秋の夜の夢 with mosquito
今の若い方は知らないかもしれませんが。
私が『ドラキュラ』『吸血鬼』という単語を初めて知ったのは、『ドラキュラのうた』からです。
『おいらはやぶっ蚊 吸血鬼』に始まる歌詞は、幼心に、強烈なインパクトでした。
(気になる方は検索してみてください)
そんな歌から連想したお話です。
どらどらきゅっきゅ どらきゅーらー♪
口づける度に色づく彼女の肌を見ながら、自分の独占欲が強くなるのを感じる。
これは所有印と同じだ。
俺のものだと全力でアピールするための。
当の本人は、深い眠りに落ち、何をされているのかも気付いていないようだが。
「ん・・・」
彼女の可愛らしい唇から、声が漏れる。
眠りが浅くなってきたか。
先程まではまったく身じろぎもしなかったのに。
そろそろやめなくては、彼女が起きてしまう。
そう思うのに、体は止められない。
あと1か所だけ。
そう思い、その肌に吸い付こうとした瞬間、
「うるさいこのモスキート音!」
ぱぁん!
彼女は右手を振り上げ、思いっきり自らの頬を叩いた。
俺のすぐ右側を風が、いや、突風が通っていった。
部屋の明かりを点け、片野真純は憎き相手を探した。
叩いた手のひらには、潰れた後がない。
と言うことは、逃がしてしまったということだ。
自分の頬まで犠牲にしたというのに。
寝起きの目には照明の明るさが痛いが、仕方ない。
このまま逃しては、どちらにしても安眠は望めない。明日は1限から授業があるのに。
しかし、もう10月に入ったというのに、まだいたのか。
確かに今日は、最低気温が25度という、いったい今は何月なんだという気温ではあるが。
ぷぅう~~~うぅ~~~ん・・・。
「そこだぁっ!」
ぱぁん!
両手で挟むように叩きつけ、今度こそ捕らえたと思った瞬間、ぼわんと白煙が上がった。
「な、何っ!?」
両腕を振り回すようにして白煙をのけると、そこには、黒尽くめの男性が倒れていた。
これはいったい何だろう。
自分は眠りを妨げる蚊を退治したはずである。
と言うことは、彼は。
「蚊の化身!?」
「吸血鬼ですぅ・・・」
弱弱しい声に、やんわり否定された。
「は?だって蚊だったじゃん!」
「効率よく血を吸うための変身術ですぅ・・・」
そこで真純は自分の二の腕に気付いた。
「うわ!吸われてるし!」
「すみません我慢できなくて、つい5ヶ所ほど・・・でも痒くないから許してください・・・」
「あ、本当だ痒くない。ってそこじゃなくてね!?っていうか多いな!」
男は倒れたまま、顔を真純の方に向けた。
(あれ?なかなかのイケメンさん?)
まだ少年っぽさを残した少し中性的な顔立ちはほどよく整っている。真っ黒な髪は少し巻き毛で、黒という色のわりには柔らかそうに見える。
座っているので身長は分からないが、体型は細めだ。
「痒くなる成分は、蚊独特の物なので、変身したくらいじゃ真似できないんですぅ。でも、吸い跡はそっくりでしょ?これでバレずに血を吸うってわけです」
「いや聞いてないし。吸血鬼?何言ってんのよ、そんな夢みたいな・・・」
そこまで言って、真純はようやく気付いた。
「あ、そうか夢か」
「夢じゃないですよぅ!」
男はがばっと起き上がり、反論する。
「何言ってんの。この現代社会に吸血鬼?いるわけないって、そんなの。あれでしょ、夢と分かって見る夢ってやつ。はー初めて見たわー」
「それはですね、今の社会に適応できるように、吸血鬼も進化を重ねて来たわけで」
「ほーどういう進化よ」
夢と分かってしまえば余裕が出る。
とりあえずこの目の前のイケメンが何を言い出すか聞いてみようではないかと、真純はどっかり座った。
「えーとですね、まず・・・。その、胡坐はやめてもらえませんか・・・?目の毒です・・・」
説明しようとした男が、真純の方を見て慌てて目を逸らす。
何のことかと真純が自分の足元を見ると、ショートパンツで胡坐をかいている自分の足が目に入った。
ああ、今日は暑かったから、半そでのロングTシャツにショートパンツで寝てたっけな。うん、これで胡坐は、確かに女子としてはだめだろう。
正座は足がしびれるので、とりあえず横座りにする。
「あ、ごめんなさい」
「いえいえ、こちらとしてはありがとうございますっていうかなんて言うかなんですけど・・・。えーと、話を元に戻しますね。吸血鬼といっても、俺は99.9%は人間と同じなんですが」
男の語った内容を要約すると・・・吸血鬼も、何度も人間との混血を繰り返したおかげで、何千年とあった寿命は一般人並みになり、弱点だった十字架やニンニクも効かなくなった。
人間を吸血することで仲間にするなんて言うことも、とっくにできなくなっている。
食べ物から栄養を摂取することが可能になり、吸血行為は必須ではなくなった。
だが。
「必須ではないんですけど。やっぱり吸血衝動は残るんです」
「はあ。・・・それで、蚊になって、夜な夜な若い娘の血を狙ってると」
「違いますよ!俺が吸いたいのはあなたの血だけです!」
「・・・はい?」
「誰でもいいってわけじゃありません。俺は、その、今日、街中であなたを見かけたときに・・・」
「あー、見るからに健康体が歩いてるって?私、健康だけが取り柄だからねー」
身長158cm。体重55kg。
十人並みの顔立ちに、少しぽっちゃりの体。二の腕やら体のあちこちやらはむにむにで、摘まみ甲斐があるため、女友達から絶大な支持を集めている。
そんな真純のBMI指数は22。一番病気にかかりにくいと言われている、理想体重なのだ。
だからだろうか、風邪をひいたことが全くない。
小学生の時は、通年半そで半ズボンだったくらいだ。
貧血で倒れたことは当然ないし、むしろ介抱する役をいつもしていた。
履歴書には書けないだろうが、特技は『健康』なのだ。
きっと血液も美味しいのだろう。
「いえ、健康だけってわけじゃ・・・」
「うんうん、たぶん美味しいよ、私の血。20歳になったら献血ルームに通おうかと本気で思ってるからねー」
そんな真純は19歳である。
献血できるようになるまで、まだ8ヶ月ほどある。
「えっと、僕の話、聞いてます?」
「で、吸う?」
「えぇっ!そんないきなり?」
急な話の展開に、男の方が驚いている。驚いた拍子に開いた口から、八重歯がちらりと覗いた。
「何か問題でも?」
「えっと、いや、ちゃんと話を聞いてもらってからの方が・・・」
「あれ?死ぬほど抜かれるとかそういうこと?」
「いえいえそんなに量は必要ありません。大切なのは吸血行為をするということなので」
「よく分かんないな。まぁいいや。多少痛いのは我慢できるし」
「あ、痛くないです。ちゃんと麻酔しますので」
「そうなの?」
「それに、吸った後はちゃんと傷をふさいでおきます。よく言うでしょ。『つば付けとけば治る』って。まさしくそれです」
「便利なんだね」
「それより、その・・・」
「じゃあぷすっと!」
「ええぇぇっ!だってまだお互いのことあんまり知らないじゃないですか!」
「意味が分からん。あ、でも名前も知らないのはちょっといやだね。私、片野真純です」
「あ、薮野要と言います」
「やぶのか、さん?」
「変なところで切らないでください」
「ごめんなさい、あまりにぴったりの名前だったから・・・」
「要と呼んでください。あの、えと、真純さん・・・本当にいいんですか?」
「いいよー別に。減るもんじゃないし。あ、減るのか。えっと、大して減るもんじゃないし」
それにどうせ夢だしね、と真純は心の中で付け加える。
吸血鬼に血を吸われる夢、とはどういう深層心理の表れなんだろうか。夢占いの本で調べてみたいものだ。
「じゃあ、その、いただきます」
正座をし、両手をきちんと合わせてぺこりと頭を下げる姿がおかしくて、真純はつい笑った。
しかし、顔を上げたとき、今までと要の様子が違っていた。
黒かったはずの目が、赤っぽく光り、普通サイズの八重歯だったはずが、今では牙と呼べるほどの長さになっている。
じっと見つめられ、真純は身動きが取れなくなった。
やっぱり少し怖い。あの牙を、突き立てられるのかと思うと。
要の腕が伸び、真純の両肩をつかむ。
真純はぎゅっと目を閉じ、来るであろう痛みに備えようとした。
が。
「ひゃあっ」
予想と全く違う刺激に、思わず声が上がる。
要が、首筋を舐めたのだ。
「な、何すんの!?」
「言ったでしょ、麻酔ですよ。吸血鬼の唾液には麻酔成分も含まれているんです。ちゃんと舐めとかないと、痛いですよ」
「・・・う、分かった」
咬まれるとは思っていたが、舐められるとは思わなかった。
要は、下から上へ、微妙に場所をずらしながら、何度も何度も舐めあげてくる。
その度に、背筋をぞわっとしたものが駆け上がる。
くすぐったくて、ぞわぞわで、恥ずかしい。
初めての刺激に、真純は声が出そうになるのを一生懸命こらえた。
「ね、ねえ、まだ・・・?」
耐えられずに聞くと、要は「もうちょっと」と吐息混じりで答える。
その吐息に、またも体が跳ねる。
本当に麻酔が効いているのだろうか。こんなにおかしな感覚に支配されそうなのに。
「ねえ、もういいんじゃない?」
そう聞いても、要は何も答えない。
何度も何度も、執拗に首筋を舐めている。
左側を舐めていたはずの舌は、いつの間にか右側の首筋に到達していた。
「要さん?要さんってば!」
名前を呼んでも反応がない。そこで真純はようやく気付いた。
この人、私の反応を楽しんでるだけなんじゃ?
「今すぐ吸わないなら一生あげない」
「すみません今すぐ吸わせていただきます」
すぐに反応が返ってきたところを見ると、やはり真純の予想は当たっていたようだ。
「・・・何してるんですか。血を吸いたいんでしょう?」
冷ややかな目で見ると、要は「いやぁ・・・」と指でポリポリ頬を掻いた。
「感じている真純さんがあまりに可愛くって・・・」
「感じてない!くすぐったかっただけ!からかわないでください!」
否定しながらも、言葉にされて初めて気づく。あれが『感じる』ということなのだろうか。
男性と付き合ったことがないため、そう言ったことには疎い真純には、よく分からない。
要はというと、何故か嬉しそうに笑った。
「じゃあ、今度は吸わせてもらいますね」
念のため、先程舐められたところを自分の指でつまむ。
触られている感触はあるが、痛みは全くない。麻酔は、本当に効いているようだ。
「うん、いいよ」
先程と同じように、要が真純の首筋に顔を埋める。
耳に要の髪が触れ、くすぐったい。
何か尖ったものが2つ、肌に当たる。
その直後、ぶつっと、肌を貫く感触だけを感じる。痛みは、まったくない。
少し緊張したが、痛くなかったことで真純の体も次第にリラックスしてきた。
何となく、頭がぼんやりしてくる。
しばらくすると、またぺろりと舐められる感触があった。
傷をふさいでいるのだろうか。
ああでも、なんだか、すごく、眠いような・・・。
「真純さん、終わりました。真純さん?」
くにゃり、と完全に脱力しきった真純を見て、要は慌てた。
倒れるほどの量は吸っていないはずだ。
体調が悪そうということもなかったというのに、どうしてかと考えたとき、1つ思い当たることがあった。
麻酔だ。
真純が一生懸命こらえながらも、こらえきれずに体をぴくぴくと震わせているのがあまりに可愛くて、調子に乗って必要以上に舐め続けた。
その結果、麻酔が効きすぎて、眠ってしまったのだろう。
「俺のバカー!これからが本番だったのにー!」
要の叫びは、誰に聞かれることもなく、夜の闇に消えていったのだった。
朝、目が覚めると、妙にすっきりしていた。深く眠れたらしい。
「また、ずいぶん変な夢を見たなぁ・・・」
我ながら、いったい普段何を考えているんだと疑いたくなった。
無意識に首筋に手を当てる。
昨日、夢の中で吸われた場所。
もちろん、何の違和感もない。
「・・・顔洗うか」
洗面所に行き、鏡を見ると、違和感がないと思っていた首筋に、赤っぽい跡を見つけた。
しかし、寝起きの目ではよく見えない。
とりあえず顔を洗うことにする。
蛇口から水を出し、2、3度顔にかける。
タオルを押し当てるようにして水分を取り、もう一度鏡を見ようとしたところで・・・。
「おはよう、真純さん」
ぎゅー。
「ぎゃぁあああああ!!!」
背後から急に抱き着かれ、真純は思い切り大声で叫んだ。
「朝から元気ですねー。あ、勝手にお手洗い借りちゃいました」
「えっ!あ、あれ?夢・・・まだ夢の中?」
「だからぁ、夢じゃないって。ほっぺつねりましょうか?」
鏡の中でニコニコして言う男は、間違いなく昨日夢で見た吸血鬼で、しかし真純の肩をぎゅっと抱くその腕はどう考えても本物の感触で・・・。
「ほ、本当にいたの?」
「ええ、いますよ」
そう言うと、真純の耳元に口を寄せて、そっと囁いた。
「何だったら、もう1回吸いましょうか?」
「・・・け、結構です!」
要の腕から逃れようとするが、びくともしない。
「昨夜は、途中なのに真純さんが寝ちゃって・・・。だからとりあえず、俺が蚊の時に刺した跡を、ちゃんと消しておきました」
「え?」
「そしたら寂しさのあまり、ついやり過ぎちゃいました」
「やり過ぎたって・・・」
何を?と聞こうとして、その時初めて気付く。むき出しになっていた肌のあちらこちらに、赤く色づく跡。
これはもしや、世に言う。
「き、キスマークぅ!?」
「ほら、持ち物にはちゃんと持ち主の名前を書いておかないとね?」
「誰があんたの持ち物だっ!」
「持ち物ではないけど、でももう俺のものですよ、真純さん。誰にも渡さないから」
そう言って、要は首筋をちゅうっと吸った。
真純は知らなかった。
吸血行為は、吸血鬼にとっては、性的欲求の1つであること。
誰の血でも吸うわけではなく、好きになった相手からの血のみを欲すること。
吸血鬼はみな一途で、失恋するまでは他の人の血を吸うことはないこと。
要が、街中で迷子になった小さい女の子を親の元まで送り届け、「バイバイ」と手を振ったときの真純の優しい笑顔にひとめぼれをしたこと。
そのまま真純の家までつけ、「一応本人確認のため」という言い訳を自分にし、蚊になって眠っている真純に近づいたこと。
その結果我慢できずに、調子に乗って血を吸ってしまって真純に叩かれたこと。
全てを聞くことになるのは、蚊が出ない季節になったころだった。
何気にストーキングしてる要を許してやってください(笑)