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緋凪の理不尽事件ファイル  作者: 神蔵(旧・和倉)眞吹
File.2 スケープゴートの求援《きゅうえん》
40/43

act.11 廃墟街《ゴーストタウン》の攻防

村瀬むらせ俊之としゆきの居場所、特定できたぜ』

 開口一番、皓樹ひろきが電話口で告げたことに、緋凪ひなぎは「何だって?」と頓狂とんきょうな声を上げた。

「どーゆーことだよ。今までケーサツでも行方掴めてなかったんだろ?」

 警察、という単語に、宗史朗そうしろう由貴代ゆきよが反応する。

 目が合った宗史朗に目配せされて、緋凪はスマートフォンをスピーカーに切り替えた。

『結論から言うと、村瀬はまだ都内とないにいる。そいつを締め上げれば共犯の女にも手が届くはずだ』


***


 皓樹はどうやら、亡き谷塚やつかの情報網をそっくり受け継いでいるらしい。

 谷塚が親しくしていた裏社会のお歴々は、根は人がよく、義理堅い者が多かったようだ。

 谷塚を慕っていた人間には、彼が生前、自身の『養子』兼『弟子』として紹介していた皓樹も、更にはその皓樹の親しくしている緋凪たちまでもが、生前の谷塚同様に『無償で頼みを聞くべき人間』という位置付けになっているらしい。

 彼らを動員できるということは、都内に追跡型の自動監視カメラが点在しているようなものだ。

 標的が定まれば、居場所を探し出すくらいは朝飯前、といったところか。


「――あそこだ」

 今は皓樹の舎弟となっている、尾崎おざきと名乗った男(明らかに四十代半ばで、皓樹より年上ではあるが)が緋凪たちを案内したのは、町外れにある廃墟エリアだった。

 数年前に都が買い上げて住人が退去し、空き家の多いエリアとして廃墟ファンに知られている区画だ。

「……本当にここか?」

 目の前にあるのは、その区画内では数年前まで変電所として使われていたという建物だ。閉鎖されたあとそのままになっており、一部の廃墟マニアにはこれまた人気の建物のようだ。

 敷地全体は、塀代わりのトタン板で囲われてはいるが、建物に通じる場所は玄関口のように開放されており、出入りは自由である。

 後頭部に鍔が来るようにキャップをかぶり、目の色を隠す為に茶色のサングラスを掛けている緋凪は視線だけで周囲を見回した。周囲に監視カメラはなさそうだ。

 一緒にいる人間の中で、顔を意識して隠しているのは緋凪だけだった。元来、緋凪の外見は、黒髪黒目が主流の日本にあって目立ち過ぎるのだ。少なくとも、日本国内での隠密行動には圧倒的に不向きなのは、緋凪自身がよく分かっている。

 もっとも、まさか隠密行動が必要になる日が来るなんて、今は亡き両親でさえ予測できなかっただろうけれど。

「間違いない。ヒロに渡された写真片手に全員で都内嗅ぎ回ったんだからな」

 自信満々に尾崎は頷く。

 その『全員』の内容を、知りたいような知りたくないような、複雑な気分だ。

「ターゲット見つけてからの数日は、皆で交代で一日アイツに張り付いてたんだ。奴は今、ここをネグラにしてる」

 トタン板で囲われた敷地から少し離れた物陰で、尾崎と緋凪、朝霞あさかと由貴代は顔を付き合わせていた。

 宗史朗は万が一の時の為に、志和里しおりに付き添っている。

 由貴代を志和里に付けなかったのは、由貴代が公的機関へ注進しようと暴走した場合、志和里に止められるとはとても思えないからだ。面倒なことになるくらいなら、最初から関わらせるほうがまだマシだ。

「……分かった。助かったよ、ありがとう。ほかに分かったことは?」

「そうだな……何日か前に、この廃墟エリアの中にひそんでる女に会いに行ったらしいって聞いたな」

「……女?」

 まさか、例のメッセンジャーだろうか。

 そう思ったのは、朝霞も由貴代も同様だったようだ。

「その場所、分かるか?」

 たずねると、尾崎は「当たり前だろ」と唇の端を吊り上げた。

「仲間が三人ずつ、交代で女のネグラで見張ってる。関わりがあるなら、女の情報も必要になるからな」

 さすが、元々裏社会で生きていただけあって、抜かりがない。

「……ねぇ、ちょっと」

 直後、朝霞がひそめた声を上げた。彼女のほうを見ると、物陰の向こうをうかがっている。

 素早く立ち上がって、彼女の後ろからその視線の先へ目を向けると、男が一人、旧変電所の敷地から出て来たところだった。

 彼は緋凪たちに背を向ける方角へ歩き出している。

 四人はさっと目配せすると、無言で男のあとを尾行つけた。


 男は、廃墟街ゴーストタウンの中を迷いなく歩き、ある建物の前で足を止めた。飾り気のないデザインの、小さなアパートだ。

「……例の女の潜伏場所だ」

 尾崎がボソリと呟いた。

 そのに、二階建てのそれに取り付けられた外階段を、男は甲高い音を立てて昇って行く。

「お仲間はどこで見張ってんだ」

「女に気取けどられない場所、としか言えねぇな。合流したほうがいいか?」

「万が一の時逃げられないように敷地を囲むように言ってくれると助かる。女のいる部屋番は?」

「204だ。階段上がってすぐ右手に行って、一番奥」

 男が昇り切ったのを見澄まして、緋凪は朝霞に目配せする。彼女が頷き返すのを確認すると、アパートの裏側へ素早く回り込んだ。バカ正直に階段を昇れば、尾行がバレてしまう。

 男の歩く真下で耳を澄ませ、足音が止まった位置を確認すると、一度そこから離れた。元は住人の駐輪場として使用されていただろう敷地の端一杯まで下がり、助走を付けて跳躍する。

 地上からだと高さ三メートルはあろうかという二階通路の手摺り壁笠木天端かべかさぎてんばいただきに飛び付いた。壁面へきめんに足を突っ張り、懸垂けんすいの要領でどうにか頭だけを二階通路へ覗かせる。誰もいないのを確認すると、一息に通路へ身体を引き上げた。

 念の為、201号室から取っ手を静かに動かすが、203号室のドアまでは、すべて鍵が掛かっていた。

(……ま、当然か)

 全室()き部屋になるにしても、今時浮浪者が住み着かない保証のほうが低い。地域の防犯の問題からも、鍵は掛けるだろう。

 もっとも、この程度の鍵は、緋凪なら三秒もあれば開けられるが。

(てことは、本職の泥棒とかには突破は訳ねぇってことだから、あーんまり意味はねぇよな……)

 顔だけで苦笑しながら、くだんの204号室の前に、足音を殺しながら歩く。

 音を立てないように注意しながら、ドアに耳を押し当てるが、中からの話し声は聞き取れない。当然といえば当然だ。

 鍵らしい鍵も付いていないような、ドアが障子戸だった江戸時代の長屋とは訳が違う。

(盗聴器でも仕掛けてれば別だろうけど……)

 試しに取っ手を動かしてみると、意外にもそこは抵抗なくノブが下がった。廃墟街には基本人がいないものだから、用心も半減するのだろうか。

 息を殺すようにして細くドアをけた瞬間、室内から漏れ出た殺気に息を呑む。同時にノブから手を離してその場を飛び退いた。直後、扉が乱暴に開け放たれる。

「……やっぱり誰か尾行つけて来てたか」

 ドアの向こう側からノソリと出て来た男が、低く呟く。

 緋凪は、もう一度息を呑んだ。パタ、という微かな音に気を取られた刹那、全身を寒気が貫く。それが、相手の殺意だと理解したのはあとになってからだ。

 とっさに手摺り壁を乗り越えて、自分から地上へ飛び降りた。ここで無理に二階の通路にとどまろうとすれば、階段から転げ落ちる可能性のほうが高い。

 表に回ろうと駆け出すと同時に、その通り道、真横にあった階段から派手な足音がして、男の身体が階段の手摺りから舞った。

 反射的に急停止して後退するのと、男が数メートル先に着地するのとは、コンマ一秒も違わない。

「一人か、ガキ。誰の差し金だ」

 覚えず舌打ちする。

 皓樹の調べた情報に拠れば、村瀬は医大生崩れの無免医師のはずだ。てっきり頭脳系オンリーかと思いきや、運動神経も並以上のようだ。

 この時になって、相手が抜き身のナイフを握っているのに気付く。やたら殺傷力の高そうなサバイバルナイフのたぐいだ。

 途端、ドクン、と心臓が大きく脈打つのが、奇妙なほどはっきりと認識できた。

 男の握る、血の滴るナイフが、両親の死に様を、唐突に否応なくフラッシュバックさせる。

「ッ、……!」

 鼓動がり上がり、呼吸が浅くなる。急に暴れ出した心臓を宥めるように胸元を掴んだ。握り込んだティーシャツが、複雑なしわを刻む。

「凪君!」

 脳内が常にない鼓動音で支配されそうになった時、それを阻むように名を呼ばれた。その声に、男もそちらを振り返る。

「おとなしくしなさい! 警察よ!」

 男の向こう側、手前に朝霞がいて、その後ろにいる由貴代が警察手帳を掲げている。

 男は鋭く舌打ちすると、緋凪に向かって手を伸ばした。

 緋凪は歯を食い縛って、その手を払うことに集中する。手の軌道を逸らしざま、男の鳩尾みぞおちに蹴りを入れた。

「ぐあ!」

 思わぬ反撃だったのか、まともに食らった男は悲鳴を上げて地面へ倒れ込む。

 駆け寄った朝霞が男の持っていたナイフを蹴り飛ばし、次いで男の手を捻り上げるようにしながら彼をうつぶせに転がす。

 続いて飛び掛かった由貴代が、男の空いた腕を同様にその背後へ捻り上げ、彼の両手を後ろ手にまとめると手錠を掛けた。

「十二月十五日午後一時、村瀬俊之! 銃刀法違反の容疑で逮捕!」

 彼女が自分の腕時計を見ながら、罪状と逮捕を宣言する。

 それを、緋凪は両膝に両手を突き、肩で息をしながら見ていた。本来なら、これくらいで息が上がることなどない。

 だが、今はフラッシュバックの反動か、まだ脳裏に両親の最期の姿がチラ付いていた。可能ならこの場に寝そべりたいほどの疲労が、重力に上乗せされている気がする。

「凪君、大丈夫? 怪我は?」

 傍に来た朝霞に、うつむいたまま小さく首を横に振って見せる。

「……でも……まだだ」

「凪君?」

「204の女……無事を確認できてねぇ」

 朝霞が息を呑むのが気配で分かった。

「尾崎君! 204、確認して!」

「了解!」

 尾崎は威勢よく返事をしたのも聞こえた。だが、彼が階段を駆け上がる音は、妙に遠い。

 凪君、と朝霞が呼ぶ声もだ。

 膝が抜けるように力が入らなくなったが、その膝をコンクリートの地面へぶつけることはなかった。

 誰かに抱き留められたのが分かる。耳元で呼ぶ声に、返事をしたのかしなかったのか、自分でもよく分からない。

 ただ、無意識にその誰かにしがみついた直後、緋凪の意識はブツリと途絶えた。


***


 緋凪の様子がおかしいのはすぐに気付いた。

 男が階段を駆け下り、半ばで手摺りを飛び越えるのを確認するや、朝霞も駆け出していた。

 着地した男の向こう側に見えた緋凪は、なぜか胸元を押さえている。サングラスで顔が隠れていても、その顔色は蒼白なのが瞭然だった。

 あとから来た由貴代が、男を後ろ手に拘束するのを見届けてから、緋凪を確認する。

 普段はほとんど息も切らせずにジョギングをこなすような少年が、思い切り呼吸を乱していた。加えて、男が持っていたナイフに血がベットリと着いていたから、怪我でもしたかと思ったのだが、そうでもないようだった。

 それでも、様子がいつもと違うのに変わりはない。

 そう思っている側から、彼は急に膝が抜けたように身体をかしがせた。

「凪君!」

 慌てて抱き留めたが、彼がコンクリートに身体をぶつけないようにするのが精々だった。

 朝霞も元は刑事で、今も鍛錬は怠っていないほうだが、悲しいかな、十七の少年を、所謂お姫様抱っこできるほどの腕力はない。緋凪が、その年齢の平均よりも小柄と言えども、だ。

 朝霞は彼と一緒に、できるだけゆっくりと地面へ腰を落とした。

「凪君? 大丈夫?」

 耳元で小さく呼ぶと、彼の手に不意に力が籠もった。その手が、縋るように朝霞にしがみつく。

「……さん」

「えっ?」

 聞き返したが、彼の反応はない。サングラスをそっと外してみると、その瞼は閉じられていた。

 一瞬しがみついたと思った彼の手からは、力が抜けているのに気付く。

「……大丈夫ですか?」

「ソイツから離れないで!」

 朝霞は、こちらに目を向けた由貴代に鋭く叫んだ。彼女が途端、ビクリと身体を震わせる。

「……そのまま、あんたはソイツを押さえ付けることだけ考えてて」

 静かに続けると、由貴代は返事の代わりに男を拘束する手足に力を入れ直した。それを確認しながら、朝霞は言葉を継ぐ。

「いい? あんたが持ってるのは警察権力だけよ。手錠掛けただけで大の男が物理的な力も使わないのに意のままになると思わないで。刑事は江戸時代の黄門様じゃないし、警察手帳は印籠じゃないの。手錠と警察手帳だけで犯罪者が頭下げてくれると思ったら大間違いよ。後ろ手に拘束されてても逃げる奴は逃げるし、抵抗する奴は抵抗する。足蹴りしか使えなくたって立派な武器になるの。どーしても容疑者地面に転がして、自分が自由にほかに仕事したけりゃ、足にも手錠掛けてからか、急所蹴っ飛ばして気絶させてからにしなさい」

 最後の台詞を宗史朗辺りが聞いていたら、「物騒だ」とか、「それどっちが容疑者だか」というツッコミが飛びそうだ。

 しかし、由貴代はそういうことを言う余裕はないのか、辿々(たどたど)しく「は、はい」と小さく言って首肯した。

 直後、「あねさん!」と叫びながら、尾崎が通路の手摺り壁から半ば身を乗り出す。

「たっ、瀧澤たきざわの姐さん、大変です! 女が、204の女が死んでる!」

「軽々しくバカなこと言わないで! 脈診てからモノ言ってんの!? 応急手当もせずに喚く暇があったら救急車と警察呼んで、早く!」

「はっ、はいっ!」

 尾崎が自身のスマートフォンを取り出すのを見届けてから、もう一度、腕にかかえたままだった緋凪に目を落とす。

 白い頬に影を落とした長い睫毛まつげは、ピクリとも動かない。

 頸動脈に指を当てて、ひとまず脈打ってるのを確認すると、朝霞は周囲を見回した。やがて、自身が蹴り飛ばした、男の持っていた凶器が目に入る。

「……由貴代ちゃん」

「はい」

「尾崎君が降りてきたら、ソイツの拘束代わってもらって、凶器回収して」

「分かりました」

 目線を据えたままの先にあるその凶器には、やはり血がベットリと付着していた。緋凪の血かと思ったそれは、尾崎のげんからすると、204号室にひそむ女のものだろう。

 目算で刃渡りが二十センチほどあるそれの、半分ほどが血に染まっている。あの血の着き方からすると、傷の深さは相当だ。もしそれが、女を害した結果だとすれば、果たして彼女が助かるかどうか――かすかによぎった不安を振り払うように、朝霞は一瞬目を伏せた。


***


 コンコン、と小さくノックの音が響いて、朝霞は急いで腰を上げた。無言のままドアをスライドさせると、その向こうには宗史朗が立っている。

 彼と無言で目を見交わし、彼を室内へ招じ入れた。

 室内にはベッドが一つあって、そのベッドの上には美貌の少年がまだ眠っている。

「……すみません、遅くなって」

 時刻は、午後四時だ。

「事件の後処理があったにしちゃ、早いほうじゃない?」

 苦笑して朝霞は肩を上下させる。すると、宗史朗も似たような微笑を浮かべた。

「その後処理、まだ終わってないんです。すぐ戻んなきゃなんなくて」

 小声で言うと、宗史朗は眠る緋凪に視線を移す。

「どうしたんです? 急に倒れちゃったって聞いたけど」

「……一通り検査はしてもらったわ。肉体的には問題なさそうだから、何らかの精神的なショックだろうって」

「……明日雨ですね。緋凪君、流血沙汰の修羅場に人一倍強そうなのに」

「それこそ聞かれたら張り倒されるわよ」

 呆れたように横目で宗史朗を見ると、朝霞も緋凪に目を落とした。

「……じゃ、真面目な話。現場で何があったんです?」

「……何もない、って言いたいトコだし、少なくともあたしが見た限りじゃ、倒れちゃうほどの精神的ショック受けるような何かがあったとは思えないんだけど……」

 実際に、緋凪はこうして意識を失っている。それだけの『何か』があったと考えるべきだった。

 朝霞は、無意識に側頭部の髪を掻き上げる。

「ここに凪君が担ぎ込まれてから、あたしもずっと考えてたんだけどさ……宗君、覚えてる?」

「何を、ですか?」

「凪君の、実の両親の死因」


©️和倉 眞吹2021.

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