Final Step.ハッピーエンド
教室から飛び出し辺りを見渡すと、少し離れた所にフラフラと歩いている北村の後ろ姿を発見した。
ターゲット、ロック・オン。
北村の姿をを視界の中心に置き、遥は全力で床を蹴る。
「きぃーたぁーむぅーらぁーくーん!!」
「ッ!?」
猛スピードで駆け寄り、押し倒す勢いで北村の背中に飛び付いた。
あまりの衝撃に北村は若干ふらつくが、すんでの所で何とか持ちこたえ、倒れずにすむ。いっそのこと、倒れて欲しかった。
「なっ、」
「どこっ、行く気!!」
僅かに乱れた息を調えつつ叫びながら、ぎゅう、と遥は抱き着く腕に力を込める。
「ぐっ」と小さく呻き声が聞こえたが、無視して容赦なく抱き締めた。
「ねぇ、どこ行くの」
「……スプリンクラーのある場所」
「……は?」
予想外な答えに、微妙に腕の力が抜ける。
しかし、北村は遥の腕をほどこうとも、逃げようともしなかった。
「え、何?どゆこと?」
意味不明にも程がある。
何故この状況でスプリンクラーなど求めるのか、遥にはサッパリ訳が分からない。
北村はボソッと、小さな声で説明をした。
「……頭を、冷やそうと」
「スプリンクラーで!?」
まさかだ。説明されても、ちょっと訳が分からなかった。
どうやら北村も、色々と混乱している様だ。
「落ち着いて!早まっちゃ駄目だ!冷静になれ!個人的にスプリンクラーは全身びちゃびちゃになるだけで頭は冷えないと思う!」
遥は早口で捲し立てる。自分もあまり冷静でない事は、取り敢えず棚上げしておいた。
「分かった!?」
「……あ、ああ」
返事の声は、どこか気が抜けている。しかし、一応スプリンクラーを探し求める事は止めてくれた様だ。
ほっと安心しかけて、まだそれ以上に大切な事があることを思い出す。
「あっ!?そうだ、北村君!」
「ぐっ、」
叫んだ瞬間に再び力が入ってしまい、今度は故意ではなく北村を締め付けてしまった。
北村が苦し気な声を漏らしたが、今の遥にそんな事を気にする心の余裕はない。
「さ、さっき、教室でのアレ、どう思った!?」
取り敢えず、どんな風に誤解されたのかを確認する。誤解の内容が分からなければ、弁明のしようがない。
「……頭が真っ白になった」
「……え?」
返ってきた答えは、予想外なものだった。
背中に抱き着いているため、顔を見る事が出来ず、北村が今、どんな顔をしているのか分からない。北村の言った内容を、理解する事も出来なかった。
「本当はお前は皆川が好きなんじゃないのか、本当は俺のことなど好きじゃないんじゃないか、と思った」
「違っ、」
「そんな事は、嫌だと、思った」
否定しようとした遥の台詞にかぶせて、北村はそう言い切る。
遥は思わず目を円くした。
嫌だと、思ってくれたのか。
そんな事を思っている場合ではないのに、どうしようもなく嬉しいと感じてしまう。
コツンと、北村の背中に額を当てた。
「好きだよ」
言った瞬間、ビクリと北村の背中が揺れる。
「私は、北村君が好き」
軽い調子などではなく、真摯な態度で告げた。
「皆川じゃない」
腕ではなく、北村の制服を掴む手に力を入れる。
最後の言葉を言うためだけに、深呼吸をした。
「私は、本当に、心から、北村君が、大好きです」
キッパリ、ハッキリ、言い放つ。
言い終えても、北村は微動だにしなかった。しかも、何も言葉を発しない。
何だか微妙に、いたたまれなくなってきた。
やはり、真面目に告白など、柄にもない様な事は、すべきではなかったのだろうか。
沈黙が続く程に、ふつふつと羞恥心が沸き上がってくる。この状況を、一体どうすれば良いのだろうか。
誰か助けてはくれないだろうか。
いや、今誰か他の人が来たら、恥ずかしくて堪らなくなる様な気もする。
北村が何かアクションをおこしてくれないだろうか。取り敢えず、抱き締めていた手をほどいてみる。
と、その瞬間、北村にガシッと腕を掴まれた。
「おわっ!?」
突然の行動に驚いて、色気も可愛げも全くない声が出る。
いきなり何だと北村の後頭部を見上げたが、彼はこちらを振り返りはしなかった。
「……ちょっと来い」
遥の腕を掴んだまま、北村はどこかに向かってズンズンと少し速めに歩き出す。
引っ張られるがままに、半ば小走りの状態で遥はそれについて行った。どこに行くと言うのだろうか。
北村が何をしたいのか、何を考えているのか、最早サッパリ分からない。
「あの、北村君」
「…………」
呼び掛けても、彼は振り向く事なく、真っ直ぐ前だけを見据えてひたすら歩く。
「どこ行くの?」
答えなど期待してはいない。しかし、聞かずにはいられなかった。
予想通り、北村は答える事なく歩き続ける。
やがて辿り着いたのは、いつも二人で一緒に弁当を食べている、あの場所だった。相変わらず、人気はない。
「……?」
何故、ここに連れて来られたのだろうか。意図が掴めず、遥は首を傾げた。
「ねぇ北村君、何でここ、に──」
疑問は、最後まで口にする事が出来ずに終わる。
やっと振り返った北村が、遥の腰を引き寄せ、遥の唇に自分のそれを重ねてきた。文字通り、口を塞がれてしまう。
遥は目を見開いて固まった。
思考能力がなくなったかの様に、何も考える事が出来ない。
北村は割とすぐに唇を放した。
間近に彼の顔がある。
「……こういった時は、目を瞑るものじゃないのか」
「……………………………………………………………………え?」
言われた言葉に、なかなか反応する事が出来なかった。遥の考える力が、著しく低下している。
「……こういった?……どういった?」
「キスする時だ」
呆けた遥の質問に、北村が即答した。遥は全然働かない脳みそを駆使して考え込む。
今、北村は何と言った?
キス?……………………………キス!?
「────~~~ッ!?」
理解した途端に、ボッと火が点いた様に顔が熱くなった。
ドクン、ドクンと、心臓がはち切れんばかりに大きく拍動し始める。
「あっ、は、へ、へぇ……ッ!?」
何故とキスの理由を聞きたくても、言葉が上手く出て来なかった。意味を成さない声だけが、辛うじて喉から出るだけだ。
熱い。
顔が熱い。
ただひたすらに、顔が熱い。
「大丈夫か」
北村の質問に、遥はただ何度も大きく頷いた。
目と鼻の先から北村に真っ直ぐに見据えられ、どうして良いのか分からない。
腰に回された腕はほどかれる事なく、遥と北村の身体を向かい合わせに密着させたままだ。何だか色んな意味で鼻血が出そうである。
「……嫌、だったか」
「!?」
んな訳ない。
若干心配そうな顔をしている北村に向かって、遥は全力で否定する為にブンブンと高速で首を横に振った。上手く話せないのがもどかしい。
深呼吸して落ち着こうにも、浅く息を吸い込む事で精一杯だ。
「そうか」
北村が嬉しそうに微笑む。
反射的に「ぶふぁあ!!」と変な声が出た。肝心な事は言えないくせに、いらん所でばかり活躍する喉だ。
嫌だとか、そんな訳はないのだから、それよりただ、キスした理由を聞きたい。
「あ、あ、あのさっ!」
震える喉を無理矢理使って声を出したら、見事に裏返った。泣きたい。
現に、恥ずかしいやら照れ臭いやら顔が熱すぎるやらで、涙が出そうだった。
「な、何で、キス……ッ!?」
理由を聞く前に、また口を塞がれる。もちろん、キスで、だ。遥に目を瞑る余裕はない。
ただ目を円くして、近すぎてよく分からない北村の顔を見る事しか出来ない。
ドクンドクンとうるさく脈打っているのが、遥の心臓なのか北村の心臓なのか、密着しているせいで訳が分からなかった。
触れるだけの軽いキスは、今度もすぐに終わる。
「きききき、き、北村君!?」
遥の思考回路は完全にショートした。
慌てふためく遥とは対照的に、北村は何故か無駄に落ち着きはらっている。先程まで、スプリンクラーだの何だのと言っていた人物とは思えない。
「先程、分かった。と言うより、確信した」
「はい?」
何がだ。
遥には北村の考えている事が、全くもって分からない。
「俺は、本田が好きだ」
「…………………………………………………………………え?」
一瞬、彼の言う「本田」が、誰のことを指しているのかすらも分からなかった。
彼は、滅多に遥の名前を口にしない。大体いつも、「お前」と言うだけだし、話しかけるのはほぼ遥だ。だからかも知れない。
「恋愛感情とは、この様なものなのだな」
遥がポカンとしている事など気にもせず、北村はどこか納得した様に呟いた。その声が、微妙に遠く聞こえる。北村との距離は、こんなにも近いのに、だ。
これは、夢なのではないのだろうか。都合の良い、幸せな夢。
唐突に、そう思った。
「……あの、北村君」
「何だ」
「ちょっと頬っぺた引っ張ってもらえませんかね」
「……?」
北村が、突然何を言い出すんだコイツは、とでも言いたげな顔をする。
「早く早く」と急かすと、不思議そうな顔をしながらも、彼は遥の腰に回している方でない手を、遥の頬に添えた。
スルッ、と撫でる様に触られ、思わず肩が跳ねる。何かこう、エロくないですか、触り方。
自分で頼んでおきながら、猛烈に恥ずかしくなってくる。いや、北村の触り方が悪いのだ、多分。
そのうち、北村がふにゅっ、と優しく遥の頬を引っ張った。全く、痛くない。
「……なるほど、夢か」
「そんな訳あるか」
遠い目をした遥の言葉を、北村がスパッと否定した。
「だって痛くないんだもん!」
「何だ、痛くして欲しかったのか?」
「ぎゃあぁぁその言い方何かエロい!」
クッ、と口の端を上げて笑う北村に、遥は慌てふためく。
リミッターでも解除されたのだろうか、北村のキャラが違う気がする。こんなに、積極的な人だっただろうか。いや、絶対違う。
「ねぇ、本当にこれ現実?」
実感が持てず、再び確認する。
「当たり前だ」
北村は力強く断言した。
そうか、これは現実なのか。
ぼんやりと納得はしたが、あまり状況は把握しきれていない。
これは、現実。
じゃあ、具体的には何が現実?
今自分のおかれている状況を確認するために、遥は自問を始めた。
北村に抱き寄せられているのは、現実。
じゃあ、それは何故?
思考がだんだんとクリアになっていく。
──北村が、自分を好きだから。
「ッぶえぇぇぇぇ!?」
自覚した途端に、全身から力が抜けた。足に力が入らず、立っていられなくなる。
崩れ落ちそうになった遥を、北村が腰に回した腕で支えた。
「大丈夫か」
「だ、大丈夫じゃない」
力の入らない手で、遥は必死に北村の制服を掴む。
嬉し過ぎて、発狂しそうだった。しないのは、全身に力が入らないから。ただそれだけの理由だ。
「わ、わた、私もね、北村君のこと、好き」
眼前にある北村の顔を真っ直ぐに見つめる。
最後に、確認したい事が、一つだけあった。
「信じてくれる?」
たった、それだけ。
遥が、一番に望んでいた事。
北村は呆気にとられた様に目を見開き、それからフッ、と笑った。
「ああ」
短い返事。
しかし、遥にはそれで充分だった。
「そっか」
北村の胸に顔を埋める。
嬉しくて、頬の筋肉はゆるゆるになっているのに、視界にじわりと涙が滲んだ。多分、嬉し涙と言うやつだ。涙は溢れたりはしなかったが、顔はぐちゃぐちゃに違いない。
北村のもう一方の手が、サラリと遥の頭を撫でる。
「俺と、付き合ってくれるか」
答えの判りきった問いだった。
遥はぐちゃぐちゃの顔を上げて、北村の首に腕を回し、思い切り抱き着く。
「もちろん」
答えた瞬間、遥の腰に回された北村の腕の力が強くなった。
ここが人の来ない場所なのをいい事に、しばらく抱き締め合う。
訳もなく笑えてきて、遥は声を上げて笑い出した。
「明日も、一緒に帰ろう」
今日でさえまだ帰っていないくせに、明日の事を口にする。
北村も小さく笑い出した。
「明日だけか?」
「いやいや、これからずっと!」
幸せな約束。
互いに密着させていた身体を放すと、どちらかともなく手が繋がれる。
全身に、ちゃんと力が入るようになっていて、遥は密かに安心した。
「帰ろっか」
「待て。その前に」
歩き出そうとする直前、頬に手を添えられ上を向かされる。
あ、と思った時には、もうキスされていた。
ちゅ、と軽いリップ音がして、唇が離れる。
ぶわっ、と顔に熱が集中したのが分かった。
「なななな、何でそんな急に積極的なの!?」
「そんなに照れるな。移る」
北村の頬が、ほんのりと赤く染まる。むしろ移ってしまえ、と本気で思った。
「くそう……何か仕返ししたい」
「何だ、本田からキスしてくれるのか?」
「それじゃつまらん」
何かもっと、北村の驚く様な事をしてやりたい。
遥は彼の顔をじっと見つめて考え込む。
「あ、そうだ」
良いアイデアが浮かんだ。
キスより簡単だが、きっと北村が驚く事。
遥はニヤリと笑う。
「ねぇ」
「何だ」
「真也」
「!」
呼んだ瞬間、カッと北村の顔が真っ赤に染まった。良い気味だ。
遥はただ、北村を下の名前で呼んだだけ。
「真也」
「…………」
ニヤニヤと笑いながら、もう一度名前で呼んでやる。
北村は無言でプイッと顔を反らすと、繋いだ遥の手を引っ張って歩き出した。
遥も笑いながらそれに続く。
「ねぇ。私の事は、名前で呼んでくれないの?」
からかいを含んだ声で尋ねた。
北村はチラリと遥を振り返ると、すぐに前を向いてしまう。
まぁ、彼は名前で呼んでくれないだろうと思ってはいたので、あまりガッカリ感はない。仕返しの延長で言っただけの様なものだ。
クスクスと笑いながら北村の少し斜め後ろを歩く。
「……そのうちな」
「え」
ボソリと、呟く様な声に北村を見上げた。
こちらを振り向く気配はない。しかし、よく見れば髪の間から覗く耳が僅かに赤い。
「そのうち、呼んでくれるの?」
「さぁな」
照れ隠しなのか、北村は曖昧に誤魔化した。
キスは平気でするくせに、何故名前を呼ぶくらいでそこまで恥じるのかが分からない。北村の羞恥のツボは謎だ。
「早く呼んでくれると嬉しいな」
ニヤニヤしながら、北村の顔を覗き込む。
彼は仏頂面だったが、頬は予想通り真っ赤だった。
「時間はあるのだから、急ぐ必要はないだろう」
「ほほーう?」
北村の発言に、遥の笑みが深くなる。
時間はある、と。つまり、すぐに別れる気はないと。
何とまぁ、サラリと嬉しい事を言ってくれるではないか。
「ふふ」
「……何だ」
遥が声を出して笑うと、北村は不思議そうな顔で首を傾げた。自分が何を言ったか、あまり解っていないらしい。つまり、あれは無意識な言葉。
「何でもなーい!」
「ッ!?」
遥は繋いでいた手を放すと、代わりに北村の腕に抱き着いた。
いきなりで驚いたのか、北村の目が見開きかれている。
ここは学校の廊下で、いつ誰が来るとも分からない。しかし、教室に戻るまではこのままでいてやろう。
遥は笑顔のまま、ギュッと抱き着く腕に力を込めた。
*END*