがとー!!」
遥はじっとしていられず、踵を上げたり下げたりを繰り返した。自分でも、はしゃいでいる子供の様だ、と思う。
北村は、やはり困惑した顔で首を傾げた。
「生きている事に感謝する程の事か?」
「全世界に感謝する程のことです!」
無駄に力強く頷いて見せる。
これ程までに強く肯定したと言うのに、北村は疑うような目で遥を見た。
「……何がそんなに嬉しいのか分からない」
「好きな人と一緒に帰れるのが嬉しいんだよ!一緒に登下校は良いフラグ!現実に選択肢は存在しないけど好感度を上げてみせる!!」
「は?」
ハイテンションで息巻く遥に、北村はただ困惑顔で首を傾げる。
脳内で祭りが起こっている遥は、そんな事は気にも止めず、北村の腕を引っ張った。
「早く帰ろう!早く早く!」
「待て、引っ張るな」
北村が慌てて鞄を掴む。
遥は、自分の顔が自然と笑ってしまうのを感じた。ニヤニヤしそうになるのを何とか隠そうとしても、口角が上がってしまう。
「ふふ」
「……アホ面」
「ひどい!」
文句を言いながらも、遥は北村の腕を掴んだままだ。掴まれたままの腕に、北村は困惑の眼差しを向けている。
もちろん、遥に放す気はない。むしろ、北村が困っている事が、少し楽しかったりする。
遥は笑いながら、北村を廊下の方へと引っ張った。
「ほら、行こう!」
「だから、引っ張るなと──」
「本田」
北村が、先程掴んだ鞄を腕が空いている方の肩に背負ったとほぼ同時に、名字を呼ばれて遥は声のした方向に視線を向ける。
鞄を背負い、怒った様な、困った様な微妙な顔で遥を見る皆川がそこにいた。
「お前、やっぱ、……、……」
何かを言いかけて、皆川は遥から目線を反らして口を閉じる。
ハッキリしない態度に、遥は何だコイツと首を傾げた。普段は何の躊躇いもなく罵倒の応酬をしていると言うのに、何を言い淀んでいるのだろう。
「何?」
「いや、……やっぱ、いい」
皆川はゆるゆると首を振る。
「そ?んじゃ、またね!」
よく判らないが、本人が「いい」と言っているのだから、良いのだろう。
遥はまだ微妙に釈然としないながらも、皆川に向かって手を振った。
「おう。北村も、じゃあな」
「ああ、また明日」
皆川が手を振り返し、北村も挨拶に応えるように手を上げる。
何だかテンションの低い皆川を置いて、遥と北村は廊下に出た。
「……良かったのか?」
階段に差し掛かったあたりで、北村がそう口を開く。何の事を言っているのかと、遥は首を傾げた。
「うん?何が?」
「皆川の事だ。何か言いたげにしていただろう」
「気にしてるの?やはり北村君は真面目ですなぁ」
ふふ、と思わず笑みを溢す。彼の、こういった何事に対しても真面目な所が好きだ。
「本人がいいって言ったんだし、いいと思うよ」
「そうか?だが……」
どうも腑に落ちないらしく、北村は表情を曇らせる。
せっかく二人きりで帰る事が出来ると言うのに、このままでは駄目だ。
皆川め、余計な事をしやがってコノヤロウ、と遥は心の中で悪態を吐いた。
「いいって言ってるのに、無理矢理聞き出すのはあんまり良くないと思うよ」
「そうかも知れないが……」
「皆川が話してくれたら、ちゃんと聞けばいいんだよ。それまで待とう?ね?」
ニコリと笑って、北村の顔を覗き込む。微妙に、駄々をこねている子どもに言い聞かせているような気分になった。
「……判った」
北村は渋々といった様子で頷く。
よっぽど「よし、良い子良い子」と北村の頭を撫でてやろうかと思ったが、流石に怒るだろうと思い止まった。
「……ところで」
「ん?」
「そろそろ、本当に放せ」
北村は遥が未だに掴んだままの腕を、くい、と少し持ち上げる。そう言えばそうだった。忘れていた訳ではないのだが。
「あぁ、ごめんね」
遥は笑いながら北村の腕を放す。
嫌なら振りほどけば良いのに。それをしない北村の優しさが愛しい。
「ちょっと、放すのが惜しくて」
「意味が分からない」
「私は隙あらば北村君に触っていたいのさ!」
「変態か?」
北村が少し顔をしかめる。そんな彼に、遥は「ふっ」と芝居ぶった様子で息を吐いた。
「私が変態だなんて、周知の事実よ」
「格好付けて言う事か?」
「いや、全然」
呆れ顔の北村に、遥はカラカラと笑って見せる。
再び下駄箱へと軽い足取りで踏み出すと、後ろに北村が着いてくる気配を感じた。
「でもね、北村君」
クルリと振り向き、遥は後ろ向きに歩きながら人差し指を立てる。
「例え変態じゃなくても、好きな人には触れたくなるものなんですよ?」
立てた指を、ちっちっちっと左右に振った。
「何故だ?」
眉を寄せて、北村は怪訝そうに首を傾げる。
理解し難い、と言った様子な北村に向かって、遥はふふ、と意味深に笑い、立てたままの人差し指を唇に当てた。
「恋すれば、解るよ!」
「……、……」
一瞬、何故か北村の眉間から唐突に皺が消え、動きが止まる。しかし、それは本当に一瞬の事で、彼は直ぐに仏頂面へと戻り再び歩き出す。
「解らないな」
「いや、解るって。むしろ、相手に無性に触れたくなったら、それはきっと恋だね」
遥は前を向き直ると、得意気にそう言い切った。
本当は、「私に恋すれば解る」とか言いたかったが、彼が自分に恋する事を強制する様にも聞こえるので、やめた。
やがてたどり着いた昇降口で、上履きからローファーへと履き替える。ちゃんと履けてはいるが、意味もなくトントン、と爪先でタイルの床を軽く打った。
「さて、帰ろうか!」
嬉しいと言う感情が滲み出た様に弾む声音で言ってから、先に靴を履き替え終わり待っていた北村の横に並ぶ。
北村は遥が来たのを横目でチラリと確認してから、歩き出した。
ああ、自分たちは今、周りの目にどの様に映っているのだろうと、遥は浮かれた頭で考える。恋人だろうか。それとも、仲の良い異性の友達同士?
「全力で恋人を希望する!」
「は?」
拳を握り突然力強く叫んだ遥に、北村が怪訝そうな視線を送ってきた。
「いや、この状態が周りからは恋人同士に見えたらウハウハだな、と」
取り繕う事もせず、遥は拳を握り締めたまま真面目な顔で北村を見上げる。
北村は、呆れた様にため息を吐いた。
「……見えると思うのか?」
「いや、どっちかって言うと私の願望百二十パーセント」
冷静に、否定する様に手を振りつつ首を横に振る。
いくら浮かれた遥の頭でも、今の自分たちに甘い雰囲気など一切漂っていない事は解っていた。
北村が再度ため息を吐く。
「見えない事が解っているのなら、言うんじゃない」
「手とか繋げば見えるかもよ?」
「断る」
「ははは、バッサリ!」
取り付く島もなくはっきりと拒絶され、遥は渇いた笑い声を上げた。大変虚しい。
「ふーんだ、いつか絶対、手繋いで帰る様な仲になってやる!」
腕を組み、遥は拗ねた様に片方だけ頬を膨らませた。
「来世ならなれるんじゃないか?」
「ほほーう、今は無理と?さりげなく希望を絶ってくれたね君」
しれっと言ってのけた北村に、遥はむっとした視線を向ける。もちろん、そんな事を言われた所で、諦める気は微塵もない。
遥はニッ、とわざとらしい笑みを浮かべ、上目遣いに北村を見上げた。
「でも、私が北村君を好きな事は変わらないよ?」
「……、」
北村の眉が、困惑気味に寄せられる。
細く、吊り気味な目が半ば睨み付ける様に遥を見た。




