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緋凪の理不尽事件ファイル  作者: 神蔵(旧・和倉)眞吹
File.2 スケープゴートの求援《きゅうえん》
32/43

act.3 過去の片鱗

 特上に面倒臭い人間が出て来た。

 そう思いながら、緋凪ひなぎは溜息をく。

「あの……千明ちぎら……さん」

 ICレコーダーの録音を停止すると同時に、背後から声が掛かった。

 振り返った視線の先にいた志和里しおりは、まだ怯えた顔をしている。

「緋凪でいいよ。あんた、確か高二だったろ」

「え、は、はい」

「なら同い年だ。敬語も使わなくていい」

「えっ、そ、そう……なんだ」

「そうなの。で、何」

「い、い、……え、あの」

 ウロウロと視線を泳がせたあと、志和里は目を伏せる。

 どうも、人と視線を合わせられない性分らしい。もっとも、彼女の生い立ちを思えば、無理もないが。

「あの人……これでもう来ない……ってこと、ないよね」

「……ないだろうな、残念ながら」

 吐息混じりに言いながら、きびすを返した。

「来いよ。送ってくから」

「えっ、で、でも」

「でももだってもねぇ。あんなストーカー予備軍がうろついてるかも知れないのに、一人で帰せるわけねぇだろ」

 ピシャリと言うと、志和里は肩を縮める。

 再度息をいて、店のドアを開けた。コロン、とカウベルの音が、どこか場違いに軽い音を立てる。

朝霞あさか

「やっぱり、何かいた?」

 カウンターにいた朝霞が、顔を上げた。彼女は、三人が飲食したあとの食器を洗っている。カチャン、と硬質な音を立てて、彼女の手が最後の皿を、食洗籠へ立てた。

 緋凪は、ICレコーダーを持った手を掲げるようにして応じる。

「ああ。志和里の話からすると、粘着気質なマスゴミの典型だろうとは思ってたけど。そーとー暇らしいな、あの北里きたさとって奴」

「えっ、あの、それどういう」

 慌てたように、志和里が割って入った。

「あんたも多少修羅場はくぐってるみてぇだが、まだ甘いな。三日の猶予があったって、あーいう奴は獲物と見定めた相手をそう野放しにはしておかない。何らかの方法で、いつも監視してるはずだぜ」

「もしくは、行動把握できるようにしてあるでしょうね」

 朝霞が補足しながら、カウンターから出て来る。

「志和里ちゃん。あなた、確か寮生活よね?」

「え、あ、はい」

 手から水分を拭き取ると、朝霞はタオルをカウンターへ置いた。

「今のあなたの保護者は?」

 もちろん寮以外の、本来の保護者だ。それは、志和里にも伝わったのだろう。

「あ、えっと……茨城にある養護施設です」

 と答えた。

「そっかー……」

 残念、という顔で、朝霞は天を仰ぐ。

「朝霞、何考えてる?」

「この近所なら、急に具合が悪くなって施設のが近かったから、とか何とかでっち上げて、しばらくここに泊まって貰おうと思ったの。ひと段落するまでは、彼女一人で外歩かせるの危険でしょ?」

「同感だな。じゃあ、親戚でもでっち上げようぜ。最近ここに越して来て、強引に泊めることにした、とかって」

「てゆーか、こっちでバンバン話進めちゃってるけど、志和里ちゃん、それで問題ない?」

 朝霞が緋凪の背後をうかがうと、志和里は「あっ、はっ、はい、あの」とどもり、背筋をピンと伸ばした。

「外泊に、問題はない……です。寮って言っても、ウチのガッコ、寮に入るかどうかは希望制なので」

「事前の届け出は?」

 緋凪も、志和里に向き直る。彼女は、「大丈夫」と首を振った。

「余程緊急事態なら、あとで届ければいいの。出先からその日の内に電話すれば、だけど」

「じゃ、言い訳は朝霞だな。頼んだぜ」

「オッケ。ねぇ、ところで凪君、ガッコにもぐり込む気、ない?」

 言われて、緋凪は思う様顔をしかめる。

「女子校だぜ? つか、分かってて訊いてるだろ」

 しかし、朝霞はこたえた様子もない。右手人差し指を口許に当てて、上目遣いに緋凪を見る。

「えー、全然問題ないと思うけどぉ」

「大アリだ! それ以前に俺、彼女の友達に面割れてるし」

 途端、朝霞は「あっ、そっか!」と言って頭を抱えた。かと思うと、ガバリと顔を上げる。眉根を寄せて、眉尻を下げた彼女は、

「何であの日に限って隠れてなかったのよ!?」

 と、当然のように明後日の抗議を始めた。

「どーして日によって隠れてなきゃいけねーんだよ」

「だってこんな時の為の女顔でしょ!?」

「はあ!? 何でそーなるんだよっ、そんなトンデモ理屈聞いたことねぇんですけど!」

 反射で叩き返すと、直後、ぶふっと吹き出す音が聞こえて、緋凪と朝霞は同時にそちらへ視線を向ける。

 そこには志和里が、こちらへ背を向けて肩を震わせていた。

「……おい、志和里」

 地を這うような声音に、志和里はビクッと肩を揺らす。しかし、それでも小刻みの震えは収まらない。

 笑っているのは、一目瞭然だ。

「え、あ、別にっ……わ、笑ってなんてっ……!」

「説得力ゼロだっつの」

 まったく、と側頭部をかきむしり、ソムリエエプロンを外す。

「俺、ちょっと出て来る。今日はもう、臨休でいいよな」

「構わないけど……どこ行くの?」

「情報収集。あ、その内宗史朗(そうしろう)が来ると思うから、対応もよろしく」

 言われて、朝霞は呆れたように目を細めた。

「何て言って呼び出したの?」

「さっきのストーカー野郎に、お灸据えて貰おうと思ったんだよ。意外に腕が立つみたいで逃げられたけど」

 すると、今度は彼女の眉尻がピクリと跳ねる。表情は、打って変わって真剣そのものだ。

「……腕が立つの?」

 ヒタと彼女と視線を合わせて、「ああ」と顎を引く。

「今まであのタイプだと、顔と舌先だけでこっちはからっきし、ってのがほとんどだったから、甘く見てたけど……」

 こっち、と言いながら、緋凪は自身の前腕部を叩いた。

「空手と合気道の有段者だとさ」

「自称ってことはない?」

「残念だけど、ありゃ本物だね。ナメて掛かると、痛い目見るぜ」

「そう……」

 こちらの会話に入って来られない志和里は、不安げに見守るだけだ。

 朝霞は、それ以上北里のことには触れずに、「で、どこに行くの?」と繰り返した。

「言っとくけど、行き先を訊いてんのよ」

「ああ、悪い。瑞琉みつるサンのトコと、歌舞伎町」

「バイト?」

 普段、緋凪は週に三回、歌舞伎町にある合法カジノで警備のアルバイトをしている。だから、朝霞がそう思ったのも無理はない。

 だが、緋凪は「うんにゃ」と首を振った。

「知り合いの情報屋んトコ。そっち先に回って、今日は瑞琉サンのトコに泊めて貰うわ。遅くなりそうだし」

 腕組みをした朝霞が、「分かった」と吐息混じりに言って、肩を上下させる。

「気を付けてね」

「ああ」

 きびすを返した緋凪は、後ろを見ることなく挙げた手を振った。


***


「あ、あの……瀧澤たきざわさん」

 緋凪がバックヤードへ姿を消したあと、志和里は恐る恐る朝霞の背に呼び掛ける。

「ん? 朝霞でいいわよ。何?」

 顔だけ振り返った朝霞の、長い髪がフワリと揺れた。

「あの……いいんでしょうか、お世話になってしまって……」

 瞬時、キョトンと目を瞠った朝霞は、「いいも悪いもないじゃない」と言いつつ、店の扉に鍵を掛ける。次いで、自分もバックヤードへ歩いた。

 それをぼんやり見送る志和里に、「何してんの、いらっしゃい」と手招く。

「え、あ、あのっ」

「だってあなた、今日寮へ戻ったら、間違いなく朝からあのストーカー男に付きまとわれるわよ。志和里ちゃん、次の四月から三年生でしょ? 卒業まで一年ないのに、また騒ぎになるのはよくないと思うの。それとも、謂われのないコトでまた退校処分食らって、続きは通信で勉強するのが希望?」

 グッと言葉に詰まる。

 ここへ駆け込んだのは、もちろんあの男の接触がきっかけだった。だが正直、何かから追い回される生活も、母の無実の罪状で責められるのではと怯えるのも、もううんざりだ。

「……嫌です」

 キュッ、とスカートを握り締める。

「何であたしがこんな目に遭わなきゃいけないのか分からない……あたしも母も、何も責められるようなコトしてないのに……」

「だから、ここで終わりにしましょ」

 いつしか、歩み寄ってきていた朝霞の掌が、柔らかく志和里の肩を包んだ。

「さっきはああ言ったけど……なるべく、早い内に片を付けるわ。だから、まず今から寮へ戻って必要なものを取ってきましょ」

「えっ?」

 たった今、ここへ泊まるように勧めたのは、朝霞と緋凪なのに、もう寮へ戻るとはどういうことか。

 それを、志和里の顔色から察したのだろう。朝霞は言葉を継ぐ。

「ここで生活するなら、着替えや勉強用具も要るでしょ? 洗面用具とかもね。だから、身の回りのものを持ってくるの。必要最低限でいいから。新しく買ってもいいけど、全部揃えると結構な額になるし、教科書は新しく買うってわけにいかないしね」

「あ……あ、そう……ですね」

「それから、寮母さんか舎監さんには事情を話して……もちろんお母さんの件は伏せるようにするわ。ただ、変な男に付き纏われて、身の危険や生活にも支障がありそうなのは事実だし……」

 その時、バイブレーションの音が響く。どうやら、朝霞の携帯らしい。

「ちょっとごめんね」

 言うと、彼女はボトムのポケットからスマートフォンを取り出して、画面をタップした。

「はい。もしもし、宗君?」

 先刻、緋凪が言っていた人だろう。

「んー、ごめんごめん。凪君が言ってた人はもう帰っちゃったの。詳しいことはあとで話すから……うん、今からそっち行こうと思ってたの。玄関で待ってて」

 手短に通信を終えると、朝霞は「行きましょ」と志和里をいざなう。

 喫茶スペースから、パッと見ただけでは分からなかったが、奥の書棚エリアはかなり入り組んでいる。思ったより蔵書は多そうだ。志和里は、瞬時状況も忘れて、ゆっくり見たい衝動に駆られた。

 その最奥の、書棚と壁との間に隙間がある場所へ、朝霞は滑り込んで行った。

 あとを追うと、更にその奥には扉が一つある。ノブを引いた朝霞は、扉を身体で押さえて、志和里に先に行くよう促した。

 お邪魔します、と小さく言いながら、身を縮めて朝霞の脇を通り過ぎ、内側へ進む。

 次のは、横に細長くて狭かった。ここが、バックヤードなのだろう。余ったテーブルや椅子が置かれ、小さな食器棚もある。

 その向こうの部屋へ行くためのドアは、開けっ放しだった。なので、室内の様子がすぐ見えるかと思ったが、意に反してそこは薄暗い。

 足を止めていると、朝霞は次のに明かりをともす。志和里を追い抜いて、扉の向こう側の明かりのスイッチを入れた。

 志和里の位置から見えたのは、手摺りだった。

 手招いて、きびすを返した朝霞の背を追い掛けると、のぼりの階段が現れる。

 踊り場を一つ経由して登り切った先は、細い通路になっていた。向かって右手の壁には、申し訳程度に窓もしつらえられている。が、あいにく、数メートル向こうには、別の店舗が立ち塞がり、景観を遮っていた。

 通路を奥まで進んだ朝霞は、右手へ曲がった。そこにあった下り階段を降りると、目の前が玄関、右手にリビングルームへの入り口がある。

 玄関の鍵を開けた朝霞は、「お待たせ」と言って、一人の男性を招き入れた。

「ごめんね、一日に何度も来て貰って」

「いいえ。朝霞さんの顔が見られるなら、何度だって来ますよ」

 柔らかな、声変わりさえまだのような声音が答える。

「またー、お上手なんだからっ」

 男性の撫で肩を、軽くはたくような仕草をした朝霞は、まだ階段の途中にいた志和里に目を向ける。

「志和里ちゃん。彼、椙村すぎむら宗史朗君ていうの」

 椙村宗史朗、と紹介された彼が、顔を上げた。こちらへ向けられた輪郭は小振りだ。やや癖の付いた黒髪は、襟足に掛かるくらいの長さがある。アーモンド型に近い目元に縁取られた瞳は円らで、彼の年齢を分かりにくくさせていた。

「よろしく。一応、所轄で一課の刑事やってます」

 軽く自己紹介されて、志和里はギクリと身体を強張こわばらせた。

「刑事……さん」

 よろしく、と辞儀を返すのも忘れて、階段の上で気持ち後退あとじさる。

 志和里にとって刑事と言えば、幼かったあの日、押し込み強盗のように家になだれ込んできた、無法な集団の一員というイメージが一番強い。

 そして、無実の者の訴えに耳も貸さず、自分たちの好き勝手に冤罪を組み上げていく者たちだ。

 それを敏感に感じ取ったのだろう。朝霞が「心配しなくて大丈夫よ」と手を左右に振る。

「あたしの弟みたいなもんだし、珍しく刑事の職務をちゃんとまっとうしようとしてる一人だから」

 すると、彼が不満げに朝霞を見た。

「しようとしてる、って何ですか」

「あら違うの? 組織の中にいると、筋を通せないことのほうが多いんじゃない?」

 図星だったのだろう。柔和な顔に苦笑を浮かべて、宗史朗は肩を竦める。

 そんな彼に頓着なく、朝霞は宗史朗に志和里を示した。

「宗君。こちら、片瀬かたせ志和里ちゃん。今日からウチで預かることにしたの」

「親戚の子ですか?」

「ううん。宗君、また凪君に呼び出し食ったんでしょ? その関係」

「ああ、なるほど……」

「で、着いた早々悪いんだけど、ちょっと彼女の学校まで付き合ってくれない? 事情は道々説明するから」

 お願い、というように、朝霞が両手を合わせると、宗史朗は「仕方ないですね」とまんざらでもない表情で頷いた。


***


 午後八時前。

 新宿歌舞伎町の雑居ビルを見上げた緋凪は、その中にあるネットカフェへ向かうべく歩を進めた。


 一口にネットカフェと言っても、店内のレイアウトは店によって異なるのは、この数年で何となく分かっている。この店のブースは、平均的な成人男子が立ち上がっても隣が見えず、良心価格の割にはプライバシーが守られていた。

 ワンブースの広さは、谷塚の住まっていた場所より広い四畳ほどで、奥まった場所に設えられたカウンターの上にデスクトップ型のパソコンが置かれている。

 ()の個室と化しているそのブースの壁には、少ない衣服が掛かっていて、ここに転がり込んでから彼が持ち込んだ寝具が、片隅にわだかまっているのも知っていた。

 加えて、共用ではあるが、洗面所・トイレ・風呂も完備されている。ちょっとリッチなホームレスが、半ば格安アパート代わりに利用するケースも多いらしい。

 目当ての716ブースの前に立った緋凪は、ドアをコトコトと小さく音を立てるようにして揺すった。

 引き戸になっているドアの内から顔を覗かせた青年に対して、「よ」と短い挨拶と共に右手を小さく挙げる。

「……何だ、お前かよ」

 半眼になって吐息混じりに言った青年は、三年前に一度消息を絶っていた、仁志薙にしな皓樹ひろきだ。

 彼と再会したのは去年、緋凪がバイトをしている合法カジノでのことだった。まだ朝霞や宗史朗には黙っていたほうがいい、それが敵方の目を誤魔化すことにもなるからと言われ、納得尽くで口を噤んでいる為、朝霞たちはまだ皓樹の所在を知らない。

 身長は、あの頃とあまり変わりないように思える。出会った頃の彼が、十五歳にしては長身な部類だったので、十九になった今のほうが平均だろうか。

 面長の輪郭に具合良く配置された目鼻立ちが、今は少し不機嫌そうにゆがんでいた。

「何だはねぇだろ。今ちょっといいか」

 ボソボソと話していると、レジカウンターに立つスタッフから、冷たい目線が投げられる。

 訳ありの客が集まる場所とは言え、基本的なルールは表の世界とあまり変わるものではない。『図書館では静かに』と言われるのと、まあ似たようなものだ。

 皓樹は肩を一つ竦めると、何を思ったかブースの中へ一旦引っ込み、緋凪を非常口のほうへいざなった。


***


 非常階段を上がり、屋上まで登り切ると、皓樹は施錠されているその扉を難なくけた。

 ピッキングの師は、緋凪と同じく今は亡き谷塚やつかであろう。当たり前のことをするように扉を開けた皓樹に、緋凪は黙って続いた。

 普段、施錠されている所為か、ここへは滅多に人も来ない。内緒話には最適だ。

「……久し振りだな。何の用だ、こんな時間に」

 言いながら、皓樹は扉に背を預け、持っていた小箱からタバコを一本口先でくわえて引っ張り出す。

 この屋上には手摺りがないので、あまり端まで行くと、望んでもない転落死体になる確率が極めて高いからだろう。

「調べて欲しいことがあるに決まってんだろ」

 吐息混じりに返した緋凪は、音もなく皓樹に肉薄した。直後には、しなやかな指先で、火を着ける直前のタバコを素早く奪い取る。

「おい」

「お前未成年だろってトコはまあ目ぇ瞑ってやるケド、俺のいるトコで吸うんじゃねぇよ。お前が肺ガンで寿命縮めるのは勝手だけどな、巻き込まれるのは御免だ。それに、副流煙のほうが有害だって知らないわけじゃねぇよな? 遠回しにお前と心中とか、したくねぇし」

 直後、緋凪はそのタバコを、どこへともなく放った。

 下まで落ちたのでないとしても、この暗さでは探せない。探そうと思ったら、朝まで待つしかないだろう。

「一箱いくらすると思ってんだよ。吸ってねぇ一本その辺に捨てるとか、信じらんねぇ」

 反射で沸いたのだろう苛立ちそのままに言い放たれるが、知ったことではない。

「いい機会だから禁煙しろよ。次に俺がいる所で吸おうとしやがったら、箱ごとトイレに流すからな」

「……分かった、分かったよ。それで? ご用件は何ですか、お姫様」

 肩を竦めながら吐き捨てられ、反射で射抜くように皓樹を見据えた。

「今すぐ転落死体にされたくなきゃ、減らず口閉じとけ」

「……スイマセン」

 皓樹がホールドアップで、あっさり降参の意を示す。ふん、と鼻先を鳴らした緋凪は、目を伏せるようにして皓樹から瞬時視線を外した。

「で、本題は?」

 逸れていた話題を戻され、緋凪も「ああ」と頷いて口をひらいた。

「五年前の殺人事件に関して、ちょっと調べて欲しい」

「五年前?」

 一口にそう言っても、五年前の一年間で起きた殺人事件がどれだけあると思うのか。

 と言いたげな沈黙に答えるように、緋凪は言葉を継ぐ。

「被害者は、清宮きよみや克典かつのり。加害者は、被害者の妻だった清宮七和佳(なおか)ってことになってるらしい。表向きにはな」

「表向き?」

「ネット上に載ってるニュースでは、そういうことだった。夫のDVに耐え兼ねた妻が、どうせ殺すのなら金もせしめてやろうって、保険金掛けて殺害したってな。憶測もはなはだだしいけど」

「それを、どうして今頃?」

「詳しくは言えねぇけど、清宮七和佳の無実を証明して欲しいって依頼が舞い込んでな」

「守秘義務ってヤツか」

「うるせぇよ。仕事、けるのか請けねぇのか」

「請けるに決まってんだろ」

 毎度あり、と肩先の高さに掲げられた掌に、すかさず掌を打ち合わせた。パチン、という小気味よい音が、深夜の屋上に霧散する。

 だが、手を離す瞬間、緋凪は皓樹の手に、あらかじめ握っていた名刺を残した。皓樹は眉根を寄せ、反射でそれを握り締める。

「……何だコレ」

 彼が月明かりにそれを透かすのを見ながら、仕事を追加した。

「ついでに、ソイツのことも調べてくれ」

 皓樹は眉根を寄せ、名刺を注視する。

「北里功也? 職業はジャーナリスト……それ以外に何かあんのか?」

「ストーカー予備軍だよ。頼んだぜ」

「別料金請求するけど?」

「構わない、言い値で払う。それと、もう一つ」

「分かってる。例の件の定時報告、だろ」

「ああ。どうなってる」

 明るい場所で見ればコバルト・ブルーに見えるはずの瞳と、黒の瞳が再度交錯する。

 空気がヒリつくような錯覚を覚えた直後、皓樹が静かに口をひらいた。

「――前にも言ったけど、おやっさんの件はあらかた調べがついた。凪んトコの親父さんたちの件もな。直接の現場は分からねぇけど、玄関から入ってく男が映った防犯カメラ映像は入手できてる」

「ホントか!?」

 反射で上げた声が妙に周囲に響いた気がして、瞬時緋凪は肩を竦めた。

 そんな様子を見て、皓樹は苦笑を浮かべて続ける。

「ああ。拡大鮮明化で個人特定もできた。角谷かどたにみのるに間違いねぇよ」


©️和倉 眞吹2021.

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