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act.9 ハイウェイ

 その連絡は、中学二年に上がる前の春休みまで待つことになった。

 そのかん、当然のんびりしていたわけではない。

 情報収集は、結局のところ、周りの大人たちと皓樹ひろきが担当してくれていたが、緋凪ひなぎも週末ごとに谷塚やつかの所へ通い、今度はクラッキングの仕方を教わっていた。

 ちなみに世に言うハッカーとは、別にネット関連の犯罪者を指す言葉ではない。

 世間にはネット犯罪者の代名詞としてその単語が浸透しているが、ハッカーというのはコンピューターに関して一般人よりも詳しい人々を指すという。不正侵入を指す言葉は『クラッキング』のほうが正しいと唱える人もいるらしい。というようなことまで、最近になって知った。

 もちろん、ネットカフェに籠もってばかりおらず、父と谷塚のツテで、最近は射撃競技も始めていた。射撃競技は、ピストル、ライフル、クレーと三種類あるが、応分に学んでいる。

 スポーツ選手を目指しているように見せ掛けて射撃を覚えさせようというのだから、まったく恐ろしい大人たちだ。

 もっとも、若い所為もあるのか、緋凪は緋凪でそんな恐ろしいような非日常にもあっという間に馴染んでしまった。昼間、普通に学校に行っているのが、今では少し不思議なくらいだが――しかし。


「実はねぇ。僕こないだ免許取ったばっかなんだよね」

 今いるメンバーで唯一の免許持ちに、開口一番こう言われた十五歳と十三歳の少年の心中は、きっと誰もが察してくれるに違いない。

 最初、その言葉が右から左へ脳内を通り過ぎた。一度では理解できなかった。

 おかげで緋凪は、その言葉を脳裏で咀嚼そしゃくして反芻はんすうしなくてはならなかった。隣に立つ皓樹も、大方似たようなものだったらしい。

 リアクションできずに突っ立っている少年二人に、今日初めて会った少年――椙村すぎむら宗史朗そうしろうはにこやかに続けた。

「って言っても、実際に取ってからちゃんと毎日練習してるから大丈夫」

「……えっと……ちょっと待って」

 緋凪は額に手を当てながら、開いた掌を宗史朗に突き出す。

「何?」

「あのさ……確認するけど、その……免許取ったの、正確にはいつ?」

「高校最後の夏休みに合宿で。だからんーと……合宿に入ったのが八月の十五日頃で、取ったのが三十日だったから……七ヶ月くらいかな」

 ということは、ちょうど『慣れてきて油断する頃で一番危ない時期』ではないのか。

 それをやはり皓樹も考えたらしい。先刻よりも心なしか青くなっている。

 しかし、宗史朗のほうはまったく不安はないようで、朗らかに二人を車内へ追い立てた。

「さっ、乗って乗って。大丈夫、安全運転で行くから。あ、二人とも荷物は荷台に載せるから貸して」

 てきぱきと車の後ろに回り、荷台の扉を開ける。待ち合わせは川越駅最寄りの図書館だったので、確かに長居しては図書館の利用者に迷惑だ。

 緋凪も皓樹も、それぞれに持っていたキャリーカートを荷台へ載せ、後部座席へ座った。

 そして、シートベルトを装着している最中、運転席へ座った宗史朗は、またしても爆弾を投下した。

「うふふ、実はねぇ。僕、高速走るの、高速教習以来なんだ」

 緋凪たちは再度呆気に取られる。

「……うふふ、じゃねぇよ。初めての高速に付き合わされて死にたくないんだけど」

「うっわぁ。君、緋凪君だっけ?」

「ああ」

「聞いてた通りの毒舌だねぇ」

「誰に聞いたんだよ」

「谷塚さんと朝霞あさかさん。見た目の美貌と口が釣り合ってないから腰抜かすなよって言われてた」

「……そらどうも、お褒めにあずかりまして。途中で死にそうになったら問答無用で運転代わるからそのつもりでな」

「ええー? いくら何でも僕これから警官になろうって人間だもん、未成年者の無免運転の共犯にはなりたくないなぁ」

「安心しろよ、こっちの世界に足突っ込んでから色々習ってっから。正式免許はないけど高速も何回か経験してる。正真正銘初心者のあんたよりマシなはずだぜ」

「うっそ、ホントー?」

 言いながら、宗史朗はやっとエンジンを掛けた。ギアをチェンジしてウィンカーを出し、駐車場を出発する。

「本当ですよ。コイツ覚え早すぎて、もうプロみたいだもん」

 皓樹も横から話に加わった。

「シミュレーションマシンの疑似体験とかじゃなく?」

「マニュアルはまだそうだけど、オートマだったらもう実践終わってるよ。高速はさすがに今はちょっと誤魔化し利かなくなってるけど、そこはそれ、蛇の道は蛇ってな」

 チラと皓樹に目を向けると、彼もニヤリと唇の端を吊り上げる。それが、バックミラーを通して見えたのだろう。宗史朗が肩を竦めた。

「でもさ、こっちの世界に足踏み入れたって、君も去年になってからでしょ? だったら、僕と運転歴は大差ないんじゃない?」

「それ言われちゃ反論できねぇな。こんな白昼堂々、皓に高速のシステムいじらせんのも気が引けるし、できれば俺の出番はないことを祈るよ。でも、あんただってまだ命は惜しいんだろ?」

「まあね」

 苦笑混じりに宗史朗が言う頃、車は高速の入り口に差し掛かった。無事通過すると、宗史朗がまた口を開く。

「改めて自己紹介しとくね。僕は椙村宗史朗。去年、交通事故で亡くなった監察医の弟です。この春から警察学校入学予定」

「あのさ……話の腰を折るようで悪いんだけど、一ついいか」

「何?」

「初めての高速走ってるのに、喋ってる余裕あるのか? 運転に集中したほうがいいと思うけど」

 すると、宗史朗は面白そうに笑った。

「だってさー。何で移動手段を車にしたと思ってるの?」

 のんびりした口調とは裏腹な声音に、緋凪は一瞬息を呑んだ。

「車っていう一点を見れば、運転者は常識の範囲内で誰だっていいはずなのに、僕に白羽の矢が立ったのはどうしてだと思う? 君のお父さんや朝霞さん、谷塚さんだと敵方に警戒されるからじゃない。移動手段だってそうだよ。会合の場を群馬県のど真ん中にしたのは、ちょっとでも敵の目を誤魔化す為でしょ?」

「……そうだけど」

 その理屈だけで言えば、地方ならどこでもよさそうだが、離れ過ぎていても不審を買う。だから、宗史朗の運転練習を兼ねて、少年三人で春休みの小旅行のていを装っているのだ。

「まあ話し合いだけならあっちに着いてからでも問題ないんだけどね。一度停止して集まっちゃったらどうしたって目を引くじゃない。パーキングエリアに入ったってそう。車の中に籠もってたら、フツーはそうでもなくても、警戒すべき人間がそうしてたら変に勘ぐられるもの。だったら走行中にヤバい話は終わらせるに限るでしょ。僕だってその為に必死で運転の練習してたんだから」

「高速は初めてだけど?」

「……それはもうゴメンって言うしかないけど。一般道の練習するだけならまだしも、高速なんて毎日乗ってたら怪しまれそうだったから」

 余裕で口を動かしているように思えた宗史朗だったが、よく見るとハンドルにしがみ付いている。

「やっぱ次のパーキングエリアで交代する。皓、システム侵入の準備頼むわ」

「オーライ」

「……やっぱ気が引けるなぁ」

 バックミラーに映る宗史朗の眉根にしわが寄っている。しかし、緋凪は譲らなかった。

「真面目に訊くけど。あんた、兄貴の仇討ちたいって思ってんだろ?」

 すると、瞬時空気が凍るような一拍のがあった。

「……愚問だね」

「だったら年上だからとかいうどーでもいいプライドはその辺に捨てといてくれよ。仇討ちの前に死にたくなかったらな。俺だってそうだ。姉貴同然の従姉いとこを死に追いやっといて、今ものうのうと生きてる連中が許せない。絶対に何らかの裁きを受けさせてやる。でもその前に死にたくないし、味方を減らしたくもない」

 宗史朗の中では様々に葛藤があったのだろう。彼が『是』の意を表したのは、次のパーキングエリアの直前だった。


***


 最初の休憩地は、正確に言えばサービスエリアだった。サービスエリアとパーキングエリアの違いは、緋凪も未だによく分かってはいないが。

 宗史朗の運転する車は、スムーズにそのサービスエリアへ乗り入れ、駐車した。

 高速以外のことはコツコツ練習していたというのは、どうやら嘘ではないようだ。とは言え、結局ここへ到達するまで、車内に人の声はなかった(皓樹がパソコンをいじっている音がBGM代わりだったが)。

 実際問題として、宗史朗は運転で一杯一杯だったらしい。

「ホントは高速教習ってちょっと怖かったんだ」

 駐車したあとでそう漏れたのが、彼の本音だろう。不要なら二度と乗りたくなかったと顔に書いてある。

「で、ここトイレ休憩以外に何か用事あるんだろ?」

「うん。朝霞さんが待ってるから一度合流する」

「朝霞が?」

「そう。君、朝霞さんと最後にあったの、去年の九月の始めくらいだったんだよね?」

「ああ」

「今年に入ってから彼女、移動図書館の仕事始めたんだ」

「移動……図書館?」

「うん。キッチンカーって言ったら分かるだろ? それの中身が図書館版」

 緋凪の脳裏には、幼稚園くらいの時によく近所でアイスクリームを売っていた大きなバンがよぎった。

「ふーん……普通にキッチンカーにしなかったのは何でだろ」

 それに、図書館だと私設のそれでも返却を受ける必要があるだろう。第一、収入はあまり見込めないのではないか。

「食べ物扱うのって手続きが面倒なのと、彼女あんまり料理が得意じゃなくてね。あと」

 一呼吸置くように言葉を切ると、宗史朗は声をひそめて続けた。

「図書館なら同じ場所に立ち寄っても不自然じゃないでしょ? まあ、古本でも同じ場所に売りに来ることはあるかもしれないけど、仕入れがまた面倒だしね」

「借り賃取るの?」

 言いながら降り立ったそこは、少し規模が小さいようだった。天気がいい所為か、元々の備え付けサービス施設の前には、キッチンカー系の屋台がズラリと並んでいる。

「そりゃ、多少はね。だから図書館っていうより貸本屋のほうがニュアンス近いかも」

 答えながら、宗史朗が先導する先に、施設の建物から少し離れた場所にぽつねんと停車しているマイクロバスが見えた。

 三人は大股で歩み寄り、宗史朗が「こんにちは」と代表で声を掛けた。

「いらっしゃい。いいわね、お友達三人で旅行?」

 朝霞がまるで知らない客を迎えるように言う。

 即席カウンターに置かれた本に隠れるように置かれたメモを、彼女の指先がさり気なく示していた。メモには、

『どこかから見られてる。どこかは分からないけど』

 と書かれている。

 ついに向こうも動き出したのだろうか。春生はるきの死から、もう一年近くは経とうとしている。そのかん、ずっとこちらを見張っていたのだとしたら、何て暇な奴らだろうと思う。

 しかし、サイコパスの考えることは一般常識では測れないのも事実だ。

 緊張するまいと思っても、実際に命のやり取りなどしたことのない緋凪はもう緊張するしかない。

 チラと横を見ると、皓樹はいつもと変わらないように見えた。彼が谷塚の養子に引き取られたのは、十一の時だったという。それから四年、ずっと裏社会で生きてきたのなら、彼が一番場慣れしていると言えよう。

 宗史朗もそういった点では慣れていないらしい。メモを見た途端、一瞬深呼吸して「そうなんですよぉ」と朝霞に答えた。

「移動図書館って書いてあるから、ちょっと興味があって。中、見てもいいですか?」

「ええ、どうぞ」

 三人はゾロゾロと続いて本の積み込まれた荷台部分に上がり込んだ。

 本来椅子があるべき場所が、全部本棚になっている。通路は一つで両脇が本棚、蔵書は大して多くはない。

 けれど、内緒話をする為に車の中に入っても不自然でないところがいい。安易に食べ物屋をチョイスしなかったのは、こういう事情も考慮してのことだろう。

「見られてるって? 気の所為じゃないのか」

「階級は結局巡査止まりだったけど、刑事歴はそれなりに長いのよ。ナメないで欲しいわね、坊や」

 淡々とした口調で朝霞が言うので、緋凪は一つ肩を竦めた。

「確認させて貰っただけだよ。で、このあとどーするの」

「あたしは様子を見てここを出る。何時とは言えないな、状況で判断するから。定時連絡はいつもの捨てアドに連絡するからそっちを見て。あとは予定通り、例の場所で。千明さんご夫婦と谷塚さんも、それぞれ出発したって連絡が入ってるわ」

 テキパキと定時報告と指示を出すさまは、確かに解雇直前まで巡査長をやっていた人間のそれだ。

「あたしも今日中には集合場所に着くつもりよ。ほかの班もそうだと思うけど。道中、気を付けて」

「分かりました。朝霞さんも」

 宗史朗が辞去の挨拶を述べ、三人はその場をあとにした。

「凪」

「何」

 歩き出しながらひそめた声で口を開いたのは皓樹だ。

「このあとの運転は俺がやる」

「え、でも」

「お前が慣れてんのはあくまでも通常シチュでの運転だろ。一般道にしろ高速にしろな」

 それを言われると、押し黙るしかない。言われた通り、こんな極度の緊張感の中で、しかも高速を運転できるわけがない。

 この先、運転中に何が起きるか分からないのだ。

「……分かった、任せる」

「その代わり、システムの攪乱かくらんとナビはやれよ。できるよな」

「ああ」

 事実上、重要任務の匙を投げる形になったのだ。ナビとシステムの攪乱くらい、できなくては男が廃る。

 用足しを済ませ車に戻ると、宗史朗は何も言わずに後部座席へ乗り込む。彼も二人の会話をちゃんと聞いていたようだ。

 目線だけで周囲を確認しながら、緋凪は助手席側から車に収まる皓樹に続こうとした。その瞬間、見覚えのある顔と目が合ってしまったが、偶然を装いすぐに視線を逸らした。

 キャップを目深にかぶってはいたが、サングラスもしていなかったのを悔やむ。青い目を隠すのに、薄い茶色のサングラスは最近、通学以外の外出時の必需品だった。

 助手席に乗り込んでシートベルトを着け、サングラスをしっかりと掛ける。

「……何かあった?」

 皓樹からパソコンを受け取る緋凪に、小さな声で宗史朗が不意に問い掛けた。口調が『ぽえーん』としているので、てっきり鈍いのだと思っていたら、意外に鋭い。

「……ヤバいのと一瞬目が合っちまった」

「ヤバいのって?」

「多分、角谷かどたにみのるだ」

 向こうも黒いニット帽をかぶっていたが、あの表情の見えない黒目がちの瞳を間違える理由がない。

 室内は刹那、静まり返るが、直後には皓樹はもうエンジンを掛けている。

「さーて、鬼が出るかじゃが出るか」

 唇を舌でペロリとひと舐めすると、パキ、と指を鳴らす。存外、楽しんでいるようだ。

 そのあいだに緋凪はパソコンをひらいた。スリープモードになっていたそれを再起動させると、皓樹が下準備してくれていた画面が表示される。

 緋凪がやることと言ったらナビしか残っていなかった。システムを誤魔化す件は、エンターキーを押せばいいだけになっている。

「凪。スクランブルスタートはサービスエリア出る直前でいいぞ」

「あいよ」

「宗さんは、変に付いてくる車がいないか見てて」

「了解」

 後部座席はスモークが貼られており、内側からじっと見たところで外からは分からないようになっている。法律上、あまり褒められたことではないが、事態が事態なので仕方がなかった。

 自分もサングラスを掛け、ギアをチェンジした皓樹は、ゆっくりと車をスタートさせる。

 緋凪に聞いてからすでにキョロキョロと駐車場内を見回していたらしい宗史朗が、「おいでなすったよ」と早速口を開いた。

「相手のナンバーは?」

 宗史朗は、すぐに車のナンバーを読み上げた。感心なことに、プレートを傾けたり、見えないようにテープを貼り付けたりはしていないようだ。

 エンターキーを押してスクランブルを開始すると、緋凪は画面を切り替える。自家用車のデータバンクに侵入し、ナンバーを照合した。

「へぇ。いい度胸してやがんな。本人の車だぜ」

「じゃあ、さすがにここでコトを構えるつもりはないってことかな」

「さあ、どうだろ。相手はサイコパスの手下だし、凪と目が合ったのは向こうも気付いてるだろうしな」

 チラリと後ろを見ると、今宗史朗が言ったナンバーの車は、高速を走る際の常識的な車間距離を取ってではあるが、すぐ後ろにぴったりくっついている。

「様子見る?」

「だな。あいだに何台か車が入ってくれれば流れは変わるんだけど……」

 無闇にカーチェイスを展開するのもよろしくない(特にこちらとしては)。

 ふ、と小さく息を吐くと、皓樹はアクセルを徐々に踏み込んでいった。


©️和倉 眞吹2021.

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