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Prologue

「やっと来たね。市ノ瀬(いちのせ)春生はるきチャン」

 放課後、校門を出てすぐ耳慣れない声で呼ばれて、春生は反射的にその声のほうへ振り返った。

 日本人形のような真っ直ぐの黒髪が、動きに釣られてフワリと舞う。

「うっわ、可愛い。写真よりずーっといいね」

 視線の先にいたのは、端正な顔立ちの男だった。年の頃は二十歳前後、髪は茶金色で明らかに染めたと分かるそれだ。

 しかし、初めて見る顔である。春生は眉間にしわを寄せた。

「……どなたです?」

 素っ気なく返すも相手は動じない。

「どなたでもいいじゃん。ある坊ちゃんが呼んでるんだよ。ちょっと付き合って」

「あの、仰りたいことが分かりません。もう帰るところなので、ご用がなければ失礼します」

「ご用があるから待ってたんだよ。帰りは三時半くらいじゃなかったの? 今もう六時半だけど」

 この日、いつもより帰りが遅くなったのは、図書委員の委員会活動に出ていて、しかもその仕事を全部押し付けられたからだ。司書教諭が見つけて帰るよう促してくれなかったら、まだ目録作りに精を出していたに違いない。

 しかし、見知らぬ人間に、バカ正直にそれを教えてやる義理も義務もない。

 春生はそれ以上相手にしようとせず、校門と男たちから離れようとしたが、男はそれを許さなかった。

「待てよ」

 と言いつつ春生の手首を容赦なく握り、抱き寄せる。

「ちょっ、何するのよ、放して!」

「一時間も待たされたんだぜ。少しくらいいいだろ」

「意味が分からない! 助けて誰か!」

 助けを求めるが、まばらな人通りがあるにもかかわらず、誰一人助けてくれる気配はない。きょうび、他人の面倒ごとに関わりたくない人間ばかりなのだ。

「それもポーズだろ? ホラ、早く行こうよ。坊ちゃんが待ってるんだから」

「やだっ、誰か……!」

 腰を落としてどうにか体重を掛けようとするが上手く行かない。

 程なく、足がすくわれるように浮く。相手には連れがいたらしい。

「嫌っ、放して助けてぇ!!」

「いい加減静かにしろって。大人しくしないと骨一本くらいヤっちゃうけどいい?」

 思ってもみない強烈な脅迫に、春生は一瞬怯んでしまう。

 その瞬間、足が解放された。同時に、悲鳴が聞こえる。

 直後には誰かに抱き取られるように引き寄せられ、再度悲鳴が上がった。

「……大丈夫か、春姉はるねえ

「……なぎ、君?」

 涙が滲んだ目を上げると、斜め上に見慣れた美貌がある。

「立てる?」

 凪、こと、家の事情で同居中の従弟いとこ千明ちぎら緋凪ひなぎは、コバルト・ブルーの瞳を相手に張り付けたまま簡潔に問うた。

 その目の色も、癖のない緋色の髪も、日本人離れしてはいるが、彼の場合は立派に自前のものだ。彼の母親が日英の混血なのだけれども、四分の一しか入っていないはずの英国の血が、色濃く見た目に反映されてしまったらしい。DNAのなせる技というやつだ。

 ともあれ、なぜ彼がここに、という疑問が脳裏を去来するあいだに、緋凪は春生を支えていた腕をそっと外して背後に庇う。安堵あんどえそうになる足を叱咤し、力を入れて膝を伸ばすと、それまで上にあった彼の頭部が目線の高さになった。

「……へぇ。これまた可愛子かわいこチャンが出て来たね」

 恐らく蹴り倒されて尻餅を付いていた男は、緋凪を見て下卑た笑いを浮かべる。

 男の肩を持つわけではないが、無理もない。

 逆卵形の輪郭に子猫のような目元、通った鼻筋、薄く引き締まった唇が、まるで計ったように絶妙な配置に収まった緋凪の容貌は、一見すると超絶美少女としか表現できないのだから。

 一度家へ戻ったのか、着衣がジーンズの上下に黒のインナーという私服姿だと、余計に少女と断定する人間が大半だ。

「一緒にどう? 目的地に着いたらおれは手持ち無沙汰になるからむしろ歓迎なんだけど」

 言いながら、のろい動作で立ち上がった男たちがはたく彼らの衣服は、着崩されたスーツなのが、ようやく分かった。

 まるでチンピラか、ホスト崩れだ。

 今になって視界に入った連れも、似たような出で立ちである。

 それを顔色一つ変えずに眺めた緋凪は、クッ、と嘲るような笑いを返した。とても中学一年生になったばかりの少年のそれとは思えない。

 緋凪はおもむろにボトムのポケットへ手を伸ばし、スマートフォンを手に取る。

「お兄さんたち、誘拐未遂及び脅迫の現行犯だよ。ケーサツに連絡しちゃっていい?」

 と確認を取っている割には、彼の端末はすでに通話状態だった。美少女然とした顔立ちに似合わず、やると言ったら相手の返答など待たず、容赦なく実行してしまうのがこの従弟の怖いところだ。

「なっ……」

 さすがに男たちの顔色がさっと変わった。

「何言ってんだよ! 誘拐って……」

「その女の嗜好しこうだって聞いてるぞ、合意だ!」

「一応訊くけど、そうなの春姉」

「なわけないでしょ、わけ分かんないっ」

「だそうだ。あ、もしもし事件です。従姉いとこが誘拐されそうになってー」

 本当に警察と繋がったらしい。ここへ呼ばれたら大変、と顔だけで言った二人の男は、実際には無言のまま大慌てで黒塗りの車に乗り込み走り去った。

 同時に、「うわぁあ、すみません!」という悲鳴に近い謝罪が聞こえる。

 その叫びのほうを振り返ると、春生の所属校の教師が、緋凪から端末を取り上げていた。

「何でもありません、子どもがいたずらで……はいっ、はいっ、次から気を付けますのでっっ!」

 不意打ちだった為か、その年にして武芸全般満遍なくマスターし、百戦錬磨のはずの従弟が、奪われた端末と教師を見比べ唖然としている。

 教師が画面をタップするのと相前後して、我に返ったらしい緋凪が端末を引ったくった。

「何がいたずらだよ、本気で誘拐未遂の現行犯なんだけど!」

「うるさい、未遂で済んだなら大事おおごとにしなくともいいだろう! どうぞお察しください」

 教師は緋凪の言い分を一蹴すると、忙しく通行人に頭を下げまくっている。春生を助ける素振そぶりも見せなかった人々は、すぐに興味をくしたようにその場を立ち去って行った。

 彼らを見送った教師は、せかせかと戻ってきて春生に向き直る。

「君、ウチの生徒か、学年とクラスと名前!」

「……二年A組、市ノ瀬春生です……けど」

「ああ、やっぱり君が市ノ瀬君か」

 投げるように言われて、春生は何度目かで眉根を寄せる。『やっぱり』とはどういう意味合いかを訊ねる隙もなく、教師は続けた。

「そういうことだから、君もくれぐれも保護者に今日拉致され掛けたなどと余計なことを言わないように!」

「そんな!」

「そうすれば、この書き込みは不問に付そう」

「はあ?」

 眉根のしわを深くした春生の前に、教師がズイと自身のスマートフォンを突き出す。

 画面には、春生の――明らかに隠し撮りと思える写真が映し出されていた。


©️和倉 眞吹2021.

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