月と太陽(2)
一部BL描写が濃いので、閲覧注意です。
――月は太陽に支配され、統御され、それでいて夜、輝く。
どうして拒めないんだろう。自分のなにもかもが、いやになる。
嘘なんて、いくらでもつけるのに。
今まで、いくらでもついてきたのに。
こんな肝心な時に、どうして都合の良い嘘が言えないんだろうか。
ならば彼は?彼は、嘘をついていないのだろうか。
いや、ついているはずだ。最も大きな嘘を。
「待たせたな。続きやるか!」
お茶を置いてくれた彼にお辞儀をし、また勉強に戻る。
僕は僕で勉強を教えてもらうという目的があるのだから、それを優先すべきだ。
なるべく一生懸命に話を聞き、他の事は考えないようにする。
科目は英語から数学へと移った。
僕も彼も将来文系に進むつもりではあるけれど、彼は数学がよく出来る。
クラスで最下位かそれに近い僕とは違って、
彼は今までの試験二回とも、二組のトップ3に入っている。
だからこそ僕は彼から勉強を教わってるんだし、
その事実は、この慣例をくつがえすことの出来ない物的な根拠でもあるんだ。
ノートの数式がシャーペンによって解を導き出されるように、
僕の中では解なんてとっくに分かっていた。
一歩踏み出す事が、その解であると。
「そろそろ休憩するか?」
「……うん、そうだね~。」
彼がそう言った時、僕は気付いた。
いつしか彼が僕の隣に座っていて、お互いの腕が触れ合っている事に。
勉強に集中していたせいか、どうして気づかなかったのか不思議なくらい、
僕と彼の距離は近かった。
彼は声も無く僕の肩に腕を回した。
そのままの状態でしばらくいると、彼は僕の身体ごと引き寄せ、
僕が反応するよりも早く、唇を引き合わせた。
先ほどのような軽いキスではなく、彼の舌が口へと入ってくる。
こうしてキスをする時、僕は目を開ける事が出来ない。
彼はいつも、僕の目を見ているからだ。目を閉じることなく、真っ直ぐに。
「……ッ……」
吐息が漏れた。激しい舌の運動に、少し息苦しくなる。
彼の手はそのまま僕のシャツを伝って、ジーンズとの境界線から素肌へと移り、
それから上へと伸びた。僕のシャツがはだけていく。
彼の舌は全く別の生き物のように動き続け、僕の舌と絡まり続ける。
彼の固い手が、僕の柔らかい上半身を撫で、敏感な部分を探り当てていく。
達也に言った言葉はあながち嘘では無く、快楽に従順な僕は、
その彼の手の動きに身を委ねてしまう。
身体が撥ね、口から白い糸が垂れ、徐々に意識が朦朧としてくる。
彼は自分でシャツのボタンを外し、僕が目を開けた時には、
鍛えている彼の男らしい肉体が、割れた腹筋が、目に映った。
彼は突然僕をもっと引き寄せ、抱きしめた。少し締め付けが強くて、痛い。
背中にも彼の手が侵入してくる。
そして、もう片手は僕のジーンズの隙間を探しているようだ。
僕は久しぶりに彼の目を見た。……彼は、目を閉じていた。
……彼が思い描いているのは、きっと彼女の姿なんだ――。
トンッ。
分からないかもしれない強さで、しかしながら確実に、僕は押した。
彼の身体を、その厚い胸板を、押し込んだ。
キスをしていた唇は無造作に離れ、彼の目が見開いて僕を見る。
互いの沈黙が続く。僕にはわずかな達成感と共に、
抑えきれない後悔の波が、もう押し寄せてきていた。
こういう時、何と言うのが正しいのだろうか。
分かっている事はたった一つだけ。
――言わなきゃならないのは僕だ。
「……ごめん、もう帰らないと……」
あえて理由に言及する事は避けた。でもこう言えば、きっと伝わる。
先ほどの僕の行為が、偶然では無く、明確な拒絶であると。
止められる前に、僕は机の上を片づけ始めた。
ノート、それから筆記用具、少なからず慌てている僕は、
いつもペンの向きを揃えて片づけているのを今日はしなかった。
意外にも彼は止めなかった。ただ無言で、シャツのボタンを留め直している。
こちらをチラリと見ようともしない。
……これで僕の利用価値はなくなってしまったから、
もう僕にかすかな興味さえ失ってしまったんだ。きっとそうなんだ。
分かっていた事だろう。それでも、やらなければならなかったことだろう。
僕は間違ってなんかいない、そう思いながら、片づけを終えた。
「送ってくぜ!」
服装を整えた彼が立ち上がった。
いつもとあまり変わらない目で、僕を見ていた。
いつも通り笑えていないのは、きっと僕だけだ。
彼は僕を部屋の外へと先導した。
数学があとどこが分からない、だとか、この前僕の姉を見掛けた、だとか、
一口二口の会話で、僕は彼の真意を薄々読み取った。
彼にとって、僕が拒むか拒まないかなんて事は、
さしたる重要性を帯びた事なんかじゃないって事。
家の玄関まで来た。まだ外は明るく、夕暮れ時にもなっていなくて、
当然いつも僕が帰る時間とは全く違っている。
僕はなるべくいつもの口調に戻して言った。
「家までは自分で帰るよ~。」
「……分かった、気を付けろよ!」
「うん~……明日は来ないかも~。」
「なんで?用事でもあんのか?」
「ちょっとね~。まだ分かんない~。」
「なら今晩連絡してくれ!待ってるからな!」
明日ここに来るつもりも、今晩連絡するつもりも全く無かったけれど、
うんといつものうなずきを見せておいた。
良助はともかく、達也や洋次になら、この程度の嘘がバレる事は無い。
洋次は元気に手を振って、僕を見送った。
あんなに僕が考えてたどり着いた結論を、軽々しく受け取った彼。
僕の取った行動の、言った言葉の、意味が分かっていないのだろうか。
……ところで僕は、何故そんな事を考えなければならないのか。
僕は彼にどうしてほしいのだろうか。彼に重く受け止めて欲しかったのか。
軽く受け止めてもらって良かったのではなかろうか。
重く受け止められでもしたら、今後の関係に支障を来すのは間違いないのだ。
それに、彼がこんな事を重くは受け止めないだろう事なんて、
最初から僕には想像がついていたはずだ。
――月は太陽の光無くしては輝けないけれど、
太陽は月が無くとも、煌々と輝いていられるのだから。