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「おい、ゼンっ大丈夫かっ」
襲って来た魔力によって俺たち二人は吹っ飛ばされる。近くにあった瓦礫に背を強かに打って、けれどそのおかげで遠くに行かずに済んだ。けど、喜ぶ事は全くできない。
「大丈、ぶ、なわけ、あるかっ…!!!」
体という体からパキパキと割れるような、いや実際割れている、透明な鱗ができては剥がれ落ちていっているようだった。
まるで花が咲くいて死んでいくかのように。
痛みは不思議とない。ただ消えていく感覚はあった。何か大切なものが消えていく感覚。それはどこかで一度体験したことがあるようで。脳内は今すぐ鱗が生まれるのを止めたがっている。
何故か涙が目尻から落ちて鱗の上に落ちた。
透明な花弁と言うのが一番いい、それの上に落ちた雫は鱗を溶かして地面に吸い込まれる。
…いったい、なんなんだ、これはっ…!
かがんでいることすらできなくなって地面に伏す。イザクが駆け寄って俺の体に触ろうとするけど、何かに弾かれた。
「おいそこのっ、ゼンにいったい何をした!!!」
「何も。ただ汝等が魔力と呼ぶものを発しただけ。ゼンには何も」
「じゃあなんでこんなことになって」
「貴様は知っているか?ある魔神にしか使えん〈呪い〉があることを」
「知るわけねぇだろ!!そもそも、魔神なんて、聞いたことがない」
「我ら魔人がいるというのにどうして魔神はいないと言う?そもそも汝等人間は長くこの世を治めすぎだ。そろそろ我らに返してもよかろうに」
「なっ、ふっざけんじゃ、ねぇ…!!」
「それよりも、こんなくだらんことを話している内にもゼンはどんどん失くしていっておるぞ」
くっ、と押し堪えたような笑みが耳に入る。
ただただ息が荒くなって意識が朦朧としている俺にとって、それは勘に触るものでしかなかった。
意味わからないこの状況を笑われているような気がして、仕方がなかった。
俺はなんとか起き上がり、女を見据えて言う。
「何を、失う、って?」
すれば女は口元を歪めて、けれど手で隠しつつ綺麗に笑う。
黒いレースのような服がさらと夜風に動いて、それと同時に「その鱗はのぉ」と言葉が放たれた。それはどうしようもなく”この場”にあっている。壊れきっているこの場にこれ以上ないくらいふさわしい。
そして
「記憶じゃ」
女の声は嫌に耳についた。かわいそうだのうと続く。
「教えてやろうではないか。ある魔神にしか使えない〈呪い〉とはな、その者が望む何かを取り除いてやる代わりに何かを失なわせる〈呪い〉だ。たとえその望みが因果律を変えるようなものであっても、対価を払えるのであれば」
「じゃあ、ゼンの記憶がないのって…」
女の言葉はまだ終わらない。
「我ら〈魔人〉はお前の記憶のカケラを持っておる。お前の魂と、このカケラを全て手に入れることができれば魔界の王になれるのじゃ。ふふ、かわいそうにのぉ、カケラのありかがわかっても、記憶を取り戻しとおても、我らの魔力にあてられればまた失うのじゃから」
唸る。がなりたい気持ちを抑えて、冷静を保ちつつ女の答えを待つ。目の前の女はまた笑って頷いた。つまり俺は、あるかどうかもわからない魔界とやらの王になるための、道具にされていたらしい。そうなんだろう、と女に問いかけた。
嬉しそうに笑われ、女は腕を動かした。円を描くようにして動かせば黒い何かができ始める。
「記憶は思い、思いは心、心は人の魂の片割れ。ゼン、お前のような人間の魂は美味だぞ。その鱗のカケラ一つでどれほどの争いが起きるか」
「ほざけ…俺は、ただの人だ」
「あぁ、魔神の呪いをかけられた、魔神の加護を受けた珍しい人だな」
だから欲しい。女は言う。
だからわかる。女は俺を食うつもりなんだ、と。
いくら俺でもそれくらいわかる。いや、わかって当然だ。今までだってこの目を向けられたことがあるだろう?
鋭くきつく、恨みと憎しみと嫉妬、負の感情何もかもを詰め込んだような目。
それと同時に混ざっている”こいつを痛めつけたらどうなるのだろう”という好奇心。
…くそったれ
内心で呟くしかできない。
それくらい体が言うことを聞かなくなっていた。
痛みは、無い。
あるのは圧迫感。そして記憶が失くなってーーー剥がれ落ちていくという喪失感。
何も無いのに押しつぶされるという意味不明な感覚のおかげで、空気がうまく吸えない。おかげで開いた口が塞がらない。
またアレに放り込まれるのかと思うと。
…なんにもしらない
…なんにもわからない
…なんにも、おぼえていない
頬に水滴がつたう。
「いやか?失くすのは。ならば失くしたことがわからなくなってしまえばいいではないか、失くなってもなくなったことに気がつかなければ、失くしても知らなければ、いいではないか」
本当にそうだと思う。
共感してはいけない、どこかで警報が聞こえた、けれどそう思う。
俺は知っている。記憶がないことの恐ろしさも悲しさも寂しさも。
「………んな」
だけど、もっと恐ろしいことも、悲しいことも、寂しさも、今なら知っている。
それは、
「さっきから聞いてりゃうだうだうだうだうだ。ようはてめぇがゼンを欲しいだけじゃねぇか」
「そうだな。問題あるか?」
俺を育ててくれた人が教えてくれた。
なんにもしらない・なんにもわからない・なんにもおぼえていない俺を拾ってくれた
あの…×××と、いう……オン、な、?……が……
………ぁ
女の声に、つんざくような声が返された。
「大アリだボケェっ!!!なんでてめぇみたいなよくわからん得体の知れない奴にゼンをヤンなくちゃいけねぇんだ!こいつは俺の親友だぞ!!!」
イザクはそう言って女に飛びかかる。開け放たれた棺桶から取り出されたのはイザクの背を優に超える大鎌。
それを振りかざすのが見えた。
…やめろ
手を伸ばす。
…やめろ、いくな
俺なんかのために行かなくていい。
俺は、もう思い出せないんだから。
思い出せないことすらわからないんだから。