act.9 手懸かり
「あくまでこの件が終わるまででいいから、情報収集に協力する気、ない?」
「は?」
「宗史郎、正気かよ!」
宗史郎の提案に、緋凪が怒鳴るのと北里が首を傾げるのとはほぼ同時だった。
「これが正義の為にほぼほぼボランティアの善意で動いてくれるタマに見えるか!?」
これ、と言いつつ、緋凪は躊躇いなく北里を指さした。通常、『人を指さしちゃいけません』とは言われるが、彼のような男に尽くす礼儀は持ち合わせていない。
「下手すると、ほかの人間食い物にする材料くれてやるよーなモンじゃねーかっっ!」
「……言ってくれるねぇ、千明君」
口調とは裏腹に、まったく堪えていない表情で、北里は目を細めた。
「でも安心してよ。僕にだって選択基準はある。答えは『ノー』だ」
食い下がるかと思いきや、宗史郎もあっさりと「分かったよ」と引き下がった。
「それじゃ、この資料は遠慮なくいただいて帰るね。これで取引は完了ってことで」
テーブルに広げられていたファイルを片付けながら、宗史郎は口調を改めた。
「但し、ICレコーダーの録音と、それを書き起こした文書はこちらでだけ保管させていただきます。はっきり言わせてもらいますが、僕も個人的にはあなたをまったく信用できません。録音データ及び文書のコピーを渡すことによって、何か予測不能な被害が起きそうな気はするので、それを防ぐ為にも公正性を欠くのはご容赦ください。のちほど僕の連絡先を渡しますので、必要なら閲覧には来ていただいて構いませんから」
北里もまた、何度目かで肩先を上下させると、「ご自由に」とだけ返した。
***
「……ったく何考えてんだよあんた、ホンット信じらんねぇ」
北里の家から資料を持って帰る道すがら、ブツクサと文句を言う緋凪に、宗史郎は苦笑するばかりだ。
「ごめんね。でも真面目な話、彼の情報収集能力は買いだと思ったんだよ」
「それにしたって!」
「あたしもそう思った」
緋凪の反論を封じるタイミングで朝霞も口を開く。
「正直言って、宗君の社会的地位は、今回みたいな時にああいう男を巧く操るには最適だけど、ケーサツって組織は個人的な情報収集には手を貸してくれないものね」
「でっ、でもっ」
怖ず怖ずといった調子で由貴代が話に入ってくる。
「捜査に正当なことなら警察は手を貸してくれるはずです。もちろん捜査情報は一般人には漏らせないモノもありますが、犯罪捜査が進展するとなればキチンと捜査して」
「バッカじゃねぇの?」
吐き捨てるように緋凪は由貴代を遮った。
「ケーサツがそんな真っ当な組織かよ。場合によっちゃ無実のガキにだって冤罪着せるのには必死になるけど、碌な捜査なんかしやしねぇってのに」
「そんな!」
「おキレイなトコしか知らない嬢は黙ってろよ。上の命令こなすしか能がねぇなら、ケーカンなんかやめちまえ」
「あなたに何が分かるんです! 警察はちゃんと市民の為に働いてます、あたしだって」
「あんたこそ何を知ってんだよ。俺らが四年前からどんな目に遭って来たか、知っててモノ言ってんのか?」
「緋凪君」
緋凪が本格的に苛立ち始めたのを敏感に察したのか、宗史郎が穏やかに名を呼んだ。
「八つ当たりはダメだよ」
「八つ当たりじゃねぇよ。モノ知らずのお嬢に世の中説明してやってるだけだっつの」
「白峰さんが君の言う通りのお嬢だってことくらい、僕だって知ってるよ。でも、彼女の世界はそれで回ってる。それに苛立ったからって君の怒りを彼女にぶつけるのはお門違いだ。四年前からの警察の不正と彼女個人は、何の関わりもないんだからね。違う?」
由貴代に対してフォローになっているのかいないのかは微妙なところだったが(実際、彼女はかなり複雑な顔付きになっていた)、緋凪に対するそれは正論だ。
反駁しようと開き掛けた口は、巧い言葉を見つけられずに閉じるしかない。
それを見て取ったのか、宗史郎は優しい苦笑を浮かべて、緋凪の頭をポンポンと軽く叩いた。それがどこか、今は亡き父を思い起こさせて、出し抜けに涙腺が緩みそうになる。
慌てて顔中に力を入れて深呼吸すると、改めて口を開いた。
「……なあ」
「ん?」
「情報屋が欲しいんなら、心当たりがないこともないぜ」
「ホントに?」
「ああ。あとで連絡するから宗史朗の非番の日教えて」
「分かった」
「あたしには言えないことですか?」
不服そうな由貴代の声に、緋凪と宗史朗は足を止めて振り返る。
緋凪は、声と同じ顔をした由貴代を、その深海の瞳でしばらく見つめ、宗史朗に視線を転じた。
「……俺的には彼女、身内じゃないんだけどな?」
しかし、宗史朗が答えるより早く、由貴代がズンズンと歩を進め、宗史朗との間に身体ごと割り込んで来る。
「身内とか部外者とか関係ないでしょう。今日あたしは捜査に関わりがあるからってここまで引っ張ってこられたんですよ?」
すっかり敬語が癖になっているのか、それとも普段の口調が敬語なのか、彼女から見れば恐らく年下の緋凪相手にも、宗史朗に対するのと同じ言葉遣いだ。
「僕の名誉の為に弁明するけど、引っ張ってきたんじゃなくて、早上がりにするから帰ってって言ったのに、君が勝手にひっついて来たんだよね?」
宗史朗曰くの『弁明』を、由貴代は華麗にスルーした。
「だったら身内かどうかはともかく、あたしにも関係あります。ここまで関わったんだから、聞かせてください」
「無理」
しかし、即座にあっさりきっぱり言い切った緋凪に、由貴代が反射的に噛み付く。
「何でです!?」
「あんた、宗史朗には後輩みたいだから、組織でもまだまだ下っ端だろ。宗史朗より上の上司に今日何をしてきたか、どこに行ってたか、訊かれて適当に誤魔化せるか?」
「誤魔化すのは無理です。訊かれたら報告の義務がありますから」
「だからあんたには漏らせないって説明されなくても察しろよ。今日のことに関してだけでいいから漏らさないように頑張ってくれると助かるが、上辺だけでも俺に対して『誤魔化せる』って言えない愚直さじゃ、『頑張る』のさえ期待できねぇのは分かってるから無理はしなくていいけどな」
「な」
唖然、という表情はまさしくこれだ、という顔で、由貴代は固まった。
それを放置して、歩みを再開する緋凪の背後から、宗史朗が由貴代に声を掛けるのが耳に入る。
「ごめんね。彼、ホントーに重度の警察不信なだけなんだ。あとちょっと口が悪いだけだから許してやって」
「フォローなのかよ、あれ」
ボソリと呟くのと、横を歩いていた朝霞が覚えずといった様子で吹き出すのは、ほぼ同時だった。
***
『ごめん、今日行くのは無理そう』
という連絡が宗史朗から入ったのは、彼の非番の日、皓樹に事情を話して久し振りに四人で会おうと待ち合わせた当日の午前中だった。
場所は、かつて谷塚が管理し、今はその管理権が皓樹に移っている、訳あり者限定のあのマンションの一室だ。
「……で、理由は?」
『それがさー。尾行されてるみたいなんだよね、白峰さんに』
頭のめでたいお嬢だろうが何だろうが、腐っても現職の警官というところだろう。もっとも、尾行を標的に気付かれてる時点でまだまだだが。
「分かった。あとで朝霞から連絡入れるように伝えとく」
『ありがと。ところで情報屋さんが誰かってところは言えない?』
「悪い。ケータイだと盗聴の可能性あるから」
『そうだね、分かった。じゃ、朝霞さんから連絡入るの待ってるよ』
「うん、伝えとく」
画面をタップして、通信を終えたスマートフォンをカウンターテーブルに置く。
「宗さん?」
隣のスツールに腰を下ろしていた皓樹が訊ねた。
「ああ。何か相棒に尾行されてるっぽい」
「あー、あの子ね。まあ、あれで諦めるような性格じゃなさそうだとは思ってたけど」
カウンターを挟んで流しに立っていた朝霞が、買って来ていたケーキを取り出しながら相槌を打った。
「じゃ、余った宗君の分のケーキは皓君にあげるわ」
言いながら、朝霞が残ったケーキを箱ごと元通り冷蔵庫にしまう。
今いる809号室は、今回の集まりに当たって押さえるついでに、当面皓樹が住居代わりにしているらしい。
「え、いいんスか?」
「いーのいーの。どうせカフェに戻れば凪君がいくらでも作ってくれるから」
「あー、それもいいっスね。全部片付いたらカフェにお邪魔しよっかな」
「……あんたはちったぁ自分で作れるようになる気はねぇのか」
流しから差し出されたケーキを受け取った緋凪は、頬杖を突いて朝霞を睨め上げる。
「何言ってんのよ。もう台所に立つなって言ったの、凪君でしょ」
「日本語正しく理解できてねぇのかよ。マトモに作れねぇ内は立つなっつったんだ。自主的に料理教室に通うとか、俺の口に入れずに練習するとか、いくらでも手はあるだろが。幸い味音痴の嫌いはねぇんだし」
「……で、普段の食事も凪が担当なの?」
皓樹が、恐る恐るといった様子で会話に入ってくる。緋凪はコーヒーを傾けながら頷いた。
「まあな。これで俺が家でも出てった日にゃどーなるんだか」
「凪君と同居するようになる前は一人暮らしだったけど、どうにかなってたってトコ、お忘れなく」
「どう『どーにかなってた』のか、その辺詳しく知りたいね。ま、大方いつもコンビニ弁当かファミレスかファーストフードで済ましてたんだろーけど」
呆れたような流し目をくれると、綺麗に図星だったのか、朝霞は言葉を詰まらせるように口を噤んだ。
「じゃ、そろそろ本題に入るか」
いつの間にかケーキを平らげた皓樹は、テレビの前に設えてあるローテーブルに、自分のコーヒーだけを携えて移動した。
ローテーブルの上には皓樹のノート型パソコン、周りには先日北里から没収――もとい、譲り受けた資料が鎮座している。
話題がコロリと上手に転がった為か、朝霞もそれ以上前の話題を引きずらず、同じように自身のコーヒーとケーキを持って移動した。緋凪もそのあとに続く。
「その北里って奴についてはもういいのか?」
パソコンはスリープモードにしてあったのか、皓樹がセンサーに手を触れ、パスワードを打ち込むと、すぐに画面が立ち上がった。
「悪いな、頼んどいて。まあ何か分かったんなら聞かして欲しいけど」
「聞くんなら金取るぞ」
「その辺は朝霞に訊いてくれ」
それを受けて皓樹が朝霞に視線を転じる。朝霞は小さく頷いて口を開いた。
「あとで纏めてお支払いするから、調べたこと全部話してくれる? それから資料と情報すり合わせて、今後の行動を決めましょ」
「りょーかい」
答えた皓樹の両手が軽やかにキーボードの上で飛び跳ねる。
「北里の書いた過去記事について二、三当たってみたけど、本気でクズだな。仕事は誹謗中傷に近いゴシップ記事しかない。まあ、事実と照らし合わせたわけじゃねぇから、でっち上げかどうかは何とも言えねぇけど。情報収集能力はありそうなのに勿体ねぇよな」
「ほかに何か分かったことは?」
「父親もゴシップ記者だったらしい。それが原因かは分からねぇが、両親は奴が小学生の頃からしばらく別居したあと離婚。その後、奴は父親に育てられたみたいだ。あとは、大学卒業後、一年くらい小さい週刊誌社に勤めてたらしいってことと、当時の同僚や学生時代の同級生によるとかなり嫌われ者だったってことくらいかな」
「嫌われ者?」
「ああ。どうやら小学校高学年から大学卒業まで、今とあんまり変わらないことやってたらしい。おかげで友人て呼べる人間はゼロっぽい」
「……だろーな。俺だって学校にいたら避けるか叩きのめすかするぜ、あんな奴」
北里のいけ好かない語り口や、自分の曲がりまくった主義をさも絶対の正義のように得々と披露する姿が思い出されて、思わず舌打ちする。
「じゃ、志和里ちゃんの件は? 確か、皓君に依頼したって凪君に聞いたけど」
朝霞が問うと、皓樹は頷いた。
「こないだ、もう朝霞さんたちに俺との繋ぎを付けたいって言われて、その日に凪からもらった北里の資料から手ぇ着けたんだ。だから、北里の資料とかぶってるところもあるけど、纏めだから勘弁して」
言いながら、皓樹がパソコンの画面が緋凪たちにも見えるようにクルリと回す。
「志和里の件に限定すると、事件発生は今から五年前。被害者は清宮克典、加害者は表向きの話は妻だった清宮七和佳。殺害現場は静岡の克典氏宅で、逮捕当時、容疑者とされた七和佳さんが住んでたのは千葉県。二人は事件の二年前から別居状態で、克典氏は死ぬまで妻子とは顔を合わせてなかった。加えて、七和佳さんと志和里母娘は、克典氏がどこにいるのかさえ知らなかった。なのに突然、五年前、七和佳さんは克典氏殺害の実行犯として逮捕された。保険の契約についてはオンラインだったから、仮に手続きしたのが偽物だったとしても、七和佳さんの無実の証明にはならない。だから、銀行口座の開設を攻めてみたんだ。開設日と解約日は北里が調べ上げてくれてたからその分は楽だったけどね」
言いながら、皓樹はどこから落としてきたのか、動画データのリストを表示した。
「これ、開設日と解約日の当該銀行の防犯カメラ映像。どれが誰かってことまではさすがに分かんないけど、この中に七和佳さんはいなかった」
「けど、七和佳の無実を証明するのには、それだけじゃ弱いよな……」
緋凪は無意識に眉根を寄せて、朝霞を窺う。
朝霞も似たような表情だ。
「そうね。仮に、彼女が開設・解約した口座を手続きしに来た人物が分かったとしても、本人に頼まれたって言われたらアウトだし」
「こっそり調べるのはこういうの、限界があるからな。けど、所在がはっきりしてる人間は何人かいるぜ」
「ホントか?」
「ああ。解決の優先順位的にまず、克典氏の件。最初に克典氏の死亡を通報したのは、当時同居していた七和佳さんを名乗ってた謎の女。これは当時の克典氏の近所の防犯カメラ映像」
「マジで? 五年以上前のなのに」
思わず言うと、皓樹はニヤリと唇の端を吊り上げた。
「残ってるトコには残ってんだよ。その映像の主が、果たして妻の七和佳さんを名乗ってた女かは確認してみねぇと分からねぇけど、十中八九、間違いねぇ」
「そう言える根拠は?」
確信的な皓樹の言い方に、朝霞が追及する。すると、何度目かで皓樹の指先が軽やかにキーボードで踊った。
「話が逸れるけど、これ、一件目の被害者・立川健氏が住んでた家の近くの防犯カメラ映像。それと最近の被害者・佐伯慎太郎氏宅近所の防犯カメラ映像の拡大鮮明化画像」
彼の指先がエンターキーを押すと、画面に三枚の写真が表示される。
どれもサングラスと鍔広の帽子をかぶっているが、女性のようだ。
「この三枚の写真、顔認証でバッチリ一致したぜ」
彼が更に操作すると、三枚の写真が、見える位置だけを抜き出し、一枚に重なる。パソコン内で認証操作が成され、やがて画面に『99・7% 合致』の文字が点滅した。
「……けど、通報した人物は確か、それぞれ被害者の妻とそっくりな顔してたって話だよな……」
だとすれば、この女は少なくとも被害者宅に出入りしていたという、ただそれだけの人物に過ぎない可能性も出てくる。
そう言いたいのを察知したのだろう。皓樹は反駁した。
「通報の時は変装してても、ほかの時は? 毎日毎日いちいち変装してられないだろ。その為のサングラスに帽子じゃねぇか?」
「にしたって、これじゃ個人特定はまだ難しいだろ」
「でも、顔認証でそれぞれの件の容疑者とは全員違うって結果は出た」
本来なら、ここまででも警察の仕事だ。
ここまで来れば、少なくとも被害者の妻たちを纏めて誤認逮捕、などという理不尽な事態にはなっていないだろう。どこまで杜撰なのか。
「被害者の死亡診断を最初に出した医者のほうは? 名前だけは北里の資料にもあったわよね」
「それも偽名。但し、立川健氏の件の時の死亡診断した医者は本名らしい。名前は村瀬俊之、当時三十歳。無免で医者を名乗った詐称容疑と、文書偽造で指名手配中。まだ捕まってないけどな」
「じゃ、あとの二件の死亡診断した医者も、その村瀬って奴と同一人物か?」
「多分な。被害者が死んだ時、どの件も自宅に呼んでるから、防犯カメラにも医者らしき人物が映ってた。顔認証の確認も済んでる。三件共同一人物だ。巧く行方眩ましてるみたいだから居場所の特定はできてねぇけど」
「でもそこまでしといて、何でここまで全部殺人事件に発展してんだ? 犯人は金儲けして、尚且つ捕まりたくないから診断書の偽造とかしたんだろ?」
「一件目は監察医として検死を担当した青柳孝啓って医者が殺人を主張したからだ。でも通報した人物の名前だけで思い込みの捜査ってヤツがなされた。それが立川リエの逮捕に繋がったんだ。最初に弁護を担当した弁護士も無実を主張してたんだけどな。何らかの圧力が掛かってその弁護士は解任、青柳も法廷に呼ばれることはなかったらしい」
「じゃ、二つ目と三つ目の事件はどうして」
「二件目は監察医にも袖の下が渡ってたから、もし監察医が強欲で図太かったら多分発覚しなかっただろうな。けど、いくらも経たない内に監察医が自分から警察に駆け込んだ。良心の呵責に耐えられなくなったらしい。その蒲田勝って監察医は、死因詐称の罪で起訴、及び医師免許は剥奪されたけど、自首したのが考慮されて執行猶予中。今はここに住んでる」
皓樹の手が、センサーとキーボードの間を行き来し、画面が切り替わる。地図と、その住所が文字で表記された。
「じゃ、そいつに話を聞けば」
「ああ。多分、真犯人について何か情報が得られるはずだ」
©️和倉 眞吹2021.




