Step01.告白する
そうだ、告白しよう。
斜め3列前に座る想い人を見て、遥は唐突にそう思った。思い立ったが吉日、実行するのはもちろん今日、むしろ授業が終わったらすぐ。
残り数分の数学の授業を、早く終われと呪いをかける勢いで時計をひたすら睨み付けて過ごす。当然のことながら針のスピードは変わることなく、余計に時間を長く感じるだけだった。
焦れながら板書をゴリゴリとノートに写していると、終業のチャイムが鳴る。終わりの挨拶もそこそこに先生が教室を出て行った。それとほぼ同時に想い人へと声をかける。
「───北村君!」
「?」
席から腰を浮かしかけた彼が、遥の方を振り向いた。細い、少しつり気味の北村の目と視線が合う。ただそれだけで、気分が急浮上するのが分かった。
「何だ」
「話があるの、ちょっと来て!」
「ここで話せばいいだろう」
北村の眉が不可解とでも言いたげに寄せられる。世間話でもしたがっていると思われているのかも知れない。
さすがにこの場での告白はハードルが高い。人の目があると、純粋な答えを聞けない事もある。
「人に聞かれたら困ると思うんだよねぇ。私もだけど、北村君が」
「……どこに行くんだ」
笑いながら言うと、はぁ、とため息を吐かれる。半分脅したようなものなので、少し申し訳なさを感じたが、本当のことだ。
微妙に嫌そうな顔をしている彼を、「こっちこっち!」と教室から出て人気のない方へと誘導した。
階段の踊り場まで来ると、遥はコホン、と無意味な咳払いをしてかしこまる。
くるりと振り返れば、北村は相変わらず微妙に嫌そうな顔をしていた。無理矢理連れだされたのが、そこまで気に触ったのだろうか。
「はははー、そんな嫌そうな顔しても私は負けないぞー」
「は?」
「ほら、愛の戦士だからさ。多少のことではへこたれない、みたいな」
「俺は教室に戻る」
「うぉい!待てい!」
踵を返しかけた北村の腕を、慌てて掴む。訳の分からないことを言った自覚はあるが、まだ本題を話していないのに、教室へ戻らせてたまるか。
北村の微妙に嫌そうな顔が、完全に不機嫌そうなものへと変わる。戯れ言を聞かされるためだけに呼び出したのか、とでも言いたそうだ。
「用件は何だ。早く言え」
「うん、あのね、好きです」
「……は?」
サラッと告白したら、眉間に皺を寄せられた。北村のご希望通り、早く言っただけだと言うのに。
「何を言っている?」
「私は北村君が大好きだよ、と言っています」
遥がキリッとした真面目な顔で言うと、北村の眉間の皺が深くなった。
「笑えないぞ」
「笑われたら私は泣きますが?」
告白して笑われたら、大抵の人は心が折れるだろう。大抵のことは笑い飛ばせる自信のある遥も、さすがに耐えられない。と言うか、人の告白を笑うなど、どれだけ意地が悪いのか。
北村が「訳が解らない」とでも言いたげな顔をしている事が、遥には訳が解らない。
「何故泣く?それは冗談なのだろう」
「それ、って言うのは、私が北村君を大好きだと言っている事ですかね?」
「そうだが」
「おおっとぉー!?この人、私の告白を冗談とか言いやがったよ!?」
まさかだ。まさか告白を冗談として捉えられるとは、思いもしなかった。
予想外な反応に、遥は頭を抱えて叫び出したくなる。「何でじゃぁぁぁぁぁぁ!!」と言う叫びが喉まで出かかった。
「違うのか?」
眉間に皺を寄せたまま、北村は不思議そうに首を傾げる。
「違うわ!首傾げるなよ可愛いなチクショウ!」
「は?」
「あ、いやいや、ゴメン、何でもない」
うっかり口を滑らせてしまった。可愛いと言われて喜ぶ男は滅多にいないだろうと、遥は適当に誤魔化す。
「だって普段真面目って言うかお堅い感じの北村君が首傾げるとか個人的にたまらん!!好き!!って感じだったんだもの」
言ってから気付いた。何を余計なことを口走っているのだろう、と。誤魔化すどころか、全部解説してしまった。
案の定北村はキョトンとしている。その顔も可愛いですね好き。
「何を言っている?」
「北村君の魅力を、一息に語ってみただけだから気にしないで」
誤魔化すのどこまでも下手か。普通は気にするだろう事しか言えず、遥は自分の馬鹿さ加減にこめかみを押さえた。
しかし、北村はまた不思議そうに首を傾げただけで、特に深くは聞いてはこない。そんな北村に、変なトコ素直だよね好き!!と遥は心の中で何度目かの告白をした。
「で、北村君は何故、私の告白を冗談とか思ってくれちゃった訳ですか?」
「信じられんからだ」
「わぁ!私信用なーい!」
真顔でズバッと切り捨てられ、遥は心に確かなダメージをくらった。好きな人に言われると来るものがある。
「北村君よ、私は今泣きそうだよ」
「嘘だな」
「全否定かコノヤロウ!」
告白は冗談だと思われるし、泣きそうだと言えば嘘だと返されるしで、散々な扱いだ。まぁほぼ戯言ばかりペラペラ喋っていたことは分かっているので、仕方ない気もするのだが。
しかし、だ。
遥は拳を握りしめる。
「でもそんな北村君が大好きです!!」
「………………………」
「イヤンそんな全力で胡散臭そうな顔しないで!」
実際、胡散臭い訳だが。北村は微妙に後退りして遥から距離をとっている。
そんな北村に、遥はズビッと人差し指を突き付けた。
「いいさ、信じてもらえないなら、信じてもらうまでですよ!」
「人を指差すな」
「あっハイ!サーセン!」
遥は直ぐ様人差し指を引っ込め、姿勢を正す。勢いを付けたかったのだが、生真面目な北村相手には間違ったアプローチだった。
いぶかしげに眉が寄せた彼は、ため息を吐いて口を開く。
「それで、今のはどう言った意味だ」
「私がどれだけ北村君大好き過ぎで、あいらーびゅ、あいうぉーんちゅ、私の青春捧げたいって感じなのか教えてしんぜよう、って意味です」
遥が至極真面目な顔で説明になっているか微妙な事を答えると、北村は意味がよく分からなかったらしく、「は?」と首を傾げた。
当然すぎる反応に、遥はそろそろ脳と口が直結しているかのように思ったことをそのまま話すのを止めよう、と心に誓う。即座に破ることは明白だが。
「今、何と言った?」
「えーっと、簡単に言うと、これから北村君大好きアピールしまくるよ!って言ったかな!」
簡潔な説明をして、グッ、と良い笑顔で親指を立てて見せる。ペロリと口の端から出された舌が、何とも腹立たしい。
それを見た北村が、驚きと疑いと、微妙に呆れの入り交じった、何とも形容し難い表情になる。
何も言わないあたり、何と言葉を返せば良いのか判らないのであろう。
「ジト目の北村君だって、私は美味しく頂ける。むしろご褒美。ありがとうございます」
「お前は人を食べるのか?」
突然両手を合わせて拝み始めた遥から距離を取りつつ、北村は至極真面目な顔でそう尋ねてきた。
ストレートに意味を捉えられ、遥は驚いて目を見開く。
「え、北村君、それマジで言ってる?」
「は?お前、美味しく頂くと言っただろう」
「いやいやいやいや」
意味が違うと、遥は手を振りつつ首も横に振る。
「美味しく頂くって、そんな直接的な意味で言った訳じゃないから」
「じゃあ、どういう意味だ」
まさか説明を求められるとは。予想外だ。
顎に手を当て、どうにかオブラートに包みつつ、かつ正しく意味が伝わる言葉を模索する。
「んー、据え膳食わぬは男の恥、的な意味かな」
「…………」
北村は言葉の意味を考えているのか、遥と鏡合わせのように顎に手を当てた。
いや、そんな考え込む様な事じゃないんだけど、と遥は思う。どんだけピュアなんだお前は。可愛いかよ!余計な事吹き込みたくなるわ!などと、遥がろくでもない事を考えていると、不意に北村が口元を手で覆った。
何事かと遥が北村へと視線を向けると、彼は口元を手で覆ったまま、その視線から逃れる様に顔を背ける。
よく見れば、隠れていない耳が真っ赤だ。
「えっ、は??何その反応??可愛いね??好き!!」
「………教室に、戻る、ぞ」
ふいっ、と遥から顔を背けた北村は、そのまま踵を返して歩き出す。テンション高く告白する遥に突っ込みを入れる余裕など無い程に、動揺しているらしかった。
遥はニヤニヤと笑いながら、北村の背中を追いかける。あぁ、たまらない。
「ねぇ、北村君」
「………何だ」
教室に入る寸前に声をかけると、北村は足を止めてチラリと遥を振り返った。頬には、まだほんのりと赤みが残っている。
そんな北村に胸を高鳴らせながら、遥は人差し指を立てた。
「明日は、お弁当とか持って来ないでね!」
「……それは、俺に昼食を摂るなと言う事か?」
「違うわーい!」
見事にマイナスな意味で捉えて下さった北村の背中を、軽く叩く。
「これは手作り弁当フラグに決まってるだろ普通に!」
「ふらぐ?」
不思議そうな顔をした北村が、体を遥の方に向けた。やっぱ解んないよなー、とばかりに遥は「ハハハ」と渇いた笑い声を上げる。
「えーと、要するにですね、私が北村君のお弁当作ってくるよ☆って事かな」
「何故だ?」
「……YOU、よく鈍いって言われない?」
「……何故分かった?」
「愛故さ!って言いたいけど、これは多分誰でも分かるね!」
驚いた様に少しだけ目を見開いた北村に、遥は肩をくすめて、わざとらしくため息を吐いて見せた。
先程までの流れで、大体分かって欲しいのだが。ああ、だがしかし、告白は信じてもらえなかった事が前提としてある。ならば仕方がない気も、いややっぱ鈍いだろ。
「とりあえず、そういう事だから、明日はお弁当持って来ないでね」
身を乗り出ながら言うと、北村は気圧された様に身を引きながら「分かった」と頷く。
それを見た遥は「よし」と満足気に笑い、北村の横をすり抜けて教室に入った。
「明日のお昼、忘れずに屋上の入口前に集合するように!」
軽く呆然としている北村にそう言いつけると、遥は足取り軽く自分の席へ戻る。
椅子を引くと同時に、隣の席の男子が声をかけてきた。
「北村と一緒に、何処行ってたんだ?」
「ん?階段、って言うか踊り場?ねぇ、皆川、次って古典だよね?」
遥は席に座り、次の授業の準備をしながら返事をする。古典の教科書をどこにしまっていたか、記憶が曖昧で取り敢えず机の中を漁ってみる。
「……そうだよ、古典だよ」
遥の少し適当な返事が気に入らなかったのか、声をかけてきた皆川は不機嫌そうな声で答えた。
何で不機嫌なんだコイツは、と思いながら机の奥に手を突っ込むと、何かの本があったので引き出してみる。
「お、あった!」
それがお目当てだった古典の教科書で、遥は顔を輝かせた。
「なぁ、二人で何してたんだよ」
「んー?」
次にノートを出しながら皆川に視線を向けると、彼は仏頂面で頬杖を着いていた。だから、何でそんなに不機嫌なんだ、と遥は思う。
「告白」
「ぶッ!!」
正直に言ったら、吹き出された。
それと同時に、始業のチャイムが鳴る。しかし、まだ先生が教室に入って来る気配はなく、クラス内は騒がしいままだ。遥もそのまま皆川と会話を続けることにする。
「皆川、汚い!」
「俺が汚いみたいに言うなよ!お前のせいだろ!?」
「いや、実際今のは汚いわ!責任転嫁やめてクダサーイ!」
遥は自らの身を抱き、大袈裟に被害者の風を装う。
「何で、お前が被害者面してんだよ!」
皆川は遥を指さしながら、もう一方の手で腹立たしげにドン!と机を叩いた。遥はそれをフッ、と鼻で笑う。
「え、実際皆川の唾の被害者ですけど?」
「キモい言い方すんな!お前が吹き出す様な事言うから悪いんだろうが!」
遥を何度も指差すように、皆川はブンブンと腕を動かした。その腕を白刃取りして、遥はそのまま下に振り落とす。
振り落とされた腕を自らの膝に思いきりぶつけ、皆川は「ッて!」と小さく悲鳴を上げた。
遥は勝ち誇った笑みを浮かべ、手足を組む。
「だから責任転嫁はやめてクダサーイ。別に吹き出す様な事なんて言ってませーん」
「いや、だって休み時間にするモンか!?」
「他に何時するんだ。授業中?この問題の答えは『君を愛してる』だよ…!的な?」
「うわ、今、俺、超ゾワッとした」
芝居がかった調子で言った遥の言葉に、皆川は寒がるように自らの腕をさする。
「まぁ、皆川に言われたら吐くかな!」
遥はウインクしながらグッ、と親指を立てて見せた。
「誰が言うか!」
腹立たしげに皆川は眉を吊り上げる。今にも舌打ちしそうな顔だ。
「だいたい、普通は放課後とかだろうが」
「『普通』ってナンデスカ」
「『普通』の定義を今ここで討論する気はねぇぞ」
皆川はわざとらしくはぁ、と大きなため息を吐いて見せた。
「で?どうだったんだよ」
「そうですね……北村君本当最高堪らん好き!!って感じでしたかね」
机の上で指を組み、テレビのインタビュー風に遥はキリッとした顔で答える。
「黙れ変態が」
皆川はあっさりそれをぶった切った。
「お前の感想は聞いてねぇよ。そうじゃなくて、」
「すみません、遅れましたー」
皆川の台詞の途中で、やっと先生が教室へ入って来る。
始まった授業に、遥は居住まいを正し、前に向き直る───と見せかけて、北村の背中へと視線を固定した。
皆川は小さく舌打ちし、小声で遥に「後で教えろよ」と言うと、不満そうに緩慢な動きで前を向く。
しかし、遥は最早皆川の言葉など聞こえてはおらず、ひたすら北村の背中に視線を注いでおり、何も返事をしなかった。
遥は先生の「では、教科書の83ページを開いて下さい」と言う声を遠くに聞きながら、北村の背中を見つめる。
教科書を開き、遥は頬杖をつくと明日の弁当の献立を考え始めた。
北村の好みを完全に把握している訳ではないので、彼の好みよりもバランスを優先に考える事にする。
ノートを開いて、ペンケースからシャーペンを取り出すと指でクルクルと回した。ペン回しは、最早考えている時の遥の癖だ。
思い付いたおかずを、ノートの端にメモしておこうとしたが、後で消すのが面倒なので止めた。代わりに、ペンケースの中に常備している小さなメモ帳に書き記しておく。
候補を幾つか書き出して、その中から何品かに絞り込んだ。自分の分を作る時より、一品多くしておく。
一通りおかずを決めた所で、黒板に視線を移した。半分ほどが、文字で埋まっている。
これ以上溜めるとヤバイな、と遥は一気に板書をノートに写した。
写し終えてほっと息を吐くと、先生がまた新たに板書し始め、うぉぉいコノヤロォォォ!と叫びたくなる。遥が微妙に殺気立ちながらゴリゴリと板書を写しているのを見て、皆川が若干引いていた。皆川の視線に気付いた遥は、それを追い払う様にシッシッと手を振る。「こっちを見るな、授業に集中しろ!」と言いかけたが、人の事を言える状況ではないし、声を出して注意されるのも癪なので止めておく。
むすっ、とした顔で皆川が渋々前を向くのを見届けて、遥はメモ帳からまだ何も書いていない用紙を一枚破り取る。そこに、考えたおかずに必要な食材を書き出して、家にある食材は上から線を引いて消した。買い物メモの完成だ。
再び増えた黒板の文字を一気にノートへ写すと、現時点でのやる事が終わり遥はほっと息を吐く。
後は残りの授業を乗りきって、放課後スーパーマーケットに寄って帰れば良い。
楽しくなってきた遥は、知らない内に足の爪先を揺らしてリズムをとっていた。
好きな人の為に行動をおこす事は、割とどんな理由でも楽しいものだと遥は思う。
北村の背中を見ながら、緩む頬もそのままに授業を受けた。
放課後が待ち遠しいと言うよりも、明日のお昼が待ち遠しい。今日のお昼もまだなのに、明日のお昼まだかな、などと考えている自分が笑えた。
誰かに話したい様な、自分の心の中で大切にしておきたい様な、何とも言えない気持ちだった。
北村に対するこの感情が、嘘や冗談である訳がない。
遥はシャーペンを握りしめながら、例え振られても構わないから、北村に対する思いが本物である事だけは絶対に解らせてやる、と固く心に誓った。