act.6 “彼女”との因縁
冴綯が、寒川世綯と初めて出会ったのは、中学に入学して程なくの頃だ。彼女とは、顔を合わせるなり意気投合した。
何しろ、顔が瓜二つだったし、名前もお揃いのようだった。
双子でもないのにこんなに似ているなんて、と事あるごとに言い合ったものだ。
時折、クラスを入れ替わっては誰も気付かないことに二人してほくそ笑み、時には教師にバレて二人して怒られたこともある。
クラスは違ったが、二人は大概何をするにも一緒だった。まるで、本当の双子のように。
二人でしたことのすべてが、のちには暖かな思い出に変わるはずだった。
――彼に、出会わなければ。
***
『冴綯!』
どこか嬉しそうな顔で、世綯が冴綯のクラスに駆け込んで来たのは、高校二年生一学期の期末考査の終わった日だった。
『一緒に帰ろ。すっごく美味しいスイーツのお店、見つけたの』
『ホント? ……あー、でもごめん。あたし今日、これから図書委員の当番なんだ』
『えー、残念』
へにょりと八の字になった世綯の眉が、すぐに弧を描く。
『あ、じゃあさ、あとで差し入れ持って図書準備室行くからっ!』
『え?』
『今日どおしても話があるのー。近くのコンビニで最近新発売になったケーキも美味しいんだよ』
ねっ、お願ーい、と言いながら、世綯は両手を合わせて伏し拝む。
こう言い出すと、彼女は梃子でも動かない。
確かに、二人の外見は双子のように似ていた。けれど、性格はまるで違う。恐らく冴綯なら、自分のしたい話は翌日以降に持ち越して先に帰るか、でなければ自宅へ戻る頃合いを見計らって電話でも入れただろう。
しかし、押しが弱い所為か、それとも単純に友人が好きだった所為か、冴綯は殊更、委員会の仕事の邪魔だとは言えなかった。
『分かったよ、もう。しょうがないな』
『ホント? やったっ! じゃっ、あとでね』
きびすを返した世綯は、慌ただしく冴綯のクラスをあとにした。
その後、程なく学校へ戻った世綯は、真っ直ぐ図書準備室へ来たらしい。
委員会の仕事が一段落ついて準備室へ顔を覗かせると、世綯と、その前にコンビニのビニル袋が鎮座していた。
『紅茶も買って来たよん。あたしの奢りー』
『ありがと。いいの?』
『いーのいーの。邪魔してる自覚くらいあるんだからさ』
『で、話って?』
単刀直入に切り出すと、ケーキを取り出そうとしていた世綯の動きが一瞬止まった。
『……冴綯ってさぁ。意外とデリカシーがないよね』
『え?』
『だってさ。スイーツを前にして、前置き抜きで話に入るとか、有り得なくない?』
今思えば、“邪魔してる自覚がある”が聞いて呆れるところだ。が、当時は自分が悪いのだと思った。
『そ、そお? ごめんね』
素直に謝罪すると、笑顔に戻った世綯が、紙皿の上に乗ったショートケーキを冴綯の前に置く。
ケーキを口に運び、感想を述べ、辛抱強く雑談を挟んだ末に、世綯はようやく『あのね』と切り出した。
その時、間の悪いことに、彼がそこへ顔を出したのだ。
『よ』
『あ、こんにちは』
ペコリと冴綯は頭を下げる。
相手は、図書委員会の委員長を務めていた、三年生の安次峰遼祐だった。
遼祐は、何か資料を漁ると、世綯にも目線を投げ、瞠目した。
『あれ。柵木って双子だったの?』
そっくりだね、と言われて、いいえと首を振る。
『双子じゃないんです。よく言われますけど』
そうなんだ、とだけ返して、遼祐は『じゃあ』と準備室をあとにした。
『ごめんね、世綯……って、どうしたの』
肝心の世綯は、遼祐の出て行った扉に釘付けになっていた。その頬は、どこか赤い。
『今……今のって』
『ああ……図書委員の委員長よ。安次峰先輩。世綯、知ってるの?』
『知ってるも何も!』
思わずと言った口調で甲高く叫んだ世綯は、慌てて口元を手で押さえ、潜めた声で続けた。
『……だって、バスケ部のエースじゃない。そんな人が図書委員になんていると思わないわよっ』
『……それってつまり、運動ができる人は、読書なんて興味ないだろうってこと?』
『えっ、いや、そーゆーつもりじゃなかったけど』
世綯は、ばつが悪そうな表情で目を伏せたあと、改めて冴綯を見た。
『ねぇ、冴綯』
『ん?』
『その……安次峰先輩とは親しいの?』
え、と言って、冴綯は瞬時声を詰まらせる。
『し、親しいって言うか……』
親しいと言ってしまったら、彼に迷惑かも知れない。
だが、一年生の時に図書委員に入って初日、自己紹介で好きな本のジャンルが同じだと分かってから、よく話すようになったのは確かだった。
そして、本の話題を間に置いて、彼との会話自体を楽しんでいる自分にも気付いている。有り体に言えば、この頃から好きだったのだろう。
『……もしかして、付き合ってる、とか』
『まさか!』
冴綯は慌てて首を振った。確かに、彼との付き合いはもう一年以上になるが、男女交際の意味合いでは決してなかった。
しかし、それは世綯には、冴綯が遼祐のことを恋愛対象として見ていないという意思表示に映ったらしい。
『そうなんだ。あー、よかった』
『え?』
心底ホッとした顔で言った世綯は、直後にはパンと手を合わせる。
『お願い冴綯っ! 協力して!』
『えっ、何急に、協力って』
『もお、どこまで鈍いのよっ。安次峰先輩に紹介してよ。彼と付き合えるように』
『ええ?』
まさか、彼のことが好きだとでも言い出すつもりだろうか。
声に出さないその問いに、世綯は顔を真っ赤にさせることで答えた。
『……一目惚れなの。こないだ、クラスの子と観に行ったバスケの試合に出てて……それで』
確かに、遼祐はいわゆるイケメンだ。一目惚れしたとしてもおかしくない。現に、女子には人気があるのも知っている。
いつも物怖じせず、言いたいことを何でも言える彼女が、ほかの女子と同じように赤面し俯いている。その様は、同性の冴綯の目から見ても可愛らしく思えた。自分と同じ顔だというのが、いささか複雑ではあったが。
(でも)
協力なんて、こればっかりはしたくない。
だが、冴綯の沈黙をどう解釈したのか、焦れたように世綯は目を上げた。眉尻を下げて必死でこちらを見上げるその目は、まるで捨てられた子犬だ。
『……分かった。いいよ』
ここでなぜ、こう言ってしまったのか。
冴綯がその選択を死ぬほど呪いまくることになるのは、約二週間後のことだった。
***
今日こそ絶っっ対に、あたしの話をしてね! と世綯に念を押されまくって別れた、一学期の終業式放課後。
この日も冴綯は、図書委員の当番だった。
ついでだから、暇があれば夏休みの宿題をちょっとでも片付けて行こう。そんな風に思いながら臨んだこの日の当番も、運がいいのか悪いのか、遼祐と一緒だった。
『柵木。このあと、少しいいか?』
そう声を掛けられたのは、最終下校時間の十五分前のことだ。
頷いて、簡単に片付けをし、誘われたのは準備室。
『俺と付き合って貰えないか』と言われて、冴綯は十七年生きてきて初めて、至上の喜びと苦悩を同時に味わう羽目になった。
“絶っっ対に! あたしの話をしてね!”
ある種、殺気立った世綯の顔を思い出して、俯く。
『……柵木?』
『あ、あの』
『……もしかして、俺が嫌い?』
『いいえっ!』
冴綯は反射でブンブンと首を横に振った。
『じゃあ、好きは好きだけど、“恋愛”の好きじゃないとか、そういう類?』
『そっ、そうじゃなくって……』
『なら、俺のいいように取って構わないんだな』
明らかな安堵の表情で、遼祐は冴綯の手を取った。
『あ、あの、先輩』
『ん?』
『あたし……あの、先輩を好きは好きです。もちろんその……恋愛の、意味のほうで』
『何だよ、歯切れ悪いな。柵木らしくないぞ』
あたしらしいって何だろう。
そうツッコみたくなるが、冴綯はほとんど無視するように必死で言葉を継ぐ。
『だけど、その……当分、お付き合いは保留というコトにさせて貰えませんか』
『どういうこと?』
冴綯は更に数秒逡巡したのちに、観念して口を開いた。
『あの……先輩、こないだ、期末が終わった日に会った子を覚えてますか』
『期末の最終日……ああ、柵木によく似たあの』
『はい。寒川世綯ちゃんって言います。あたしと同い年だけどクラスは違います。二年F組なんですけど』
『その子が、何?』
『実は、その……彼女に、仲を取り持ってくれって頼まれてて』
『誰の? 俺の知ってる奴か?』
『じゃなくって……彼女と、先輩を』
『えっ』
冴綯は始終俯いていたので、遼祐の顔は見えなかった。ただ、恐らく彼も目を真ん丸にしていただろうことは、想像に難くない。
たっぷり三十秒は間が空いたあとで、遼祐はもう一度唸るように『ええー……』と言った。
『だって、そんな……彼女が、俺を?』
『先輩、人気あるじゃないですか。世綯じゃなくても、選り取り見取りでしょう?』
なぜか拗ねたような気分になって、冴綯は俯いたまま唇を尖らせた。
『でも、俺は君を選んだ』
不意に言われて、反射で顔を上げる。真摯な彼の目と視線が合った。気恥ずかしくて、視線を逸らしたいのに逸らせない。まるで、彼の目が強力な磁石にでもなったかのようだった。
『その寒川って子と、柵木の関係は?』
『え、その……親友……だとあたしは思ってますけど』
『じゃあ、彼女は君の恋の成就を喜べないような子か?』
冴綯は、またも言葉を詰まらせた。
分からない。
そうではないと思いたいが、世綯はひどく我が強い面があり、自己中心的だと感じる時がある。それが彼女の気の強さ、押しの強さにも通じている。
顔は自分と同じでも、時々彼女が分からなくなることも多い。未だ読み切れない、という意味では、四年の付き合いは決して長くはないのだろう。
『もし、彼女が同じ相手を好きになったとしても、君の恋路を祝福できないような人間なら、それは親友じゃないと思うけど』
『……それは』
『で、そろそろ君の本音を聞きたいな』
『本音?』
『そう。君の俺への思いは、簡単にその親友に譲れる程度のモノ?』
『違いますっ!』
思わず叫んで、再度首を横に振る。
『もっ、もちろん、先輩の気持ちが余所に向いてたら、それを無視してまで自分を押し通そうとは思いませんけど……でも、先輩があたしを見てくれてると分かってるのに譲れるほど軽い気持ちじゃないです!』
一気に言い切って我に返れば、顔に否応なく熱が上る。
『……あ……えっと』
同時に、遼祐は派手に吹き出した。
***
それから、遼祐との秘密の交際が始まった。
打ち明けるのが先に延びれば延びるほど言い辛くなるぞ、と遼祐には早くオープンにしようと迫られ、世綯に会えば、遼祐といつ会わせてくれるのかと詰め寄られ、冴綯は苦しい板挟みに陥っていた。
そうして、夏休みもあと半月を残す所となったある日の午後七時頃、凄まじい形相で、世綯が柵木家に飛び込んで来た。
養父はまだ帰宅しておらず、養母は冴綯と瓜二つの世綯にまずびっくりしていた。そんな養母に、世綯は挨拶も何もせず、玄関へ靴を脱いで上がり込んだ。
『ちょっ、ちょっと世綯?』
一体何、と養母と二人オロオロする間に、世綯は冴綯の上腕部を掴んで二階へドカドカと上がった。まるで自分の家か、強盗のようだ。
『あんたの部屋、どこ?』
『ど、どこって』
『いいから案内しなさい、どこなの』
今までにない剣幕に縮み上がりながら、自室のドアを示すと、乱暴に開けて冴綯を室内へ突き飛ばすように放り込む。
蹈鞴を踏む間に、扉は甲高い音を立てて閉じられた。
『一体何なの!?』
さすがに不快に思いながら問うも、世綯はまるで堪えていないように冴綯を睨み据える。
『まったくいい度胸ね。盗人猛々しいってこういう時に使うんだってよく分かったわ』
世綯は、腕組みして部屋の扉に背を預けた。
『何のことよ』
『今日、遼祐さんに告白したの』
前置き抜きに言われて、冴綯は思わず息を呑んだ。
『あんまりあんたの仕事が遅いから、もう待ち切れなくて、自分でアタックしたの。でもフられたわ。モノの見事にね』
『……そ、う……』
ばつが悪くて、目を伏せる。まさか、遼祐が冴綯と付き合ってるとは思ってないだろう。
『遼祐さんは応えられないって言ったわ。最初はあたしを好きじゃないしよく知らないからって。じゃあ、付き合ってくれたら好きになってくれるかも知れないから、お試し期間をくださいって頼んだの。そうしたら彼、何て言ったと思う?』
『さ、さあ』
嫌な予感が、背筋を這った。そして、こういう予感は往々にして外れないようにできている。
世綯は、その予感を見事に的中させる台詞を放った。
『付き合ってる子がほかにいるから無理だって。誰かと思ったら、あんたよ。あたしとの仲を取り持ってくれるっていう名目で一緒にいたら、いつの間にか好きになっちゃったってコトかしら? まあ、よくあるわよね。そこまでならあたしだってこんなコト言わないけど』
『世綯』
『あの時、あんたは遼祐さんは恋愛対象じゃないって言ったわよね』
『そんなこと、言ってないわ』
『言ったじゃない! “遼祐さんと付き合ってるの?”って訊いたら、“まさか!”って!』
『だから、付き合ってるのかって訊かれたからそうじゃないって言っただけで』
『でも、そこで自分も好きならそう言えたでしょう? あたしだって、そうと分かってれば、恋敵に仲人頼むなんてバカな真似しなかったのに』
思わずムッとした。
『じゃあ、最初からそうすればよかったのに。どうせ今日、自分から告白したんでしょ?』
気付いた時には言い返していた。それがまた癇に障ったのか、世綯は目を細める。
『あら、逆ギレ? 自分のやったコト棚に上げて、図々しいったらありゃしない』
『そんな』
ジリ、と無意識に一歩退がった。
怖い。初めてそう思った。
顔は同じでも、性格はまるで違う。そこは、分かっていたつもりだった。
ただ、自己中なのはあくまでも彼女の一面だ。普段は気のいい少女だから、そんな一面は忘れて共に過ごしていた。けれども、それは間違いだっただろうか。
彼女の言い分は、フられた腹いせによる言い掛かりと大差はない。しかし、今の彼女には通じないだろう。
沈黙が数秒落ちたのち、世綯はふっと笑った。
『まあ、いいわ。彼があなたを選んだなら仕方ないから譲ってあげる』
譲る。それがまた何かおかしい言い分だ。まるで、遼祐は始め世綯と付き合っていて、冴綯が横取りしたかのように取れる。
けれど、それは指摘せずに黙って世綯の出方を見守る。
『その代わり、条件があるの』
『……何』
本来、そんな条件は呑む謂われはない。だが、今の彼女に正論は通じないと、冴綯は繰り返し自分に言い聞かせる。
『一日だけ、彼とデートさせて』
『え?』
どういう意味だろう。冴綯は眉根を寄せた。
世綯とデートしてくれと言って、遼祐が承諾するはずがない。何を考えているのか。
しかし、世綯は構わず続けた。
『だって見てよ。あたしとあんた。鏡に映したみたいにそっくりじゃない。あんたの振りしてデートしたって、一日くらいじゃバレやしないわよ』
『そんな』
『何よ。文句があるの? 横取りしといて一日返すくらいの気遣いがないって言うの!?』
和らいでいた彼女の表情が、またしても鋭くなる。
また意図せず一歩退がると、世綯は逆に大股に肉薄して冴綯の胸倉を掴んだ。
『……ねぇ、譲ってくれるわよね? たった一日よ』
近距離で目線を合わせて、猫撫で声で笑うその顔が、心底恐ろしい。
『いい? 遼祐さんには黙って、デートの約束を取り付けるのよ。それで、実際に行くのはあたし。待ち合わせ場所、日時をその日の内に連絡すること。これができなかったらあんた、二学期には通える学校はないと思うのね』
『……何をするつもりなの』
『何って、決まってるでしょう。あんたがしたコトをちょっと、ネット上に実名入りで書き込んであげるだけ。人の男を横取りする、尻軽だってね』
冴綯は黙っていた。その場で返事はしなかった。是とも否とも言わなかったのは、恐怖で声が出せなかったからだ。
だが、世綯はそれを自身のいいように解釈したらしい。
『じゃ、頼んだわよ。あんたの予定に任せるとまた行動が遅いから、今日中ね。今日の夜零時までにあたしに連絡がなかったら、明日の朝には学校中があんたの男癖の悪さを知るコトになるわ』
じゃあね、と言って、世綯は掴んでいた胸倉を、突き飛ばすように解放すると、部屋をあとにした。
©️和倉 眞吹2021.