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緋凪の理不尽事件ファイル  作者: 神蔵(旧・和倉)眞吹
File.1 ドッペルゲンガーは斯《か》く騙《かた》りき
26/43

act.11 “彼女”との対峙

「……なぁんでそいつが一緒なんだよ」

 緋凪ひなぎは、思う様眉根を寄せた。

 先刻、冴綯さなのアパートから、クラブ・セリシールに立ち寄り、ひとまず彼女の荷物を瑞琉みつるの居住区へ預けた。それから、冴綯が朝霞あさかに借りた服から自身のそれに着替えたところで、朝霞に連絡を入れた。

 朝霞が英治えいじに接触を図り、その宗史朗そうしろうと合流したらしいのは知っていた。

 ひとまず四人で落ち合うことになって、セリシールのスタッフ通用口の前に宗史朗の車が来たまではよかったのだが。

 後部座席には招かれざる客――もとい、室橋むろはし英治までもがなぜか鎮座していたのだ。

「仕方ないでしょう。コトの顛末てんまつを見届けさせないと、冴綯ちゃんとそっくりサンが別人だって納得してくれなそうだったし」

「信用できないからね。あとで彼女に僕との契約を反故ほごにされたらかなわないし」

 英治が肩を竦めて言ったので、「契約?」と緋凪は益々眉根を寄せて朝霞に視線を向けた。

「とにかく乗って。冴綯ちゃんは、助手席に座ってくれる?」

 朝霞は一旦シートベルトを外し、英治に身体を寄せるように席を詰めようとしたので、緋凪は「待った」と声を掛けて朝霞の左上腕部を掴む。

「何?」

「朝霞、一回降りろ。俺がそっちに行く」

「何で」

「そんな変態と朝霞の身体、密着させられるかっ」

 ちなみに、ここへ来たときの配置は、宗史朗が運転席、英治がその後ろで、朝霞が英治の隣、つまり助手席側の後部座席に座っていた。

 緋凪と冴綯が乗ろうとすれば、必然後部席は三人で座ることになる。後部席の三人は、互いの身体が密着するのは仕方がない。

 とは言え、冴綯と英治を同じ後部席にするのは論外だし、宗史朗は運転中だ。となれば、後部席には緋凪と朝霞、それに英治が座ることになる。このまま朝霞が英治のほうへ詰めるのが、簡単と言えば簡単ではあったが。

「……君、ホンットに失礼だね。僕のどこが変態だって言うんだい?」

 英治が、緋凪に視線を向けて、思う様その顔をゆがめた。

 自覚がないとはとことんタチが悪い。

「うるせぇ、人間の言語が通じないエイリアンは黙ってろ。トランクに叩っ込まれたくなかったらな」

「エイリアンって君ね」

「緋凪君。次に彼が口開いたら、本当に問答無用でトランクに叩き込むか、さもなきゃ放り出しちゃっていいよ」

 何事か言い掛けた英治を遮るように、後部席を振り返った宗史朗が、爽やかな笑顔で恐ろしい台詞を吐いた。

「りょーかい」

「待って、放り出すのは困るわよ。冴綯ちゃんの身の安全の為にはね」

 朝霞が、一度車を降りながら言葉を挟む。

「とにかく、今助手席に乗ってる彼女が、彼が“冴綯”と思い込んでるだけの別人だと分かれば、もう彼女に付き纏うのはやめる。そういう約束だもの。ねぇ、室橋君?」

 緋凪の左隣に改めて乗り込みつつ話を振るが、宗史朗に発言を禁じられた手前、英治は小さく肩を竦めただけだった。

「契約ってな、それのことか?」

「端的に言えば交換条件よ。あ、宗君、車出してくれる?」

「はーい」

 朝霞の指示に返事をした宗史朗が、ウィンカーを出して車を発進させる。

「で、どこ行くんだ?」

「室橋君が“冴綯”のケー番教えてくれたのよ。その代わり、この件が解決したら、あたしたちからは一切彼に関わらないこと。それが彼の提示した交換条件だったワケ」

「それで?」

「で、そのケー番から、端末の持ち主を特定して貰ったの」

「宗史朗に?」

「ううん、科捜研の友達。ほら、昨夜ゆうべチラッと話したでしょ。五十嵐いがらし由良ゆらっていうんだけどね。持ち主の名前は、“寒川かんがわ世綯せな”だったわ」

 思わずと言った様子で、後部座席を振り向いた冴綯の表情は、驚愕のそれだった。

 朝霞が、そんな冴綯に視線だけを返して続ける。

「というワケで、これから行くのはその寒川世綯サンのお宅よ」


***


「お待たせしました。この包丁に付いた血液ですが、被害者の血液に間違いありません」

 緋凪と冴綯をうっかり見送ってしまったあと、その足で科捜研に直行した外川そとかわ古森ふるもりは、冴綯の家で発見した包丁を持ち込んでいた。

 至急、今すぐという要請に、無言で従ってくれた由良が、バットに入った包丁と鑑定結果をテーブルに置く。前回と違って、科捜研の事務所の奥、彼女に与えられた研究室まで招じ入れられた外川たちは、立ったままテーブルを見下ろした。

「指紋と掌紋はべっとり付いてましたよ」

「本当か!?」

「ええ。古森巡査のが」

 一瞬上昇した気分が、一気に下降する。その種の絶叫マシンのようだ。

 指摘された古森は、何ともばつの悪い顔をしてそっぽを向いた。

「……念の為に訊くが、ほかの指紋は?」

「検出されませんでした」

「クソ……!」

「それと、被害者宅の指掌紋ししょうもんの照合もすべて終わりました」

鷹森たかもり冴綯の指掌紋はなかった。そうだな?」

「はい。検出されたのは被害者本人のモノと、前歴のない指掌紋が一人分です」

「前歴のない指掌紋?」

 鸚鵡オウム返しに訊ねると、由良は頷いて言葉を継ぐ。

「それと、気になったのがこれですね」

 由良が差し出したのは、小さなビニル袋に入った、白い繊維片だ。

「……何だ、これは」

「糸?」

「包丁の柄の部分に挟まってました。用心深いというか、殺害する時には手袋でもしてたんでしょう」

「手袋の種類は、特定できるか?」

 訊くと、由良は難しい顔になった。

「時間が掛かります。最近は、百均でも簡単な日除けの手袋くらい売ってますから、量産品だとしたら犯人特定まではできないでしょうね。色は白となると、相当ありふれてますよ」

「そうか……」

「それに、持ち主まで辿り着いたとしても、そんな証拠は今頃とっくに処分されてるでしょうね」

 捜査本部では、先日出たDNA鑑定結果を元に、鷹森冴綯を容疑者と断定する方向で動いているはずだ。もし、本当に彼女自身や千明緋凪の言うように、彼女が犯人でないとしたら、大変なことになる。

(ほかにないのか……鷹森冴綯の容疑をくつがえすものは)

「警部……もういいじゃないですか」

 思考を遮るように言った古森に、「何だと?」と返しながら外川は視線を向ける。

「だってそうでしょう。別に、無理に鷹森を助けなくても、本当に彼女がシロなら捜査過程で明らかになります。犯人と断定されれば、彼女はやはり犯人だったというだけのことですよ」

 外川は無言で目を伏せ、バットに入れられた包丁に視線を戻す。

 確かに、古森の言うことにも一理はある。しかし、外川にはどうしても、先刻涙ながらに警察の不実をののしっていた冴綯の言葉が忘れられなかった。


 ――任意だというなら、強制力はないはずです。それなのに、あなた方は逮捕されたくなければ一緒に来いと言う。これは脅しですよね?


 ――一度そうやって密室に連れて行かれたが最後、あとはあなた方のいいようにあたしが殺人をしたと捏造される。それは御免です。


 ――何度もされて来ました! もう騙されません!


 ――……警察なんて、警察の言葉なんて、絶対に信じない。


 外川も長年刑事をやって来て、それなりに色々培われているものはあると自負している。

 もちろん、相手の言うことが嘘か誠かを見極める能力もその一つだ。

 最初、窃盗で捕まった彼女を自宅へ訪ねた際、あまりのトボケ演技の見事さに度肝を抜かれた。本当に、芯から何も知らないように見えた。

(……だが、あれが演技でなかったら?)

 本当に何も知らなかったとしたら、そのほうがむしろ納得がいく。

 真犯人も同じ顔だったので、女優並の演技力を持った虚言癖の人間だと信じて疑っていなかったのだが、もし――

「……三課に行くぞ」

「へ?」

 間抜けな声を出す古森に構わず、外川はきびすを返す。

「それと、彼女の出身校……高校に行って、寒川世綯が今どこにいるかも調べる。同級生だったと言うなら、彼女の名前と卒業時の住所くらいは残ってるだろう」

「寒川世綯ですって?」

 すると、意外にも反応を示したのは由良だった。

「何だ。知っているのか」

 由良は、瞬時答えるのを躊躇ためらったように目を伏せたが、思い直したように顔を上げる。

「さっき、ある携帯番号から持ち主を特定してくれと依頼されました。依頼人に関しては言えませんが」

「なぜだ」

「なぜでもです。ですが、その携帯の持ち主が、寒川世綯でした」

「何?」

「そっ、それで、そのケー番は!?」

 噛み付かんばかりに身を乗り出した古森に一瞥をくれると、由良は手近にあったメモ用紙にその番号を書き付けて、外川に差し出した。


***


 食後の眠気が最大になる午後三時。

 マンション・トリエーフィの管理人室でウトウトとしていた管理人は、ドアをノックする音でハッと目を開けた。

 ぼんやりする頭でキョロキョロと周囲を見回すと、もう一度ドアを叩く音が控えめに響く。

 眠気の残る頭と身体をどうにか動かして、急いで扉を開けると、見覚えのある女性が立っていた。

「すみません。926号室の寒川ですけど」

「……ああ」

 寝ぼけた頭は、記憶を出し入れするのに一拍遅れる。

 いつも不規則に家を出て、不規則に帰宅する、何の仕事に就いているのか判別不能の女性だと記憶している。

「お手数お掛けしますが、鍵をけていただけませんか? うっかり鍵を持って出るのを忘れてしまって」

「ああ、分かりました。すぐに」


***


 何の疑いもなく管理人が管理人室へ引っ込んで、何秒もしない内に、オートロックの自動ドアが開いた。

 寒川世綯――もとい、その振りをした冴綯と、緋凪、宗史朗、朝霞と英治は、ぞろぞろといた扉の内へ歩を進める。

 部屋番号を調べ上げたのは、宗史朗の仕事だ。

 マンション・トリエーフィは、十五階建て・高セキュリティが売りの高級マンションだった。賃貸ではなく買い上げで、ブルジョアジーが住んでいるマンションの一つとして有名である。

 ちなみに、マンション名のトリエーフィとは、ロシア語で『クローバー』を意味するらしい。

 五人は、エレベーターへそそくさと乗り込み、朝霞が九階のボタンを押した。万一の時に指紋を残さぬよう、手袋は装着済みである。

 エレベーターが動き出した数秒後、冴綯は胸元を押さえて、深い溜息にも似た吐息を漏らした。

「……大丈夫か?」

「……どうなるかと思った」

 まだドキドキしてる、と言って、冴綯はもう一度溜息をいた。

 窃盗や殺人を犯して、それを冴綯の仕業しわざに見せかける世綯よりも、大分気が小さいようだ。元々嘘が吐けない性分だろうとは思っていたが、それにしてもこうなると、世綯がどういう女性なのか、多少は気になる。

「ロック解除が虹彩とか顔認証だったら通用しない手だったな」

 ぎりぎりアナログで助かった、と思いながら緋凪は目を伏せる。

 一卵性双生児同士のそれでも、機械は誤魔化されてくれない。

 部屋にいるかどうかは、宗史朗が間違い電話の振りをして確認済みだった。が、さすがにエントランスのインターフォンで警察だと名乗ったら、世綯はドアを開けてはくれないだろう。

 ならば、管理人に開けて貰うほうが確実だ。冴綯の話では、世綯と冴綯は同じ顔をしているらしいのだから、世綯と同じことをしない手はなかった。

 ふわっと身体が浮き上がるような感覚と共に、停止したエレベーターから降りる。

 部屋番号を確認しながら、寒川世綯の住まう926号室へ向かった。

 目指す部屋の前へ辿り着いて、英治を除く四人は目配せし合う。英治が、「僕が行こうか」と言わんばかりに自身を指さすが、宗史朗が目の笑っていない笑顔で黙らせた。

 朝霞が顎を引き、緋凪たちは一歩下がる。

 それを確認した朝霞は、呼び鈴を鳴らした。

『はい。どちら様でしょう』

「恐れ入ります。わたくし、ウェブ雑誌社で記者をしております、小穴こあなと申します」

 名前からしてまったくのデタラメだ。それに朝霞は、何の雑誌かまでは言わなかった。

 こんな世の中だからか、世綯のほうもそれなりに用心深く、簡単には顔を出さない。

『どういったご用件でしょう』

「少しお話させていただきたいのですが、出て来ていただくわけには参りませんか?」

『すみません。今、ちょっと手が放せなくて』

「左様ですか……」

 言いながら、朝霞はチラと緋凪に視線を投げる。

 緋凪は近寄って鍵を調べた。ハイ・セキュリティを誇るだけあって、オートロックの内側も、簡単なピッキングではけられない仕様だ。時間を掛ければ多分やってやれないことはないが、この人数でそもそも人気ひとけのない通路に長時間たむろするのは、「どうぞ怪しんでくださいませ」と言っているようなものだ。

 緋凪は朝霞に向かって、小さく首を振る。

 こうなっては、何としても内側から開けて貰うしかない。

「五分で結構です。今騒がれてる、安次峰あしみね遼祐りょうすけ氏殺害事件についての取材なんです。現場が目白ですから、ほかの住人の方にもお話伺っている所でして……」

 少し考えるような沈黙を挟んで、『……本当に五分でいいんですね』と返ってくる。

「はい」

『……分かりました。少々お待ち下さい』

 渋々、と言った口調での返答ののち、一度インターホンの通信が途切れる。

 警察は呼べないはずだ。もし、本当に真犯人が世綯だとするならば、の話だが。

 その推定を裏付けるように、程なく扉がひらく。が、その死角に入ったままの緋凪たちには、住人の容姿は確認できない。

 やはりまだ用心しているのか、室内へ入れる角度まではドアはかない。チェーンでも掛けているのだろう。朝霞が、うっかり扉を閉じられないよう、指先で押さえる。

「……どういった取材でしょう」

「何か、知っていることがあればお聞かせいただきたいんです。玄関先でいいので、中に入れてはいただけないでしょうか」

 朝霞が、両手を合わせて拝むような仕草で頭を下げる。しかし、住人はにべもない。

「……五分、なんでしょう? どうして中に入れる必要があるんです?」

「玄関先で話すと、隣近所にご迷惑ですから……本当に、玄関先でいいですから、お願いできませんか?」

 沈黙が返る。朝霞は、眉尻を下げて尚も食い下がった。

「もし、こちらが約束を違えて家に入ったり、ご不快を与えるようなことがあれば、その場で警察を呼んでくださって構いませんから」

 警察、という言葉が相手に別の警戒を与えたのかは分からない。だが、更に数秒の沈黙を挟んだあと、「少々お待ち下さい」と言って、住人は一旦扉を閉じた。

 カチャカチャと金属の擦れる音がするあいだに、宗史朗が扉の前へ回り込む。

 やがて、掌が滑り込めるくらいの隙間がいた瞬間、宗史朗がそこを掴んで容赦なくドアを大きくひらいた。

「あっ」

 驚いた住人が、ドアに引っ張られるように飛び出し、蹈鞴たたらを踏んで顔を上げる。その顔立ちは、冴綯に瓜二つだった。

 事前に聞いてはいたものの、やはり驚きを禁じ得ない。冴綯以外の四人は、揃って息を呑んだ。

「冴綯……!?」

 最初に声を発したのは、英治だ。その声に反応したらしい世綯が、英治を認めて眉根を寄せる。

「嘘だろ、本当に……冴綯が二人いる!?」

「バカ、声がデカい!」

 緋凪は鋭く声を落とすと同時に、かかとで思う様英治の爪先を踏み付けた。

 痛みのあまり声も出せずに俯く英治を尻目に、にっこり笑った宗史朗が警察手帳を掲げる。

「失礼します。所轄で刑事をやってます、椙村すぎむらと申します」

 と言いながら、有無を言わさず彼女の肩を玄関先へ押し戻した。

 それに、朝霞、冴綯、緋凪と、緋凪に上腕部を取られた英治の順で続く。英治を先に押し込み、殿しんがりになった緋凪は強引に扉を閉めた。

「おい、狭いからちょっと進んでくれよ」

 言いながら、鍵を掛ける。これで、しばらく邪魔は入らないだろう。あまりのんびりもしていられないだろうが。

「なっ、何なんですか、あなたたち! 本当に警察呼びますよ!」

「うん、どうぞ? 僕も警察ですけど、何かお困りですか?」

 きちんと靴を脱いで上がり込んだ宗史朗のとぼけた切り返しに、吹き出しそうになるが、何とかこらえる。

「ふざけないで、一体――」

 何事か続けようとしたらしい女性は、冴綯にも気が付いたらしい。視線を張り付けて、唖然としている。

「……久し振りね。……世綯」


©️和倉 眞吹2021.

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