猫又
初作品です。(大嘘)
私の家には一匹の猫がいる。黒白で、もうだいぶ歳をとった爺猫だ。しかし毛並みはつやつやとして若々しいし、昔と変わらず元気に歩き回ったりもする。そろそろ猫又にでもなるんじゃないか? と思ってしまうほどだ。
ある日、私が家のなかを移動している時、ちょうど猫が玄関にいた。外に出ていくのだろうと思い、見ていると猫がこちらを振り向いた。少しの間私の方を見て、猫は引き戸を開き、閉めて出て行った。
(ははあん。扉を開ける猫はいても開けた扉を閉める猫なんぞ見たことも聞いたこともない。こいつは本当に猫又になるかもしれないな。)
私は猫成らざるものになることを期待しながら、猫の背中を見送った。
季節が一つ変わったころ、猫は存分に私の期待に答えてくれた。円くなよよかな尻から生えたしなやかな尾。その先が三、四寸ほどいつの間にか裂けていたのだ。
家族はとても驚き、なんとも言えぬ喜びに包まれた。自分たちの飼っている猫が、まさか物語や絵の中でしか出てこないはずの妖怪、化け猫になったのだ。どうすればよいのかわからない家族は、取り敢えずいつもと同じように接した。といっても、餌の内容は人間並みに質が上がったのだが。
家族に尾をもみもみと触られまくりながら、猫はじっと私を見ていた。その目は何かを問うように、太い黒目をまっすぐと向けていた。私は期待通りに猫又となってくれたことに、感謝を込めた喜色を表した。
それ以降、猫は巷で有名な猫として大いに人から愛された。散歩をすれば老若男女問はず撫でられ、餌を大量に貰った。特に若い者からは写真を撮られたり、抱き抱えられたりと大人気であった。更にさまざまなメディアから取材が殺到し、有名猫となった。
私はとても嬉しかった。自分が飼っていた猫が長生きをして、猫又となり、皆から愛される存在となった。そのことに温かな嬉しさが心に滲んだ。
「おい、お前。」
私が縁側で日向ぼっこしていると、近くから聞いたことがない声を耳にした。異様なほどに甲高く長閑な声だった。はて、どこから声がするのかしらん、と周りに目をやった。
「ここだ、ここ。」
声の発するところを見ると、猫が私をまっすぐと見ていた。鋭い目つきで、しかしその中には円かさを持っていた。
「おお。遂に喋れるようになったか。」
私は心底喜んだ。尾が二本となることに留まらず、しゃべることもできようとは。私は抱き抱えようと猫に手をやった。
しかし、どうも猫を抱こうとしても手が届かない。一向に毛に触れる感触もない。
「俺は猫又になった時から喋れる。それよりお前、いつまでここに居座るつもりだ。いい加減成仏しないか。」
猫は私に説教を食らわした。成仏とは不謹慎な。
「捨て猫だったお前を拾って、猫又になるほど長生きさせてやったのに。初めての言葉がそれとはひどいぢゃないか。」
「何を言う。これはお前のために言ってやっているのだ。むしろ感謝の意を示しているのに其の言い草こそひどいものだぞ。」
初めての猫との会話がこんな些細な喧嘩になるとは。しかし成仏とはやや物騒である。
「猫よ、もしや私は死んでいるのかね?」
「左様、飼い主であるお前は去年心不全で死んだ。それからというものお前は家を徘徊しまくっている。はっきりお前の姿が見えるようになったのは猫又になってからであるが。」
なるほど、ここのところ歩いている感じが無く、家族と話した記憶も無い。最近飾られた私の写真も、よくよく考えると遺影とも見て取れる。それに今も猫に触れ無いときた。自覚はないが幽霊だと言われればそんな気もしてくる。
「猫よ、確かに幽霊と言われればそんな気もする。だが成仏しろと言われてもどうすればいいのかとんと見当もつかんのだが。寺社で祓ってもらえばいいのか。」
「金の匂いしかせん生臭坊主共に頼んだところで、お前ではなく金が消えるだけだ。成仏する場所は決まっている。ついてこい。」
私は猫に言われるがままついていった。
私と猫は近くの山へ入った。そして到底人が入って来られないような奥まで潜っていった。私は幽霊で、猫も猫又なので、すんなりと奥へ奥へと行くことができた。
「ここだ。」
猫が止まったところは光もあまり届かない暗い森の奥であった。深山幽谷というべきか、近くにこんなところがあるとは。
「ここは既にこの世ではない。」
思っていたことが顔に出ていたのか、猫は私に解説を始めた。
「古来より山とはこの世とあの世を繋いできた場所だ、それは今も変わらん。ここはあの世とこの世の狭間に架かった橋のような場所だ。ここをまっすぐ進めばあの世に行き着く。」
「ならば行くか。」
私はまっすぐ歩きだした。幽霊ならばさっさと世俗から離れるべきだと昔から思っていたからである。いざ自分自身がなると複雑ではあったが。
「ところで、お前はこれからどうするのだ?」
ふと立ち止まり、私は猫に尋ねた。家族は心配いらないだろう、みな自分の道を歩んでいる。しかし死ぬまで飼っていた猫はどう生きて行くのか気掛かりになった。
「俺もこのまま世俗から離れる。猫ならざるものが、いつまでも人の世に居座るのは良くなかろう。」
「…そうか。」
私は寂しい気持ちもしたが、お互い人の世に居座ってはならぬ物である。仕方がないと納得した。
猫は猫又、私は幽霊としてこの世を去った。
そのあと、この家族は猫の蒸発にたいへん心を痛めた。しかし本当の妖怪になったのだろうとも思った。なぜなら猫が消えた日は、ちょうどこの家族の主人である翁の命日であったからだ。家族が墓参りに行っていた間に消えた猫、いや妖怪化け猫は、翁の魂を、きっとあの世に送ってくれたのだろう。そんな気が家族はした。
んにゃぴ…