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緋凪の理不尽事件ファイル  作者: 神蔵(旧・和倉)眞吹
File.1 ドッペルゲンガーは斯《か》く騙《かた》りき
25/43

act.10 揺さぶり

 必要なことだけ冴綯さなに伝えると、緋凪ひなぎは扉を閉じてそこを背で押さえながら続けた。

「まず第一に、DNAが一致しただけだ。冴綯が殺したと決まったわけじゃない。その場にいただけかも知れねぇだろ。第二に、その包丁は今ここで発見されたわけだけど、当然付着した血液と被害者の血液の照合は済んでない。傷口と凶器の照合もだ。よって、その血は安次峰あしみね遼祐りょうすけのモノだと断定はできない。意外に夕食準備で捌いた魚のモノかも知れない。料理で使ったモノだとしたら、血の着いたまま玄関に放置してあるなんて、思いっ切り不自然だけどな。もし、安次峰遼祐を殺害した凶器でないと判明したら、誤認逮捕になるぜ。誰が責任取るんだ? 今の時点で彼女を逮捕するのは明らかな見切り逮捕だ。第三に、百歩譲ってそれが安次峰遼祐を殺した凶器だとしても、俺が犯人ならそんな分かり易い物的証拠、用が済んだらとっとと人目に付かない場所に捨てるか隠すかするね。ましてや家を出入りする時に、他人に簡単に目に付くトコになんか置いたりしねぇけど? 真犯人が本当にソレやったら、間抜けもいいトコだろ」

 理路整然と並べられた冷静な理屈に、二人の刑事は一瞬怯んだ顔をした。

「だっ、だが、安次峰さんの自宅マンションの防犯カメラには、確かに彼女が出入りしている映像が保存されている!」

 若いほうの刑事が、すでに頂点に達した怒りを持て余すように怒鳴るが、緋凪はやはり動じない。

「彼女が窃盗で逮捕された時、写真を撮ったって言ったよな」

「ああ。それがどうした」

「じゃあ、当然、顔認証システムで照合したんだろうな?」

 途端、若い刑事も中年刑事も表情を強張こわばらせる。

 緋凪は、思わず吹き出した。

「したんだな。でもって、その現場で撮られた映像と、冴綯の顔写真は一致しなかったんだろ」

「それは……しかし、さっきも言った通りDNAは一致したんだ。顔認証のほうはシステムの不具合だろうということで、今調査中だ」

「なら、その調査が済むまで待つのが本当だろ。やっぱり見切り逮捕じゃねーか」

「しかし、あくまでも今回は任意同行で」

「だから、任意なら断るコトもできるよな?」

「それはお前の意思で、彼女の意思ではない」

「なら、彼女が嫌だって言ったら、あんたらはそれ以上のことはできないはずだぜ」

 ついに反論の目がなくなったのか、刑事たちは黙り込んだ。

 そのタイミングで、ココン、と背後から音が上がる。

 緋凪は、刑事達の挙動から注意を逸らさないまま、ドアをけた。

「準備できたか」

 玄関に佇んだ冴綯は、「うん」と小さく答えた。その背には、日帰りでのピクニックに使うようなデイパックを背負っている。手には、それより大きい手提げのバッグをたずさえていた。

「四日分くらいの換えの下着と着替えと、歯ブラシセットくらいしか持ってないけど」

「充分だ。あとはママに相談しよう。事態が事態だし、どうにか都合してくれるだろ」

 手提げバッグを、彼女の手から取り上げる。

 すると、中年刑事が声だけで割って入った。

「では、鷹森たかもりさん。あとは署のほうで」

「お断りします。任意のはずですよね?」

 冴綯は、毅然とそう返した。すると、中年刑事の眉間に益々皺が寄る。

やましいことがないのなら、応じたほうが身の為ですよ。あなたがやっていようといまいと、我々はDNAの照合結果を基に、令状を取ることもできる。それとも、強制的に令状で逮捕されるほうがお望みですか?」

「はい、脅迫罪成立だな」

「何だと?」

 中年刑事が怯んだ隙を逃さず、緋凪は彼を押し退けて冴綯の背を進行方向へ押した。

「釈迦に説法かも知れねぇけど、刑法第二百二十二条、あんたは知ってるはずだな。あんたたちが今握ってる切り札はそのDNA鑑定結果だけだ。それと、被害者マンションの防犯カメラ映像か?」

「脅迫ではない。彼女を犯人と断定するに足る立派な証拠だ。捜査を不当に拒んでいるのはそちらだろう」

「違うね。さっき俺が言ったことをもうお忘れですか、刑事サン? それに、防犯カメラの映像については限りなくシロに近いだろ。顔認証は一致しなかったんだからな」

「だからそれは機械の不具合だ」

「顔が同じの別人だって可能性は考えないわけ」

「何だと?」

「あんたたちは窃盗の容疑で彼女を捕まえた時、彼女の口から聞いてるはずだ。彼女には彼女と瓜二つで同い年の女がいるってな。だが、あんたたちはそれを、彼女が罪を逃れたいが為にいた嘘だと一蹴して、調べることをしなかった。必要な調査を怠ったんだ」

 中年男が怯んだように唇を噛む。それが、事実だからだろう。

「けど、そういう女は本当に存在する。寒川かんがわ世綯せなって女だ。年は冴綯と同じ二十二歳。現住所はこれから調べる予定だけどな」

「無駄なコトだ。いずれ彼女の嘘が分かるだけだろう」

「それでも、可能性を一つずつ潰してくのがホントじゃねぇのか」

 低く落とすと、中年刑事はもう何度目かで苦虫を噛み潰したような顔をする。

 何を思っているか分からない男に、緋凪は更に畳み掛けた。

「犯人が冴綯そっくりな別人だっていう推論の根拠を、もう少し挙げてやろうか? 顔認証システムはそれだけ正確なんだ。人間には瓜二つ、同じ顔で区別が付かなくても、機械は騙されない。一卵性双生児のそれでもな。それに、現場にはなかったモノがあっただろ」

「何の話だ」

「指紋だよ」

 これは、半ばハッタリだった。まったくの推測に過ぎないそれは、しかし正確に相手の急所を抉ったらしい。

 何か言い返そうとしているらしい中年刑事は、どこか動揺を隠し切れていない。緋凪は、唇の端を不敵に吊り上げた。

「おかしいと思ったんだ。ケーサツは捜査段階で、まずは現場の証拠をせっせと採取するはずだろ。大体は分かり易いように指紋が採取できましたー、って犯人と睨んだ奴に突き付けて来るのに、指紋については『し』の字も出て来なかった。冴綯どころか、犯人の指紋もなかったんじゃねぇのか?」

 ここぞとばかりに畳み掛ければ、中年刑事はもちろん、若い刑事も唇を噛んでいる。

「これはほかの殺人事件でもそうだろうけど、特に今回の犯人は、指紋を残したくなかったんだろうよ。防犯カメラにもはっきり顔が映るように行動したのは、多分冴綯に罪をかぶせる為だ。DNAについちゃ、まだどういう手段を使ったかは分からないけど、いくら顔がそっくりでも指紋だけは誤魔化せないからな。そこはうっかり残したりしないように行動した結果、何とも不自然な殺人現場の出来上がりってわけだ」

「だが、それだって推測の域を出ないだろう」

「それ、そっくりそのままお返しするよ。あんたたちの言う断定事項だって、状況証拠と多分な推測に過ぎないんだぜ。しつこいようだけど、そーゆートコ重箱の隅つつくみてぇに食い下がってないで、調べたらどうだ? 冴綯を犯人に仕立て上げる暇があるならな」

「素人の推理ごっこに耳を貸している暇はそれこそない。鷹森冴綯、一緒に来て貰おう。今なら任意同行だ。ここで大人しく一緒に来るなら、一通り話を聞いた後は一旦釈放すると約束する」

 しかし、耳を貸す気がないのは緋凪も同じだった。

 そんな約束は守られない。それを緋凪は、嫌と言うほど知っている。

「行こう、冴綯」

 小さく促すと、彼女も漏れなく同意だったようだ。一つ首肯して、緋凪の前を歩き出した。

 だがもちろん、ここで彼らが逃してくれるわけがない。

「待て、鷹森冴綯!」

「任意だと言うなら!」

 それまで黙って歩いていた冴綯が、階段の途中で立ち止まり、叫んだ。

 泣き出す寸前のその声に、刑事たちも一瞬怯んだように息を呑む。

「強制力はないはずです。それなのに、あなた方は逮捕されたくなければ一緒に来いと言う。これは脅しですよね?」

「違う!」

 人聞きの悪いことを言うな! と続けたのは若い刑事だが、冴綯も怯まない。

「それに、一度そうやって密室に連れて行かれたが最後、あとはあなた方のいいようにあたしが殺人をしたと捏造される。それは御免です」

 さっと顔色を変えたのは、中年刑事だ。

「何もそんなことは」

「何度もされて来ました! もう騙されません!」

 冴綯は、まだ階段の上の通路にいる刑事たちを振り仰いだ。その頬には、すでに涙が幾筋も伝っている。演技ではないことは、刑事たちにも分かったのか、彼らは瞠目して彼女を見下ろしている。

「……警察なんて……警察の言うことなんて、絶対に信じない」

 冴綯は多くを語らず、静かに涙声でそう締め括ると、刑事たちに背を向けて頬を拭った。

「行こ、緋凪君」

 緋凪は微かに頷いて、先に歩く彼女の背を守るようにあとに続く。

「待て! じゃあ、百歩譲ってお前はそこにいただけだとしよう! なら、すぐに通報しなかった理由は何だ! お前が殺したからだろう!」

「あたしは別れて以来、遼祐とは会ってないわ。思えば、あの夏が最後の別れだったのね」

 背後から叫ぶ若い刑事に答える冴綯の声は、自嘲的な笑いを含んでいる。しかし、彼女の声はあまりにも小さく、緋凪にしか聞こえなかったようだった。

 すぐ様、階段を降りる派手な音にかぶって青年刑事が声を張り上げる。

「答えろ、鷹森! お前が犯人でないなら、なぜ血塗れの包丁がお前の自宅にあった!?」

「それ以上言ってみろよ。名誉毀損で訴えるぜ」

「何だと、この――」

 互いに階段を降り切って、同じ地面上に並んだ青年と中年刑事が、後方三メートルほどにまで迫った時、緋凪は懐から取り出したモノを高々と掲げて見せる。

 再び唖然とした表情で立ち止まった刑事たちの視線の先にあったのは、小型のICレコーダーだった。

「さっき刑事サンたちに会ってからここまでの音声、ぜーんぶ録音させて貰ってました。昨日は準備不足で失敗したからな」

 付け加えられた言葉の意味は、刑事たちには分からなかったに違いない。

 だが、緋凪にはどうでもよかった。

「そっ、そんなものに証拠能力は――」

「うん、別に証拠として警察に提出しようとは思わねぇよ? 法的な力がないのも、握り潰されんのも分かってて、無駄なことはしねぇさ。ただ、ケーサツのモラルを問うことはできるだろうぜ」

 これをどう使うか、だなんて決定的なことは口にしなかった。だが、青年刑事は拡散されることを恐れたのか、そう取ったのか。

「貴様、脅迫罪で逮捕――いや、執行猶予の停止を求めるぞ!」

 血走った目をカッと見開いて怒鳴る青年刑事は、いっそ滑稽に見える。クス、と嘲るように漏らして、緋凪は不敵な微笑を浮かべた。

「俺は何をどうするなんて一言も口にしてないから、脅迫罪は成立しねぇはずだけど? それに何度も言うようだが、俺はそもそも取り調べも受けてないし起訴だってされてないから執行猶予の停止がどうとかって言われても困るんだけど……やっと地金が出たな。そうやってケーサツ権力振りかざせば、一般人は皆黙ると思ってんだろ」

「話を逸らすな!」

「先に逸らしたのはそっちだ。ちなみに、今も録音は続行中だぜ? 言えば言うほどあんたは墓穴掘るって、どーして分かんねぇかな」

「このガキ……!」

 歯軋りした青年刑事は、遂に地を蹴った。

「よせ、古森!」

 中年刑事が声を上げるが、その時には古森と呼ばれた若い刑事と緋凪は、互いに互いの間合いの中だ。

 緋凪は、彼が繰り出した拳を半身になってかわした。

 目標を失った青年刑事は、勢い余ってすっ転ぶ。

「公務執行妨害とか言うなよ。先に手ぇ出したのも勝手にすっ転んだのもそっちなんだからな」

 無表情に流し目をくれると、中年刑事の方は、理性と衝動の狭間で唇を噛んでいるように見える。

「……何が望みだ」

 低く言った中年刑事に、緋凪はまたも軽く吹き出した。

「おいおい、ヤクザ屋さん同士の取引じゃねーんだぜ? 俺はただ、彼女を不当に逮捕・起訴するのはやめろって言ってるだけさ」

「それはお前さんの仕事じゃないだろう」

「は、今時の腐った警官の一員であるあんたの口からそんな言葉が出るとは思わなかったな。そう思ったら、警察あんたたちが真面目に仕事しろよ」

「揚げ足取りが聞きたいんじゃない。第一、お前さんと彼女は、何の関わりもないはずだ。それに、お前さんは自分でも分かっていると思うが、執行猶予中だぞ。下手すりゃ監獄に逆戻りだってのに、どうしてしゃしゃり出る」

「バカの一つ覚えみたいに執行猶予って言うのやめろよ。三年前、俺は何もしちゃいないんだ。その単語を俺に使うのは適切じゃないだろ」

 クス、とまた一つ、嘲りを含んだ笑いを挟んで、緋凪は言葉を継いだ。

「それに、一歩間違えば今の彼女は俺自身たったかも知れないからな。ただ、今はまだ彼女も人殺しとして起訴はされてない」

 だから、と続けながら、緋凪は刑事たちに冷え切った視線を投げる。

「必ず守ってみせる。警察あんたら杜撰ズサン過ぎる仕事の所為でこれ以上、無実の人間の人生を壊させない。少なくとも、俺の目の前ではな」


***


 言うや、緋凪少年は、冴綯の手を引いてきびすを返すと、足早に外川そとかわたちから遠ざかって行く。

 外川は、あろうことか、それを呆然と見送ってしまった。

「警部……!」

 彼を我に返したのは、まだ地面で呻いている古森ふるもりの声だ。

「警部、いいんですか! あのまま行かせて!!」

 もどかしげに言いながらもがく古森に駆け寄る。

「大丈夫か」

「俺はいいんです! 早くアイツを……!」

 しかし、二人の背中はもう、もう豆粒大に遠くなっていた。外川の手を借りて、どうにか立ち上がった古森が、彼らを歯軋りせんばかりに睨み据える。

「くっそ、好き放題言いやがってクソガキが~~~……前科者のクセに何なんですか、あいつ!」

 歯軋りの代わりに拳をギリギリと握り締めたかと思えば、唾を飛ばして外川に向き直る。

「最近の犯罪者はホント何でしょうね! 見た目が綺麗で図太いって言うか図々しいって言うか!!」

「……そうかも知れんな」

「ですよね! ああっ、腹立つ~~~!! このヤマ終わったら、あのガキ締め上げて執行猶予の取り消し請求出しましょう!!」

「いや、そういう意味じゃない」

 静かに言うと、古森は「へ?」と間抜けな声を出した。

「お前、科捜研に鑑定結果聞きに言った時のこと、覚えてるか?」

「科捜研に行った時の……ですか?」

「ああ」

 顔認証システムが示した不一致。それに、指紋がないこと。

 緋凪に指摘されたことは、どちらも科捜研で聞いたことだった。


『マンションの防犯カメラに映ってた映像と、データベースにある鷹森冴綯の顔写真、一致しませんでしたよ』


 緋凪が先の二つのことを指摘した時、科捜研の女性スタッフ・五十嵐いがらし由良ゆらの言葉が頭をよぎらなかったと言えば嘘になる。


『――何?』

 外川は眉を顰めた。

『だって、毛髪のDNAは』

『ええ、毛髪のDNAは一致しました。でも、防犯カメラに映った人物は鷹森冴綯ではない可能性もあります』

 普段の人を茶化すような様子が一転、由良は真面目な顔で外川を見据えた。

『確かか』

『顔認証システムで照合しましたから、間違いありません』

『そんなわけないでしょう! 女性なら化粧で誤魔化したとか、何かあるんじゃないですか!?』

 噛み付いた古森には、それはそれは冷え切った由良の視線が向けられる。

『それこそ、そんなわけないでしょうって台詞、そっくりお返ししますよ、古森巡査。それで人間の目は誤魔化せても、機械を誤魔化せるとでも?』

 古森が、ぐうの音も出せない様子で口を噤む。

『だから、勇み足になるのは感心しませんよ。それと警部』

『何だ』

『詳しいことはすべての鑑定結果を待ってからになりますけど……今のところ、これまたデータベースに保存してある鷹森冴綯の指紋と、被害者の安次峰氏の部屋から採取して来た指紋、一致するモノが一つもありません』

『何だと!?』

『まさか!』

 あり得ない事態に、二人は同時に叫んでいた。

『だから、すべての鑑定結果を待たないとって言ってるじゃないですか。どこまでセッカチなんですかね、ったく最近の男と来たら』

『しかし、それは犯人の鷹森が、自分の痕跡を消したからなんじゃ』

 反論を試みた古森に、頬杖を突いた由良が、呆れ果てたと言わんばかりの視線で彼をめ上げた。

『じゃあ訊きますけどね、古森巡査。もし巡査が犯人だとしたら、これまでの被害者の生活の痕跡を残しつつ、自分の指紋だけ完璧に消し去れますか?』

 できない。無理だ。外川は即座に思った。

 もし、外川が犯人でも、そんな器用な真似は不可能だ。

 やるとしたら、被害者の生活の痕跡ごと全てを消すか、それとも自分の痕跡ごと残しておくか――即ち、オール・オア・ナッシングというやつだ。

 古森も漏れなく同感だったと見えて、完全に押し黙る。

『これは、あたしの個人的な勘ですから聞き流してくれて構いませんけどね。彼女……鷹森冴綯は、もしかしたらまったく無関係なのかも知れませんよ。少なくとも、この件に関しては、ですけど』


「……それにしたって、DNAのコトはどう説明付けるんですか?」

「それはまだ分からん。だが、鷹森冴綯に容姿がよく似た別人がいるという説は、考えてみる価値はあるかも知れん」

「まさか警部、あいつの言うこと信用するんですか!? あの犯罪者を!!」

 分かり易く瞬間湯沸かし器になる古森を、外川は宥めるように見た。

「執行猶予中の者を信用するかどうかじゃない。あらゆる可能性を考えるのも必要だということだ。我々には、そもそも鷹森冴綯が窃盗の前科者だという先入観があるから、自然それだけ視野がせばまっていたのは、認めざるを得ないだろう」

 捜査の基本であるのに、それをすっかり忘れていた。

 更に、それを思い出させてくれたのが、古森の言う通りの前科者だというのが、何ともシャクに障る。

 しかし、古森はそこまで深くは考えていないらしい。

「先入観も何も、事実じゃないですか」

 と仏頂面であっさりと返すのへ、外川は辛抱強く言い聞かせる。半ば、自身にも、だ。

「事実でも、一旦切り離して考えるべきかも知れない。例えば、窃盗の常習者が窃盗の延長で殺人をすることはあっても、まったくの別件で殺人だけを犯すとは限らないだろう。現に、安次峰遼祐の自宅は、物取りに荒らされた形跡はなかった」

 チラと見ただけなので自信はないが。

 そう胸の内で付け加えたのには、古森は勿論気付かなかったようだ。

 ただ、見る見る内に彼の中での、確信のようなものがしぼんでいくのが分かる。彼の胸中は、急速に下がった眉尻が示していた。

「でも……でもじゃあ、DNAと防犯カメラの映像は」

「カンガワセナ、だったか。そういう名の女が本当に存在するのか、まず調べてみてもいいだろう」

「いいんですか?」

「ああ。それに、死亡推定時刻の前後、鷹森冴綯は間違いなくセリシール店内にいた。こっちの顔認証は一致したって話だ」

「それはそうかも知れませんけどぉ……」

「我々の仕事は冤罪に泣く者を作り出すことではない。犯罪者を捕らえて、市民の安全を守ることだ」

 不満げに尚も食い下がる古森に、ピシャリと言い放つ。

 杜撰だなんて、言わせたままにしておけるか。

 何だかよく分からない負けん気を、年甲斐もなく燃やしつつ歩を踏み出した外川のあとを、古森が慌てて追った。


©️和倉 眞吹2021.

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