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Epilogue

(――……最悪)


 目を開けて、最初に胸の内に落ちてきたのはその言葉だった。

 一つ息を吐いて、緋凪ひなぎは前腕部を額に乗せる。


 三年前の出来事――それも、の生活に繋がる初めのことを夢に見るなんて、随分久し振りだ。あれから程ない頃は、悪夢の終わりはいつも叫んで跳ね起きていた。

 今日はそうでもなかったが、悪夢の余韻に心臓はいつもと違うリズムでのた打つように脈打っている。

 幾度か深呼吸を繰り返し、緋凪はのろい動作で起き上がった。うなじを覆うほどに伸びた緋色の髪が、さらりと首筋に滑る。

 そうするともなしに室内に目を投げた。深い青色が、無感動にその場を睥睨へいげいする。

 あのあと、緋凪を養子として迎えてくれた朝霞あさかと共に暮らすようになってから、早三年が経っていた。その三年間の内に見慣れた自室は、ひどく殺風景だ。

 両親と暮らしていた頃と、インテリアの配置はほとんど変わらない。

 ベッドと勉強机、洋服ダンス。家具は以上と言ってもいい。読書も変わらず好きだが、今は店先(・・)に出ればいくらでも読める。自分の部屋にある本棚には、お気に入りが数冊並んでいるだけだ。

 それが、今は亡き谷塚やつかの仮住まいを彷彿とさせる。レイアウトは無意識だったのだろうが、それを思うと胸奥深くがにぶく痛んだ。

 一緒にいた時間こそ短かったけれど、間違いなく彼も緋凪にとっては大切な家族だった。遠い親戚のおじさん、というのが一番近い表現だろうか。

 もっとも、彼に関しては遺体を直接見ていない所為か、未だに亡くなったという実感が沸かない。今もあのネットカフェの730番ブースに行けば、会えるのではないかという気がしている。


(……下らねぇ)


 瞼を閉じて、取り留めもない回想を強制的に終わらせる。無造作に緋色の髪を掻き上げると、汗でべた付いているのにようやく気付いた。あんな夢を見たら、寝汗の一つや二つ、掻かないほうがどうかしている。

 はあっ、と朝から盛大な溜息を一つ吐いて、緋凪は床へ足を下ろした。

 ベッド脇のチェストに置いてあったスマホを確認する。時刻は午前七時半だ。

「……え」

 覚えず声に出る。もう一度時間を確認した。どう見直しても七時半――いや、このかんに一分進んで七時三十一分だ。

「やっば……!」

 そうしても仕方がないのに、緋凪は一瞬左右を見回した。前日の内に揃えておいた着替えを引ったくるように掴んで自室を飛び出す。

 シャワーを浴びるか否か数瞬迷った末に、二階にもしつらえられているバスルームに飛び込む。

 これが、学校へ行くだけなら無視しても構わなかったが、今は色々あってカフェ兼古書店でスタッフを務める身だ。

 仮にも食品を扱う店先にいる店員が、あからさまに朝から汗の臭いをさせてるなんて有り得ない。いつからこんなことを意識するようになったのか、自分でも不思議だった。

 両親が亡くなってからしばらくは、何事にも無関心でしかいられなかったのに。

 蛇口を捻ると、秋口に浴びるには少し冷たすぎる温度の水が頭から掛かる。だが、それがちょうどいい。悪夢に浮かされた頭を冷やすには。

 そう思いながら目を上げると、バスルームにある鏡の中から、あの頃より輪郭が鋭角になった少年の深い青色(コバルト・ブルー)の目が、自分を見つめる。

 世間には、自身のように混血の人間でも、成長過程で髪の色が住んでいる国に馴染むように突然変わる者の話をたまに耳にする。だが、緋凪の場合は違った。

 生まれついた緋色の髪も、コバルト・ブルーの瞳も、十七になる今現在までそのままだ。

 無意識に鏡に手を伸ばす。

 鏡の中にいる、美少女と見紛う少年は、緋凪と同じように手を伸ばした。細い指先が行き当たって触れた場所は、固くて冷たい。


(……何も変わってない)


 胸の内で呟く。

 変わったのは、緋凪の姓と身長と、生活環境くらいだ。ほかには何も変わってはいない。

 春生はるきを殺した真犯人のことも、両親と谷塚を殺した人間も、未だ分からず終いだった。

 分からないということは、その真犯人は今も変わらぬ日常を謳歌おうかしているということにほかならない。

 鏡に手を当てたまま、きつく拳を握る。


 結局あのあと、所轄の東風谷こちたに署はもちろん何もしてはくれなかった。ただ緋凪に嫌疑を掛け、緋凪が両親を殺した真犯人だと言い張り、緋凪を取り調べようと頑張っただけだ。

 緋凪に対して正式な取り調べが行われずに済んだのは、朝霞の提案通りイギリス大使館に助けを求めた結果、彼らが介入してくれたからだ。

 一所轄の一事件にわざわざ大使館が介入するなんて、と最初は突っぱねていた東風谷署も、それこそ国際問題に発展するのを恐れた警視庁の圧力で沈黙せざるを得なかったらしい。

 イギリスの祖父母は事件後、いたく孫息子の身を心配し、しきりにイギリスの自分たちの元へ移住するよう促してくれた。

 その提案に、緋凪も心が揺れなかったと言えば嘘になる。湖水地方の羊牧場で、のんびり何も考えずに暮らせたら、きっと楽だろう。

 けれども、両親があんな異常な死に方をして、それを忘れられるわけがなかった。どうしても、真相を突き止めなければ前へ進めない。


“それは警察の仕事だよ。お前がやるべきことじゃない”


 事件後、日本まで来てくれたヴィルフリート祖父と巴祖母はそう言って、どうにか緋凪を宥めすかし、イギリスへ連れ帰ろうとしていた。


“その内、必ず日本警察はフィナとヒナタの無念を晴らしてくれるから。だから、私たちと一緒にイギリスに行こう?”


 ちなみに、『フィナ』とは母のミドルネーム『セラフィナ』の愛称だ。

 祖父母たちは人がよすぎる。だからこそ、彼らが心からそう言っているのもよく分かっていた。

 けれども、日本警察がその職務を忠実にこなしてくれると信じるには、緋凪はとっくにその裏側を見過ぎていた。

 自分の不祥事を隠す為ならどんな汚いこともし、一般人に冤罪を着せ、犠牲にする――それが、緋凪の知る警察組織の有りようだ。

 警察は弱者を、一般人を守ってなどくれない。公権力を持った暴力団であり、それだけにただの暴力団よりタチが悪い――

 重い溜息を吐いた緋凪は、唇を噛んで蛇口を捻り、湯を止めた。

 夢見が悪いといつもこうだ。昔のことを取り留めなく考えては、真相に早く辿り着きたいと願い、中々手が届かない現実に歯噛みする。

 すでに一度は殺人の嫌疑を掛けられた身だ。いっそ、正当な裁きも証拠もかなぐり捨てて、本当に真犯人を殺してやりたいとも思う。

 はっきりとした物証がないだけで、犯人の目星は付いているのだ。相手を殺すだけの技術も、痕跡を残さない方法も知っている。

 思い切って行動に出られないのは、こんな状態になっても結局自分が天涯孤独でないからだろう。

 厄介なことに、加害者家族がどういう理不尽な目に遭うかまで、緋凪はよく知っていた。


(……面倒臭ぇな)


 ポツリと胸の内で呟きながらバスルームを出て、乾いたタオルで手早く身体を拭いていく。


(……いっそ、サイコパスになれりゃ楽なのに)


 春生や家族を殺した犯人のように、本当の自己中になれればどれだけ楽だろう。何も考えなくていい。自分が世界の中心でいれば、それでいいのだから。

 下着とボトムを身に着け、ふと目を上げると、洗面所の鏡から自分の顔が見つめ返している。

 再度、思考がループに陥っていることに気付いて、緋凪は今日、もう数え切れないほどになっている溜息を、また一つ落とした。


©️和倉 眞吹2021.

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