Epilogue
「結論から言うと、志和里ちゃんのお母様は無実が証明されたわ。あと、一乃さんもね」
これを緋凪が聞かされたのは、廃墟街での一件のあと、かれこれ数日が経った頃だった。
更に数日後はクリスマスというこの時期、街に一歩出ればクリスマスソングが流れ、巷の空気はどこか浮き立っている。
瀧澤古書店でもカフェ・エリアにはクリスマスツリーが飾られ、BGMはレトロなクリスマスソング、古書エリアにはクリスマス関連の書籍を目立つ場所へ置いてある。
「で、肝心の村瀬俊之と204の女はどうなったんだ?」
午後は休店にしたこの日、緋凪はカフェ店内カウンター奥のオーブンから、焼き上がったばかりのスコーンを引っ張り出しながら問うた。クリスマス限定メニュー、アフタヌーンティーセットの試作品だ。
「このいい香りの中でする会話じゃないわよねぇ、絶対」
料理全般ポンコツの朝霞は、カウンターで頬杖を突き、若干その頬を膨らしている。
「うっさいな。この数日、あんたが全然その件について話してくんなかったのが原因だろ」
事実を述べると、朝霞は肩を上下させて口を開いた。
「204の女――もとい、是永智子は命に別状はなかったわ。発見が早くて手当が間に合ったから。まあ、取り調べにちゃんと応じるかはこれからだけど」
「ま、応じるしかないと思いますよ。村瀬俊之は供述始めてるって話だし、彼女の銀行口座から振り込み元不明の大金が見つかりましたからね。金額的にはタガが外れてんじゃないかってくらいの。それに、面通しすれば監察医の証言も取れるんじゃないかな。辿ってけば、いずれ十年前の事件までメスが入るでしょうね」
のほほんとした口調で言ったのは、その場にいた宗史朗だ。
珍しく由貴代を引き連れていない。彼女がいたら、警察内の捜査状況を一般人に漏らすなんて、などと色々うるさそうだが。
「入るかしら。仮に入るとしても、冤罪事件三つもこさえといて、それを今更認めて再調査するかって話になると別よね」
「あー、それ俺も同感」
冤罪で人生を破壊された人間の名誉回復や生活の保障よりも、自分たちの名誉を守ることのほうが大事なのが、現代日本警察だ。もっとも、自分たちの名誉を守るのが大事なのは、ある程度社会的地位が確かで、しかも上のほうにいる人間は全部そうだろうから、一概には言えないかも知れないけれど。
ともあれ、それを聞いた宗史朗は、「ご心配なく」とニヤリと唇の端を吊り上げた。
「きっちり、とあるマスゴミに情報リークしときましたから」
「は? それってまさか」
「そ。そのまさか。味方に付ければこんなに頼もしい人いないよね」
宗史朗が唇に人差し指を当ててウィンクする。仕草だけはいかにも可愛らしいが、言葉の内容と来たら空恐ろしい。
リークした相手があの男だとすれば、これから程なく、確実に、十年前からの誤認逮捕が、新聞とワイドニュースを賑わせるだろう。
そうしたら、警察は自分たちの杜撰な仕事をコテンパンに叩かれて、きちんとした再調査を開始せざるを得なくなる。まったくいい気味だ。
「しっかし、最後までやり切るかなぁ……いくら世間様が不名誉なスキャンダルが大好物でも、一話題の賞味期限て一時だろ。その間に十年前からの調査全部終えて、結果発表までやれるか?」
「ま、一斉放出しちゃったら難しいだろうけど、そこは彼の腕の見せ所じゃない? ほっといても小出しにして巧くやってくれるよ」
ニコニコとある意味怖い笑顔を浮かべながら、宗史朗はコーヒーカップを傾ける。
「……あんた、何でそんなにアイツを信用してんだ?」
「嫌だなぁ。人間的には全っ然信用してないけど、マスゴミとしての手腕は信用してるよ。利用できるモノ、利用しない手はないじゃない?」
「……怖ぇ男」
ボソリと呟くと、「何か言った?」と目の笑わない笑顔で訊かれて、慌てて視線を逸らす羽目になる。
何でもねぇよ、と返して、緋凪は厨房の奥へ一旦避難した。
前々からぼんやりと思っていたが、宗史朗ほど敵に回すと怖い男もいない。その点、ある意味あの男といい勝負だ、ということに果たして宗史朗自身が気付いているかは疑問だ。
ついでなので、スコーンに付けるあれやこれやを抱えてカウンターへ戻ると口を開く。
「だけど、十年前の事件ってことは、アイツの事件にまで捜査の手が入るってことだろ? それが四年前の事件まで何か影響するかな」
緋凪曰くのアイツ――角谷成は、この連続保険金詐欺殺人事件の最初の冤罪被害者の息子だ。そして彼は、春生の件はともかく、三年前の、緋凪の両親殺害には確実に関わっている。
それは、宗史朗も朝霞も分かっているのだろう。二人は難しい顔になり、やがて宗史朗が「どうだろうね」と呟いた。
「影響ができればあって欲しいと思うけどね。四年前の春生さん殺害事件と、三年前の千明夫妻殺害事件に関して、良かれ悪しかれ何らか影響が波及すれば、捜査のメスを入れるきっかけにはなるだろうから」
緋凪も瞬時、唇を噛んで目を伏せる。
「……ところで、凪君」
「うん?」
不意に、改まったように呼ばれて、緋凪は視線を上げた。
「……その……変なこと訊くけど、今凪君のご両親ってどうされてるか、凪君分かってる?」
「は?」
緋凪は眉根を寄せて間抜けな声を漏らす。
「どうされてるかって……」
殺されたんだから死んでるに決まってるだろ、という文章は脳を通過したが、口に出すのは躊躇した。どこを見ていいか分からず、目線をウロウロさせながら言葉を継ぐ。
「……その……イギリスに埋葬されたんだろ。その場は見てねぇし、墓参りも行けてないけどな」
答えてチラリと視線を上げると、朝霞も宗史朗も、どこか痛ましげでありながら安堵したような、複雑な表情を浮かべていた。
「……何?」
「じゃあ、廃墟街で村瀬と是永が逮捕された時のことって、覚えてる?」
「えっ?」
重ねて問われて、眉間にしわを刻んだまま記憶を遡ろうとする。
しかし、なぜか思い出せなかった。拳を額に当てて尚もその日の記憶を探り当てようとすると、ズキリと頭のどこかが痛んだ。
「ッ痛……!」
覚えず小さく悲鳴が漏れる。
「……凪君? 大丈夫?」
「ッ、……や、悪い……何でだろ。記憶が飛んでる……」
呟くと、ややあってカウンターに突いた手に、朝霞の手がそっと重なる。
「……朝霞?」
「凪君。今すぐじゃなくていいから……メンタルクリニックに行くこと、考えておいて」
©️和倉 眞吹2021.




