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緋凪の理不尽事件ファイル  作者: 神蔵(旧・和倉)眞吹
File.1 ドッペルゲンガーは斯《か》く騙《かた》りき
20/43

act.5 冴綯の事情

 最初に濡れ衣を着せられたのは三年前、冴綯さなが十九歳の頃のことらしい。

 その頃の彼女は、ごく短期間付き合っていた恋人と、彼と別れた原因となった元親友と絶縁し、大学の受験期間も逃し、予備校へ通っていたという。

 そして、最初の濡れ衣を着せられた。

 当時、彼女が住んでいたのは、浦安の辺りだった。そこから三十キロ前後離れた神奈川との県境にあるスーパーで起きた、万引き事件の犯人として、後日の取り調べを受けたという。

 だが、彼女が通っていた予備校は葛飾区にあり、予備校に行く為に乗った電車で足を延ばすとしても方向が違う。わざわざそちら方面へ出向く理由がなかった。

 しかし、防犯カメラに映っていた女は冴綯にしか見えず、結局その状況証拠と冴綯自身が現行犯で捕まった時に申請したという住所の一致から、冴綯が起こした窃盗事件として扱われた。

 ただ、それが初犯であったことと、まだギリギリ未成年だったことから不起訴となり、前歴は付いたものの、厳重注意で終わった。

 当時から、冴綯の両親だった養父母は、冴綯自身の無実の訴えに半信半疑であったようだ。が、口では養女を信用するようなことを言っていたという。

 その、一年遅れで大学を受験し、史学科に合格。学校があったのが江戸川区で、自宅から近かった為、自宅から通っていた。そんなある日、再度万引きの後日調査で警官が訪ねて来た。

「現場は学校から遠かったし、行ったこともない店だったのに、防犯カメラに映ってたのがあたしとしか思えない人物で……」

 季節は夏場。六月生まれの冴綯は、既に二十歳を超えていた。

 二犯目で成人済み、罪は明白だというのに、覚えがないと否認するのは悪質とされ、上限一杯の二十日間勾留された。そのあいだに、当然ながら大学は退学処分になってしまった。

 その頃、養父母には冴綯を改めて別な大学へ入学させる金銭的余裕がなく、冴綯はその、働くよりほかに道がなかった。

 その上、無実の罪でありながら、労役所に収監までされた。辛かったが、終わったことは忘れようと、出所後、必死で就職活動をしていた。

 けれども、短期の派遣で食い繋いでいた矢先、またしても事件が起きた。今度は置き引きで、やはり冴綯の生活圏から外れた地域でのことだったが、防犯カメラの映像と、被害者の証言を決め手として送検された。

 仏の顔も三度までとはよく言ったもので、二歳の頃から二十年近く育ててくれたはずの養父母にあっさり愛想を尽かされた。

「置き引き事件のあと、養父には籍を抜かれて、それまで柵木ませぎ姓で生活して来たあたしは、生みの親の姓である鷹森たかもりに戻りました。その、養母とはしばらく交流があったんですが、養父に見つかったのか、去年の暑中見舞いを最後に、連絡は途絶えました」

「で? そのあとも何か事件が続いたのか」

 低く問うた緋凪ひなぎに、冴綯は小さく頷く。

「塵も積もればって言うけど、まさにそんな感じね。しょっちゅう警察が家や職場まで通って来るし、使うことのない沿線でのスリ罪で起訴されたこともあって、すっかり常習犯よ」

 うっすらと涙の滲んだ目で、冴綯は自嘲の笑みを浮かべて肩を一つ竦めた。

「それで今度は殺人容疑か……たまんねーな」

 緋凪は吐き捨てるように言って目を伏せる。

 同時に三年前、自身が両親殺しの犯人として疑われた一件が思い出されて、無意識に拳を握り締めた。

 やってもいない罪を着せられる悔しさや、理不尽に焦げそうになる思いは、嫌と言うほど知っている。

 事件が終われば、警察は余程でない限り再捜査などしない。仮に誤認逮捕が分かったとしても、口先だけの謝罪があるだけなのも、考えなくとも分かる。

「凪君」

「分かってるよ。頼まれるまでもねぇ」

 腰掛けていたテーブルを離れ、元通りパイプ椅子に腰掛けた冴綯の前へ歩む。

「引き受けるぜ。あんたの無実を証明する仕事」

「……え?」

 彼女が目をまたたくと、溜まっていた涙がその頬を伝う。

 話が見えないとばかりに彼女が視線を向けたのは、瑞琉みつるだった。瑞琉は小さく頷いて説明を添える。

「凪君の働く便利屋はね。本来そういう仕事をしているのよ。ストーカーの件でもそっくりサンが関わってるし、そのそっくりサンは同一人物と思って間違いないんじゃない?」

「つまり、そのそっくりサンの正体を暴いてやれば、あんたの冤罪も晴れるってわけだな」

 冴綯は更にしばらくポカンとしたあと、「嘘」と呟いた。

「何が」

「だって……いるわけないもの」

 唖然とした表情で、冴綯は繰り返す。

「あたしを信じてくれる人なんて……いるわけない……ママも、緋凪君も、あたしを信じてくれるって言うの? あたしが、嘘をいてるかも知れないのに?」

 瞬時、瑞琉と緋凪は目を見交わし、互いに小さく苦笑した。

「え……何?」

 なぜ笑われたのかが分からないらしい冴綯は、瑞琉と緋凪をおろおろと交互に見る。そのさまは、何かにおたついている小動物だ。

「あのねー、冴綯ちゃん」

 口を切ったのは、瑞琉だった。

 彼女は、冴綯と向かい合うようにして座ったパイプ椅子の上で、足を組んでそこに頬杖を突く。

「相手が嘘を言ってるかどうかなんて、その人の目を見てれば大体分かるわよ。それにね。嘘吐いて人を騙そうっていう人間が、そんなことわざわざ訊くわけないと思うけど?」

「まったく同感だな」

 半ば呆れたように言って、緋凪は肩を竦めた。

 だが、気持ちは痛いほど理解できる。目の前にいるのは、一歩間違えば自分自身だった。

 彼女の話からも明らかだが、彼女の周囲には自分を疑って、犯人と決めて掛かる人間しかいないのだろう。そうしたらきっと、他人から信用されるということがどんなことか、すぐに分からなくなるに違いない。

 周りが疑うから、自分も他人を信じられなくなる。差し伸べられる手を取るのは正直言って、かなり勇気が要ることだ。

 手を取ってまた裏切られたら、と思うと心底恐ろしいだろう。

 ならば、始めから信じなければいい。そうすれば、今以上に傷付かずに済むと考えるのも、よく分かる。

(だけど)

 緋凪には、今は戸籍上の母となってくれた瀧澤たきざわ朝霞あさかを始め、イギリスの祖父母や宗史朗など、信じてくれる人間が周囲にいた。だから、たとえ警察が信じてくれなくとも、自分を見失わずに今ここにいられる。

 けれど自分が冴綯に対して朝霞たちのような存在にはなれないだろうことも分かり切っている。彼女と自分では、まず前提となるバックボーンが違い過ぎた。

「……とにかく」

 一つ瞬きして、緋凪は現実に意識を切り替える。

「あんたが俺たちを信じようと信じまいと、っとけば警察はいいようにまたあんたの罪を捏造するぜ? 動くなら早いほうがいいと思うけどな」

「その通りね。じゃあ、凪君。閉店まで待たずに、七時頃になったら今日は冴綯ちゃん連れて帰ってくれる? しばらく凪君()に泊めてあげてくれるとありがたいんだけど」

「りょーかい」

「えっ、ちょっ、ちょっと待って」

 自身を置き去りに話が進んだ為か、冴綯が慌てたように口を挟む。

「何だよ。無実の殺人罪で捕まるほうがお望みか?」

「じゃなくてっ……その、念の為にもう一度確認するけどっ、緋凪君てそのっ……男の子なのよね?」

 緋凪は瞬時瞠目して、そうするともなしに瑞琉のほうへ視線を向けた。彼女は引き結んだ唇をプルプルと震わせている。今にも爆笑しそうだ。

「……ストリップでもして、とことん確認したいとか?」

 やや低くなった声でそう落とせば、瑞琉はついに吹き出した。彼女の大爆笑をBGMに、冴綯は真っ赤になって首を横に振る。

「ちっ、ちちち違くてっ! あの、なら、やっぱりそのっ……ひっ、一つ屋根の下に若い男女が結婚もしてないのに二人っきりってやっぱりよくないって言うか!」

「……あんた、その純情具合でよくホステスが務まるよな。ある意味で感心するわ」

 呆れたように目を細める横で、瑞琉が笑いの残滓ざんしを引きずりながら、補足を入れる。

「心配ないって、冴綯ちゃん。いくら私でも、人の性格見極めずにこんなこと提案しないから」

「その前に、俺が一人暮らしだっていう誤解を殊更深めるのはやめてくれ」

「へ」

 まだ火照ほてった頬をそのままに、冴綯が目をパチクリとさせた。

「一人暮らし……じゃないの?」

「まあな。母親と暮らしてる。戸籍上の母だから血は繋がってねぇけど」

 肩を竦めて言うと、冴綯は気が抜けたように「あ、そう」と漏らして長い息を吐く。

 それを見計らったように、瑞琉は立ち上がった。

「じゃ、話がまとまったところで、私はそろそろ仕事に戻るわ。報酬の話はあとでね、凪君。朝霞ちゃんにもよろしく」

「ああ」

 緋凪が頷くと、なぜか冴綯はまたしても何か言いたげな顔になったが、それを一顧いっこだにすることなく瑞琉は部屋をあとにした。


***


「あ、あの、緋凪君」

 瑞琉が部屋を出て、コンマ一秒もしない内に、冴綯は口をひらいた。

「何」

「えっと、その……仕事って言うからには、やっぱりお金取るのよね?」

「普通は取らない。ほとんどボランティアだ。こーゆー件ってマジで追い詰められてて金まで首が回んない奴のが多いし、俺たちは弁護士じゃねぇからな」

 緋凪は、肩を竦めると、控え室に備え付けの冷蔵庫に歩んだ。

 勝手に漁って、ペットボトルのお茶を取り出すと、どこからともなく紙コップを二つ持ち出し、一つを冴綯に差し出す。

「あ、そっか……裁判の時って弁護士さんが付くもんね、普通」

 反射で受け取って、お茶が注がれるのをぼんやり見ながら、冴綯は呟いた。

「ただ、瑞琉サンから紹介された仕事ん時は、彼女から貰うことになってる。まったくのボランティアでやるには、カジノとカフェのショボい稼ぎじゃちょっと厳しいから」

「カフェ?」

「ああ。普段は、カフェと古本屋が合体したよーな店やってる。開店したのは朝霞……あ、さっき言った、義理の母だけど。カジノのバイトがない時とか、昼間はそこで働いてるんだ。奥まった立地だから、新規の客が入りにくいんだけどさ」

 苦笑と共に言いながら、緋凪は自分のコップにも茶を注いだ。

「一旦有罪で起訴されたら、ほぼくつがえらないだろ。無罪判決が出たって話も聞くけど、略式起訴でも起訴されたら前科が付いちまうからな。無実なら起訴されないのが一番だから」

「うん……」

 それは、冴綯も身に沁みている。

 弁護士とは基本、被告人の無罪を前提に動くものとされる。しかし、いざその場になれば、そんなものは悲しいほどあっさりと建前に成り下がってしまう。実際には、罰が軽く済むようにしか動いてくれない。

 冴綯の場合、当番弁護士がはかったように人間的に最低の者ばかりだったのも不運だった。

「それに、ケーサツは一度犯人と断定したら、それをまず覆さない。犯人と断定した奴を犯人に仕立てる為に動くし」

「それって検察の仕事じゃないの?」

「厳密に言えばな。ただ、検察もケーサツも弁護士も、無実の罪で訴えられた人間にとっちゃ、モノの役にも立ちゃしねぇのだけは確かだろ。特に検察なんて、起訴する以上、絶対有罪を勝ち取りたいってんだから、鬼か悪魔だよな」

 吐き捨てるように言うと、緋凪は自身のコップに注いだ茶を、ヤケ酒のようにあおる。

「……そう言えば」

「ん」

「緋凪君っていくつ?」

 急に話題が変わったように思ったのか、緋凪は目を見開いた。

「……十七だけど?」

「ガッコは?」

「行ってない。朝霞が今時高校くらい出とけってしつこいから、通信制の高校には入ってる。入学が一年遅れたから、まだ一年生だけど」

「そう……」

 それがどうしてガードマンや、こんなボランティアの仕事をしているのだろう。

 しかし、それを踏み込んで訊いてもいいことかは分からない。多分、やめておいたほうが無難だろう。

 だが、物問いたげな視線に気付いたのか、緋凪は苦笑した。

「まだ訊きたいコトがあるって顔だな」

「え、あ、別に」

 逃れるように視線をコップの中へ落とすと、緋凪の声がそれを追い掛ける。

「いいぜ。まだ少し時間あるし、何でも訊けよ。その代わり、俺も質問がある」

「何?」

「お先にどーぞ」

 と言われて戸惑ったが、それはほんの短いあいだだった。

「緋凪君って……普通にガッコ行ってたら高校生なのに、何でこんな仕事してるの?」

「いきなり核心か」

「うっ、いやその、答えたくなければ別にいいし」

「俺も同じだから」

「え」

 改めて彼の顔を見る。視線の先にある緋凪の顔からは、およそ表情と呼べるものが消えていた。背筋に冷たいモノが走ったように思えたのは、気の所為ではないだろう。

 なまじ容貌が整っているだけに、やましいことがなくても、睨み据えられるより遙かに恐ろしい気がする。

「四年前、従姉いとこが殺された。詳しいことは話すと長いからまあ機会があればってことにしといて欲しいけど、従姉の通ってた私立高校の理事長がその事件の揉み消しに掛かった。所轄のケーサツも理事長に札束ビンタでもされたのか、見ざる言わざる聴かざる状態で当てになんなくってよ。仕方ねぇから、シロートが探偵の真似ごとして真犯人を捜してた。従姉が殺されてから一年くらいして、あとちょっとで取り敢えず裁判に持ち込めそうだって時に、俺の実の両親が死んだ。殺されたんだよ。誰にかは分からねぇけど、ケーサツは犯人を俺に仕立て上げて未だに疑ってる。つまり、両親の件でも真犯人はまだ野放しってわけ」

 冴綯は瞠目した。息が詰まるかと思った。

 先刻、瑞琉に前科のことを訊かれた時とは比べものにならない衝撃を覚える。

「言うまでもねぇけど、俺は殺してない」

「あっ、当たり前じゃない、そんなの! 自分の両親を殺すなんてそんなこと……」

 思わず立ち上がると、緋凪は軽く吹き出した。しかし、その笑いは苦笑に近い。

「あんた、この三年間はともかく、家庭内は比較的平和だったみてぇだな」

「え?」

「いや。無条件で俺を信じてくれたのなんて、周囲の人間と瑞琉サン以外じゃ、あんただけだったから……つってもまあ、瑞琉サンのほうはあんまり家庭的には恵まれてなかったらしいけどな」

「それってどういう……」

「あ、悪い。口が滑った。瑞琉サンに付いちゃオフレコ。俺が喋ったって言わないでくれよな。俺の口からはこれ以上は言えない」

 何を言えばいいのか、とっさには分からなかった。だが、しばらく逡巡した末に、冴綯は口を開く。

「……じゃあ、緋凪君は?」

「え?」

「緋凪君もその……家庭内は荒れてたり、したの?」

「質問二つ目か?」

 反問されて、冴綯はまたも口をつぐんだ。

「悪いが、次は俺の番だ。答えてくれたら、あんたの今の質問にも答えてやるよ」

 やや理不尽な気がしたが、緋凪とは初対面だ。

 今回の件に付いて手を貸してくれるとは言ったけれど、それで全幅の信頼関係が築けたかと言えばそうではないだろう。彼にとっても、冴綯にとっても、だ。

 わずかに感じた不満を脳の隅に押し退けて、冴綯は頷いた。

「いいわ。何が訊きたいの」

 緋凪は、からになった自身の紙コップに二杯目のお茶を注ぎながら、「あんたさ」と口を開く。

「今回の件とか今までの件に関わってる『そっくりサン』に、心当たりってあるか?」

 息が詰まるのは、今日何度目だろうか。無意識に手に力が入って、握った紙コップの中身が溢れそうになる。

 慌ててやんわりと掴み直そうとして、却って取り落としそうになる。が、それより早く、緋凪の手が紙コップを取り上げた。

「……ある、みてぇだな」

「……分からないの」

 硬直してしまった錯覚のある口を、ぎくしゃくと動かす。

「……あたしと瓜二つの女の子は、いるの……あたしの知る限り、一人だけ。だけど……その子が今回の件やこれまでのことと関わってるかは正直分からない。確かめたわけじゃないし……」

「それ、ケーサツに言ったか?」

 冴綯は、頷いて言葉を継いだ。

「でも、信じて貰えなかった。どうせ、罪を逃れたいが為に出任せを言ってるんだろうって」

 コップがなくなっていた手で、自分を抱き締める。

「そいつの名前は?」

 恐ろしく真剣な、コバルト・ブルーの瞳が冴綯を見つめる。その美しい両の目を見つめ返しながら、冴綯は口を開いた。

世綯せな……寒川かんがわ、世綯」


©️和倉 眞吹2021.

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