1-7
日が空いてしもうた…てか最近クッソ寒くて布団から出れん。
□□□□
「……………」
静か、だった。なんにも聞こえない。なんにも見えない。
だけれど、それに気づけば気づくほど音が聞こえた。
鳥のさえずり、葉っぱが触れ合うカサカサという音、水の流れる音
感覚もだんだん戻っていく。
だんだん暖かいとか冷たいとか寒いとか、そういうのがわかるようになった。
背中に感じるちょっとの暖かさ、ほっぺをさする冷たい風、そして太陽の光
ゆっくりとだけれど、なんとなく自分の体の形もわかってきた。
ちゃんと動かせるか確認してみる。
指、腕、脚、眼、口、呼吸
指が冷たい何かに触った、土じゃない。石かな。足は動いて少し体勢を変えたみたいだ。
俺はゆっくりと瞼を上げた。そして目に入ったのは陽の光をいっぱいに受けた背の高い木と、いろんな植物、ここは森らしかった。
すん、と鼻を動かせば土の匂いとか花の匂いとか。起き上がって周りを見渡せば自分が寝ていたのは石の道だとわかる。後ろには崩れた——元は遺跡か何かだと思う——建物があった。石つくりの苔とか蔦とかがあって、変な文様が書かれてた。
……ここはどこだろう
ふとそのとき右手が何か持っているのに気がついた。あったのは剣だった。とても大きな剣で、俺の身長よりも大きい。柄の部分には皮が巻かれていて、少し取れかかったそれの下には細かく何かが彫られている。もちろん見たことがない。
……あれ
また気がついた。
「俺は……」
その剣を知らないことに。
「なんだ…?」
自分を知らないことに。
□
手を見た。何もない。足を見た。何もない。自分で見れるとこは全部見た。だけど何もないのは全部同じだった。
辺りを走ってみたけれど俺が何かを教えてくれるものはない。建物は崩れちゃってるから入りようがないし、ここがどこなのかもわからないから、なかなか動けなかった。
結局、どのくらい時間が経ったかわからないくらい時間が経った後。
覚えているのが自分の名前、ゼンという名前と、剣術が使えることだけだと思い出した。
「なんにも、わかんねぇ…」
もちろん着てる服も見覚えがない。持ち物は…そもそも剣だけだった。
移動してみようか、でも、いや、ここを動いてみよう。動いてみれば何かあるかもしれない。人に会えるかもしれない。
俺はそう思って剣片手にそこを離れた。しばらく歩くと石畳の道が終わって土の道になった。そのとき靴を履いてないことに気がつく。まぁ、いっか。
歩いて歩いてどのくらい経ったか。
道が登り坂になったり下りになったり、そしてたまに見える動物たち。どうやらここは森というより山っぽかった。どこの山だろう。緑の綺麗な山だ。少し上を見ればキラキラと輝いている。
さくさくと土を踏んで倒れた木を越え石を登り葉を踏み倒し。
川に出る。そんなに大きくない川だった。でも水は澄んでいて底が見えるくらいだった。上流に目を向けるとかなり上から流れているみたい。下を見ても同じだった。
少し疲れていた俺は足を水につける。ひんやりと歩き回った足にはすごく気持ちよかった。
「わっ、すっご」
足で水を蹴ると、跳ねた水しぶきが空中に止まった。そしてしばらく浮いた後川に落ちる。
今度は手でやってみて、ヴェールみたいに広げるように水を撒いた。すると今度はその形でしばらく風に揺れた。
「きれー…」
面白くて遊ぶ。一人とかそういうのは全く気にならなくて、というか一人しかわからない。だからずっとこれで遊べるような気がした。
しばらく音は水の跳ねる音と、それが落ちる音、俺の声くらいなものだった。剣をほっぽって遊んでたら、がさり、と葉が動く音がした。動きを止めて後ろを見る。するとそこには真っ白な髪をした人が立っていた。
その人は先にランタン見たいのがついた杖と、長い服を着ている。
目は青で、背は高い、びっくりした表情で俺を見ていた。
俺もその人を見ていると、急に何かに気がついたのか腕を引っ張られて川から上がらされた。
「何をしているっ、そこは精霊の川だぞ!!」
「いきなりなんだよっ、精霊って、なんだっ」
よろけながら言うとまたびっくりされる。足元に剣に目がいって、次にもう一回俺を見た。人は左手で俺のデコに触ると小さく何か呟いた。聞こえなくて、でも聞いていいかわからなかった。だから大人しく腕を掴まれたままでいる。
しばらく人は何かを考えていた。そんでまたしばらくたった後、大きくため息をついた。
「お前、名は」
「ゼン、あんたは」
「キシ・シヴェローチァ・パーシル。キシと呼べ」
「じゃあキシ。ここは一体どこなんだ?この川は精霊の川だって言ってたけど精霊ってなんだ?そもそも…ここはなんなんだ?」
背の高い人は高くもない低くもない声で名前を言った。長いのか短いのかは知らない。だって基準を知らない。だけど俺よりも覚えにくいその名前の人は「やはりな」と呟く。俺の腕を離して懐から布を取り出した。
足を拭けと手渡されて、拭いたはいいけど土でまた汚れる。手が止まったのを見てキシは布を無言で取って引き裂いた。近くにあった石に座るように言われて腰を下ろすと、足を出せと矢継ぎ早に言う。
「精霊というのはこの世界に存在する、まぁ小さな小さな生き物だ。敏感で、異変にはすぐに気がつく。優しい小さな生き物だ」
「…へぇ。じゃあ怒らない?」
「いいや、怒る。あんまりにも環境が変わってしまうと。精霊はどこにでもいつでも何にでも存在する。そしてそこを守る。変化を嫌うから、自分が居着いたそこを壊されることを嫌うのだ」
「…へぇ」
「私はその精霊を操り壊れたところ治している。精霊は自分で治すことができないからな。で、何やら騒いでいるから来てみれば人が〈精霊の川〉に入っている。驚いたぞ、普通人は〈精霊の川〉には入れない、精霊は人が嫌いで入れてくれやしないし、入れたとしても足がただれて終わりだ」
さて、できたとキシはきゅ、と結ぶ。足には布が巻かれていて土で汚れないようになっていた。しゃがんでいたシキは立ち上がり手を差し伸べてくる。シャランと体につけられたいっぱいの飾りが揺れて音を作った。
赤、紫、青、水色、黄緑、緑、黄色。
宝石とか金とか銀とかの輪っか。長い髪が落ちて綺麗な顔に影を作って。
俺はなんで、と聞いた。なんで手を出すの、と。
「お前、記憶がないんだろう?この山で精霊が騒ぐときは大抵、記憶のない人がいる。お前も、ないんだろう」
頷く。そうしたらキシは「じゃあこい」と言って
「一緒に旅をしよう。お前に、記憶をやろう」
俺はその手を取った。
□□□□
「…………な……」
手を伸ばした。
濃い魔力の中、鉄の弾かれる音の中、甲高い笑い声と怒号の中。
目からは涙が落ちて肌からは鱗が落ちる。倒れ込んだ体は土まみれでとても汚い。
だけどそんなことは気にならない。俺はただ必死に手を伸ばしていた。
「消え、る、な………」
あの人との思い出を消さないでくれ
あの人との出会いをなかったことにしないでくれ
どうか、失くならせないでくれ
覚えて、いたいんだ
あの時俺を助けてくれたあの人を消さないで
お願いだ、忘れたくないんだ
もう二度と、消したくないんだ
俺は手を伸ばした。
あの人の残像に。背に。手に。迷子になるから繋いでいようと言った、あの、綺麗な手に。
もう名前すら思い出せない。
姿形ですらぼんやりと。
「…、…っ………!」
俺は落ちた鱗を見た。カラカラと、パラパラと落ちているそれに手を伸ばした。
触れても消えなかった。透明なそれは俺の手を透かして揺らめかせる。かき集めて両手いっぱいに持った。
「ち、くしょぉっ……!!!」
これが俺の記憶ってんなら、戻れよ。
戻れってんだよ。戻れよ、記憶なら
「俺から消えてくんじゃねぇよ!!!!」
俺は口が切れるのもかまわず。何十と何百と散った鱗を食った。
いたい、口の中が血で溢れる。溢れる。でも、もしこれで記憶が戻るなら。
…いくらだって食ってやる。
俺の周りはすぐに噛み砕いた鱗の破片であふれた。月明かりを反射するそれはまるで水しぶきのようだった。
次回もよろしくお願いします。