それ、本当に必要ですか? 設定編
こむるは、説明回に否定的です。
だって読むのめんどいし読まなくても話わかるし。
作中小説 テンプレ夫君の異世界譚4
~お待ちかね、説明回~
はじめてのお出かけは散々に終わったので、日を改めて街に行くことになった。もちろん猫耳メイドも一緒だ。
自分で買い物をしてみたいと言ったら、小銭のはいった小さな袋をもらった。
そのついでにこの国の貨幣制度について教えてもらう。
単位はオカーネというらしい。
銅貨1枚 1オカーネ
銀貨1枚 100オカーネ
金貨1枚 10000オカーネ
白金貨1枚 1000000オカーネ
ついでにいうと、この国の名前はウロナ王国といって、ニカ・ツセウショ大陸の西に位置する大国だ。
この世界の1日は地球と同じ24時間、1年はひと月35日×12ヶ月の370日。
赤の月
橙の月
黄の月
緑(以下略)……の順番で呼ばれている。
一週間の曜日は、
地の日
水の日
火のry
で、魔法の7属性と同じだ。
広場の屋台でクレープを2つ買い、猫耳メイドと一緒に食べる。クレープひとつが30オカーネだったから、どうやら1オカーネは日本円にして10円くらいと思えばいいようだ。
チョコバナナ味が気に入ったのか、猫耳メイドの耳がぴこぴこ動いていた。
いつかその尻尾と耳をモフモフしてやる!
日本からやってきた主人公が教わる形で、世界観の説明もできてしまう。便利ですね!
国の名前や地理だけでなくお金や暦のことまでちゃんと紹介してくれている。しっかり設定が練られているんですね。
でも待って、ちょっと待ってください!
本当にその設定、必要なんですか?
貨幣の単位がストーリーにどれだけ関わっていますか?それを日本円に換算する意味は?
1日が何時間か、1年が何日かを読者が知っていなければならないほど重要なんですか?
わざわざ考えた月や曜日の名称がどれだけ作中で呼ばれるのですか?1月、2月ではだめな理由はなんですか?
お金なんて金銀銅貨があって金貨が一番高い、今日食事をした店は高かった安かったくらいで十分通用する作品のほうが多いのではないでしょうか。
暦などの問題も、1日を5時間、1年を4ヶ月といった極端な設定でもない限り、地球とたいして変わらないんだなあと思っておく程度でまったく支障がなかったりしませんか?
少なくとも、筆者は気になりません。
こうしたことを紹介する「説明回」さえ作っておけば、設定がしっかりしている、世界観が作り込まれていると周りが見てくれるという“ポーズ”にしか思えません。
さらには、「異世界ものは貨幣や暦の説明回を入れるのがテンプレだから」とりあえず書いたとしか。
ストーリーの流れをぶった切ってまでテンプレに従う意味ってあるのでしょうか。
少し長くなってしまいますが設定、世界観の話をしましょう。
SFやファンタジーものの設定は、きっちりしっかり作り込むべきであり、作中でそれを書き切るのが理想だと筆者は考えます。
そしてそれは、ストーリーに沿った形で無理なく、そのとき必要な分だけを入れ込むのがよいでしょう。
もし作品が完結したときに説明しきれなかった設定があったなら、その設定は余分だったのです。もしくは、書くべきタイミングを逃しているのです。
いわゆる説明回を設け、それを前書きなどで自ら「説明回で~す」と言ってみたり、後書きで「本編に入りきらなかった設定をここで書いちゃいます☆」とかやってしまうのは上手いやり方だとは思いません。むしろやってはいけないことだと筆者は思います。
とはいえ、貨幣、暦をはじめとする各種設定を紹介する説明回を入れるのは、テンプレ異世界もののひとつの定型として成立してしまっている現状、それはそれでなろうスタイルなのかもしれませんね。
ぶっちゃけ、主人公が日本人なのって、この説明回を入れやすいからってだけで主人公が日本人であることがさっぱりストーリーに関わってこない作品も多いですよね。
もっとひどいのになると、閲覧数を稼ぐためだけに「俺は転生者だ」とひと言書いてそれきりとか。
たとえファンタジーでも社会経済をしっかり書かなきゃ!って空気になったのは『まおゆう』や『ログホラ』がブームになった頃からでしょうか。
こむるはあんまり詳しくないんですがね。
『まおゆう』は、ちょっとズルもありましたが、実際の歴史が数百年単位で成し遂げた産業、思想など文明の発展を1世代で無理やり行うシミュレーションとして、なかなか良くできていたと思います。
同じようなコンセプトの作品に、ズルなしの井上裕美子の『五王戦国志』、異世界知識使いまくりの開き直った『ドリフターズ』などがあります。
どれもそれぞれに想定された時代ごとの特色が出ていて面白いですよね。
『まおゆう』の啓蒙君主から市民の自発的な啓蒙へ、『五王戦国志』の野蛮とされていた騎馬の普及、『ドリフターズ』の火薬の登場(あ、これ『まおゆう』もだ)。