追憶の彼方に(2)
一部BL描写が濃いので、閲覧注意です。
――思わず、言葉が出てこなかった。「突然だけど」と前置きがあったとは言え、俺の頭はカナのその言葉を、全く理解できなかった。一度咀嚼して、それからようやく言葉を絞り出した。
「…… え、何で?」
前触れもなく、突然別れを告げられて、俺はまさに混乱状態にあった。俺に思い当たる要素はまるで無かった。俺自身カナの事はすごく大切に思ってたし、彼女との約束は何を差し置いても優先してきた。時にはカナが欲しいと言ったものを買ってやったし、申し分ない彼氏だったはずだ。
『何というか…… 私、本当に洋次君と付き合ってる気がしなくて……』
「な、何で?」
『だって…… いつも上の空だし、月山君の事ばっかり心配してるし……』
俺は思わず「何で?」という言葉を繰り返し頭の中で描いていたし、口に出していた。テルの事ばかり心配している?俺自身そんな自覚はまるで無かったが、確かにいつもハキハキしているカナと違って、テルは放っておけないのは確かだった。気づかないうちに、テルの事を口に出していたのかもしれない。
「俺は…… 一応カナの事を、一番……」
『ううん、もう良いんです。やっぱり住田先輩を射止めるのは無理でした』
カナの口調が敬語に変わった。彼女になってから、カナは敬語を崩すようになっていたが、この時久しぶりに敬語に戻ったのだ。それは、俺たちの関係が、先輩部員とマネージャーに戻る、ということを意味しているように思えた。
『それに、先輩はもうすぐ高校生だし。私、この前クラスメイトから告白されたんです。私が先輩と付き合ってることを知らないようでした。……私、その人と付き合おうと思います。その方が、釣り合ってますから』
「…………」
抱く感情の大半が「恋」でも、その中に少しでも違う感情を抱いてしまうと、違う感情の方に囚われてしまうという事を、俺はどこかで聞いたことがある。彼女は明らかに、「不審」という感情を俺に抱いてしまってるようだった。
『先輩はもうすぐ引退ですから、会うこともなくなりますね。……さよなら』
あっけない幕引きだった。俺は何も言わなかった。いや、言えなかった。彼女は俺の言葉を待つこともなく電話を切った。プー、プーという機械音だけが部屋に響く。
色んな事を思い出した。彼女に付き合ってレジャー施設に行った事。大して興味のない美術館に行ったこともあった。親がいないタイミングを狙って家に呼び、キスだってセックスだって初めて経験した。気持ちの整理がついていない今だからこそ、こうして何となく思い出す事が出来るのかもしれない。もう少し時間が経てば、全てが忘れたい思い出に変わってしまうのだろう。
俺はベッドに横たわった。それから死んだように眠った――。
目が覚めてすぐ時計を見ると、昼の二時を回っていた。着たままの制服を脱ぎ、私服に着替えて下の階に降りると、ご飯の用意だけがされている。意識がまとまらないまま食事を終えて、また上に戻ると、携帯が光っているのに気づいた。カナからのメールだった。
『昨日は突然の事でごめんね。アドレスと番号は、削除しておいて下さい』
それは、一度その事を忘れかけていた俺に、昨日起きた出来事を全て思い出させるとともに、傷ついた俺に追い討ちをかけるものだった。俺は力なく、床に座った。全身の力が抜けていく。
……長い時間が経った。俺はずっと座ったままだった。特段何かを考える事はしなかった。ただ、放心状態でそこに座っていた。何かをしようとは思えなかった。だから、何もしなかった。
そして俺の時間を再び動かしたのは、あの運命の鐘の音だった。
俺はインターフォンに近づき、「はい?」と返事をする。テルが、「ノートを返しに来たよ」と言って立っていた。世界でたった一人俺だけが、違う世界に来てしまったように、テルは何らいつもと変わらない表情をしていた。
俺はテルを家に入れて、支配できない感情の波にさらされ、
その日、許され難い罪を犯す――。
11月 8日(木) 16:51
俺の隣でうっすらと笑うテルを見て、色々な感情が浮かび上がってくる。俺はあの時、テルの気持ちを利用した。テルは俺にどの程度かは分からないまでも、幾分か好意を抱いていたのは確かだった。俺はそれを利用した。テルは抵抗しなかったんだ。かと言って、無理やり「して」いいというわけではなかった。でも無理やり「した」。本来なら裁かれるべき、罪だ。
「洋次、何か考えてる?」
テルが不安そうな表情で俺の顔を覗き込む。化粧をしているわけでもないのに肌は白く、頬がほんのり赤い。いつもテルのメガネは少しだけずれていて、それがテルの頼りないというか見ていて心配になるような部分を強調させる。
「いや、ってかテル、またメガネずれてるぞ!」
「え? ……あ、ホントだ」
テルは一瞬動きを止めたあと、手でメガネを直した。少し前までは、そのズレを見かける度に、俺が手を添えてメガネを直してやっていた。しかし、今ではそんな事はせず、ただ指摘するだけに留めている。テル自身も勘はそれなりに良いので、俺のこの態度の変化には気付いているだろう。
罪だと感じてはいながらも、惰性や性欲に流されて、「いつものように」テルに迫った一ヶ月くらい前のある日、テルは俺の身体を押し返した。それは今までテルが見せたことのない「拒絶」の表れだった。
今までずっと、心のどこかで、テルは俺の事が好きだから、俺がテルを押し倒す事に抵抗することが無いのだと思い込んでいたばかりに、その拒絶は俺にとっては衝撃であった。都合のいい解釈だったとは自分でも分かっていながらも、それを明確に否定されると、一気に恐ろしくなる。
もはや今では、テルに触れることが怖くなった。テルは優しい性格だから、今までの強引な俺の行動に耐えてきただけであって、決して喜んでいたわけではなかったのだ。それを痛感させられた。
「テル、今度模試の解答配られたら、また勉強しに来いよ!」
自分でも唐突だったと思う。……それだけ、焦っているのだ。
よく考えたら二学期に入って、テルの方から勉強の誘いが一度でもあっただろうか。罪を犯すまでは、当たり前だった誘いが、全く無くなってしまっているのだ。俺は早く気づくべきだった。もはやテルは俺に信頼なんて全く寄せていないことを。
「……うん、解答読んでも分からないからね」
テルが承諾してくれた事に、俺はホッとした。テルから頼られる事というのは、本当に俺たちがまだ小さかった頃から当たり前だった。当たり前の事ほど、それを失ったときの恐怖は計り知れない。
「拒絶の日」から、もう二度とテルには触れないと誓った。自分の中で打ち立てたその誓いは、一度だけ破られた。あの時、どうしても、我慢できなかった。花が舞い散るような、どことなく儚げな笑顔を見て、俺の抑えていた感情が今、一気に昂り、気がつけば彼の肩を取り、キスをしていた。ハッとしたその瞬間に、我に返ったものの、テルの表情はやはり、どこか怯えているようだった。……それで今度こそもう絶対に、テルには触れない。それを決して破らないともう一度決めた。
「じゃ、分かれ道だから…… またね」
テルが俺に向かって手を振った。それから一度も振り返らずに、まっすぐにその道を歩いて行った。俺はその後ろ姿を見送っていた。
いつからかは分からない。本当に「そう」だと意識したのは、テルに拒まれたあの日なんだろう。テルの後ろ姿を見ながら、俺は考えた。……いつまでも立ってはいられないので、歩き出した。あの日から何度も考えてきた。その度に、同じ結論にたどり着いた。
――俺は、テルが好きだ。テルが欲しくて欲しくてたまらない。
だが、俺は罪人だ。テルの心を深く傷つけ、その肉体に恐怖を刻み込ませてしまった罪人だ。テルが欲しいというのは単なる罪人の欲望に過ぎない。俺は、この叶うはずのない恋を、諦めなければならなかった。本来ならば、拒絶される以上の罰はいくらでもあった。ちょっと拒絶されたくらいでは、俺の犯した罪には釣り合わない。しかし、こうしてテルとまだ友情関係が続き、俺が決して叶うことのない感情を抱くことになった事こそが、この上ない罰であるようにも思えた――。




