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「ゥ……ァ……」
脳みそを直接金槌で叩かれているかのような鋭さと鈍さを併せ持つ激痛、ぼやけて両目がバラバラに回ってるんじゃないかって思うくらいに視界が不安定。ベッドでしっかり横になってるはずなのに重力のない宇宙空間を彷徨っているかのような浮遊感があり、そのくせして鉄球を括りつけられたかのような身体の重さという矛盾した感覚に加えて、腹の中で何かが蠢いてるんじゃないかって疑いたくなるくらいに胃がごろごろしてる。そんな状態でさらに+αとして何かが胃からこみ上げてくる感覚のオマケ付き。
簡潔に今の俺の状況を表現するなら、原因不明な病の末期患者。
そんな状態なんだ。早朝の眩しい朝日がカーテンの隙間から差し込む自室で、自分でも驚くくらいに掠れ、今まさに死ぬ3秒前みたいな声が喉からこぼれ出でるのは条件反射と言っていいだろう。
「気持ち悪ぃ……」
朝は嫌いだ。他にだって嫌いなものくらいいくらでも思いつく。けど、そのどれと比べたとしても〝1つ〟を除いて、右に出るものはない。それくらい朝が嫌いだった。
理由は明確。俺の現状がすべてを物語っている。
俺はその日最初に起きたときの血圧が異常なくらいに低血圧になる体質で、朝に徹底して弱い。弱いって表現じゃ圧倒的に足りないくらいに弱い。この表現以外に簡潔かつスマートで宇宙級の表現力を持つ言葉があるなら、是非とも朝に対しての俺の表現語句をそっちに乗り換えたいもんだ。
ほんと誰だよ朝早く起きて準備して学校or会社へGO――みたいな人間の生活リズム考え付いたの……滅びやがれ。
吐き気や寒気、その他もろもろの状態異常も強烈だけど、それ以上に眠気が半端ない。眠気については医者に、もろもろの苦痛から逃れるための本能的逃避行動だって言われた。
大門さんには「そんな末期患者状態でよく寝落ちれるものだな……」なんて言われたことあるけど、こればかりは体験しないと絶対理解できないと思う。感覚で言うと、テーマパークとかにあるコーヒーカップで散々頭と目と胃をシェイクされた挙句に、その直後睡眠薬飲まされるってシチュエーションが一番近い。………今度俺の朝を軽く見たような言動をしたらもれなく体験させてやろうそうしよう。
とりあえず、睡魔にまかしときゃ何とかなるから助かる。苦しい現状に変わりはないけど、下手に睡魔に抗わなければ嫌でも意識は沈没するから。
起きて苦痛と戦う道と、寝て苦痛に不戦勝する道となら断然後者を選ぶ。度し難いMだったら前者選ぶんだろうけど。生憎そんな変態性癖は持ち合わせていない。
目を瞑り、身体から力を抜くとすぐさま眠りに落ちる。
意識を手放してから一時間程度で起床。
まだまだ状態異常は健在。でも最初起きたときよりは随分とマシになってる。ゲームとかで言うとフェイタル~とかデッドリー~とか、状態異常名の頭についてる物騒な単語が取れたって感じ。
その日一度でも起きた後は、寝てても起きてても自然と血圧が平時の状態に戻っていくようで、だからこそこういった寝落ち回復戦法が可能になってる。それだけがこの毎朝訪れる絶望の中の一筋の光だ。
状態異常にかかってから一時間とちょっと。別に動けなくはない……けど、かと言って気持ちの問題的に動く気になれからもう一度寝ることにする。経験上もう1時間――トータルで2時間もすれば普通に動く分には問題ない程度になる。
また意識を手放し、一時間程度で本日3度目の起床。
「はぁ、治った……」
ぐっと身体を伸ばして軽い深呼吸。もろもろの状態異常はほぼ皆無で、少しだけ感覚の余韻が残ってる程度。そのくらいだったら学校への登校時間で治るから問題ない。
「さてと、支度す――」
「おっはよーう秋哉ー! 今日から新学期張り切って行ごぶはぁ!」
人の部屋の扉をノンノックで開けたと思ったら、間髪入れずに俺に向かって飛び込んできた男をを反射的にグーで殴り飛ばす。
「朝っぱらからなんだよ一体!? つーか鍵かかってただろ!?」
「フッ、俺の元気にかかれば、鍵付きの扉だろうと強靭な鉄扉だろうとワンパンで突き破れるのだよ!」
「格好つけてしれっと壊しました宣言してんじゃねぇよ! ってか復活早ぇな!」
「壊してなどいない。打ち破ったのだ!」
「変わんねぇからなそれ!?」
「あ、秋哉は私よりも手先器用だから後で直してくれてもいいのだよ?」
「しれっと後始末押し付けてんじゃねぇふざけんな!」
「まぁまぁ、ほいここにドライバー&トンカチ他一式置いとくから」
「準備いいなぁおい!」
そのドライバーでこの男、大門宗司の緩み切った――というかどこかに落とした脳のネジをを某ツギハギ巨漢ゾンビのようにこめかみあたりからきゅっと締めて、なおかつ二度と外れないようにトンカチフルスイングで打ち込んでやりたい気分になる。
はぁ……。
思わず深いため息が漏れだす。普段から元気製造機でも体内に内臓してるんじゃないかって思うくらいに元気を持て余している人ではあるけど、カギぶっ壊してまで部屋凸してくるのは今回が初めてだ。
「何だお前、元気が足らんなぁ。 もうお前は高2! 青春真っ盛りな17歳だぞ? もっとテンション上げてけよー!」
「高2の誰しもがそんなテンションを朝っぱらから出せると思うなよ?」
「のわりにはツッコミに切れがあったぞ」
「あんたの突発的奇行のせいでな!」
「そんな褒めなくていい、照れてしまうではないか」
「俺の言葉のどこに褒め要素あったんだよ?」
「あったじゃないか。秋哉は今〝奇行〟と言ってくれたぞ」
「それを褒め言葉として受け取るのはどーかと思うぞ……」
この人にはけなされて照れるドM性質でもあったんだろうか? もしあったとしたらいよいよ俺はこの寮を出ていくことを考え始めることにる。
「とりあえず、着替えるから出てってくれ」
と言って自分の着ている寝間着に手をかける……が、そこで手を止めた。
この男、部屋から出ていく素振りを見せない。それどころか腰に両手を当てて堂々とした立ち振る舞いを見せる始末。
「ん? 何だ恥ずかしいのか、私は気にしないぞ? 何なら私が着替えさせてやろ――」
「顔赤らめんな息荒げんな気色悪ぃ! いーからさっさと下で朝飯食ってやがれ!」
もう一度グーをおい見舞いしてやろうと拳を握りしめると、大門さんは高笑いをしながらドタドタと1階に降りて行った。
「ったく、いい年こいて子供みたいな人だ」
寝起きで騒いだせいか、治まったと思った頭痛が再発する。
寝間着を脱いで、ハンガーにかけてある制服一式に手を伸ばす。いつ見てもこの制服は独特な見た目をしてる。ブレザーなんだけど、裾とか縁取りとか、ところどころに拘りを感じ取ることができるコスプレ一歩手前なデザインだ。
ま、俺からするとこのアニメとかに出てきそうな印象が、そこそこ気に入ってたりするんだけどね。何の変哲もない制服は面白味もセンスもない、ただ個性を捨てさせるためだけの拘束具にしか思えない。
そんなデザイン性溢れる学生コスチュームにドレスアップしたら、青と黄色で彩られた無骨な十字の髪留めを前髪に付けて準備完了。
自室を出て1階の居間へ。ちなみに、ここは俺にとって実家とも言える場所だけど、他の人からすれば違う場所になる。
だってここは〝学生寮〟だから。
学生寮『BandS』
まだ築5年のそこそこ新築な建物で、個別部屋は2階と3階にそれぞれ5部屋ずつの計10部屋、つまり10人ぽっちの学生が住むことを想定した小さな寮だ。
小さいと言っても、1階のリビングはそれ相応の広さを誇り、10人が同時にいることも考慮してのソファやテーブルに大型のテレビ。オープンキッチンは一般家庭の1・5倍の広さでその近くには食事用の円卓2つと、機能はこれ以上にないくらい充実してる。
大門さん曰く、寮ではなくシェアハウスという形で、生徒同士が家族のように接することの出来る空間を目指した場所らしい。
そんな広々とした空間で、大門さん――ここの寮長兼学園の体育教師でもあり、俺の〝義父〟でもある人が、コーヒーとトーストという、ごくごく一般的な朝食を口にしながら新聞を読んでいた。
「お、来たな秋哉。お前の分のトーストとコーヒー、もう出来上がってるぞ」
「ああ、サンキュ」
キッチンにあるトースターからパンを、食器棚から自分のカップを取り出してポットから注ぐ。それらを持って大門さんと向き合う位置に座って、トーストに齧りついたところで、大門さんが俺をじっと見つめていることに気が付いた。
「何だよ?」
「いやぁ、新学期に対しての期待で胸が膨らんでるかなーってな?」
「そーだな。担任が大門さんにならないようにって願いで胸がいっぱいに――冗談だって」
「秋哉、私だって傷つくことはあるからな?」
「前に鋼のハートとか何とか言ってたのはどーしたんだよ」
「その中身はガラスなんだ」
「上っ面な強靭さだな」
「違う! お前の前だからつい鋼の防御壁を開いてしまうんだ! お前以外には強いんだぞ!」
「あー開かなくていいから。あと口に何か入ってる状態で喋るな行儀悪い。いい年してマナーくらい守れっての」
「私はそんな秋哉のお母さんちっくなところが大好きだ」
「そーかい」
「何だよ冷たいなー、疲れてるのか?」
「誰かさんのせいでな……」
俺が2枚目のトーストに齧りついたところで大門さんは食べ終わり、ゆったりとした動作で受け皿とカップを片付けに行った。
「……ところで秋哉、学園でもそんな感じか?」
唐突にそんな問いを投げかけてきた。その質問の意図を理解するのには、数秒と時間はいらないものだ。
「……俺は俺だけど? 喋り方とか態度なんて、いちいち変えてられっかよ」
「ははは、お前は私たち教員陣にも敬語なしだからな」
「分かってんなら、わかるだろ?」
「まぁな、ちょっと気になっただけだ。秋哉が学校に通うになってかれこれ4年、お前が誰か友人を連れて帰ってきたことなんて一度もないからな。友達とかちゃんといるか心配でな」
「俺は単に自分のやりたいことやって生活送ってるだけだからなー。友人とかそーいうのほしいとか必要とか、思ったことないし。友達とかはいないけど、別に生活に支障が出るもんじゃない」
俺の言葉に大門さんは一瞬、少しだけ困ったような顔をしたが、すぐに表情は戻り、
「そうかそうか。……でもせめて、お前も年頃なんだから女の子の1人や2人、連れてくるようなことがあってもいいんじゃないかな?」
「別に恋愛とか興味ないし。無駄に時間と気力取られるだけだろ?」
「そんなこというな。恋愛はいいぞ~」
あ、また始まったよ……。この人、恋愛ごとの話は長いことこの上ない。下手すると1、2時間は優に喋り続ける。
「母さんと出会ったのも、ちょうどお前と同じくらいの年だったな。あの頃はほんと、私も初心なものでね。話をするだけでも緊張でガッチガチだったよ」
「その馴れ初めの話、もう何度目だよ……」
ことあるごとに聞かされて、ついには内容をある程度記憶してしまってくるくらいだ。恋愛の良さを伝えたい気持ちは十二分に伝わってくるけど、いい加減聞き飽きた。
「おっと、すまんすまん、やっぱり忘れられない話だからな! つい何度も話してしまうんだ」
そう言って豪快に笑う大門さんの顔色には、たった1つの雲すらかからない。太陽そのものを目の前に見ているような笑顔だ。
俺はその〝母さん〟の話を大門さんが笑顔で話するのを見ると、少しだけ胸が痛み、同時に僅かな苛立ちを覚えていた。
聞いた話だけど、大門さんは結婚して数ヶ月後、〝母さん〟――つまり妻を事故で亡くしているらしい。もう何年も前の話だが、いくら〝歩く元気製造機〟大門さんでも大切な人を失って心に傷の1つすらつかないとは思えない。愛する人が死んで何も思わないほど、この人は腐ってるはずがない。
なのにどうして、そうも笑って、あまつさえその妻の話を何度も何度も繰り返すことができるのか、俺には理解できないでいる。
そんな話をするのは辛いはずだ。なのに豪快に笑いながら楽しそうに……――。
「まぁ何が言いたいかって言うとな、恋愛はいいぞってことだ!」
「はいはい、機会があったらしてみるとするよ。恋愛ってやつをさ」
「うむ! ちなみに秋哉……、連れ込むときは連絡してくれよ? 急に招かれたらうっかりが起きちゃうかもしれないからな」
「は? なんで?」
「ほらー、何かと気まずいだろ? ……夜の営みとかぁあぶない!」
2枚目のトーストを完食し、用済みになった受け皿を円盤投げの要領で投げつける。キャッチすると踏んでの行動だけど、キャッチされたらされたで何か腹立つ。
「何? 俺に何望んでんの?」
「……2人目?」
「1人目どこ?」
「驚愕! 隠し子説っ」
「いい加減ぶっ飛ばすぞ?」
誰ともしたことねーよ子作りなんて! 何て口にして叫ぶとそれをネタにまたあれこれと絡まれるに違いないから、その言葉は心の中に留めておく。
「でもな秋哉、せめて誰か親しい人の1人でも作ったらどうだ?」
そう言う大門さんの口調は、さっきまでとは打って変って真面目なものだった。
「……別にいいだろ?」
「それはそうだけどな、若いときの人間関係は重要なものだぞ? 大人になってからじゃ築きにくい友情もあるものだ」
「だから必要ないってそーいうの。疲れるだけだし」
「またお前はそんなことを言う……。そういうことも含めて、友人や恋人との関係を経験していくのが大事なんだぞ?」
「ほっといてくれよ。別に誰かと親しくならなきゃ生きてけない世界じゃないんだからさ」
この話は平行線だ。中学のときからあれこれ言われ続けているけど、俺も大門さんもこのことに関しては意見を曲げる気はない。
「だとしても、だ。いいから少しくらい友人を作ってみろ。な?」
ズンズンと近づいてきた大門さんの顔が眼前まで近づけられ、俺は待ったなしのその行動に気圧された。
「わかった、わかったから離れろよ!」
半ば大門さんを押しのけるようにして椅子から立ち上がる。
「ならよし!」
やや険しい顔つきから一転、さっきまでの豪快爽快な笑顔が大門さんの表情に戻ってくる。コロコロと変わる大門さんの性格には未だに馴染めない。
「しっかし、もう5年も経つんだな」
大門さんが突拍子もなくそう呟く。
「……そーだな」
淡泊に答える。
何年経ったとか、そーいう話題の切り出し方はあまりしてほしくないもんだ。
昔の、あまり触れたくない部分に触れそうになるから。
「大分馴染めているようでほんとによかった」
俺はある事情から5年前に大門さんに引き取られた。元々は海外で住んでたから、この国に移住した当初は色々と勝手が違くて苦労したけど、今となっては元の国と同じくらいに住み心地がよく感じてる。
……何より、平和な場所だと痛感してる毎日だ。
「まぁ、感謝はしてるさ」
「うむ。その感謝の心、できればもうちょっと行動にも反映してほしいものだけどな」
「肩たたき券発行とかでいい?」
「お! してくれるのか? いやー最近どうも肩が凝っててなー」
「そかそか、なら今やってやるよ」
「やってくれるのはありがたいが……その手にあるトンカチは置いてほしいな」
部屋からちゃっかり持ってきていたトンカチを握りしめた俺の手を見て大門さんは顔を青ざめさせる。
「大丈夫だって、ちょっと粉砕骨折するくらいだから。それ治ったらきっと肩こりも治るから」
「秋哉、それはちょっととか大丈夫とか言わないからな? あと肩こりが治るまでに肩こり以上の重症を負ってるからな? 普通ので頼む」
「ちぇ、わかったよ」
残念。日ごろの恨――感謝を込めて愛の鉄槌を下せるチャンスだったのに。
「ところで秋哉……」
そう話を仕切りなおそうとする大門さんの言葉。その先は続かない。
「何?」
「……いや、何でもない」
ちょくちょく、大門さんは俺に対して何か言いかけて引っ込めることがある。迷っているような、そんな声色で。
俺は他人にもそうだけど、大門さんとも関係を深くしようと思ったことはない。
感謝はしてる。けど、それ以上の感情は持ってない。
けど別に無関心なわけでもないし、大門さんが何を俺に言おうとしてるのか、わからないことはない。
けど、それは気づいたら、言ったら、言わせたらダメなことだ。
このままでいい。俺のモットーは、『付かず、離れる』なんだから。
「あれ、今日はもう出るのか?」
大門さんは食器を片付け終えた後、そのまま玄関の方に歩いて行った大門さんを見て問いかけた。普段だったらもう少しゆっくりして、あと無駄に俺に絡んできてから出勤って感じなんだけど。
「ああ。始業式とかで色々とやることがあってな。式当日って案外、教員陣は忙しいもんなんだぞ~」
「そーかい。んじゃまた学園で」
「秋哉、そこは〝いってらっしゃ~い〟だろー?」
「妙なキャピキャピ声で乞うな気持ち悪ぃ! いいからさっさと行けよ仕事あんだろ!?」
俺が叫ぶとまた後でなーと言いながら、大門さんは逃げるようにリビングから出て行った。
いってらっしゃいくらい言えって? おっさん年齢のキャピキャピボイスを聞いたらそんな気持ちは砂塵となって蜃気楼の向こう側に消えてくよ。
ドタバタとした音や雰囲気の元凶である大門さんがいなくなり、静けさが急激に寮を支配する。
この寮、実は俺と大門さんしか住んでいない。
まず学校のある区じゃないし、この街の中じゃ辺境の方だし、さらには騒々しい教員一名のオマケ付きだ。進んでここに住もうとする生徒なんてそういない。
「さて……どうすっかな」
別に今から学園に登校しても問題ないけど、まだ少し早い。一部のやる気に満ち溢れている学生らはもう学園に居て、友人と話してたり部活をしていたりと青春を謳歌してるんだろうけど、生憎俺はそういうのに縁はないし、そもそも興味がない。学園でやることがないわけじゃないけど、それもやろうと思えばここの自室でもできることだ。
「いいや、少し部屋にいよう」
リビングを出て自室2階の一番奥、203号と書かれた飾り気のない木製プレートのかけられた扉を開ける。
開かれた扉の先は、言ってしまえば紙の魔窟だった。
といっても、漫画や雑誌などなどの一般的な男子高校生が持っていそうな紙媒体が散乱しているわけじゃない。
カーペットも何も敷いていない裸のフローリングに、毎朝俺が低血圧に悩まされるベッドの上に、その枕元に、据え置きPCがドンと構えている机に。
部屋のありとあらゆる場所には画用紙やらA4用紙やらと、綴られていない一枚ずつの紙がウンザリするほど散らばっている。
散乱している全ての紙にはどこかの景色やお高そうな置物のスケッチ、ロゴやらキャラクターのラフ画がびっしりと描き込まれている。中には絵具で描かれた美術作品みたいなものも。
一応、全部俺が描いたものだ。
そのあまりの惨状に開いた口が塞がらない思いをしつつ、部屋の中に足を踏み入れ、散乱している紙を回収しながら奥へと進んでいく。その際に思う。
どうしてこうなった。
再発しそうな頭痛を抑え込み、ふと窓の方を見ると素敵なまでに開放的な状態にされていた。
「あの人のせいか……」
大門さんが開けたんだろう。朝突撃してきたときに。正確には部屋から追い出したとき。
換気は確かに大事だ。けど部屋の状態とか季節とか考慮してくれと切に願う。
こんな春のいい天気な日に窓フルオープンにしたら風が部屋を蹂躙しに来るのは必然。紙の軍勢が裸で置いてある部屋に元気溢れる風さんをご招待なんかしたらご覧の有様だ。
昨日の夜にやっとの思いで仕分けを終わらせて、今日の学校終わった後に片付けをしようとしていたのに、これじゃ俺の片付け計画全部パーだ。
まぁ、開けられたことに気付けなかった俺も悪いけどさ……。
「あー、一気にダルくなってきた」
学園行く気力も根こそぎ持ってかれた。
部屋に散らばった紙を粗方回収して机の上に放置し、俺はベッドに背中から身を投げた。
何枚かは確実にお外へ拉致された。といっても、別に重要なものでもないからいいけど。
身体をベッドの上に投げうつ。柔らかい感触が俺の体重と衝撃を受け止め、逃げた衝撃によって木製パーツとスプリングが軋む。
「もーこのまま学校サボろっかなー……」
何てことも本気で考える。けどそんなことしたら大門さんがうるさい。学校に行く労力と大門さんの相手をする労力、前者の方がよっぽどマシだ。
ごろんとベッドの上で転がると、何かを下敷きにした。おもむろにそれを取ってみたそれは風景画だった。
身体の下敷きになってしわくちゃな紙に描かれているのは、この部屋から見える何てことのない景色を描いたものだ。
「そーいや、昨日これ仕上げてる途中で寝たんだっけ」
昨日と言えば、散々な目に合った。
俺は学校の部室でゆったりと作業をしていたところを大門さんに連行されて、始業式前日の準備に駆り出された。それが夕刻の話で、仕事が終わったらもう夜。時間が遅いこともあって外食で済ませようとファミレスへ。そこでもまた問題発生。ドリンクを取りに行ったらちょっとしたことに巻き込まれ、戻るのが遅くなった俺へと大門さんが大声でダイレクトメッセージ発信。もちろん座っている座席から。
とんだ赤っ恥だった。料理が来るまでの待ち時間が苦痛で、料理を運びに来た店員の何とも言えない表情を見たときは大門さんの頭をねじ伏せて謝罪しようか迷ったくらいだ。
「…………」
何も考えない空白の時間がふと生まれる。
「はぁ……」
そういった時間が生まれると、嫌でも自分を見つめてしまう。
ただ時間を送るだけの感覚がする毎日。普遍的で夢も見ない日常。ずっと昔はこうじゃなかった。孤児院に居た頃はみんなで一緒に笑い合って、バカなことして怒られて、何でもない事を楽しいと感じていた。夢を応援してくれた、支えてくれていた。
別に特別なことは何もない。けどそれがとても暖かかった。
ここに来てもう5年。5年だ。けど、誰とも一緒に居たいなんて思うことはない。大門さんだとしても、必要以上に親しくなろうとも思わない。
お前は何だ?
自分に対して問いかける。
ただ気力がないだけ? ダラけてるだけ? どうしたいの? 夢とかないの?
いつもそんな自問自答ばっかだ。いや、自問だけで、答えなんて出た試しがない。頭も心もぐちゃぐちゃで、自分がどうしたいのかもわからずに繰り返す毎日。
「学園、行くか」
そして今日も始まる。何のまとまりもない、退屈で億劫な日常が……――




